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DIEGA  作者: 天崎 剣
3/7

003:傷つけて、傷ついて

 朝日が昇り、(いち)が活気付く。

 港市場は今朝水揚げされた魚介類、遠くの町から運ばれた野菜や果物、香辛料、それに、旅人のための仕入れたばかりの防具や武器、道具などを並べたテントがぎっしりとひしめき合う。まだ薄い水色の空の下で、その場所だけは朝一番だというのに最高の熱気で、覚めきらない目も一瞬で覚めてしまう。

 人という、人。街の、いや、国中の人間が集まったのではないかと思うほどの人の群れ。朝市、夕市は特に多い。朝には新鮮なものを、夕方には掘り出し物を、それぞれ安価で得ることが出来るからだ。

 家族ぐるみで店を開く者が多いこの地方、テントの隅では赤子をあやしながら金勘定をする母親の姿、慣れない手つきで商品の受け渡しをする小さな子供の姿も多く見られる。それは、この街が生きていることを端的に表現しているようでもあり、多くの旅人が長旅の疲れを癒される光景でもあるのだ。

 ディエガとクヒは、この、ノアルの街に暫く滞在していたが、そろそろ旅立つ準備をと、市を訪れた。金髪の背の高い凛々しい剣士と、銀髪の(なまめ)かしい魔法使いの女は、そこにいるのが不似合いなほど、妖しく場違いな空気を保っていた。しかし、彼らはそれに気付くことなくあちこちのテントに寄っては、品定めをする。

 店主らは彼らの風貌から、金の臭いを嗅ぎ付け、高値で物を売ろうと躍起になるが、実はその財布はとても厳しいため、簡単に二人は首を縦に振らない。本当に必要なものだけを、必要な分だけ手に入れなければ、せっかく手に入れた資産も、あっという間に費えてしまうのが、目に見えるからだ。

 長旅に必要な保存食、それから薬草、治療薬。新しい剣、それに、もう少し丈夫な防具が要る。二人は市場中を歩き回り、(ようや)く必要なものを全て買い揃えた。

「……こんなところで、どうだ? ノアル程の街はそうないだろうから、必要なものを買うなら今のうちだぞ?」

 市場を抜け、広い道端に立ち止まって、二人は持ち物を確認しあった。

「ええ、多分、買える物は全て……、あら?」

 クヒはそこまで言って、ちらりとディエガの腰袋に目をやった。

 パックリと裂け、袋の中身が(のぞ)いている。

「あなた、いつの間にやられたのね」

 クヒが指差したその袋の中から、命の次に大切なものがなくなっていることに気付くのに、それほど時間は掛からなかった。

「イ……インフィニティが、無い!」 

 一気に血の気が引いた。

 その腰袋には、「インフィニティ」と呼ばれる、聖遺物が入っていたのだ。この先、旅を続けるには欠かせない、大切なもの。白い布に包まれた、美しい銀の筒。自分たちが、正統な「勇者の末裔」であることを示すための、唯一の代物が、消えてしまったのだ。

 ディエガは動揺し、いつものクールさを失ってしまった。路上であちこち荷物を引っ掻き回すが、出てくるはずなど無い。

「な、何てことだ! なんて失態だ!」

「触れもしないくせに、自分が持ってるって、言うからよ」

 クヒは慌てふためくディエガを一笑した。

「……言われなくても、わかってるよ! 自分のだらしなさをコレほど呪ったのは、初めてだ……」

 ディエガは民家の壁に背をもたれて、がっくりと頭を抱え込んだ。

 ポン、と、クヒは肩を叩き、にっこりとして市場を指差した。

「戻りましょう。まだ犯人は中にいるかも。アレの価値がわからない人間のしそうなこと、大体わかるでしょう? 店という店に聞き込むのよ? いい?」

 荷物を(まと)めると、クヒは涙目のディエガを無理矢理引っ張り、市場へと戻っていった。


「銀色の筒を売りに来た者はいませんでしたか?」

 二人は手分けして店を回った。決して少ないとはいえない店舗数。もし、この市場から出て、港から外に出られてしまえば、それこそ大変なことになる。急がなければならない。しかし、簡単に見つかるものでもないようだ。

「あれ、お客さんも、やられたんだねぇ!」

 とある防具屋の主人が、ディエガの腰袋を見てそう言った。

「『も』? ここでは、よくあることなのか?」

 ディエガは店主の言葉に耳を傾けた。

「そうさ! 最近……ここ、数ヶ月だけどな。ナイフで袋を切り裂いて、中から金品を掻っ(さら)う『スリ』がいてね。犯人には、高価なもんの隠し場所が大体わかるらしくてさぁ。お客さんで何人目かなぁ。金ならば足は付かないが、お客さんのように特定の物なら、案外見付かるんじゃないの?」

 人のいい主人は、ニヤニヤと笑いながらだが、きちんと答えてくれた。それだけで、少し救われた気がする。

「なるほどね。サンキュ。もう少しあたってみる」

「幸運祈ってるぜ」と手を振る店主に見送られ、ディエガは更に市場の奥へと入っていった。


 両手に抱えたずっしりとした白い包み。

 路地の奥で、その包みを解く、幼い手。

 中から現れた銀色の、美しい装飾の施された筒を眺め、穴から向こう側を覗き見る、まん丸な目。

「なんだ……、これ?」

 ふうと息を吹き込んでも、音も出ない。どうやら楽器でもないようだ。

「何でこんなもの、大切に持ってんだ?」

 得体の知れない銀の筒を手にしていたのは……、子供だった。

 十歳そこそこの、薄汚い格好の少年。頭に深々と被った、少し大きめの栗型帽子が彼の顔を(てい)よく隠している。

 そこはどうやら、彼の住処らしく、汚いながらも穴の開いたボロ切れで雨よけがしてあったり、木箱で寝床らしいものが作ってあったりする。食べ物を食い散らかした跡に、ネズミが数匹群がっていて、全く清潔感が無い。

 通路自体は、大人が一人、やっと通れるくらいの幅だが、小柄な少年にはそれくらいが丁度いいらしい。

「こんなわけのわからないものじゃなくて、現金とか、金目のものだったらよかったのになぁ……」

 少年はしょんぼりとして、路地の間から空を仰ぎ見た。

 抜けるような青空が、建物の壁で切り取られ、白い雲が時折、その間を通り抜けていく。(まれ)に迷い込む、小さな鳥たち。自由に飛び回り、いつしか自分の側から去っていく。

「せっかくだもの、少しでもお金になるなら……」

 少年は筒に元々巻かれていた白い布を巻き直し、市場へ急いだ。


 港市場全体が明るい雰囲気に包まれていたが、その店の軒下だけは、なぜか物悲しい雰囲気が漂っている。

 道具屋「風と月」、主人のジャックは商売する気がないのだろうか、店の奥に引っ込み、沈んだ表情で壁に掛けられた数着の小さな洋服を見つめていた。ジャックも、その妻も、泣きすぎたのか目を()らしている。身に着けた暗い色の服が客を寄せ付けようとしない。

 店の奥から時折おんおんと泣く声が聞こえるため、隣近所の店の者たちも、はっきり言って、迷惑していた。……しかし、誰も彼らに静かにして欲しいなどと言うことは出来なかった。

 ジャックの一人息子が死んだのは、今年の初めだった。寒く、乾いた風の日、息子のダンは風邪をこじらせ、そのまま息を引き取ってしまった。なかなか子供が出来ず、結婚十年目にして漸く産まれた小さな命は、十歳の誕生日を目前に、消えてしまったのだ。

「おじさん、おはよう!」

 気落ちしたジャックに、小さな少年が語りかける。

 ぼろぼろの服、大きな帽子。孤児(みなしご)のロビンだ。

「おお、ロビン。今日はどうしたね?」

 ジャックは重たい腰を上げ、カウンターからちょこんと顔を出したロビンへと歩み寄った。

「あのさ、薬草とか薬なら、大体の価値がわかるんだけど、街で拾った、コレ。全然、何だかわかんないの。何だと思う?」

 ロビンは背伸びし、カウンターの上に白い包みを差し出す。

 ジャックは恐る恐る、その包みを解き始めた……。

「筒だ」

 美しい装飾を施された、銀色の筒。散りばめられた宝石だけ見ても、決して安いものではないと想像が付く。

「ロビン……、コレは本当に、『拾った』ものなのかい? こんな高価なもの、落とすなんてとても考えられない……」

 ジャックの問いに、ロビンはビクッと肩を揺らし、一歩下がった。

「今までお前が何を売りに来ても、私は何も言わなかったが、これは……」

 品定めをしながら、ジャックは今まで心に秘めていた疑惑を口に出そうとしていた。

 (たま)に話しかけてくる、このみすぼらしい少年を彼は不憫(ふびん)に思っていた。自分の死んだ息子の代わりだと思って、危険なことをしていると察していながらも見逃していた。しかし、これほど高価なものを持ち込まれては、擁護しきれないと思ったのだ。

「ロビン、お前は、やはり……」

 自分を疑うジャックの目に、ロビンは慌てて包みをぶん取った。布からはみ出した銀の筒が、小さな手の中で震えている。

「ご……ごめん! おじさん……。僕のことは忘れて……!」

 ガタガタと歯が鳴る。

 振り向き、走り去ろうとした、その時。

 ロビンは急に現れた、大きな影に行く手を(さえぎ)られた。

「忘れて欲しい? それは出来ないな」

 背の高い、金髪の、若い剣士の男だ。パックリと切り裂かれた腰の布袋には、見覚えがある。

「子供か。どおりで腰の辺りばかりが狙われるわけだ。──さぁ。返してもらうぞ」

 剣士の鋭い目がロビンを責め立てる。

 白い布と筒がするりとロビンの手を抜け、剣士の元へと戻っていく。状態を確認し、ほっとする。丁寧に筒を布で包み直し、別に用意していた道具袋へと片付ける。

「隠し持っていたナイフ……、そこか?」

 剣士は右手をにゅっと少年の背後へ回し、ズボンの後ろのポケットから折りたたまれたナイフを取り出した。

 ロビンははっとし、両手を伸ばして取り返そうとしたが、相手が悪かった。身長差がありすぎて、幾ら背伸びをしたところで全く届かない。

 剣士は手にしたナイフを高いところでもてあそびながら、ロビンを冷たい目で見下ろしている。

「か……、返してよ! それは、大事なものなんだから!」

「大事? スリをするのに必要ってことか?」

 ロビンの顔が急に赤らんだ。図星だった。

 カウンター越しにやり取りを見ていたジャックは、突然現れた男が躊躇せず本題に入ったことに驚きを隠せないでいた。

「カバンや布袋を狙った切り裂きスリが横行しているって、町中の話題みたいだな。お前はこのナイフで切り裂くたびに、自分の心も傷付いていることに、気付かなかったのか? 何故続けた?」

 左手でロビンの胸倉を掴み、額を擦り付けて脅し始める剣士。

 ジャックは恐れていた事態に動揺し、止めることすら出来ない。

 ……と、剣士の目に、店の奥で怯える、黒っぽい服の女の姿が映った。そして、店の中にかけてある、小さな洋服たち。品揃えは悪くないが、客の寄り付かない店……。

「──そうだ」

 剣士はにやりと意味深に含み笑いした。

「お前をギルドに差し出して、とも思ったが、案外金にはならんかもな。子供だし、見逃してやれという奴もいるだろう。港に船が着いたら、よその国へ売り飛ばす、という方法がある。子供というのは裏では高く売れるんだ」

 ロビンは顔面蒼白になり、首を必死に左右に振って、胸を掴む力強い手を離そうと必死にもがいた。いやだいやだと泣き(わめ)く。

 やがて道端の視線が普段は静かなその店の軒先へと注がれ、観衆が輪になって騒ぎ出す。

「や……、やめてください!」

 ジャックがカウンターの下から表へと出てきた。

 顔中を汗でいっぱいにし、真っ赤になって、それでも勇気を出して。彼は剣士からロビンを奪い取って抱きしめた。

「うちの……、うちの子です! ロビンはうちの子です! 息子が大変なご迷惑を……! 何としてでも償いますから、それだけはご勘弁ください……!」

 頭を下げるジャック。

 状況が掴めず、目を泳がせるロビン。

 ジャックは無理矢理ロビンの頭を掴み、剣士へと頭を下げさせた。

 その様子に剣士はにやりと笑い、屈めていた腰を起こす。

「そういうことなら。このナイフを戴く。二度とこんなことをしないようにな。それから、この店の品をほんの少し、安く買わせてもらうって事で、どうだ?」

 彼が出した打開策に、ジャックは思わず顔を(ほころ)ばせた。

「それくらいでよいなら……、喜んで!」


 道具屋「風と月」の商品を一割引で手に入れたディエガを遠目で見ていたクヒは、腰に手を当てて大きく溜め息をついていた。

「それって、値引き? 殆ど原価じゃない」

 割引率が気に食わなかったらしい。

「まぁまぁまぁ。安いことは安いんだから、気にするなよ」

 市場を離れ、町を出るために北の門へと続く道を歩きながら、クヒはディエガに尋ねた。

「あなたにしては、まともな判断ね。どうして店主が子供を(かば)うと思ったの?」

「ああ、それはね」

 ディエガはにやっと口の端を上げ、目を細めた。

「あの店、子供がいないのに、子供の洋服がたくさんあったんだ。そして、黒っぽい服に、冴えない顔。不幸があったに違いないと思ってね」

「へぇ。よく見ていたわね。私はあなたが、そのまま子供を売り飛ばすのかと思って見てたけど。それなりに考えて行動していたみたいで安心したわ」

「……失礼だな」

「ねぇ、それって、昼間だったからって、関係ある? 夜のあなただったら、ああいうことは出来なかった?」

 クヒは背の高いディエガの顔を覗き込むように、わざと前へと進み出た。首を(かし)げ、ニヤニヤと様子を覗うクヒを面倒くさそうに払い退ける。

「う……、うるさいな。昼だろうが夜だろうが、俺は俺だ。──まぁ、名前は別々に語っているけどな。でも、お前の言うように、昼と夜の人格が微妙に違ってきてるのは確かだよ。変な生活を続けている所為か、自分が二つに分かれてしまうような錯覚に(おちい)ることは、ないとは言わないよ……」

 知らず知らずのうちに、言うつもりのないことまで喋ってしまう。クヒの前ではどうも、自分を偽ることが出来ないようだ。

 ディエガは恥ずかしそうに彼女から視線を逸らした。

「でも、そういうところが好きなのよね。昼の『ジグ』のときの軽い感じと、夜の『ディエガ』の時の、重々しい感じ。二つが混じらずにいるところも、あなたの魅力だと思うけど?」

「あ。クヒ、お前!」

 クヒの台詞に、アンテナが立ったように、あたりの空気がざわめき立つ。

「無遠慮に夜の名前を口にするなってアレほど……!」

 ディエガの指摘で初めてタブーを思い出したクヒは、慌てて口を両手で押さえた。立ち止まり、息をするのも忘れて、気配を探る。

 街のあちこちから、まだ日の昇りきらない午前中とは思えないくらい重々しい空気が、こちら目掛けて集まってくる。

「走れ! 町の外まで!」

 二人は軽快に駆け出した。

 すっきりと晴れ渡る空、少しずつ高くなる日の光を、いっぱいに浴びて。

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