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後編

これは幼女と男子大学生があれこれ頑張る、(多分)ハートフルなホラーです。


【秘密】


 喫茶店を後にした俺とひらきは、お互い手を取って歩きはしていても会話らしき会話は全く交わさずに、ただ当てもなく歩道を歩き続けていた。ひらきの顔をちらりと見てみる。怒ったフグのように頬をパンパンに膨らましてむくれたままだ。喫茶店を出て泣き止んでからずっとこの調子だ。

(なんとかして謝りたいんだけどな……)

 さっきの一件は完全に俺が悪い。悪いんだが、どうも謝るタイミングを逃してしまったようだ。こちらが喋ろうとすると、ひらきが眉間にしわを寄せて唸ってくるのだ。相当根に持っているのだろうか。迂闊に謝ったら、ひらきのことを蔑ろにしていると思われて失望されてしまうような気がする。ああ、どうすればいいんだ?

「やくもんおにいちゃん?」

 突然、ひらきが俺を呼び止める。その歩みも止まった。

 見回せば、そこは瀬良友里ちゃんが亡くなった事故現場だった。都内は歩こうと思えば結構何処でもいけるものだ。この事故現場からひらきの持ち主の家まで三駅ほど。ゆっくり歩いても一時間弱で辿り着ける距離だ。

「ああ、戻ってきちゃったな」

 俺は頭を掻きながら小さく溜息を吐く。そして意を決し、ひらきに向き直る。

「ひらき、さっきは……!」

「ごめんなさい、やくもんおにいちゃん」

 謝罪をしたのは俺ではなく、ひらきだった。不意討ちともいえるその言葉。俺は何を意図しているのかさっぱり分からない。

「え、違うだろ。ひらきがなんで謝るんだよ。謝るのは俺だろ? さっきは、本当にごめんな。俺、もう怒鳴らないから」

「ちがうの、おにいちゃん」

ひらきの小さな瞳が俺をしっかりと見据えてくる。いつもの無邪気なひらきとは違う、懺悔の念がこもった視線だ。

「ひらきはおにいちゃんに、かくしてたことがあるの」

「隠し事?」

 こくり、といかにも申し訳なさそうに頷くひらき。だが、頷いたっきりで黙りこくってしまう。ひらきの視線の先は明らかに宙を泳いでいるし、身体もそわそわと落ち着きがない。よっぽど口にするのに勇気が必要な事なんだろうか?

 俺はひらきの頭に右手のを添えると、ゆっくりと優しく撫でてやる。

「大丈夫だ。もう怒らない」

「ほんとう?」

 ひらきは首を右に傾けると、頭を撫でられる感触に目を細める。

「ああ、本当だ。だから話してほしい」

 俺の言葉に、無言で頷くひらき。

「あのね、ほんとうはね、ぜんぶしってたよ」

「全部?」

「うん……」

 次第に伏目がちになるひらき。小さな肩が余計に小さくなっていく。

「おにいちゃんに取り憑いてからね、ぜんぶぜんぶおもいだしたの。たとえば、ひらきのいたおうちのばしょ」

「え?」

 ぽかんと口を開けたまま、俺は固まってしまった。

「え、知ってたのか?」

 こくり、と一度だけ頷くひらき。それを見て、思わず路上で崩れ落ちる俺だった。

何だよ……。苦労して調べた甲斐ないじゃないか。怒らないと約束した手前、怒りはしないが呆れてしまう。

「ひらき、理由だけでも教えてくれ。なんで俺に言ってくれなかった?」

 すると、今度はひらきの真っ白な顔が徐々に紅潮していく。

「教えちゃったら、おにいちゃんとすぐにばいばいしちゃうでしょ?」

 ……今度は俺が頬を赤くする羽目になった。

 不覚だ。幼女相手に心がグラッと来るなんて!

「つまり、俺と離れたくないから、わざと情報をこちらに寄越さなかったってことか?」

 俺の問いに対して、ひらきは唐突に俺に向かって体当たりをかましてきた。そのまま抱きつかれ、離れなくなってしまう。照れ隠しのつもりなのか?

「だって、やくもんおにいちゃんとおしゃべりするとたのしいもん。おおきくてあったかいてであたまなでなで、ひらきだいすきだもん。……かえりたくなくなくなっちゃう」

 なんてことだ。幼女相手に「帰りたくない」と言われてしまった。惜しい、これが同世代の女性からの口からの発言だったら、どんなに俺は嬉しかった事か! あ、いや、これはこれで嬉しい事だよな。ひらきがそこまで俺に懐いてくれていたとは、正直思ってもいなかった事だ。短い付き合いだが、俺とひらきの間にはしっかりと絆が生まれているのは喜ばしき事だ。

「おにいちゃんにあったときはね、もうひらきはきえかかってたの。おにいちゃんに取り憑いて、だんだんひらきはげんきになったの。げんきになったら、ゆりちゃんのきおくがひらきにもおもいだせるようになったの。これですぐかえれるって、ひらきうれしかった。でも、おにいちゃんとばいばいするのは、さみしかった」

今思えば、ひらきを家に帰すというと、必要以上に部屋をドタバタと駆け回っていたな。もしかしたら、あれは俺と別れる寂しさを紛らわしていたのかもしれない。

 だが、このひらきの言い分には腑に落ちない点があった。

「なんで付喪神見習いのひらきが、友里ちゃんの記憶を共有できるんだ?」

 俺の問い掛けに、ひらきは途端にばつが悪いといった顔付きに変わる。まだ俺に言っていない秘密があるに違いない。

「それいったら、おにいちゃんは、きっとおこるよ」

「怒らない。さっき約束しただろ?」

 無言のまま地面に視線を落すひらき。よっぽど言い辛いことなのか。

 このまま聞かないことも出来る。だが、自分自身の好奇心を押さえつけることが出来なかった。

「……教えてくれ。ひらきがどうやって生まれたのか」

 ひらきは急に面を上げる。口角を吊り上げ、にぃっと微笑む。背中に酷い悪寒が走った。

「ボサツ様がいうにはね、ひらきをつくるには、『ざいりょう』がひつようなんだって」

 そういえば、菩薩様がそんなことを言っていた。たまたま材料が揃った。奇跡だったと。

「その材料って何だ?」

 俺の問いに、にっこりと笑うひらき。

「それはね」

 ひらきはまっすぐ俺を見詰めると、こう答えた。

「ゆりちゃんのたましいだよ」

「――!」

 思わず息を飲んでしまった。

「どういうことなんだ?」

「付喪神を『きゅーぞー』するには、モノの『しねん』とにんげんの『たましい』をくっつけるのがいちばんなんだって」

 ひらきの両目は鈍い光を放っているように見えた。その輝きに、身体の芯からじわじわと戦慄が走る。……と、いうことは、ひらきの姿は瀬良友里ちゃんの姿であって、瀬良友里ちゃんそのものでもあるわけか! それなら、付喪神見習いのひらきにも友里ちゃん同様の記憶や言動が移っても何らおかしくはない。でもそれって……。

「そんなこと、やっていいことなのかよ!」

 第一、友里ちゃんの魂はひらきに捕らわれているとも考えられる。菩薩様も菩薩様だ。そんな無茶苦茶な事を平然とこなすなんて!

 さっきまでの戦慄は次第に憤怒へと変換され、俺はそれをひらきに向かって言葉を使って意思表示する。

 ふと、ひらきがぽつりと言葉を漏らす。

「おこらないって、おこらないっていったのに……」

 悲しそうな顔で俺の顔を見上げていた。

 しまった、また俺はやらかしてしまった。陽一の言葉が急に思い浮かぶ。『冷え切った態度と急速に沸騰する激情がウリ』か。くそっ、陽一の言うとおりだ。

「びっくりしたよね? でも、おにいちゃんがどんどんはなせ、っていうからはなしたのに」

「え、あ、悪い、ひらき」

「……」

 ひらきは無言で俺の身体から離れると、ぷいっと俺に背を向けてしまう。

「ゆりちゃんのたましいは、『まだいきたい』っていってるの」

 ゆっくりと、しかしはっきりとした口調でひらきは語りだす。

「ゆりちゃんは、まみちゃんにあいたがってる。ひらきも、まみちゃんにあって、どうしてもいいたいことがある。むりやり、まみちゃんのたましいをつかってないよ。それだけはわかって、やくもんおにいちゃん」

 ひらきの両肩が震えていた。ひっく、ひっくとすすり泣く声が聞こえる。

「だから、きらいにならないで」

 俺は無意識にひらきの頭を撫でていた。

「そんなこと聞かされたら、嫌いになれないだろうが」

 ひらきは泣きじゃくりながら、俺の胸に飛び込んできた。しっかりと抱きしめてやると、ひらきも俺の肩までよじ登り、頭をそこに預ける。

 そして、耳元でひらきが俺に囁きかける。

「あのね、おにいちゃん……」

 ひらきは本当のの目的――真美さんに伝えたい事を俺に教えてくれた。頭の天辺に雷が落ちたような衝撃を受けた。ひらきの声は決してふざけている素振りは感じられなかったし、なによりこんなに真剣なひらきの表情を見るのは初めてだった。ひらきの言っている事が事実だとしたら、これは単なるひらきを届けるおつかいではなくなってくる。一刻も早く真美さんのところへ戻らなければならなくなった。夏の午後の熱気が、余計に俺の心を上へ上へと突き動かす。

「なぁ、ひらき」

「なぁに、やくもんおにいちゃん?」

 あぁ、絶対あとで辛い思いをするんだろうけど、ひらきの話を聞いたときからこの手段が一番効果的だとひらめいた。もう少しでおつかい終了だ。ここは腹をくくろう。

「これから真美さんのところへもう一度行く。その時、他人にもひらきの姿や声がわかるように実体化してくれ。俺の精力が底尽きない程度でな。出来るか?」

 ぎょっとした表情のひらきだが、しっかりと頷いてくれた。よかった、出来るかどうか不安だったが、これで今度こそ真美さんにひらきを『届ける』事が出来る。

 さて、そろそろケリを着けに行こう。


【真実】


再び、真美さんのマンションへ戻ってきた。

 一回目のときとは違い、ひらきの肌は青白くなく、血色がよく生気に溢れている。何処にでもいそうな小学生の女児だ。

「あら? 雨も降っていないのにレインコート?」

 通りすがりの老婆が首をかしげながら、手押し車を押して去っていく。ひらきの姿が他の人間にも認識できているのだ。おそらく、ひらきの声も他人に届くだろう。

 一方で、俺は既にぐったりである。確かに精力底尽きない程度でとは言ったが、ひらきの能力の燃費の悪さを完全に忘れていた。エントランス前での実体化は一瞬で完了するが、その必要とするエネルギー量が俺の想像を遥かに上回っていたのだ。これもひらきが見習いであるが故かもしれない。既に夕日が拝める時間になった。既に足腰がガクガクだ。時間的にも体力的にも、今日最後の訪問になる。

「ぜ、全身が重い……」

「やくもんおにいちゃん、大丈夫?」

「気にするな。こうでもしないと、あのヒステリーは治まらない」

 それに、ひらきの目的や真美さんがああも他者を退けようとしている理由が分かった今、最早引く余地は微塵もない。

 エントランスに入り、昼間のように真美さんの部屋番号を押してインターホンを鳴らす。真美さんは恐らく部屋から一歩も出ていないはずだ。『怖くて出てこられない』と言うべきだろう。

 真美さんは「管理会社に連絡して人を呼ぶ」と言っていた。しかし、そんな回りくどい事をせずに、警察へ通報するのが筋ではないか?

 だが、真美さんはそれをしなかった。警察に連絡するのを避けているとしか思えない。では、なぜ避けなければならないのか?

 その答えこそ、ひらきに教えてもらった本当の目的であり真実である。そして、その真実は警察が関わると、間違いなく真美さんの立場を危うくする。

 俺は他人の家の事情には首を突っ込もうとは思わない。でも、一つだけ例外がある。それは、目の前で道理に反する事が行われている場合だ。

 ようやくモニターに真美さんの顔が映ったと同時に、俺はまくし立てた。

「真美さん、話を聞いてくれ。あんたがやった事は全てこちらは分かってるんだ」

 真美さんの顔が急に強張る。

「なによ、分かったって」

 俺は真美さんの問いにあえて答えず、ひらきを抱きかかえてモニターに移すように移動する。真美さんの動揺は更に大きくなる。

「ひっ、なんで!? なんでそこに友里が?」

 やっぱり、娘を知らないというのは方便だったのだ。真美さん自身を守る方便として、娘がいた事実を伏せていたのだ。

「訳を話したいので、部屋に入れてくれませんか? 立ち話もなんですし、俺はこの子、いやこの傘を届けたらすぐ帰りますから」

 ひらきは一瞬実体化を解き、傘の姿に戻る。目の前で自分の娘から通学用の黄色い傘に一瞬で変わった様を見て、真美さんはモニター越しで絶句していた。

「あの、入れてくれませんかね?」

「……分かったわ、上がってきて」

 エントランスの奥へ続くための扉が開く。いよいよ最後の仕上げだ。


 部屋に到着すると、中から真美さんが姿を現した。その姿は異様だった。

 左足と左腕はギプスが外れておらず、左腕を吊るしている包帯は黄ばんでおりしばらく取り替えていない事が窺わせられた。右腕も肘の部分はギプスで固定されており、どう見たって未だに重傷患者としか思えない。

「どうぞ、中に入るんでしょ?」

 唖然としている俺に真美さんは部屋の奥へ上がるよう催促する。俺とひらきは家の中へ上がらせてもらう事にした。家の中の有様を見て直ぐに嘔吐感が込み上げてきた。これは俺でなくても同じような気分になるに決まってる。洗濯されていないであろう衣服や下着は散乱し、ゴミは袋に詰め込まれた状態で、廊下に並べられている。お陰で歩き辛くて仕方がない。部屋中から溢れる異臭に、俺は失礼だと分かっていても嗚咽を止める事が出来なかった。ひらきも部屋の惨状に閉口しているのか、口がへの字になり不快感を顔に露わにしていた。夏の暑い日に、こんなゴミを溜め込んだら、この先、更に異臭が部屋から漏れてくるんじゃないだろうか? 手足が不自由とはいえ、これは流石に異常だ。

「ごめんなさい。今、何も手が付かなくて片付いていないの」

 真美さんは抑揚のない声で俺に釈明した。

 俺たちは居間に案内される。真美さんはクーラーのリモコンをゴミの中から掘り出すと、ピピピピとリモコンを操作する。蒸し暑い部屋が、直ぐに肌寒く感じるくらいの温度まで下げたようだ。

「これで少しは臭いも抜けると思うわ」

 真美さんの言葉で、初めて気を遣ってくれた事に俺は気が付いた。リビングの片隅には小さな仏壇が見えた。その遺影は、俺がよく知った顔――横にいる、ひらきそのものだ。

「その傘持ってるなら知ってるでしょ? 娘が死んだのよ」

 女性はテーブルに付けてある椅子に腰掛けると、両肘をテーブルに付けたまま俯いてしまう。

「それ、友里の傘でしょ? 何処で拾ったのかしら? あの子の遺品、余り残っていなくって……」

 次第に、真美さんの声が震えるようなトーンに変わる。

「早く傘置いてってください。遺品を届けてくれてありがとう。でも、傘が戻ってきたからって、あの子が戻ってくるわけではないのよね……」

 すっかり生気がなくなっている目の前の真美さん。

「大体、その傘といい、友里に似た女の子を連れてきたり、あなた誰なの?」

 俺を品定めするかのように厳しい目付きをする真美さん。

「少しばかり、モノの気持ちが分かる学生です」

 観念した俺は、今までの経緯を全て打ち明けた。勿論、ひらきのこともだ。真実さんは渋い顔をしながら俺の話を聞いていた。そして、俺の話が終わると、

「つまり、その傘は付喪神見習いで、ここに帰りたいと言ってきた。だから君は、ひらきちゃんをここに連れてきたと言うのね」

 と、やっぱり胡散臭いといわんばかりの顔をした。

「でも、この傘は本物だわ。今はレインコートになっているけど、紛れもない私の傘だわ。小さい頃に使っていたから良く覚えてる」

 真美さんはお辞儀をするように屈んで、ひらきのレインコートを角度を変えながらしげしげと眺める。だが、赤黒い染みを見つけると、汚らしいものを見たかのように顔を歪ませる。そのままひらきに対して背を向けてしまった。

「それと、これ」

 俺は鞄から一通の封筒を取り出す。ひらきの書いた手紙だ。真美さんは再びこちらを振り向き、手紙を受け取る。

「これは?」

「ひらきが書きました」

「馬鹿なこと言わないで」

 あからさまに邪険にする真美さん。手紙を俺に突き返してきた。

「本当です。信じてください」

 手紙を押し返す真美さんの手を、俺は再び押し戻す。

「ひらきは真美さんに伝えたい事があります。多分、そこに書かれているでしょう。俺は中身は見ていません。俺は所詮、ひらきを届けるだけの役目ですからね。他の家庭の事まで首突っ込もうと思っていません。でも、ひらきが一生懸命書いた手紙を、読みもしないで突っ返すような事はやめてください。ちゃんと読んであげてください、ひらきの前で」

 俺は言葉だけでは足りないと思い、読んでほしいという念を目に込めて真美さんを見据える。真美さんは気圧されながらも、渋々と手紙を受け取ったのだ。

「分かったわ。悪戯にしては手が込みすぎだもの」

 手紙を広げる。椅子に腰掛け、じっくりと読み進める真美さん。俺は読み終わるまで、そのまま居間に立っているほかなかった。程なくして、居間に乾いた笑い声が響き渡る。真美さんが、天井を見上げたまま笑いながら手紙を読んでいるのだ。

「真美さん……」

「貴方も読んだら?」

 ぶっきらぼうに便箋を寄越す真美さん。

「全部読んだわ。貴方を信じるわ。馬鹿馬鹿しい! 何もかも馬鹿馬鹿しい!」

 感極まったのか、一層笑い声が高くなる真美さんだった。普通、ここは涙の大団円のシーンじゃないのか? 俺は混乱した頭のまま、渡された手紙を読んでみることにした。


『まみちゃんへ


 まみちゃんは、いままでながいあいだ、ひらきをつかってくれました。

 いまはゆりちゃんの傘だけど、ひらきにとってはまみちゃんの傘です。


 まみちゃんがだいすきだった、こどものゆりちゃんが死んじゃって、まみちゃんもけがしちゃった。

 まみちゃん、かなしんでないてるだろうなぁ、ってひらきはおもったの。

 だから、ひらきはまみちゃんを元気にしたくて、ボサツさまにたのみました。

“ひらきのすがたを、まみちゃんの娘のゆりちゃんのすがたにして”って。

 そうすれば、まみちゃんに傘とゆりちゃんが帰ってくるでしょ?

 ひらきは、ゆりちゃんがつかってても、ずっとまみちゃんの傘だよ。

 まみちゃんのお母さんが、まみちゃんにくれた傘だよ。

 だから、元気だして。

                               ひらき』


 俺はてっきりひらきの勘違いかと思ったが、どうやら俺のほうが違う方向へ思い違いをしていた。時系列を追えばこういう感じだろう。

 真美さんは事故に遭った。娘のゆりちゃんは亡くなり、真美さんは生死の境界線をさまよった後、無事退院した(とはいえ、まだ完治していない様子だが)。ひらきは事故現場にやってくる人たちの話から、持ち主の真美さんが娘を亡くして悲しんでいることを察知したのだろう。ひらきは、長年愛用してくれた真美さんに深い恩を持っていた。そのまま打ち捨てられていたら廃棄処分されるかもしれないひらきは願ったのだ。真美さんを元気付けたいと。泣き顔から笑顔に変えてあげたいと。その願いは天に届き、ひらきは一時的に付喪神の力を得る事に成功。更に俺という『電池』と出会ったことで、取り憑いている間はその力を行使し続ける事が出来るようになった。そして、俺の協力を得て、晴れてひらきは自分の戻るべき場所へ戻る事が出来た。すべては、自分の持ち主と認識している真美さんを励ますために。

 なんて甲斐甲斐しいのだろうか。人間でもここまで律儀に恩を返そうという奴はなかなかいないだろう。

 しかし、そんなひらきの気持ちを馬鹿にするかのように、目の前の真美さんは半狂乱になって笑い転げている。その姿を見て、俺はある確証を得た。

「やっぱり、そうだったのか」

 俺の語感に怒気が混じる。その怒気に真美さんも気が付いたのか、笑い声を止めて俺の顔へ目線を寄越す。

「は? なんで君が怒ってるのよ?」

「怒るに決まってるだろっ!」

 俺はテーブルに右拳を叩きつける。キッと真美さんを睨み付けると、俺は今回の事件の核心を突いた。


「あなたは、自分の娘を事故に見せかけて殺そうとした!」


 真美さんの身体が、あたかも電気ショックを浴びたようにビクッと大きく痙攣した。

「い、いきなり何を言い出すかと思えば……。そんな根拠のないことを言って、あたしを驚かすなんてどういうつもり?」

「どうもありません。ひらきから聞きました。聞いたときは半信半疑でしたが、真美さんの言動を見て確信しました。あなたは娘を初めから交通事故に見せかけるために、あの雨の日、友里ちゃんの背中を押したんだ」

 真美さんの顔が歪む。心なしか、呼吸も荒くなっている。

「実の娘を? 事故に見せかけて殺した? いきなり何言い出すのよ!」

 口調は荒いが、明らかに追い詰められている切迫した表情を浮かべている真美さん。生気のない顔に血が上って真っ赤になって目まで血走っている。

「あたしは娘を庇ったのよ。お陰でこっちも大怪我したの。見て分からないの? 訳分かんない寝言ぬかしてるとブン殴るわよ?」

 逆上した真美さんが俺の胸倉を掴んできた。首が絞められる苦しさに耐えながら、俺は反論を続ける。

「どうぞ殴れるものなら殴ってみてください。でも俺の推理が正しいなら、真美さんと友里ちゃんをはねた男――久留間っていいましたっけ? 真美さんは久留間と親しい仲で、真美さんと久留間は友里ちゃんの存在が邪魔だった、違いますか?」

 俺の胸倉を掴んできた真美さんの手の力が一瞬緩んだ。俺はすかさず畳み掛ける。

「友里ちゃんが邪魔だった真美さんは、久留間に友里ちゃんの殺害を頼んだ。いや、もしかしたら逆かもしれない。久留間の誘いに真美さんが乗った。そっちのほうが自然だ」

「君、一体何のことを話しているのよ?」

「普通に殺したら久留間は最悪死刑だ。だから、『飲酒運転での事故』という方法で娘を亡き者にしようとした。危険運転致死傷罪っていうんだったよな、こういうの。どんなに重い罰でも有期懲役刑。無期懲役や死刑にならない! それに、真美さんから示談を申し込めば、久留間は執行猶予がつく可能性があるおまけ付きだ」

 大学の選択科目で法学系を選んでよかった。知識はありすぎても腐る事はないって、どっかの偉人が言っていたような気がする。真美さんは俺から手を離すと、ギリギリと奥歯を噛み締めていた。

「久留間は友里ちゃんを見捨てれば、真美さんと結婚するとかそそのかしたんじゃないですか? そして真美さんはそれに乗った。真美さんは、実の子供を捨てたんだ……!」

「なんで、なんでそんな事まで分かるの?」

「案外あっさりと認めたな。もう少し噛み付いてくるかと思ったが」

「質問に答えなさいよ! あんた、探偵か何か?」

 最早殺気すら感じる気迫に負けないように、俺は敢えて平然と振舞う。

「最初に言ったぞ。少しだけモノの気持ちが分かる大学生だと。さっきの話は、ひらきが教えてくれた事実から連想した素人推理だ。でも、どうやら図星だったようだがな。素人の下手な演技も見抜けないほど、真美さんはテンパっていたようだしな」

 すると、みるみるうちに真美さんの顔色が赤黒く染まっていく。憤怒で完全に血が頭に上ってしまっているようだ。

「この糞餓鬼っ!」

 突然、俺からひらきに標的を変える真美さん。ひらきの両肩をがっちりと掴み、両手で握り潰すかのように力を込める。ひらきは悲鳴こそ上げなかったが、肩へ掛かる圧力に苦しそうな表情を浮かべる。

「死んでからもあたしを苦しめるの!? ふざけんじゃねぇよ! あんたなんか生まなきゃ良かった! あんたがいたから、久留間から捨てられかけた! あの人、大の子供嫌いであんたを見るたび殺してやりたいって言ってたんだ! だから、だから! あたしはあの人の話に乗った! そうすれば、あたしを愛してくれるって! その証拠に、あたしが刑務所に入らないように、あの人は全部罪を被ってくれたのよ! あの娘がやっと死んで、あの人の示談の話もまとまりかけてきたっていうのに! あんたのせいで全部台無しじゃない! あたしの幸せ返してよ! 子持ちの女なんて、世の中の男は見向きしてくれないの! あたしはあんたがいると幸せになれないの!」

「やめろ、ひらきに何してんだ!」

 俺は真美さんの背後に駆け寄り、ひらきを掴んでいた手を振りほどかせると羽交い絞めにする。今にもひらきに飛び掛りそうなので俺は後ろから真美さんを捕縛したまま離れない。

「君さぁ、さっき言ってたよね? 他の家の事情に首突っ込まないんじゃないの?」

「そうしたかったけど、俺は生憎、間違ったことをそのまま見捨てておく事が出来ねぇ性分なんだ」

「はんっ、もしかしてヒーロー気取り?」

「間違っている事を間違っているって言って何が悪いんだ? ひらきを殴ろうとした事、ましてや、自分の子供を殺した事なんて、俺は許さないからな」

 すると再びけらけら笑い出す真美さん。

「許さない? んじゃ、君はあたしに罰でも下すのかな? 出来るもんならやってみなさいよ!」

 ぎゃははははははは、と下品な笑い声を撒き散らす真美さん。俺はそれに短い溜息で応える。

「下せますよ。ただし、下すのは付喪神ですけどね」

「はぁ? 本当、何言ってるの?」

「ひらき、アレを出してくれ」

 俺が促すと、ひらきがレインコートの中から一通の封筒を取り出す。

「まみちゃん。さっきのはひらきからのおてがみ。こっちはね、ゆりちゃんのおてがみ」

 真美さんが息を飲む音が聞こえた。

「――はんッ! どうせ、たいしたこと書いてないでしょ?」

「どうかな?」

 すかさず俺は口を挟む。

「なんで君が分かるのよ?」

「あっちの封筒の中身、俺、読んだから」

「なっ? 君、手紙は見ていないって……!」

「俺は『二枚とも見ていない』なんて言っていないぞ? それに、その手紙の内容見たら、ひらきや友里ちゃんの魂、そして真美さんのことも全部含めて放っておくわけにはいかなくなった」

 実は、俺たちは自宅に一旦帰っていた。ひらきが書いた二枚の手紙。一枚はひらきからのメッセージ。そして、もう一枚は娘の友里ちゃんの魂からのメッセージだ。こっちの手紙こそ、ひらきの本当の目的だった。それをひらきが教えてくれたので、真美さんのマンションへ寄る前に二通に分けたのだ。

「ひらき、読めるか?」

「うん!」

 ひらきはぎこちない手つきで封筒から手紙を取り出すと、両手いっぱいに広げて音読し始めた。


「ママへ


 ごめんなさい


 ゆりがいたから おじさんとけっこんできないんだよね?


 いえによくくるおじさんは ゆりをなんどもぶってきた


 おれは がきが きらいだ おまえのママも おまえがきらいだ


 おまえがいなくなれば ママはしあわせになれる


 いつもおじさんは そういってゆりをぶったり けったりしたの


 だから ごめんなさい


 ゆりがママのこで ごめんなさい


 ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい


 でも ありがとう


 さいごに ママ ゆりをぎゅって だきしめてくれた


 すごくいたかったけど ママがいっしょだったから こわくなかったよ


 だから ありがとう ママ」


 突然、真美さんは身体を震わせ、ひらきの顔を見て大粒の涙をこぼす。

「友里ちゃんは知っていたんだ。自分がどんな立場に置かれているのかが。久留間が真美さんの知らないところで友里ちゃんを虐待していた。そのときに久留間が教えたんだろう。幼くても、子供っていうのは自分の置かれている環境を理解出来るもんだ」

 それは、俺が子供の頃、他の子供や両親とは違うものが見えたり聞こえたりできると分かったときのように。俺は子供の頃に、自分自身が『異質』だと散々思い知らされたのだから。

「なんとなく、あたしも気が付いていたの」

 真美さんは正気を保とうとするが如く、声を振り絞って言葉を紡ぐ。

「友里は時々、あたしに向かって全てを悟ったような目を向けてた。その目が気に食わなくて、あたし、いつも怒鳴り散らしてた」

 徐々に真美さんの声の震えが大きくなっていく。

「あの日もそう。最期の時も……、あたしがあらかじめ決めていた路地で友里を突き飛ばしたとき、あの子、どんな顔したと思う?」

 俺は分からず、首をただ横に振るだけだ。真美さんは自嘲気味に教えてくれた。

「笑ったのよ! しかもすっごく嬉しそうに! まるであたしを祝福しているみたいに! ……その瞬間、我に返ったの。一瞬だったけど、友里と過ごした七年間が頭の中を通り過ぎていったわ。どれも楽しい事ばかりだった。手放したくないと思った。失いたくないと思った。身勝手かもしれないけど、あたしにとって友里は大切な娘だって、あの娘の笑顔を見て思い出したの!」

 最後の方は嗚咽交じりで語っていた真美さんに、ひらきが歩み寄る。

「だから、ゆりちゃんをだきしめて、ふたりともはねられた」

 ひらきのことばに、今度は俺が息を飲む。

「それが、あの事故の真相か……」

 ひらきはこくりと頷く。

 真美さんは視線を宙に泳がせながら独白し始めた。

「入院中に警察が来たわ。しつこく久留間との関係や友里への虐待について尋ねられた。久留間は私たちを仕事の帰りに迎えに行こうとしていたと自供するって知ってたし、私も事前にそう言うように指示されてたわ。虐待については完全否定。何日か通いつめてきたけど、ある日を境にぱったりと来なくなった。それが急に不気味で。密かに盗聴や監視されているんじゃないかって思ったの。そう思ったら、病院なんて一秒たりとも居たくなくなったわ! だから早めに退院をして、一番安全なここに篭ってたのよ。でも、どんなに逃げても、友里のあの笑顔が頭から離れないの! 今更後悔したって、あたしにはどうする事も出来ないじゃない!」

 悲痛な叫びは部屋中に嗚咽とともに撒き散らされる。聞いているこっちの胸まで締め付けられる。

 ふと、ひらきは真美さんの顔を小さな両手で挟むと、自分の顔を見るように固定する。唐突な行動に、思わず眉をひそめる真美さん。ただ、俺にはなんとなくその行動の意図が読めた。真美さんにひらきはきちんと自分の口から何かを伝えようとしているのだと。

「ひらきはね、ぜんぶみてたよ。ゆりちゃんのえがおも。まみちゃんがかなしそうなかおで、ゆりちゃんをだきしめたことも。そのままはねられても、ぜったいゆりちゃんをはなさなかったことも。そのあと、おじさんがでてきて、まっさきにまみちゃんをみておどろいてた」

「そりゃ驚くよな。まさか共犯者を撥ね飛ばすとは思っていなかっただろう」

 真美さんは完全に体中の力が抜けたかのように、床にへたり込んでしまった。

「頭から離れないのよ……。あの娘の笑顔……。お願い、許して……」

 ぶつぶつと呟いて、完全に目の焦点が合っていない真美さん。そこへひらきが更に歩み寄り、真美さんの頭をちいさな掌で撫で始めた。

「いいこいいこ。まみちゃん、げんきだして。ひらきがいるよ?」

 ひらきは懸命に真美さんの頭を撫でる。何度も。何度も。

「ひらきはね、ゆりちゃんのたましいといっしょなの。ひらきは、まみちゃんのこときらいじゃないよ」

 言葉足らずのひらきの言葉を補うように、俺は補足の説明を加える。

「今のひらきと友里ちゃんはほぼ同一の存在だ。生まれ変わりというと言いすぎかもしれないが、言動や記憶は友里ちゃんをベースにしている。恐らく、真美さんへの感情も友里ちゃんをベースにしていると思う」

 真美さんは俺の言いたいことが分かったようで、俺のほうへ顔を向ける。

「つまり、友里は許してくれるってことなの?」

「……どうなんだ? ひら――友里ちゃん」

 俺は『友里ちゃん』に問い掛けた。

「うん、ママだいすき!」

 ひらきは真美さんの胸に飛び込んでいった。真美さんも拒まず、そのまま受け入れるとお互いに強く抱きしめた。

これがひらきが家に帰りたかった本当の理由。それは『自分が友里ちゃんの代わりになればいい』という事だ。ひらきは後悔に明け暮れる真美さんを立ち直らせたかった。友里ちゃんの魂を取り込んだのは本当に偶然だったが、これはひらきの思惑にちょうど良かった。真美さんが罪を認め、改心して、心の傷を埋めるために、ひらきは瀬良友里の代役になろうと決めたのだ。あの時、耳元でそのようなことを囁かれ、俺も最初は酷く驚いた。傘を届けるどころか、いつのまにか他人の娘を連れ戻すような真似になってしまっていたのだから。

「どうやら、何とか一件落着のようだな」

 じゃあこれで、と俺は固く抱き合う二人に別れを告げる。

「待って」

 真美さんが急に呼び止めた。俺は歩みを止める。

「人殺しを目の前にして、君は全く怯まなかった。どうして?」

 真美さんの質問に、思わず言い淀む俺。真美さんは確かに友里ちゃんを死に追いやった共犯者だ。しかし、彼女を俺はもっと別の存在として捉えていた。

「君は警戒しなさ過ぎだわ。もし、あたしが包丁持って襲ってきたらどうするの?」

「襲うつもりだったのか?」

「まさか。下手に動いて警察呼ばれたくないのよ。この部屋に死体が転がるのも嫌だし。退院して以来、警察だろうが誰であろうと一切拒み続けてきたんだから。……でも、死んだ娘を連れてくるなんて反則よ反則。完敗よ」

 真美さんは片手で煙草を器用に取り出して火を付ける。紫煙が勢いよく天井へ噴出される。一連の動作を見届けると、俺は真美さんの質問に答えた。

「もし真美さんが襲ってきたときは、ひらきが念力で食い止めてたと思いますよ」

「この子、そんな事も出来るの? ますます反則ね」

 真美さんはひらきの顔を見詰めながら呆れ顔になっていた。見詰められているひらきは、にっこりと微笑みながら俺に向けて数回頷いてみせた。打ち合わせはしていなかったが、俺に何か起きそうな場合、ひらきは最初からそのつもりだったのだろう。

 ふと、遠い記憶、自分が小さい頃に母親から受けてきた仕打ちが連想された。

「真美さん、俺の母親だった人も、真美さんのような人だった気がします」

「私みたい、って?」

「俺は生まれつきモノの思念が見えたり聞こえたりできるって言いましたよね?」

「ええ。それがどうしたのよ?」

 揺れる紫煙越しに、俺の話が掴めないようで困惑する真美さん。俺は粘つく喉を潤すべく唾液を一度飲み込むと、続きを離した。

「母親だった人は、そんな俺を酷く気味悪がった。時には子供相手に本気で暴力を振るわれた事もある。結局……、外に男を作って、家を出て行ってしまった」

 大きな溜息を自然と俺は吐いていた。

「……お気の毒様」

 真美さんの慰めの声に対し、強い口調で俺は言葉を紡ぐ。

「だから、ひらきや真美さんを、黙って見過ごせなかったんです。真美さんは『母親』じゃないか」

 俺は腹が立っていた。真美さんのような――俺の元母親のような、自分の子供に酷い仕打ちをする母親に対して。子供には罪はないのに。母親自身の不甲斐なさを子供に押し付けるような真似を、どうしても俺は我慢できなかった。母親なら、子供をもっと信じてほしい。

「帰ってきた友里ちゃんに、おかえりの一つくらい言ってやるべきでは?」

「……そうね、そうするわ」

 真美さんの短い嘆息。そして小さく「おかえりなさい」とひらきに言う。ひらきも笑顔で「ただいま、ママ」と返したのだった。それを聞いて安堵した俺は、再び玄関へ足を向けようとしたとき、ひらきがこっちを振り向く。

「やくもんおにいちゃん、ひらきのおねがいきいてくれて、ありがとう」

 にこっ、とこちらに微笑むひらき。俺も一仕事終えた達成感を感じつつ、ひらきに微笑み返す。

 さて、俺の出番はここまでだ。これで真美さんは色々な状況から立ち直れるだろう。ひらきも無事に自分の持ち主のところまで辿り着けた。更に、真美さんはきっとひらきを大事にするだろうから、ひらきの付喪神昇格は事実上揺るぎないものとなったであろう。

「じゃあな、ひらき。さよなら、真美さん」

 玄関を後にしようとしたその時。


「ねぇ、約束わすれないでね」


 いつか聞いた、あの頭に響く声が聞こえてきたのだった。


【ニュースブログ】


『遺族の母親、実は共犯だった!』


 今年三月に発生した、飲酒運転による交通事故で母娘が撥ねられ、そのうち娘の瀬良友里(七)ちゃんが亡くなった件で新たな進展があった。

 瀬良友里ちゃんの母親である瀬良真美容疑者(三〇)は、既にこの事故で危険運転致死傷罪に問われている久留間紀夫被告と共謀して、友里ちゃんを事故に見せかけて殺害した殺人の容疑で×日文京区富坂警察署に出頭。その場で逮捕された。

 瀬良真美容疑者は容疑を全面的に認めており、「今はとても後悔している」と供述しているという。

警察は今後、久留間容疑者を危険運転致死傷罪から殺人罪へ切り替えて、再逮捕する見通しだ。


【付喪神・三】


「センセ! ちょっと今日付き合ってもらえないか?」

「無理」

 コンマ一秒で切り返す。

「……八雲センセ、そりゃないぜ」

 ひらきの件からだいぶ月日が経った。初夏の日差しが恋しくなるくらいに、このところの秋雨前線の頑張りようは異常なほどだ。結局、あのあと真美さんは自首し、久留間は殺人罪で再逮捕された。俺がひらきを届けた事で、二人は正しく裁かれることとなった。これでよかった。俺はそう思うようにしている。しかし、今頃ひらきはどうしているのだろうか?

 実体化の反動は相等のもので、丸々二日間熟睡してしまい、前期の期末試験を受け損ねた。単位をみすみす落してしまうわけには行かないので、後期の試験が始まる前に、教授に寛容な計らいを願い出るつもりだ。

 まぁ、なんだかんだいいながらも俺と陽一はいつもどおり、こうやって今日もつるんでいる。そして、今日も今日とて陽一の悪い癖が出てきたのだ。

「どうせ、また心霊写真だろ? 前回の件で懲りなかったのか?」

 苦笑する俺。しかし、有西陽一のウザさは健在だった。

「前回見れたってことは、俺にも霊感があるってことじゃねぇか! これからは、この霊感を遺憾なく発揮して、このカメラに超常現象を収めまくると覚悟を決めたんだぜ!」

 親指を立てながらそうアピールをしてくるウザい、もとい有西陽一。

 ダメだコイツ。ウザい上に学習能力がない。

「言っただろ。俺はあの傘に取り憑かれて、方々へ歩かされたんだ」

「ああ、聞いたさ。センセはやっぱりモノ探しの天才だよな。普通、何の手がかりもない状態でそこまで探し出せねぇって。しかも、あの事故の真相まで暴いちまうなんてさ! 記者志望の俺を出し抜いて、そんなスクープ拾っちまうなんて!」

 ギギギ、と歯軋りをして悔しがる陽一。

「そうかもしれないが……。でも、お前の情報がなければ前へ進めなかったんだ。感謝している」

「そう、だから決めたのさ。先生と行動すれば、スクープにありつける! 先生をサポートし続ければ、そのうちでかいネタが舞い込んでくる、と俺の目覚めた霊感が言っている、気がするぜ!」

「憶測かよ!」

 条件反射で突っ込みを入れてしまった……。

「とにかく、俺はこれからも、先生とコンビ組んでスクープわんさかゲットするぜ!」

 そして根拠のない自信に満ち溢れた陽一のドヤ顔を、嫌が応にも至近距離で拝まされる俺。

「……もう勝手にしろ」

 陽一の腹立つ笑い顔を見たくないので、俺は陽一の遥か後ろにある外の風景をボーっと眺める事にした。

 そういや、最近雨が多いな。また降ってきたらしい。傘忘れちまったよ、しまったなぁ。

「おにいちゃん、傘どうぞ」

「おう、助かる」

 ん? おにいちゃん?

「お、おい、センセ! どういうことだよ!」

 陽一の顔が真っ青になっている。一目で全身が震えているのが良く分かる。

 俺の目の前には、よく知った黄色いレインコートの幼女が俺の手を握っているのだった。

「ひらき!? なんで、お前……!」

「またあえたね! やくもんおにいちゃん!」

 がばっと俺に抱きつくひらき。

「ひらき、ボサツさまからほめてもらったの! そしたら、おにいちゃんといっしょにこれからしゅぎょーしろだって!」

「はああ?」

 何が何だか分からない!

「つまり、おぬしにひらきを立派な付喪神に育て上げられる手腕があると見込んだのだ」

 いきなり陽一がそんな事を口走る。

「よ、陽一まで何言ってんだよ」

「失礼、我は菩薩である。急を要するため、この人間の身体を借りておる」

 ……ここでまさかの菩薩様、登場。俺は口を開けっ放しにしたまま驚嘆する。驚きすぎて、声が出ないくらいだ。

 しかし、陽一に乗り移っているため、菩薩様本来が持つありがたさは皆無だ。

 残念! そのアルカイックスマイルは非常に腹立つ!

「ひらきの善行は、我々天界に住まう仏たちの予想を上回るものだった。このまま徳を積めば、立派な付喪神になれるであろう」

「じゃあ、何で俺のところに?」

 露骨に嫌がってみせる。けれども、菩薩様はそれを全く意に介さずに話を進める。

「それなんだが、理由は二つある。ひとつは、おぬしとひらきの憑依が完全に解かれておらぬ。おぬしがひらきの実体化に分け与えた精力の影響からか、余計に結びつきが強くなってしまったようだ。これでは無理矢理断ち切ると、若人の魂までその身体から引っこ抜けてしまうわ」

 おいおい、そんなの聞いてないぞ?

「ひらき、本当か?」

 そう尋ねると、こくんと開きは頷いた。そして、何故かひらきは顔を赤らめる。

「それに、約束だもん。やくもんおにいちゃんにぱんつ、みられたから……」

 アレかぁーっ! あのときの男の責任ってやつか!

「一生取り憑くって、ひらき、さてはこうなる事を分かってたのか? 分かってて実体化したのか?」

 するとひらきは、

「えへへへへ……」

 と、ニヤニヤしながらタックルしてきた。

 うわ、絶対に分かってた! 今までで一番怖えぇ!

 そんな俺たちのやり取りを眺めていた菩薩様が急に口を挟む。

「まぁ、菩薩たるもの、幼女性愛のひとつも寛容に認めるくらいの器量はあるわい」

「そんな器量は即刻捨てちまえ!」

 そんなの許すなよ。瞬く間に日本は条例違反者だらけになるぞ。

 菩薩が乗り移った陽一は、飄々としながら説明を続ける。

「もう一つは、おぬしがモノ探しの天才だからだ」

 いや、それは単にモノの思念が見えたり聞こえたりするだけだから。

「そう、それが重要なのだ」

「心読まれた!?」

「菩薩たるもの、人間の心くらい読めずに何をするというのだ」

 かっかっか、と笑う菩薩。だけど見た目は陽一なのでウザい。

「おぬしのモノの声を見て聞く如才、これはひらきの付喪神修行にうってつけなのだ。同じく、願望を聞いてもらいたい付喪神はこの国に数多くおる。おぬしとひらきが、それらを解決することによって、ひらきも成長する」

「まずます分からない。どういう関係があるんだ?」

「たわけ。もしや説明せぬと分からぬのか?」

 一喝されても分からないものは分からない。

「分からないから聞いているんだろう?」

 仏に向かって仏頂面をして抗議をする俺。

「ああ、もうよい。説明してやるからありがたく思え、若人」

 対する菩薩様は失望感で表情が曇る。だが、再三言うように、身体は陽一なのだ。

 つまり、驚くくらい腹立たしい。

「おぬしとひらきの魂の結びつきが強くなったことは話したな?」

「ああ、完全に憑依されてるな」

「徳というのは言い換えれば経験値みたいなものでな、徳を積めば積むほど、人は才覚に恵まれるように仕組まれておるのだ」

「つまり、レベルアップしてスキルを習得するんだな。まるでゲームだな……」

 人生の真理の一部が、まさかRPG仕立てだったなんて!

 驚きを通り越して呆れてしまう俺だった。開いた口がふさがらない俺に構わず、どんどん話を進めていく菩薩様。

「若人とひらきの場合、結びつきが強くなった事でお互いの徳が累積されてしまう。お互いの徳の貯まり方が常人より早い上に、才覚の開花も常人より早くなってしまう。しかも早熟になる分、寿命が常人より短くなってしまう。万物の調和を重んじる天界において、本来はしかるべき処置を執るべきなのだが、今回ばかりは特例だ」

「特例?」

「左様。ひらきが付喪神修行で積むべき徳を、おぬしが助力する事をよしとした。情けない話、天界は昨今人手不足でな。ひらきのような有望な付喪神見習いは今や仏たちに引っ張りだこなのだよ。若人がひらきの修行を手伝えば、その分、ひらきの付喪神転身への時期が早まる。我の指揮下で修行をこなしてもらい、早く我の助手として側に置きたいものだ」

「ああ、さいですか……」

 ……現世も天界も、人事はとても重要なようだ。まさか天界に青田刈りがあるなんて思ってもみなかった。それだけ、ひらきが有望ってことなのだろうけども。

「そういうわけだ。勿論、徳を積めばおぬしも新たな才覚が花開くだろう。若人にだって良い話であろう? では、気を引き締めて取り組むように」

「ちょっと待った、勝手に決め付けるな! 真美さんはどうなるんだよ? ひらきがいなくなったら真美さん立ち直れなくなるぞ?」

「あの者は今、罪を償うのに相応しい場所におる。あそこにいれば、自ずと己と向き合い、立ち直るだろう。故に、あの者が出頭する前夜、我がひらきを預かると申し出たのだ。夢枕でな」

 夢枕を伝言扱いかよ……。無茶苦茶すぎる菩薩様の行動に嘆息しか出てこない。

「そういうことで、今日からひらきは若人とともに、この国のモノの心を救う修行に励むのだ。よいな?」

「ちょ、拒否権ないのかよ?」

 何だか菩薩様の言い回しだと、もう既に決定しているような口振りだ。しかし、俺にだって学生としての本分があるし、現に目先の単位が落しかかっているのだ。年がら年中妖怪もどきと付き合っている場合ではない。

 拒絶の表情を前面に出していると、ひらきが俺のシャツの裾を引っ張る。

「やくもんおにいちゃん、ひらきのこと、きらい?」

 その目は今にも泣き出しそうだ。口はへの字に曲がり、いまにもぐしゃぐしゃになりそうな顔で俺を見上げている。

 弱った、ひらきとは面識があるとはいえ、俺は子供の扱いは手馴れているとはいえない。

 こんな学生ホールで泣かれても、俺は傘を目の前にして狼狽する変な奴にしか見られないだろうし。

 ……不思議と周りが騒がしい。なんでだろう?

「おい、レインコート着た女の子が泣きそうだぞ」

「あいつが泣かせたのか?」

「うわ、子供泣かすなんてサイテー!」

 え、何でひらきの姿が見えているわけ? って、この光景、めちゃくちゃまずいよな?

「ひらきは実体化にまだ慣れておらぬからな。我が手助けしてやったわ。しばらくは実体化が続くと思うのでありがたく思え。菩薩たるもの、この程度の事が出来ずに……」

「お前の仕業か!」

 遂に突っ込みの限界を超え、思わず手が出た。やばい、菩薩様殴っちゃった!

「おお、いい拳だ、ますます気に入った」

 菩薩様は殴られたのにもかかわらず、にこやかな笑みを絶やさない。仏の顔も三度までというから、一発殴られてもあんなに笑顔なのか。外見は陽一だから、もう数発殴ってしまいそうだが、流石にもうツッコむの疲れたよ……。

「なに、悪い事ばかりではない。ひらきは成長するに当たって、様々な技能を修得する」

「技能?」

 俺はひらきをあやしながら、菩薩様に声だけで返答する。

「そうだ。今は念力くらいしかまともに扱えぬ。無理をすれば実体化できるが、毎回若人が力尽きては困る。だが、これから修行の成果を積み、付喪神に近付くにつれ、本来付喪神が使える技能を徐々にひらきは使用することが出来るのだ。勿論、若人への身体の負担も軽くなるであろう」

 なるほど。何だか育成ゲームのような感覚だが、それはそれでやりがいはありそうだ。

「ひらきが完全に付喪神になれれば、自然と憑依状態も解除されるはずだ」

「そうなのか?」

「たぶんな」

「……」

「天界でも稀な例なのだ。憶測でしか話せぬ。しかし、若人に拒否権がないということだけはしっかり伝えておくぞ」

 やっぱりそうか。それを聞いて俺は肩を落さずに入られなかった。

「それでは、修行に励むのだ、若人よ!」

 菩薩が入った陽一はそう言うと、がっくりと気絶する。俺は陽一をそのまま打ち捨てた。しばらく寝てろ……。

「えへへ……」

 そうこうしている間に、ひらきが俺の側に擦り寄ってくる。周囲の突き刺さるような視線を背中に受けながら、俺はひらきを隠すように抱きかかえながら学生ホールを後にした。

「これからしゅぎょーがんばろうね、やくもんおにいちゃん!」

 そう言うひらきは、なんて無邪気な笑顔なのだろう。まったく何も考えていない、ひらきの満面の笑顔。

 ああ、もう、これは諦めるしかないかもしれない。自分の持って生まれた才能を、このときばかりは大いに悔やんだ。悔やんだと同時に、誰かの役に立てる事を素直に喜んだ。

「ねぇ、やくもんおにいちゃん!」

「なんだ?」

 ひらきは俺に抱き付き、大声で叫んだ。

「おにいちゃん、だーいすき!」


(了)

【結論:幼女は可愛い】



 人間の念というのは怖いもので「お前が覚えていなくてもこっちは一生引きずってやる」的な傍迷惑なものから「ずっとずっと好きでした!」という甘ったるいものまで千差万別です。

 しかし全てに言えるのは「良くも悪くも行動の指針を決めてしまう強い原動力になり得る」ということでしょうか。

 念に囚われて先に進めなくなることもあれば、むしろ突出してしまうこともある。自制が利かなくなっていくのも共通点ではありますが。


 ひらきもそういう「念」に囚われた存在でした。

 八雲は巻き込まれただけですが、彼なりに「どうにかしなければ」という優しい心=念があったから、この結末を迎えることができたのでしょう。


 つまり、この小説は「幼女は可愛い」という一念で書かれたと言えるでしょう。

 おあとがよろしいようで(一礼)

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