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一章 相沢治と南雲唯 ~ その2

 翌日、朝から降っていた雨も夕方には上がっていた。


 実験が予定を押してしまい、私が新世界に到着したときには約束の時間を過ぎていた。

 松方には遅れる旨、メールを入れているので彼も時間通りには来ていないだろうと思いながら、私は約束の串カツ屋に入った。


 店に入り、店員に待ち合わせしていると伝えるとカウンター席に促された。

 私は店の奥のカウンターがL字に折れた場所を特に好んでいたが、今日は珍しく先客がいた。

 肩より少し上に切りそろえられた黒髪の女性である。白い大きな襟がついた桜色のブラウスに、茶色のズボンを履いていた。

 ズボンにはサスペンダーが付けられているが、どうやら実用的なものではなく飾りのようで、肩にかけずに背中に垂れ下げている。


 一瞬の躊躇いのあと、私は待ち合わせ場所にいた見覚えのある彼女に歩み寄った。


「こんばんは?」


 私が声をかけても、彼女はまるで聞こえていないように黙々と串カツを食べ続ける。


「こんばんは!」


 先ほどより少し大きな声で彼女に語りかけた。彼女はこちらを見上げて少し間をおき、頬を膨らませた。


「だいぶ待ちましたよ! 串カツ食べ過ぎたじゃないですか。太ったらどうするんですか? 敵の資金源なのに……」


 と言う彼女の前には、概算で四十本余りの串が筒に刺さって置かれていた。


 私はしばし混乱した。私の混乱の理由は多々ある。

 まず、彼女が私を待っていたような口ぶりだったこと、そして四十本あまりの串カツをたいらげておきながら、こうしている今もなお新たな一本に手を伸ばしていること、そして最後に、太るのは自己責任であることだ。


 とにもかくにも、私は彼女の隣に座る権利を得たらしい、いや、なぜかハナから得ていたらしいので一抹の不安を抱きつつ隣に腰掛けた。


 このやり取りの間、ずっと傍で待たされていた店員にとりあえず生中と串カツを注文した。


 落ち着いて手拭きで手を拭いていると、独特の香りが漂ってきた。

 串カツの匂いとは、明らかに異質な香りである。

 それは気分を悪くするものではなく、どこか懐かしい香りであった。

 どうやら彼女から香ってくるらしい。

 香水でもつけているのだろうか。

 そんな事を考えているうちに、店員がビールを持ってきた。


 ビールが運ばれてきたところで、彼女は私にヒソヒソ話しのような小声で話しかけてきた。


「松方先輩から話は聞いています。相沢先輩も渦巻き盗賊団に盗まれた大切な物を取り返そうとしているんですよね? その一点において、私達は同志です」


 当然の大混乱である。

 彼女は変わり者であると噂には聞いていたが、初対面の男を、いきなり渦巻き盗賊団などという、某ジブ○アニメに出てきそうなメルヘンな世界へいざなおうとしてきたのだ。

 これは理解しがたい。

 しかし、私も物理学科の学生、科学者のはしくれである。

 彼女を理解するため、先ほどの言葉を分析することとした。



 人間は声帯を振動させることで空気の疎密波を発生させる。

 その疎密波が他人の鼓膜に命中すると、同じような振動数で鼓膜が振動しそれを電気信号として脳で言語に変換する。

 特に私は日頃、変換ツールに日本語を用いている事を特記しておく。


 人類のコミュニケーション方法をおさらいしたところで、私が彼女の言葉を理解できない原因を追求して行こうと思う。


 考えられる理由は三つ、一つは私の鼓膜から脳までの受信機の不具合、もう一つは彼女の脳から声帯までの発信機の不具合、最後は私と彼女の間の空間がゆがんでいるために、伝搬中に何らかの不具合が発生している事だ。

 しかし、私と店員のやり取りは正常だった事を思い出して頂きたい。

 今、私の手元には注文通りの生中がある。

 この生中こそ、私が正常だという揺るがぬ証拠なのだ。

 かくして、原因は彼女の発信機に絞られた。

 すなわち、彼女に解説を請うしかないわけである。


 そこで、私は素直に疑問をぶつける事にした。


「渦巻き盗賊団ってなに?」


 すると、彼女は驚いたように私の口に手を押し付け、またも押し殺した声で空気の疎密波を発信した。


「声がでかい! 相沢さん、誰が聞いているかわかりませんよ! 敵のアジトにいる自覚はあるのですか?」


 かくして、私は意図せず、南雲さんの手に口づけすることとなった。

 私の唇に感じる、生身の女の手の柔らかさと温かさは、ともすれば私に一風変わった性癖を植え付けかねない危険なものであった。

 一応、自己の名誉のために申し上げるが、私は正気を保ち、我を見失うことはなかったのである。断じて。


 さて、彼女の話はこうだ。

 どうやら、最近、渦巻き盗賊団と呼ばれる盗賊団による被害が相次いでいるらしい。

 そして彼女もその被害にあった。


 渦巻き盗賊団は、渦巻き状の物や、渦巻きの模様、螺旋状の物など渦巻きに関する品々のみを盗む集団のようである。

 その組織は拠点を大阪に構えた一大組織で、末端がいったいどこまで広がっているのか見当もつかないほど大きな組織だとまことしやかに囁かれている。

 彼女の話だと、新世界の串カツ屋はみな渦巻き盗賊団の末端であり、彼らの売り上げは盗賊団の重要な資金源となっているらしい。

 しかし、そこで働いている店員ですら自分たちが組織の資金源となっていることを知らないようである。



 被害は公共物から、個人の携帯ストラップにまで及ぶらしく、物の価値に統一性は見られず、唯一の特徴が、盗まれる物の形状や柄に渦巻きが含まれていることだそうだ。

 目的もはっきりしない。

 これまでに盗まれた物の数も半端ではなく、港の倉庫に収まるような量ではないそうだ。いったいこれらの品がどこに行ってしまったのかもはっきりしない。

 まったくの闇に包まれた組織である。


 彼女は、彼らに大切にしていた物を盗まれたそうだ。

 それを取り返したいと思い、昨日、同じように被害にあった者を知らないか食堂で松方に話したそうだ。

 そこで松方は一度、知らんと言ったそうだが食堂で別れてすぐに、メールで私が被害者であると送ってきたそうだ。

 つまり、あの沈黙を破ったメールの相手は南雲さんであったわけで、今日ここに松方は来ない。

 そして、彼は約束通り、私に南雲さんを紹介した。ほとんど自分は関わらない方法で。


 私と南雲さんは、小一時間話した後、連絡先を交換してその日は別れた。


 いとも簡単に連絡先を入手できたが、今後、私は彼女とともに渦巻き盗賊団たる謎の組織を相手に探偵ごっこをやることになったのである。

 無論、そのような組織が存在するとは信じていない。

 ゆえに謎の組織から着け狙われる心配もなく、探偵ごっこも宝探しみたいで退屈しない、そのうち彼女も飽きるだろうと、その程度にしか考えなかった。


 私は、とにもかくにも松方の下宿先へと急いだ。



                      ○



 私が部屋をノックすると、中から松方が顔を出した。

「変わってたろ? まぁ、あがれよ」

 松方は計画通りと、あたかもすべてを知ったような態度で私を迎えた。

 いささか憎い気持ちがわいてきたが、それもすぐに消え去った。

 というよりは、気持ちの上書き保存が行われたのである。


 というのも、部屋にあがった私は少し驚いた。

 六畳の和室の真ん中に置かれたテーブルに、中山隆司が座っていたのだ。


 中山も同じ物理学科の四回生である。

 彼は大学学生協議会という、いわば高校などの生徒会のようなものがあり、そこの委員長を務めていた。

 この協議会は、大学側と対等に交渉できるほどの発言力を持っており、学内の治安維持活動を一手に引き受けていた、いわば大学警察とでもいうべき組織である。

 コンピューターの知識に富んでおり、学生協議会の委員長でもある彼に聞けば、学内のことであれば大抵知ることができた。


 特に親しい友人の間では、いわゆる情報屋といった存在である。

 成績優秀であり、人一倍正義感が強い男で、今まで解決した学内の事件は数知れず、ついには協議会の委員長まで務めた。

 そして、彼は警察官僚の道を選んだ。

 難関の国家一種試験をパスし、見事に内定をもぎ取ったのだ。


「おぉ、中山。お前が松方の部屋に来るのはめずらしいな」


「ん? 相沢は松方に呼び出されたんじゃないのか?」


 どうやら、中山が呼ばれたことにも、松方の企みが含まれているようである。

 私が中山の向かいに腰をおろすと、松方がお茶を運んで来た。


「で、相沢、南雲さんとどんな話をしたんだ? まぁ、あらかた想像はつくが」


 そりゃ知っているだろう。

 お前さんは巧妙なまでに最小限の接触で私と南雲さんの間に一席設けたのだから。

 ただ、内容を明らかにする事が、少々はばかられた。

 中山がいるからである。


 もしここで、私が先ほどのメルヘンなおとぎ話を披露すれば、南雲さんがメルヘンワールドの住人であることがばれてしまうことは必至である。

 紳士として振る舞うなら、彼女の愛すべき個性を無許可で他人に披露する訳にはいくまい。

 ただただ、私が紳士であったがゆえの行動である。

 私が、南雲さんとお近づきになりたい事が、学内で広まることを恐れたのではない、断じて。


 しかし、そんな私の心配は、中山の言葉で無となった。


「渦巻き盗賊団の話じゃないのか?」


「なぜ知ってる? 松方ならともかく、なぜお前が知っているのだ? いかにも、メルヘンなおとぎ話をしていた。しかし、だからといって、彼女を変わっているなどと蔑むのはよしてくれ。あれは彼女の愛すべき個性だ!」


 自分でも驚くほど熱く語ってしまった。

 しかし、これも南雲さんを思えばこそであり、恥ずかしさを紛らわしたわけではない、断じて。


 中山は少し笑った。


「松方君、彼なら大丈夫だよ。今ので安心した。私から話すよ」


「そのようだね、なら頼むよ」


「単刀直入に言おう。相沢、南雲さんが話したことは事実だ」


 中山、お前もか。

 お前もメルヘンの住人なのか!


「最近、学内でも協議会に被害者がちらほら相談に来ている」


 んな、アホな!


「うちの大学に、勉三と呼ばれる大学院生がいるのだが、相当大事な物を失ったらしい。協議会としても、そろそろ対応せねばならん。そこで、お前と南雲さんに極秘裏に調査してもらおうと思ったわけだ」


 もう、ここまでくれば、映画の世界である。

 しかも、子供向けアニメの映画ではないか。


「勉三さんは、八浪してうちの大学に入ってきた、化学科の大学院生だ。爪入りの学ランを着ている便底メガネの人らしい。」


 そいつはキテレツな大百科に出てくる人ではないか。

 そんなアホな人が実在するわけ無いだろう。


「まず、勉三さんに会ってみてくれないか? 不確かな情報だが、犯人を見たらしい」


 しかし、当の中山は真剣である。

 終始、半笑いだった松方がお茶を飲み干すと、私に向かいなおして口を開いた。


「お前は、この調査を通して南雲さんとお近づきになれる、中山は協議会のメンツを保ち、大学側に貸しを作れる。いいことだらけだろう?」


 にわかには信じがたい。

 そのうえ彼女欲しさにおいそれと信用して一生懸命、勉三などといういろんな意味でキテレツな人物を探している自分を想像すると、恥ずかしい以外の感情が湧いてこない。


 また、万が一、松方ら全員が協力して私を陥れていたとしたら、化学科の研究室の戸をたたいた時に、中からドッキリと書かれた看板を持った中山や松方が出てきたら、私は学内にとどまることができるだろうか。

 恥ずかしさの余り、そのまま退学届を提出してしまい、前途ある若者の未来が失われやしないだろうか。

 いや、失われるのは大した若者の前途ではないのであるが、当の本人にとっては持てるすべての前途が失われるのである。


 とにかく、即座に鵜呑みにすることはあまりに危険と考えた。


「松方、中山、少し考えさせてくれ」


 中山は、意外だなという顔をした。


「わかった、しかし、あまり待てないよ。あと、勉三さんは栗田研究室に在籍しているらしい。理工学部研究室棟のニ階にある。その他、必要な情報があれば聞いてくれ。ただし、俺からの情報に関しては、他言無用にしてくれよ」


 中山はそう言うと立ち上がった。


「じゃあ、俺の用事は済んだから、帰るわ。そうそう相沢、南雲さんにも俺から依頼しておくわ。調査を引き受けるか、南雲さんと相談して三日以内に返事くれ」


 そう言い残すと、中山は帰って行った。




 部屋が二人になると、松方はやけにニヤニヤしながら私に話しかけてきた。


「で、南雲さんはどうだった? 変わってたろ?」


「変わってるなと思ってたさ。でも、渦巻き盗賊団は実在するのだろ? だったらなにも変ってないだろ?」


 私は、松方に素直な気持ちをぶつけた。

 すると彼は笑い始めた。


「何がおかしい? お前、日頃みんなから騙されてからかわれている腹いせに、俺を騙してるんじゃないだろうな? 渦巻き盗賊団なんてにわかには信じがたい存在だぞ! 日本国がメルヘン国になる危険性すらはらんでいる!」


「すまん、すまん。いや、本当に、からかっているわけではない。ただ、南雲さんをまともと言うやつを初めて見たからな」


 やっと笑いがおさまった松方は、お茶を入れ直してくれた。


 松方はキッチンでお茶を沸かしながら、またケタケタ笑いだした。


「中山は南雲さんの相談を受けて、南雲さんに俺を紹介した。と同時に、俺に、お前を南雲さんに紹介するよう頼んできたんだ」


 私はすぐには、松方の言っていることが理解できなかった。


「実はな、南雲さんは、俺より先に中山の所へ行ったんだ」


 南雲さんは、松方より先に、中山に相談に行っていたと。

 それは分かったが、それが何を意味しているのかは分からない。


「中山は、正義感の強い男だ。ゆえに、学内のいろんな事件の解決に尽力してきた。今回の南雲さんの相談も、あいつは何とかしてやりたかったんだよ。でもな、今のあいつは、警察官僚に内定してる立場にあって、警察が隠している相手に表立って挑めないんだ。そこで、あいつは自分の代わりに相沢、お前を指名したんだ。あいつは、お前のことを信頼してるんだよ」


 なるほど、私は事がそこまで大きくなっている事を初めて知り、さらに困惑した。


「お前は、一つのことに目が向くと、他のことが見えなくなるよな。でも、それだけ純粋なんだと思うよ。相沢よ、お前との付き合いもかれこれ四年目になるが、俺はお前のそういうとこ好きだな。俺も、中山がお前を選んだのは間違いじゃないと思ってるよ」


 もう、私の頭はキャパシティオーバーである。

 今にもプスンプスン音をたてて壊れてしまいそうである。


 しばらくフリーズしていると、また松方がケタケタ笑いだした。


「何がおかしい?」


「すまん、すまん。馬鹿にしてるわけじゃない。昨日、食堂で、南雲さんは飯を食いながらタバコを吸うのか聞いてきたろ? たしかに飯食いながらタバコ吸うやつは変わりもんだが、結局彼女はタバコじゃなくて蚊取り線香つけてたわけだ」


「あぁ」


「飯食ってる時にタバコ吸ってるやつより、十月の末に蚊取り線香傍らに置いて飯食ってるやつの方がよっぽど変ってるよ。お前、そんなことにも気付いてないんだからさ、おかしくってな」


 そう言いながら、松方はお茶を入れ直した湯呑を俺の前に置いて腰をおろした。


 私は、はっと気付かされた。

 串カツ屋で漂ってきた香り、あのどこか懐かしい香りは蚊取り線香の香りであった。

 どうやら彼女は、蚊取り線香の香りが好きらしい。


「なぁ、松方。お前はあの子が盗まれた物って何なのか、知っているのか?」


「いや、知らないね」


「俺、明日もう一度会ってみるわ。そんでもって、栗田研究室に二人で行ってみよう」


「そうか。応援してるよ」


 松方は、人を騙すような事はしない。

 私は、松方を信頼している。

 中山を信頼している。

 もし、この二人に裏切られるような事があれば、それはどうしようもない事だ。

 納得するしかないものだ。

 信頼とはそういうものだと思う。


 中山は少なからず困っている。

 そして大いなる期待と信頼を寄せてくれている。

 俺は、二人の信頼に応えたいと思った。


 一応断わっておくが、あわよくば南雲さんの王子様になろうなどと、よこしまな感情を抱いているわけではない。

 あくまで、男と男の友情と信頼を守るためである。

 断じて。


 その夜は、松方と遅くまで飲んだ。


初めて小説を書いております。読んで下さった方は、どんな些細なことでも結構です、ご指摘や励ましを頂ければ励みになります。なにとぞよろしくお願いいたします。

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