002:痛みを伴う
そこは三方を山に囲まれた、大きな港町。
港から真っ直ぐ南北に伸びた道の両側に、様々な色のテントが軒を連ねる。活気と品物に溢れ、暑い日差しに負けない、逞しい商人たちの威勢のよい掛け声。空を飛び交うウミネコの優しい声が、街全体を包み込む。買い物客もどこか嬉しそうにその街の空気を満喫する。
外敵から身を守るに最適と言われる地形からか、攻め入られることは殆どない。だからこそ、その街は栄え、人や物資が自然に集まってくる。
漁師も職人も、この町では豊かに幸せに暮らしている。
それは、この街──「ノアル」の権力者である、「レギス」という豪商の力の賜物でもあるのだ。
レギスの屋敷は町のはずれ、小高い丘の上にあった。広大な敷地はぐるっと高い塀で囲まれ、門扉には厳つい装備をした衛士が二人。いかにも金持ちの豪邸、宮殿のような門構えに、金を注ぎ込んだ庭園。日の出ている間は庭師が庭中の手入れをしているのがいつも見える。
「さて、娘を助けてくれたことは感謝しよう。……それで? お前たちは何が望みなのだね?」
ギルドから二件の依頼分の報酬……レギスの娘の捜索依頼と亡霊退治……を受け取ったディエガとクヒは、レギスの元を訪ねていた。
レギスは一階の応接間で、大きくゆったりとしたソファーにどしんと腰をかけ、ひじかけに置いた右手の中に胡桃を転がしながら、二人の旅人を見つめている。金髪の背の高い身軽な剣士は冷たい視線でレギスを見下し、彼の左に立つ魔法使いの女は、そんな彼の態度を正そうと、肘で小突いている。世界に名を轟かす大商人であるレギスに面通っているとは思えない、緊張感のなさ。レギスにとってはただの不審者でしかない。
体格のいいレギスは貴族まがいの豪華な衣装を身に纏い、たぷたぷとした顎の上と口に白髪交じりの髭を生やしていた。頭はすっかり後退し、最早後頭部にしか毛が生えていない有様だが、それでも貫禄を見せているのは、彼の年の割りにぎらぎらと輝く瞳の所為かもしれない。
応接間に飾られた何枚もの絵画、彫刻、そして武具は、彼が金持ちであることの象徴でもある。応接間の扉は閉じられていたが、その向こう側にはレギスに何かあったときのために、と、やはり衛士が一人、身構えて警戒している。
「で? どうなのだ? 正直に答えたまえ」
レギスはソファーの前に立つ二人をじろじろと見つめた。
「我々の旅の資金援助を願えないかと」
ディエガは躊躇いもなく、大商人に進言する。
レギスはふっと鼻で笑い、もう一度、じろじろと二人の顔を眺めた。
「滑稽な。何故私が娘の恩とはいえ、お前たちのような素性もわからぬ者に金を出さなければならないのか。よくもずけずけと言えたものだな」
ディエガはレギスの言葉にむっとして、一歩前に出る。それをクヒが牽制する。
「レギス様、連れが大変無礼を」
クヒはしとやかに礼をし、詫びる。が、ディエガはそれが気に食わず、横目で彼女に怒りを見せる。
「勿論、すんなり承諾していただけるとは思っておりません。ですが、この先、この街にも帝国軍が現れる可能性があるとお聞きになったら、考えが変わるかもしれませんわね」
「ほう、帝国軍……。穏やかではないな」
レギスは身を乗り出して、クヒの話に聞き入る。
クヒは待ってましたとばかりに話を続ける。
「帝国軍は大量のアンデッドを以って世界を混沌の渦へと導こうとしているらしいのです。もしそんなものがこの街へやってきたら? どうなります?」
「……間違いなく、全滅してしまうだろうな」
レギスは表情を曇らせた。
「私たちに援助頂ければ、それを阻止してご覧に入れますわ。あらゆる災いは私と彼とで排除いたしましょう」
「それはそれは、ずいぶんな自信だな」
ありえない、ハッタリだ、と、レギスは決め付けていた。今までだって、似たような理由で金をせびりに来る冒険者がいなかったわけではないからだ。
「その根拠は何だ? 何か指し示すものでもあるのか?」
眉をくいと上げて、小馬鹿にする。
(まあ、それが当たり前の反応だな)
ディエガは白け切った目でレギスを見下す。
クヒはレギスの嘲笑をものともせず、彼の興味を引こうと、こう、続ける。
「レギス様は、『聖遺物』というものをご存知でらっしゃいますか?」
「もちろん。実際目にした事はないが、古の勇者、賢者の残した賜物だ、わしとてお目にかかれるものならお目にかかりたいと思っておる。手に入れることが出来るならば、そうしたいともな」
「その、聖遺物のひとつを、彼が持っているのです」
「ほう……! それはそれは……。なかなか興味深い」
レギスは一度引いた身体を、また前のめりにして、クヒの言葉に引き込まれていく。それを、彼女の妖艶な美しさが手助けする。銀髪に、深い青色の瞳。透き通るような白い肌。青地のローブに身を包み、奥ゆかしく、そして、顔に似合わぬ低めの美しい声。どれをとっても、街の娼婦どもより幾分も美しい。
いやらしい目つきでなめるようにクヒを見るレギスに、ディエガは素でキレそうになる。金の心配さえしなくてよければ、こんな男に頭を下げることなどないのに、全く不快だ。
と、クヒが横目でちらちらと右隣のディエガを見ている。彼女は右手をさり気なく(などないのだが)差し伸べて、何かを欲しているようだ。ディエガは渋々と、腰の皮袋から白い包みを取り出した。
「もしよろしければ、一度お触りになられては?」
ディエガから受け取った包みを、彼女は仰々しく両手でレギスの面前へと差し出す。パッと、レギスは表情を変え、握っていた胡桃をポケットに押し込むと、興味津々とそれを覗き込んだ。そして、胸の高さでそっと大事そうに渡されたその包みを、レギスは興奮しながら解いていく。
「おお……、なんと美しい……!」
白い包みから出てきた銀色の筒を手に取り、くるくると様々な角度で見回す。両手にすっぽり収まる、笛のような、しかし、音を奏でるには少し重い筒。見事なまでの装飾が、煌びやかな宝石が、レギスの心をくすぐる。
「『インフィニティ』と呼ばれる聖遺物です。見た目はただの筒ですが、様々な武器へと変化します。剣が必要なときは剣に、弓が必要であれば弓に、ハンマーにも、斧にでも、なんにでも姿を変えます」
クヒの説明に、何度も頷く。懐から出した虫眼鏡で、鑑定でもするかのように、装飾の一つ一つをまじまじと観察しだす。
「なるほど。確かに安物ではなさそうだ。しかし、コレが本物の聖遺物である証拠は? 偽物を突きつけて、わしから大金を巻き上げようとしているのではあるまいな?」
疑り深いレギスは、ニヤニヤと笑いながら、尚も筒の中を覗いている。
「滅相もございませんわ。──それならばレギス様、両手でその筒をしっかりと握ってくださいませ。そして、魔物を倒すビジョンを思い浮かべていただけますか? 面白いものがご覧になれましてよ?」
「ふむ」
疑心暗鬼ながらも、レギスは彼女の言葉通りにがっちりと両手で垂直に筒を握り締めた。
不思議と、彼はクヒの言葉には従ってしまうようだ……。まるで彼女の言葉、声、そのものに魔力が宿っているように。
暫く握っていると、ぼうっと筒全体が光りだす。その光は筒の上部に集まると、天井目掛けて真っ直ぐと伸び、蝶の羽を広げたような鍔と共に、大きな十字架を作り出す。──見事な両手剣。
「おおお! 何ということだ! これこそ正に聖遺物!!」
レギスは子供のように感動し、光で出来た剣をきらきら輝いた瞳で見続ける。
「こんなものを何故お前たちのような冒険者が持っているのだ? いくらだ? 幾ら積めば私のものになるのかね?」
喉から手が出るほど欲しくて堪らなくなったレギスは、値段交渉を始めようとする。先程までとは目付きが違う。欲しいものは全て手に入れてきた男の独占欲が疼く。
「残念ながら」
クヒはにっこり笑いかけ、レギスの手から光の剣をひょいと抜き取った。
「お譲りすることは出来ませんわ」
瞬間、光は消え、元の「インフィニティ」の姿に戻っていた。
おもちゃを失ったレギスは寂しそうに、宝を失った手と、クヒの手の中のそれを交互に見つめている。
「『聖遺物』は、正当な持ち主……ディエガの意思によってしか力を発動させません。あなたの元にこれが渡っても、いざと言うときは何の役にも立たませんわよ」
余裕の笑みを浮かべる二人に、レギスはむすっと顔を顰めた。
「『聖遺物』を持つ、ということは、それ相応の価値がある人間ということなのか?」
レギスは依然として納得できない様子。チラッと、大商人の目線がディエガに移る。ディエガは不敵にレギスを見つめ返す。
「面白いものを見せてやろうか」
彼は、はめていた右手の皮手袋を外し、皮袋にしまうと、クヒの手から筒を奪い取った。
「ディエガ、何もここで……!」
インフィニティを掴んだ途端、ディエガから大量の黒い気が噴き出す。筒を握り締めた右の掌からは、何かが急激に溶け出すような、黒い闇が……!
あまりの勢いに、クヒもドアの付近まで吹き飛ばされる。
部屋が、屋敷全体ががたがたと震えだす。壁にかかった絵画は床に落ち、彫刻や武具たちも、突如現れた闇に怯え、騒ぎ出す。
「や、やめろ! 何をする?!」
立ち上がり、あたふたと装飾品たちをなだめようとするレギス。
その姿があまりに滑稽で、面白くなったディエガは大声で笑いながら、剣へと姿を変えたインフィニティの刃先をレギスへと向ける。禍々しい黒い刃。魔物が取り付いたように、ガシャガシャと牙を鳴らす、生きた剣。聖遺物が創造したとは思えない、恐ろしさ。レギスの頭に喰らい付こうと、大きな目玉を見開いて唸っている。
「はははははは! どうだ? さすがの大商人も、腰を抜かしたか?」
レギスは恐怖のあまり、全身の毛穴からどっと汗を噴き出していた。全身から力が抜け、へたり込む。
「な、何故だ……? なぜ、『聖遺物』が、こんな姿に……? 闇の力を持つ者は、聖遺物に触れないはずではないのか……?!」
ガチャガチャと、扉のカギを開けようとする音。レギスの異常に気付き、廊下にいた衛士が慌てて鍵穴を探っている。──しかし、どうしても開かない。クヒが魔法で更に鍵をかけているのだ。
「ごめんなさい、今は邪魔されたくないのよ……」
衛士には聞こえないが、クヒは申し訳なさそうに、ドアの方向に呟く。
「俺は確かに、『闇の力を持つ者』だ。だが、彼女の言うように、『インフィニティの正統な継承者』でもある。コレが何を意味しているのか、わかるか?」
ディエガは刃を向けたまま、レギスに質問を浴びせる。
「わしをからかっているのか……?」
レギスも負けじ、と、ゆっくり立ち上がり、鋭い眼光でディエガに睨みをきかせる。
「からかう……? とんでもない。世界随一の大金持ちのレギス様が、俺たちに理解を示してくれるかどうかの瀬戸際だ。冗談でこんなことをするはずないだろう?」
いたずらっぽく話してはいるが、ディエガの全身には苦痛が走っていた。金髪の隙間から、うっすらと汗が滴り、顎を伝う。身体から噴き出る闇に体力を奪われ、更にインフィニティを握った右手は、人間の姿を失っていた。肌は紫がかって黒光りし、まるで大きな甲虫の装甲を思わせる。ガントレットをはめたような、ごつごつした腕。
レギスはその腕に気付き、身の毛がよだった。
「一体、お前たちは何者なのだ……?」
「──その昔」
ディエガは徐にレギスから剣先を逸らし、だらんと床に向けた。
「世界を救った勇者とやらは、再び世界が闇に呑まれそうになったときのために、力を封印し、子孫に委ねた。今から二十数年前、力は放たれ、一人の男が力を継ぐ者として、生を受けた。──しかし」
インフィニティを握った手から、シュウシュウと何かが溶ける音がしている。
ディエガは苦しそうに、大きく肩で息をした。
「その男は、闇の者へと姿を変えられてしまった」
「な、なんだと……! それがお前だというのか?!」
「……いかにも」
クヒの差し出した白い布を受け取り、左手に当て、そこにインフィニティを持ちかえる。魔剣は姿を消し、ディエガはいつもの筒に戻ったそれを、布ごとクヒへ渡す。
「だから、俺はインフィニティを所持しているが、今みたいに、まともに触ることが出来ない。触っても、あの通り。力をコントロールできなくなって、裏の姿が現れてしまう」
インフィニティによって姿を変えられていた右腕は、その効果範囲から抜けたためか、徐々に元の「人間の腕」へと戻っていく。
「俺たちは、この呪いを解くために、帝国へと向かっている」
「……帝国に、何か関係が?」
ディエガは首を横に振った。
「わからない。この呪いをかけた人物が、帝国の王の使者であるらしいこと以外、何も。悔しいが、他に何も知らないんだ……」
彼の赤い瞳は寂しそうに潤んでいた。「呪い」の話になると、それまでの勢いがふっと、消え去ってしまった。
辛そうなディエガに、クヒが寄り添う。彼女もまた、彼と同じ気持ちなのだろう、ぐっと、込み上げる感情に耐えている。ぎゅっと、彼の手を握り締める。
二人の様子を横目で見ながら、レギスはなにやら思案した。そして、自分の洋服の埃を払うと、髪の毛のない頭を擦りながら、ゆっくりと室内を回った。
「……なるほど。納得した。お前たちが帝国からの敵を打ち倒すという理由も、金が欲しい理由も。お前たちは、今までであった、どの冒険者とも違う。間違いなく、わしが探していた、本物だ」
レギスはやっと、ソファに辿り着くと、自分の定位置へとどっしり腰を据えた。
「わしが思うに、お前たちの旅路は、決して甘いものではない。痛みを伴うものだ。それが、どういうことだか、わかっているのだろうな?」
「勿論」
そう答えた、ディエガの目には、一点の曇りもなかった。
「痛みを伴っても尚、掴み取りたいものがある。あなたがそれを知っている人間だと思ったからこそ、あなたに援助を頼んだんだ」
パン、パンパン……。
レギスは彼らに無意識に拍手を送っていた。
彼の心は、穏やかだった。久しぶりに、興味深い連中と会えたこと、自分が、その役に立てること。こんなことは、滅多にあるものではない。彼らが、自分の娘を助けた偶然に感謝する。そうでなければ、決して出会うことなどなかったかもしれないのだから。
この後、彼らがレギスの援助を受け続けたことは言うまでもない。
レギスもまた、彼らのお陰で、「ノアル」の街を人知れず帝国の魔の手から守ることが出来た、ということも……。