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激痛の再会

グロ・流血表現があるので心の準備を。


AT7「激痛」


 俺は一人電車に揺られて自分の家に向かっていた。俺の家は板橋で、電車の乗り換えは一度するが大して遠いところではない。

 レイたちは先に帰った。あまり仲間の自宅や本名を知るのは宜しくないことらしいのだ。俺はアジトへの帰り道を覚えているし俺を独りにしても何も問題はないので、昼食を食べ終わってからは別行動ということになったのだ。

 昼食といえば向かった先のラーメン屋は本当においしかった。ラーメンであれだけ美味を感じることができるとは知らなかった。それにしては値段もそれほど高いというわけではなかったし、なるほどあれなら近くに着たら食べに行きたいと思うのも道理だ。また行きたいな。

  でも思考が家に帰ることに向くと気分は一気に暗くなる。今はお袋も緋粋も仕事と学校に行ってるから見つかる心配はないが、鍵がないから泥棒まがいのことをしなければならない。鍵は一応持ってたんだが、あのカズに拾われた運命の日、鍵を入れたバックがどっかに行ってしまって行方知らずになっていた。大抵財布漁ろうとした不良にひっくり返されて、適当なゴミ箱にでも突っ込まれてるんだろう。

 でも、それより何より家を見たらあの組織に帰りたくなくなるんじゃないかと危惧しているからだ。

 あそこには戻れないはずなのに、今現在俺はそこに戻ろうとしている。

 そこに足を踏み入れたら、もう二度と出てくることができなくなりそうで、少し怖い。

 でもやっぱり家から盗んでくればいい衣服を買うのは気が引けるし、衣服のほかにも持ってきたいものがたくさんあるし、行かないわけにはいかない。

 ・・・・・・こんな葛藤は、家に帰りたいと叫んでる本心を紛らわせてるだけのものかもしれないが。

 そうこうしているうちに電車は板橋駅に着き、俺は電車を降りて駅を出た。急に見慣れた景色を目の当たりにして、心臓のあたりが苦しくなる。そういえばこの駅は通学に使ってたんだっけ。だからとても、見慣れてるんだ。そんな当たり前のことを強く実感した。ほんの三日ぐらいしか経ってないのに何気なく通っていた駅を懐かしく思ってしまう。

 なんか老いた気分だった。浦島太郎ってこんな気分だったのかな。

 そんなことを思いつつ、目を閉じてても家に着く自信のある通学路を行く。家は、駅から五分の住宅街にある。

 後ろ髪を引かれる思いで見慣れた道を行くが、足は正直なんだか天邪鬼なんだかわからないがいつも通り進み、大体五分後には家の前に立っていた。

 ついに来てしまった。と思うけれどもう引き返すわけにも行かない。

 周りには誰もいない。家にも人の気配はない。当然、お袋も緋粋もいない。実は少しだけ、お袋か緋粋に会えるかもしれないと期待してしまっていた。会ったら会ったでどんなに事情を話しても引き止められるだろうから、ほんの少し姿を現して一方的に別れだけ告げてすぐ逃げようと思っていた。それだけのことだった。そのぐらいのことしか考えていなかった。でも会えないのは・・・・・・別れさえ言えないのは・・・・・・やっぱり悔しい。

 ずっと家の前で家を見上げているとさすがに不審に思われるから、さっさと家の裏に回った。近所には知り合いも多い。ここでは気をつけないと。

 台所。東向きで朝日を入れるための窓は広く、入りやすい。でも残念ながら鍵が閉まってた。よく開け閉めする窓だからもしかして開いてるんじゃないかと思ったんだけど・・・・・・・。ああそうか。五日前ぐらいにここら辺で空き巣が出て、それでその時緋粋は用心に越したことはないって家中の鍵閉めて回ったんだっけ。すっかり忘れてた。くそ。空き巣め。余計なことしやがって。

 仕方なく次は風呂場に回った。ここは小さくて俺がやっと通れるぐらいの窓なんだけれど、ここの鍵は開いていた。うっかり者のお袋がその後開けて閉め忘れたんだろう。ナイスお袋。でもここを通るのは少し気が引ける。埃っぽいしやっぱり俺には少し狭い。他の入り口はないかと思って探してみたけれど、運が悪く閉まっててやっぱりそこから入るしかなかった。

 腹を括ろう。あの組織に入ったことに比べればこんなちっぽけな窓に入ることなど!!

 窓を開けて枠に手をかける。あああ埃っぽい。窓は少し高いところにあるけど、足元のタンクを踏み台にして狭い窓に肩を入れる。意外にするりと入れてでも後は苦労して中に侵入した。

 中は脱衣室で水の匂いがした。決していいとは言えない匂いだけれど、今では何よりもいい匂いだと思ってしまう。その匂いに縛られて、動けなくなってしまう。

 駄目だ。ずっとここにいたら、帰れなくなる。

 俺のいるべき場所は・・・・・帰る場所は、ここじゃない。

 ここが俺の家なのに。

 ・・・・・・止めだ。考えたって無駄だ。考えたって、このどうしようもない状況は変わらない。

 俺は家族と会えないけど、もう仲間がいるんだ。

 だから、大丈夫だ。

 そう自分に言い聞かせた。言い聞かせて無理やりにでも納得していかなければ、思考の渦に潰されて動けなくなってしまう。

 早くここを出よう。そう思ってさっさと脱衣所を出て二階に上がる。俺の部屋は、二階の一番奥の扉だ。

 その扉を開けてずいぶんと久しぶりに思える部屋に入る。汚い部屋だ。片付けもろくにしてなくて床にCDやら本やらが散らばってる。

 感傷に浸ってしまう前に動く。気に入ってる旅行かばんと黒いバックを引っ張り出して、旅行かばんに片っ端からたんすの服を詰め込む。バックには散らばってるCDやら本やらを適当に突っ込み、その他日常品も放り込む。日常品は確認するだけで極力見ないようにした。あまり眺めていると、ここに残るという誘惑に負けて動けなくなりそうで怖かった。まるで追いたてられた草食動物みたいな必死さで次々とものを詰め込む。

 途中でふと思い出し、本棚の到底読みもしない分厚い本の間に隠していたへそくりも詰め込んだ。中身は二万円近い。金をためる習慣を持っててこんなに良かったと思ったことはない。さすが俺!

 必要なものは全部持ったか部屋を見回して確認して、足早にでも静かに階段を下りる。リビングとかにも必要なものがあるかもしれないとリビングに足を向けかけて・・・・・止めた。

 お袋や緋粋と過ごしていたリビングなんかに入ったら、本当に戻ってこれなくなりそうで怖かった。

 名残惜しさを感じながら、振り返らないように苦労しながら、玄関に向かった。

 ・・・・・・どうせ俺の私物しか盗んでないんだ。お袋たちならすぐに俺が来たんだと悟るだろう。だから玄関の鍵が開いていても、空き巣だとはきっと思わない。

 玄関の鍵を開けて扉を開く。ここに入ってからあまり時間は経っていないはずだったけれど、日が傾いたのか日光が目を差した。

 振り返らない。早くここを離れてしまおう。俺は家から逃げるように駆け出した。それでも限界まで詰め込んだ旅行かばんとバックを肩に下げているから、走りはとても遅くて駆けるというほどかっこよくはならなかったけど。

 大きなかばんを二つもぶら下げてのろのろと走る姿はとても滑稽で、そしてとても怪しかったんだろうけど、幸運にも住宅街に人影はなかった。元々大体の住人は仕事で出はらっていてこの時間帯はあまり人はいないのだけれど、よく見る主婦のおばさんや定年退職したおじいさんさえいないのは、本当に幸運だった。

 誰にも見つからないように気をつけながら、急いで走る。曲がり角も少し警戒しながら走り抜けた。

 でも。

 俺は見た。

 一瞬息が止まる。それから体温が一気に上がり汗が噴出す感覚。自分が見たものを信じられないまま、転びそうになりながらUターンして駆け抜けてしまった曲がり角を見る。

 それは確かにあった。それは確かにいた。

 誰もいない住宅街の道。傾きかけた日の光に染められて微妙なオレンジに染まってる。

 でもそんなことはどうでもいい。

 そんな色じゃない。

 俺が見たのは日光のオレンジじゃない!

 太陽じゃないんだ!

 そうだ。

 例えれば太陽とは色も存在も正反対の位置にいる月。

 月光。

 月光に似た青銀色。

 俺と同じ青銀色。

 俺と同じ長く伸ばした青銀色の髪。

 俺と同じ。

 俺と同じ。

 俺と同じ。

 あれは俺に受け継がれた、元よりの青銀色だ。


「親父」

 それは俺の親父だった。


 気付けばバックを放り投げて駆け出していた。

 バックなんてどうでもいい。そんなことどうでもいい!今は何もかもがどうでもいい!!あれに追いつかなくては。あれを見失ってはいけない。あれの所にたどり着くんだ!親父との距離は遠い。目で捕えるのがやっとの距離。なんて遠い。でも今なら追いつけるんだ。俺はそのために走っているんだ。可能なんだ!今あれは俺の手が届くところに居るんだ!!届くんだ!!!

 あれに!あいつに!!あの親父に!!!

 息が上がる。のどが擦り切れて千切れてしまいそうだ。全速力のせいで足も痛みを訴えかけてくる。でも大丈夫だ。限界なんてほど遠い。今の俺なら限界を超えても走り続けることさえできそうだ。大丈夫なんだ。そこに追いつくんだ。そこに届くんだ。そこまで俺は走り続けることができるんだ!!

 追いついてどうするかなんて知らないしわからない。でもそんなこと関係ない。今はあれに追いつくことだけが、俺の全てだ。

 俺の目の先で、親父は住宅街の外れの廃墟に入った。確か工場の廃墟。そこには誰もいないはず。好都合だ!!

 そこまでにはまだ距離がある。でも廃墟は逃げない。そして親父がそこにいる。

 そうだ。

 親父が!

 今!!

 そこに!!!

 いるんだ!!!!

「親父いいいいい!!!」

 咆哮をあげながら廃墟に飛び込んだ。

 汗が頬を伝う。

 荒い呼吸が静まらない。

 鼓動が大きく聞こえる。

 全身に酷いだるさが満ちる。

 でも。

 目だけは。

 何よりも正常だった。


 いた。


 そして、いる。

 目の前に。

 何の障害もなく。

 俺と向き合って。

 親父が。

 五年前に全てを捨てていなくなった。

 あの親父が。

 いた。

 

 俺と同じ髪。青銀色の、俺が受け継いだ色。受け継いだことを酷く悔やみ、遺伝というものを酷く恨んだ親父の色。その色に染まった長い髪は無造作に垂らされ散らされている。

 少し掘りの深い顔立ち。薄い銀色の双眸。薄く赤い唇は引き結ばれて笑みを灯さない。肌は抜けるように白い。ひげも全く生えてなくてどこか清潔感を漂わせる。その顔に、表情は全く無い。変わらない、むかつくほどの無表情。でもそれは今年で四十五歳になるはずなのにどこか若く、そしてどこか美しい。完璧な、という美しさじゃない。銀色の目と髪があるからか神秘的な、という美しさ。男で息子の俺でも認める、なんというか綺麗に近い顔立ち。

 白いコートに包まれた体。細身だけど程よく筋肉がついているきれいに均衡が取れた体だということを知ってる。背は百九十センチ近くてとても高い。

 それは正真正銘、どこからどう見ても、俺が知る、俺が覚えている、五年経っても全く変わってない、親父の姿だった。

「親父」

「・・・・・・粋然」

 呼ばれて、違和感を感じた。

 粋然。俺の名前。俺の本当の名前。でも、捨てた名前。

 ここ三日近く、俺はゼンと呼ばれていた。与えられた名前。新しい名前。AFOWの中での、俺の名前。

 でもそれで呼ばれていたのは三日そこらで、粋然っていう本当の名前を忘れたわけでもない。

 でも、違うと思った。

 俺は粋然だけど、それでも違うと。

 何で?

「久しぶりだな」

 親父の声。

「五年ぶりか」

 何の表情も映さない、無感情な声。

「大きくなったな」

 薄っぺらい、声のくせに。

 そんな声で、何をほざく!

「何、で」

 怒りか、興奮か、声が震えた。体中にわけのわからないたくさんの感情が蠢いて混ざって暴れてめちゃくちゃに駆け巡っていた。何を言いたいのかも何を言わなければならないのかも、感情で飽和した頭じゃ理解できなかった。

「何で、今頃」

 でも。

 口は動いた。

「何で今頃帰ってきたんだよ!!」

 叫んでいた。

 俺が聞きたかったのはそれなのか。それとも別の何かなのか。別の何かを言いたいのにこんなことを叫んでいるのか。

 わからない。

 ただ、俺は興奮している。

「粋然。こんな時間に何をしている?学校はどうした?」

 親父はそう言った。表情を全く変えずに。全く動かさずに。

 相変わらずの薄っぺらい声で、息子を叱る父親のような言葉を。

 心配する気も、怒る気もないくせに。

 だからそれは、俺の怒りを爆発させた。

「ふざけんじゃねえ!!!」 

 怒りで狂ってしまうかと思った。

「質問に答えろよ!!何で帰ってきたんだよ!何もいわないで出てって!五年も家をほったらかしにして!今更何の用だよ!!お前は何がしたいんだよ!!お前の・・・・お前の目的は何なんだ!!!」 

 咆哮は何もない広い廃墟に響き渡り全てを振動させる。

 叫んでも、親父はやっぱり表情を動かさない。また何か怒鳴ってやろうかと思ったけれど、何を叫べばいいのかわからなかった。

 わけのわからない感情は、今も体中を駆け巡っている。でもそれをどう言葉にすればいいのかわからなかった。さっきみたいに、突発的に言葉は出てこない。もしかしたらあれが、俺が言いたいことの全てだったのかもしれない。

「・・・・・・・俺の目的は」

 俺の荒い息の音だけが聞こえる沈黙を、親父の声が揺らした。薄っぺらくてでも迷いなく揺るぎない、だから大嫌いな親父の声。

 そんな声がつむいだ言葉は。

「お前を殺すことだ」

「・・・・・・・・・・・え?」

 その瞬間停止した思考をぶん殴るように。

 空気が破裂したような音と共に、左肩に何かがぶつかり反動で左腕が前に跳ね上がった。

「?」

 ぶしゅ、と左肩から変な音がした。左頬に暖かい水が散る。

「え?」

 左肩に小さな穴が開いていて、そこから赤い液体が・・・・・・血が、噴出して頬に降りかかる。

 ・・・・・・、血?

 また、空気が破裂する音。今度は二発。衝撃は腹に二つ。足が立たなくなっていて、俺は衝撃に押されて後ろに傾く。腹を見た。白いシャツが真っ赤に染まってく。

 ああ、これ。ラクトから借りたものなのに。

 腹に手を当てた。自分の体じゃないみたいに熱い。ぬるぬるして気持ち悪い。これは、血?

 かふ、と何か粘ついたものを吐いた。紅い。口の中に鉄の味が広がりまとわりつく。のどの奥に絡み付いて気持ち悪い。

 霞んでいる視界に親父がいた。その手に、刃が長く太いナイフ。ああ、これを俺は知ってる。これは親父の愛用のナイフだ。

 それは、傾き倒れる俺の額を掠めた。前髪も少し一緒に切られる。

 でも掠めたってことは、斬るつもりだったってことだ。

 親父が、俺を。

「親父、っ」

 倒れた。背が床にぶつかる。ナイフが掠めた額の傷から血が流れて左目に入る。床にぶつかった背が痛んで、衝撃に体が軋んだ。視界の左半分が赤い。

 そして背の痛みに呼応するように、気付いていなかった痛みが一気に俺を襲った。

 肩と腹と額。それは身を引き裂かれるような信じられないほどの痛みだった。

「ごおおおおおああああああああああああっ!!!?」

 視界が赤い。涙も出ない。開いた口からは絶叫しか出なかった。

 痛い。痛い!!!

 嫌だこんなの。

 こんなの本当に死んでしまう!!

 死ぬ。死ぬ!!

 嫌だ死にたくない。死ぬのは嫌だ。まだ死にたくない。嫌だ。こんなところで。こんなところで死にたくない!!

 こんなところで、死にたくなんかないんだ!!!

 左手は全く動かない。だから右手を動かして何とか体を反転させて這って逃げようと思った。右手もまともに動かないし体はずしりと重いし這ったとしてもナメクジよりも遅いだろう。でも逃げようと思った。

 死にたくないから。

 体を少し動かすだびに血が噴き出す。怖い。こんなにたくさんの血を見たことがない。顔の左半分は血で真っ赤だろう。怖い。こんなに、たくさんの血が、俺から抜けてく。

 怖い。嫌だ!死にたくない!!

 でも体を反転させようとして、俺の横に立つ親父に気がついた。

 親父は俺を見下ろしている。何の感情も映さない冷たい目で、見下している。その手には、黒い真っ黒の銃。・・・・・・きっと銃だろう。初めて見た。

 そして・・・・・・その銃口は俺に向けられている。体中が痛くて、体中血まみれで、死にそうになってる俺に。

 親父の息子の・・・・・・息子であるはずの、俺に。

 親父。

 そう、言おうとした。さっきから叫び続けたせいでかすれてしまっただろう声で。

 でもそれは親父が撃った銃弾で、のどごと叩き潰された。

「ぎ、う」

 代わりに出たのはそんなおかしな声だった。

 撃たれた。のどを。首を。人間の急所を。

 首を、撃たれた。

 死ぬ。死ぬ!死しんじまう!!

 叫ぼうとしたけれどのどに何かがたまって叫べなかった。それどころか呼吸さえできなかった。息を吸おうとするとのどの奥から血があふれ出してそれを拒む。鼻から空気を取り込もうとしても、鼻にも血が逆流してきて無駄だった。苦しくて血を吐き出した。それは信じられないくらい多くて口とあごを汚す。もう口の中は血の味しかしなかった。

 親父はそんな俺を気にかけることもなく、銃口を少しずらした。それは少し下で、右腕あたりじゃないかと思った。

 親父が、撃った。

 骨が砕ける嫌な音がした。右肘からの痛みが脳を直撃する。痛い。脳が焼き切れてしまいそうだ。だけどその痛みは絶叫に変換されることはなかった。気管が血で詰まって絶叫を通さなかったから。

 俺ののどから漏れるのは、理解不能なうめきだけ。

 痛みの中で右肘の関節が砕けていることに気付いた。明らかにおかしな方向に腕が捻じ曲がってる。腕の感覚は全くなかったけど、わかった。

 その右腕に、親父は弾を撃ち込み続ける。右肘に執拗なまでに弾を叩きつける。何発も何発も何発も。そんなに右肘に恨みがあるのかと思ってしまうほど。だから何度も何度も傷つけられてそんな腕に感覚が残っているわけがなく、痛覚神経も麻痺していた。

 だから。

 腕が千切れたことにも気付けなかった。

 不意に親父が銃撃をやめて腰をかがめた。そして何か重そうなものを掴んで持ち上げたのが俺の目に入った。

 俺の右腕だった。

 俺の右手首を掴んで、千切れたひじのあたりが俺に見えるように、俺に見せ付けるように、ぶら下げる。

 切断面からあふれた血が重力に引っ張られて俺の顔の上に落ちる。俺の顔を生暖かい液体が濡らす。気持ち悪い。ひどい血の臭いだ。

 俺の腕。そこにある俺の腕。俺から離れた、俺とつながってない腕。切断面はひどいものだ。砕けた骨が突き出しているし赤い肉と筋肉と黄色い脂肪が絡み合って糸みたいな神経が垂れ下がってる。それらは全部血で汚れて赤く染まってたけど、なぜかそれがよくわかった。

 親父が手を離し俺の腕が俺の顔の横に落ちる。ごとん、と重い音がして、たったこれだけの体の一部なのにこんなに重いなんて、と思った。

 痛い。

 どれだけの血を流したんだろう。

 体が熱いけど、どこか根本的なところが冷たかった。

 怖いと思った。死にたくない。死ぬのは怖い。死ぬのは嫌だ。

 親父の目は冷たい。それが俺を凍えさせていくような気がした。

 何でこんなに怖いのか。

 あのとき。不良に刺されたとき。カズに拾われたとき。

 あのときだって死にかけた。でもこれほど怖くなかった。死にたくないとは思った。でも思っただけだった。こんなに怖いとは思わなかったのに。

 なんで?

 こんなに、怪我させられたから?

 銃で撃たれてのど潰されて腕千切られて血がいっぱい出たから?

 ・・・・・・・死にたくないと思っても、もう死ぬしかないとわかっているから?

 だってこんな、こんな傷。

 もう死ぬしかないじゃないか。

 どんなに死にたくないと願っても。

 もう。

 ・・・・・・でも。

 少し違う。

 これは違う。

 これはこれから死ぬからじゃない。


 殺されるからだ。


 殺意を持って、凶器を持って、それで、殺されるからだ。

 他人の手によって、強制的に意図的に、殺されるからだ。

 嫌だ。嫌なんだ。

 死ぬのは嫌だ。

 殺されるのは嫌だ。

 やっと裏の世界で生きていける覚悟ができたのに。

 レイたちと仲良くやっていけそうな気がしたのに。

 そんな全部を強制的に途絶えさせられるなんて、そんなのは嫌だ。

 だから。

 死にたくない。

 死にたくない。


 生きたいんだ!!



 ビキン



 脳にそんな音と衝撃が走った。

 外からの衝撃じゃない。

 頭の中の何か重要なものが、壊れるような。

 そんな衝撃。


 それは唐突だった。


 どくん、と心臓が一度大きく高鳴り、熱くてもどこか寒かった体が火でも引火したように熱くなる。

「、・・・・ううっ」

 体の中身が一気に膨れ上がったような感覚がして、俺はそれに押し出されるようにのどに溜まった血を吐いた。でもそれ以上血があふれてきて呼吸をさえぎることはなかった。

「ひっぐ・・・・がはっ!!?ごほっおええっっ!!」

 ずいぶん久しぶりに息をした気がした。血と共に肺の中に溜まった息を吐き、無我夢中で酸素を貪り食った。

 何が・・・・・・・何が起きたんだ!?

 体が引きつってる感じがある。体の中身が倍になったような感じだ。その中身が皮膚を突き破ってあふれ出そうとしているようだった。

 気持ち悪い。

「・・・っ、が・・・・っあああああああああああああ!!」

 その気持ち悪さに耐えかねて、絶叫がのどを震わせた。

 ・・・・・・・のど?

 中身が暴れているような左腕で恐る恐るのどに触れた。震えてる指が感じたのは血塗れたのどの感触。

 血に塗れているけれど、抉れてるわけじゃない。血をあふれてるわけじゃない。ちゃんと肉があって皮膚があってその上に血がついているだけの、のど。

 致命傷だと思っていた傷が、なくなっていた。

「・・・・・・、っあああああああああああああああ!!」

 傷がなくなっていることが信じられなくてもう一度叫んだ。のどに残っていた血が数滴舌の上に散った。

 治ってる。完全に完璧に傷があったことさえわからなくなっていた。

 体の中身が倍になったような気持ち悪さもだいぶ収まってきている。

 苦しくない。呼吸ももうちゃんとできた。

 それに。

 痛く、ない。

 のどに触ったのが動かなくなっていたはずの左腕だということに気付いて、俺は左腕を動かして体を起こした。

 起こせた。

 右腕は肘から先がない。でも痛くない。

 肩も腹も血に塗れている。でも痛くない。

 痛くないけど、どう見ても致死量の血が服を赤く染めて、コンクリートの床までにも赤い血の輪が広がっている。

 これ、全部俺の血?

 こんなに血が流れたのに。

 こんなに血を失ったのに。


 何で俺生きてんだ?


「・・・・・粋然」

 信じられない思いで血を眺めてた俺の耳に、親父の声が届いた。

 親父の声以外は、何も届かなかった。

「やっぱりお前は・・・・・COLORSになってたか・・・・・・・」

 カラーズ?

 なんだそれは?

 またしても、異変は唐突だった。

 右腕に違和感が走り切断面が疼いた。

 そして俺は信じられないことに、転がっていた俺の右腕が痙攣するように動いたのを、この目で見てしまった。

「・・・あ・・・・・・」

 瞬間、千切れた腕の千切れた血管から赤い何かが首をもたげた。

 蛇?

 そう思った。勘違いした。勘違いだと気付いたのはその蛇が空を走って俺の右腕に潜り込んだときだった。

「・・・・・っえ・・・・・・・・・」

 蛇じゃない。赤い紐みたいのが俺の千切れた右腕をつないでる。

 紐でもない。

 気付いた。

 血だ。

 俺の血が、俺の右腕をつないだ。

 そして、それは起こった。

 一瞬、転がった右腕が引っ張られるように動く。一瞬じゃない。腕はつながった血に引っ張られて床を引きずられる。引きずられて、こっちに近づく。

「ひっ・・・・・・!!」

 怖くて逃げようとしたけれど、血を失いすぎたせいか体が動かない。血でつながった切断面が血に引っ張られてくっつく。

 くっついてそして。

 つながった。

 切れ目どころか傷ひとつそこにはなく、血がまとわりいているだけで肉や神経がはみ出しているようなこともなくちゃんと動く。

 動く。

 思い通りに。

 さっき千切れた腕が。

「・・・・・・・・ひぃああああああああああああああああああああああ!!!」

 おかしい。

 こんなのおかしい。

 こんな。

 なんでだ。


 何で俺は生きてるんだ!!?


「粋然っ!!!」

 ・・・・・・親父?

 俺が親父を見上げると親父はなぜか苦しそうに目を細めた。

 それはずっと無表情で冷たい目をしていた親父の、初めての変化だった。

「粋然・・・・・・・!!」

「親父・・・・・・」

 どこかすがるような気持ちで親父を見た。

 だって、もうわからない。

「なんだよこれ」

 これは何なんだ。

 俺は何なんだ。

 やっぱり駄目だったんだ。

 俺は駄目だったんだ。

 俺は、人間じゃなかったんだ

 だって、生きてるんだから。

「親父・・・・・・」

 もう、嫌だ。

 俺は目を閉じた。

 その瞬間俺はこめかみの辺りに強い衝撃を受けて、混乱と興奮と恐慌で凍りついた俺の意識は何もわからないまま強制的に闇に落とされた。


 SIDE ハク


 粋然を殴って気絶させた。

 地獄絵のような光景だった。

 青銀に紅が染み込み、自らが流した血に塗れ、血が入り込み混じった瞳には狂気に満ちていた。

 粋然は狂いかけていた。人間離れした自分に絶望していた。だから無理矢理気絶させてこれ以上何も考えないようにした。

 殺そうとは思ったが、狂わすのは忍びない。

 後悔した。

 もう少し機を見て殺せばよかった。

 自分の家に戻りそれでも留まらず名残惜しそうに立ち去る粋然を見て、ここで殺さなければならないと焦ってしまった。

 ここで粋然をあの組織に戻してはいけないと思った。

 だからCOLORSを殺す準備を怠ったまま粋然を殺そうとした。

 だけど失敗した。「最強」の再生力を甘く見ていた。まさか切り落とされた腕までつなげるとは。本当に甘く見ていた。

 だけどそれだけのことで。

 たったそれだけの焦りで。

 粋然を狂わせかけてしまった。

 殺す覚悟はできても狂わす覚悟ができないなんて、情けない。

 カツッと靴音が眼前で止まった。

 ざんばらに切り揃えられた黒髪。左目の眼帯。唇から垂れているひき飴の紐。そして虚ろな目。

 こいつを知っている。リストに乗っていた顔だ。確かセトといった。あの組織の一員。異端と言えるCOLORSの中でも特に異様な雰囲気を纏う男。

 セトはその虚ろな目で俺を一瞥すると、少しも表情を変えずに血だまりの中に倒れる粋然に手を伸ばした。

 その手が肩に触れつかみ、揺らす。かなりゆっくりとした動きだが粋然は起きない。そうだろう。かなり強く叩いたし精神的にもショックを受けて深い眠りに落ちているはずだ。ちょっとやそっとでは起きはしないだろう。

 セトは粋然が起きないのを知ると、ロングコートを脱ぎ倒れる粋然を抱き上げてそれに包んだ。そして粋然を軽々と持ち上げ俺に背を向け歩き出す。

「俺を捕まえないのか」

 俺はセトに対しそう言ってみた。この状況からすれば粋然をこんな風にしたのは俺以外有り得ないのに、セトは何もしないから。

 セトは、背を向けたまま歩みも止めず、酷くゆっくりと頷いた。


SIDE ゼン


 ・・・・・・起きた。

 起きたけれど眠っている。

 夢と現実の狭間。覚醒の途中。

 夢を見た気がする。

 酷く怖い夢だった。

 親父に殺されかけた夢だった。

 それを強く覚えている。

 何度も死にたくないと思った。

 そうして生き返ってみたら死ぬことよりも怖かった。

 人間なら死ぬはずなのに俺は生き返ったから。

 俺は人間じゃないんだと証明されたから。

 本当に、怖かった。

 でも、おかしい。

 夢じゃないと、頭のどこかでわかってる。

 おかしいだろ。こんなの。 

 夢じゃなかったら何なんだろう。

 夢じゃないのなら、現実。

 現実。

 ・・・・・・ああそうだ。

 あれは現実なんだ。

 夢でもなんでもない。

 逃げたところで俺に一生付きまとって離れない、俺の中の現実。

 俺って人間じゃなかったんだと、俺は納得してる。受け入れてる。

 ちゃんと、この目で見たから。

 ちゃんと、この体で感じたから。

 夢だと思いたくても、ちゃんと痛かった。

 俺はどうすればいいんだろう。

 人間じゃない、俺は。


「ゼン」

 名を呼ばれた。

 目を開いた。

 白い。

 何もかもが白い。

 これは・・・・・夢か?

 いや違う。現実だ。

 見たことがある。

 医務室の天井だ。

 俺がここに来たときと同じ。

 同じ白い天井だ。

「ああ、やっと起きた。ゼン・・・・・よかった」

 声。

 女の声。

 知ってる。

 この声を俺は知ってる。

「レイ?」

 少し視線をずらすと、すぐそこにレイの顔があった。俺の顔を覗き込んでいるようで、その顔に色濃く安堵の表情が浮かんでる。

「ゼン、ちゃんと私のことわかるのね?」

 レイは俺の頬にそっと触れた。

 それは腫れ物に触れるようで、脆いものに触れるようで、どこか恐る恐る触れているように思えた。気のせいかもしれないけれど。

「ハクユもラクトもユオウもキョウもセトさんもみんなで一緒にお出かけしたことも覚えてるのね?」

 覚えてる。

 ハクユ。琥珀色の髪で人魚みたいで彫り師でぬいぐるみいっぱいの女。

 ラクト。灰色の髪で俺となんか似ててつなぎ着ててやたら笑顔な男。

 ユオウ。桜色でハクユに似た花のタトゥーで俺より強いらしい女。

 キョウ。黒髪で同い年ぐらいで改良班の頭で一番普通に思える男。

 セト。目が虚ろで眼帯で引き飴で身体障害者で一番異様な男。

 みんな、知ってる。覚えてる。みんなで買い物に行った。一度別れてゲームセンターで合流して昼飯食べて・・・・・・・・。

「じゃあ、その後は覚えてる?」

 その後は・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・そうだ。

 俺は。

 俺は親父に殺されかけたんだ。

 いや、殺されかけたんじゃなくて、殺されたんだ。

 そして俺は、生き残った。生き返った。

 あの状態から生き残れば、生き返ったといっても変わりないだろう。

「・・・・・・・・・・・・覚えてるんだね」

 ゆっくりと、うなずいた。

「何があったかわからないけど、ゼンは血まみれでセトさんに運ばれてきたんだよ。セトさんいつの間にかいなくなっちゃったなって思ってたら、死にかけのゼン連れてくるから。びっくりしたよ」

 セト?

 あいつが、俺を助けてくれたのか。

 何で俺を助けることができたのか謎だったが、あの異様さを思い出してあいつならどんなことでもやりかねそうだと思う。

「ゼンは傷は全くなかったんだけど、致死量ぎりぎりまで血を流しててね。結構危ない状態だったんだけど、カイさんたちががんばってくれて命に別状はないそうだよ。今のゼンは血が全然足りなくて貧血状態。体、あんまり動かないでしょ」

 言われて、気付いた。

 体が動かない。指などは軽く動かせるものの、腕を上げたり体を起こしたりすることは到底無理そうだ。しかも左腕になんか違和感があると思ったら、どうやら点滴されているらしい。 肘の内側辺りに少しの痛みがある。

「私はゼンに何があったか知らされてないけど、誰かに殺されかけたんでしょう?今AFOWではその報復に全力を注いでる。ゼンが動けるようになれば、きっと待望の初任務が命じられるでしょうね」

 誰かに殺されかけたと、どうしてわかったのだろう。

 そんなことを思っていると、扉の開く音がした。

「カズさん」

 レイが、扉のほうを見てつぶやいた。ベッドに寝ている俺からは見えないが、きっとカズが来たんだろう。

「ゼンが、起きました」

「おう、起きたかゼン」

 俺の視界に入ってきたのは、いつもと全く変わらない黒シャツ姿のカズだった。

「・・・・・・ああ」

 声は、かすれていた。

「体調はよろしくなさそうだな。言っとくがてめえはうちの大切な戦力なんだ。勝手に死ぬな」

 カズは銜えた煙草から煙を吐いた。その臭いが鼻に届いて気持ち悪い。

「カズさん、ここ医務室ですよ。煙草消したらどうですか?」

「うるせえよ」

 全く聞く耳持たず、またうまそうに煙を吐く。

「ゼン。今てめえを殺した輩を諜報班コレクターが追ってる。血ぃなくしてぶっ倒れてる場合じゃねえぞ。お前の初任務だ。お前の手で、報復しろ」

 報復。始まりの雨の日を思い出した。そういえばすべての始まりは報復だったんだっけ。

 あの報復が、俺の人生を百八十度変えた。

 報復。俺は親父を殺すのか?

「覚悟を決めることだな」

 カズの声が淡々と響く。

「今は揺れてるかもしれない。今は迷ってるかもしれない。でももう駄目だ。お前はAFOWの一員だ。COLORSになる、覚悟を決めろ」

 COLORS。親父も言ってた言葉。

 覚悟・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・・もう、わけわかんね・・・・・・・・・。

 俺は泣きたくなるのを必死にこらえて、きつく目を閉じた。

 もう、何もかもがどうでもいい気がした。



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