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一章 相沢治と南雲唯 ~ その1

― 一章 相沢治と南雲唯 ―


 私の生まれは大阪で、親戚一同、皆が天王寺にいた。天王寺には大きな動物園があり、名をそのまま「天王寺動物園」という。

 天王寺動物園の隣には大きな天王寺美術館という、ヨーロッパの神殿を思わせるような立派な建物がある。この美術館は動物園と隣接しているのだが一段高い場所にあり、そこから立橋が動物園の一画に悠然と掛っていた。


 その立橋を渡っていくと動物園の正門の横に出て、そこからさらに向かいの道路の横断歩道を渡ると賑やかな門が立っており、その門にはデカデカと「新」「世」「界」の三文字が書かれている。


 ご存知の方も多いかと思うが、ここにはかの有名な塔「通天閣」が鎮座され、その周りを、串カツ屋からパチンコ屋、雀荘に今や絶滅危惧種のスマートボール屋までが毎夜賑やかに繁盛していて、通天閣から賑やかな商店街を歩くと、どんつきには階段があり、それを登ると「世界の大温泉」が存在するのだ。


 飲み食い、遊戯に温泉まで! 何ともここは夢か現か、はたまた楽園なのか?


 私はこの世界の大温泉のエントランスから眺める新世界が大好きだった。

 一段高い場所から眺める新世界は、正面に通天閣がそびえ立ち、そこから続く道には巨大なフグやら串カツやらの看板を筆頭に、何から何まで道に飛び出していた。

 まさに混沌の極みである。

 すべての看板が他より目立とうと張り合い続けて苦節百年、今や通天閣すら目立たない有様となった。

しかし、私はこの混沌が愛おしくて仕方なかった。


 あぁ、麗しき郷土愛。


 私は幼い頃、よく父にせがんで動物園に連れて行ってもらった。何度かホルモン焼き屋から酔った祖父が出て来てバッタリ! なんてこともあった。


 さて、新世界なんてものを長々と説明していては、いったい何頁かかってしまうか解らないので、読者の皆様方には観光ガイドか何かを読んでいただくとしよう。

 

 ところで、私は変り者である。

 いや、正確には、この後登場する一人の女性に出会うまでは、長い人生という旅路に「変わり者街道」を選択し、その先頭集団をひた走っているつもりであった。


 掻い摘んで説明すると、幼少の頃は蛾に興味を示した。

 ただでさえ忌み嫌われる蛾であるが、さらに私は路肩で方翼を失い、はばたけども飛ぶことなく、その場をくるくる回っている蛾を見かけると、


 この蛾は何を思っているのだろうか? 飛べない事を理解していないのだろうか?


 などと、可哀想以外の感情がふつふつと湧き出して、その場に立ち尽くして見入った。


 一つ断わっておくと、健康な蛾の羽を片方もぎ取るようなことはしなかったので、人波の慈悲心は持ち合わせていたようだ。


 中学生のころにはラジオに興味を持った。

 学期末試験が近付くと、決まってラジオをかけて勉強した。

 当然勉強をしているので、ラジオの内容はまったく頭に入っていなかった。

 ただただ夜更けにラジオを聴いているという雰囲気を、中学生だった当時の私はカッコイイと思っていたのだ。

 特に、ジャティックの道路情報が流れると心が躍った。


 高校生になると、カレーライスのルーを全部食べてしまってから、米を食べることが通の食べ方だと信じて疑わなかった。

 学校で仲の良かった友人に、俺はカレーのルーを食べてから米を食う! と通ぶって話したら難波の千日前商店街にある「自由軒」というカレー屋に連れて行かれた。


 この自由軒は、大阪の由緒正しき老舗カレー屋であり、日本で初めてルーと米がごちゃ混ぜになっている、いわゆる混ぜカレーを開発した店でもある。

 私はこの混ぜカレーの前でしばらく呆然とスプーンを握りしめ、ルーから食べる方法を考えたが、すぐに不可能と悟り、素直にルーと米を同時に食べた。

 その時、ニタニタ意地悪く笑う友人の目前にて、長く忘れていた美味しいカレーライスという食べ物を思い出したことは今となっては良い思い出である。


 大学生ともなると、生活の中に飲めないくせにお酒が入ってきて、よりたちが悪くなった。

 深夜でも営業している中華料理屋の王将に一人で出向き、ビールと餃子を注文することがカッコイイと、もはや堕落した私生活をただ肯定したいばかりに抱いた妄想のような領域に至った。

 席は当然のカウンター席である。

 クシャクシャの頭で、ジャージにトレパン、裸足にサンダルがお決まりの格好であった。


 私は、新世界をこよなく愛した。


 というのも、これまで彼女という守るべき特別な女性が、私の歴史上には登場したことがない。愛する女性がいなかったのである。

 ひとつ断っておくが、彼氏がいるのではと早合点していただきたくはない。

 単純に女性との縁に恵まれていないだけである。断じて、変わった性癖を持て余しているわけでも、モテないわけでもない。

 チャンスが回ってこなかっただけである。


 ここで、大学生なんて学業そっちのけで、猫も杓子もイチャイチャ・チュッチュしているものだろうに、相手の居ないお前はただモテないだけだろう、などと思った読者諸賢は考えを改めていただきたい。

 高校が男子校であり大学も理工学部の物理学科ともなれば、彼女が居ない方がむしろメジャーであり、カップルは圧倒的なマイノリティなのである!


 他学部には華やかな女子達が居るだろうが、私の通っている大学の理工学部は本校ではなく別のキャンパスなのだ。確かに私も入学当初は希望に満ち溢れていた。

 しかし、そんな希望の日々も長くは続かない。

 男子校出身・物理学科・キャンパス隔離「まで、3手をもちまして独り身の勝ちでございます」と早々に投了負けを決する羽目になった。


 この何もする前に負けた私の気持ちは、一言では言い表せない脱力感を生んだ。

こうして私はオシャレな店に入る権利を失ったのである。


 神戸という街をご存知だろうか?

 関西では随一のオシャレ感をかもし出すその街は、いたるところにカップルがはびこっている。

 そんな街で腹を満たそうとパスタ屋なんぞに入ったが最後、四方をカップルに包囲され、終始浮きっぱなしで食事を取る羽目になる。

 そんな食事を取るぐらいならば、いっそ空腹に耐えるという釈迦もすなる絶食苦行を慣行するほうが、徳が積まれて幾分良いぐらいだ。

 しかし所詮、私は一般人である。腹が減ったら旨いものが食いたい。


 そこで新世界だ。


 新世界は気取らず、品がない。

 そしてほぼすべての店にカウンター席が設けられている。

 ここからして、独り身を受け入れる姿勢がにじみ出ているのである。

 こうして私は新世界に入り浸り始めた。

 外食はもっぱら新世界界隈で済ませた。

 串カツを食って、パチンコを打ち、たこ焼きを食っては温泉に浸かり、ビールをあおって大学の友人である松方の下宿先に転がり込んだ。


 彼の下宿先は新世界から歩いて二十分程度の天王寺は阿倍野にあった。

古い二階建て木造アパートの一階であり、六畳一間である。


 いずれ紹介する必要があるので、後々面倒になる前にここで松方の紹介を済ませておこう。

 松方俊は広島出身で、大学に入るまで広島を出たことがなかったらしく、大阪に知り合いらしい知り合いは一人もいなかったと言う。

 そんなこともあってか、一回生の夏頃までは一人で図書館にいる松方をよく見かけることがあった。


 私と松方が知り合ったのは英語の講義で、自宅を紹介するホームビデオを撮影する課題が与えられた時、くじ引きで偶然相方になったことがきっかけである。


 初めて松方の下宿にお邪魔したのは、下宿で一人暮らしだから手伝ってくれと言われ、ハンドカメラを片手に行ったときであった。


 私はてっきり撮影を手伝うと思っていたのだが、私が彼の下宿に着くと、足の踏み場も無いほど物が散乱していた。

 彼は一緒に片付けてくれと頼んで来たのだ。


 まさか部屋の大掃除を手伝わされると思っていなかったので、これには驚かされた。


 松方はときおり予想もしない行動を取るが、部屋が散らかっていようが客には茶を出し、一度泊めてもらうと次の日には毛布を買ってくれていた。

 何かと気を使ってくれるいい奴だ。


 そんな松方と私は、独り身のまま四回生を迎えてすでに半年が過ぎていた。

 暑さが和らいできた十月も末である。

 いつものように狭いキャンパスの半地下になった食堂で昼食をとるべく、ジャージにトレパン、足にはサンダルといういでたちで、ボサボサの頭をかきむしりながらメニューを選んだ。

 ちょうど今日から生麺フェアが開催されていた。

 うどんが生麺である。気が向いたのでこのフェアに乗っかってみた。

 食券を購入していると、どうも視界の端に見慣れた人物の姿が写った。

 松方である。


 驚いたことに、彼は少し離れた場所で、お盆の上にカツ丼を乗せ、席にも着かず女の子と話していた。



 女の子とお話していたのである!



 これは一大事である。

 私はすぐに二人の関係を確かめるべく歩み寄りたかったが、ここで問題が発生した。

 私が注文した生麺うどんが茹で上がらない。

 食堂のマダムがいかにエキスパートであっても、生麺はすぐには茹で上がらない。

 なんとも間の悪いフェアである。

 これほどじれったい時間があるだろうか。私がうどんを受け取った時には、二人の姿はなかった。


 私は食堂を見渡して松方を探した。

 松方は日頃から気取った格好を好んだ。

 今日も、進学校の高校を思わせるような紺のブレザーに、糊の効いたカッターシャツでグレーのスーツパンツを履いている。

 一度、お前の格好はまるでイギリスの大学生の様だと言ったことがあるが、どうやら本当にイギリスの大学生に憧れているらしかった。


 しかし、大阪にあるこの大学では体育会の連中が試合の時に着ているぐらいしか、目にすることはない。


 そんな目立つ格好の松方を、昼の時間を過ぎた食堂で見つけることは容易であった。

 ただ、期待とは裏腹に松方は一人で昼食を食っていた。

 私が歩み寄ると、彼は冴えない顔で私を迎え入れた。


「松方、さっきの女の子とはどういう関係だ?」


「見ていたのか。お前が想像するような良いものではないよ、サークルの後輩だ」


 彼はつまらなさそうに答えた。

 

 松方は、英語を学び、留学生などと交流する海外協力サークルのようなものに属していた。

 先ほどの女の子はどうやらそのサークルの後輩らしい。

 しかし、遠目に見ただけだが、顔立ちは少し幼いものの綺麗に整っており、愛らしいと思った私は興味津々である。


「可愛らしい子だったな、彼氏はいるのか?」


「いや、まぁ、なんというか。あの子は変わっているというか、変というか、空気を読まないところがあってね。付き合いきれる男がいないんだ」


 なんと、これはチャンスである。松方に頼めば紹介ぐらいはしてもらえるだろう。


「しかし、あの愛らしさなら、多少のマイペースは許せないものか? 最近の若者は器が小さいな」


 松方は私に自分のカツ丼を差し出した。


「一口食ってみな」


 私は突然の申し出に戸惑いながらもカツ丼をほおばった。

 もともとカツ丼は好きな料理だ。

 ここの食堂でもよく注文するので味はよく知っている。

 しかし、松方のカツ丼は不味かった。

 いつもと決定的に何かが違っていた。

 

「冷めていて不味いだろ? 南雲さんの立ち話につき合わされているうちに、こうなった」


 それだけ言って、また彼はつまらなさそうにカツ丼を食べ始めた。


「なぁ、松方。その南雲さんを紹介してもらえんか?」


 私がそういうと、彼は勘弁してくれという顔で、食堂の外を指差した。


 そこには、食堂の前のベンチに腰掛けた南雲さんが、お弁当を食べていた。

 彼女の髪は肩の上ぐらいで切りそろえられており、綺麗な黒髪であった。

 その横顔は本当に可愛らしかった。

 膝の上に手作りらしい黄色いお弁当箱を乗せている。

 私たちの席から彼女を見ると、ちょうど真横から眺める形になる。

 少し気になることがあった。

 彼女の向こう側に細い煙が昇っているのが見える。

 タバコであろうか?

 近頃は女の子でもタバコを吸う者は珍しくはない。

 しかし、何か違和感を覚えた。


 しばらく見とれていると、先ほどの違和感の正体がわかった。


「あの子、飯食いながらタバコ吸うのか?」


 私が聞くと、彼は自分の目で見てきなと苦笑いをもらした。

私と松方は食器を返却した後、南雲さんの前を通って研究室に帰ることにした。


「松方先輩、ごきげんよう」


 礼儀正しくお辞儀する南雲さんの傍らには、蚊取り線香が置かれていた。

 煙の正体はタバコではなく蚊取り線香だったのである。

 そもそも、飯を食いながらタバコを吸うやつなどあまりいないだろう。

 なぁんだ、幽霊の正体見たり枯れ尾花とはこういうことである。


「あぁ」


 力ない返事をする松方は、極力関わりたくないらしい。


 しばらく私と松方はお互い無言で歩いた。

 私の研究室も彼の研究室も同じ建物の一階にあった。

 お互いの研究室棟までの道のりには、図書館や体育館が並んでいる。

 我が大学は構内のイメージをイングリッシュガーデン調に統一しており、道の両側に英国を思わせるような洋風の建物が並んでいた。

 そして、それらの建物はみなが似ていた。

 初めてこの大学に来た者は大抵の建物が同じに見えるため、自分の居場所が分からなくなっていしまうことは珍しくない。

 沈黙がそろそろ気まずい雰囲気になりそうな時、不意に松方の携帯が鳴った。

 かくして沈黙が破られた。


 メールであったらしい。彼は手短に返信を済ませて、私にこう告げた。


「南雲さんの件、前向きに検討しよう。ほかならぬ君の頼みだ。ついては、明日の夜七時にいつもの串カツ屋で話さないか?」


 私は二つ返事で了承した。読者諸賢お待たせした。

 ついにチャンスの順番が回ってきたらしい。

 いざ、マイノリティへの仲間入りだと、私はやや興奮気味に、その日は松方と別れた。



初めて小説を書きました。読んで下さった方がいてくださいましたら、どんな些細なことでも結構です、ご指摘や励ましを頂ければ励みになります。

なにとぞよろしくお願いいたします。

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