表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

触れないまま、君の温度だけ覚えてる

作者: 星恋
掲載日:2026/05/10

恋は、触れた瞬間に始まるものだと思っていた。

でも時々、それよりずっと前に“始まってしまっている関係”がある。


指先が触れるよりも前に、

声が重なるよりも前に、

ただ「そこにいる」という事実だけで、心が熱を覚えてしまう距離。


これは、触れなかったふたりの話。

それでも確かに、温度だけは残ってしまった恋の記録。

教室の窓は、夕方になると少しだけ世界を遠ざける。


外の音が薄くなって、校庭のざわめきも、遠くの笑い声も、全部ガラスの向こう側に押しやられていく。

その代わりに、教室の中だけが妙に鮮明になる。


オレンジ色の光が机の角に溜まって、誰かの影をゆっくり長く引き伸ばしていた。

その影は少しだけ揺れて、まるで時間そのものが形を持っているみたいだった。


「まだいるんだ」


彼女はいつも、そう言う。


それが挨拶なのか、ただの確認なのか、いまだに分からない。

でも、その声が聞こえるたびに、教室の温度が一度だけ変わる気がする。


私は返事の代わりに、ページをめくる。

紙の音が、やけに大きく響いた。


本当は、帰る理由がないだけだった。


家に帰っても、特別何かがあるわけじゃない。

けれどここにいる理由も、言葉にできないまま残っている。


彼女もたぶん同じだと、思っている。

思っているのに、そのことを確かめる言葉はどこにも置けない。


静けさの中で、シャーペンの芯が紙をかすめる音だけが落ちる。

一定のリズムでもないのに、その音だけがやけに規則正しく感じられた。


その日、彼女の手が机の端に寄った。


ほんの少し。

気づくかどうかの境目みたいな距離。


偶然だと思う。

そう思うのが一番正しいはずだった。


でも、その「ほんの少し」が視界に残る。

目を逸らしても、なかったことにはならない。

視線の奥に、小さな熱みたいに居座っている。


触れていない。

触れる理由もない。


それなのに、その間の空気だけが妙に濃い。

何も置かれていないはずの空間が、急に重さを持つ。


「寒くない?」


彼女が言う。


声はいつも通りなのに、その一言だけがやけに近く感じた。


「別に」


口ではそう言ったのに、指先だけが少しだけ冷えている気がした。

冷えているというより、温度の居場所を失ったみたいだった。


彼女は何も言い返さず、ノートに視線を戻す。

その横顔は、いつも通り静かで、何も特別じゃない。


なのに、目を離すのが少しだけ遅れる。

その「遅れ」に理由はないのに、確かにそこに残る。


ページをめくる音がやけに大きい。

紙と紙の擦れる音が、やけに遠くまで響く。

教室全体がその音だけを聞いているみたいだった。


数センチ。


ただそれだけの距離が、なぜか消えない。

近づくこともなく、遠ざかることもなく、ただそこに置かれている。


そのまま何も起きないまま、時間だけが進む。

何かが起きる気配だけが、ずっと消えないまま残っている。


チャイムが鳴った。


その音で、教室の輪郭が一度だけ現実に引き戻される。

それまで曖昧だった空気が、急にただの放課後になる。


彼女は立ち上がる前に、一度だけこちらを見る。


ほんの一瞬。

言葉になる前に終わる視線。


その一瞬の中に、何かがあった気がするのに、掴めない。

掴めないまま、胸の奥だけが遅れて反応する。


「また明日」


そう言って、彼女は教室を出ていく。


ドアが閉まる音は軽いのに、空気だけが少し重くなる。

残された教室は、さっきまでより静かになったはずなのに、なぜか音が増えたように感じた。


机の上のオレンジ色はもう薄れている。

それでも、その色がそこにあったことだけは残っている。


残された空気が少しだけ冷える。

でも、その冷たさの底に、まださっきまでの温度が沈んでいた。


触れていない。

何も始まっていない。


それなのに、時間のどこかが少しだけ変わってしまった気がする。


ページの端に指を置く。

そこにはもう誰もいないのに、さっきまでの距離だけがまだ残っている。


私はたぶんもう知っている。


彼女の温度を。

この話で描きたかったのは、「起きなかった出来事の記憶」です。


恋は、必ずしも触れ合いで完成しない。

むしろ触れなかった距離ほど、後から長く残ることがある。


数センチの沈黙。

言いかけてやめた言葉。

視線が外れた一秒。


そういう“何も起きていない時間”が、いちばん忘れられなかったりする。


もしこの物語に温度を感じたなら、

それはきっと、どこかで似た距離を知っているからかもしれない

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ