第64話:知の継承(オープンソース)
「……いいか、この一冊を書き写すのは大変だろうが、これこそがこの国を支える『設計図』になる。……間違えるなよ、インクの染み一つで橋が落ちると思え!」
パリの大学の一室。ルイは、自分が現代の知識を中世の技術で再現できるように翻訳した「技術指南書」を、数十人の写本生たちに配っていた。
それは、農業、土木、衛生、そして簡易的な力学までを網羅した、この時代における「百科事典」だった。
「ルイ、あなた、また寝てないでしょう。……その本、昨夜もずっと書き直していたわね」
私は、温かいスープを持って彼の机に近づいた。ルイの指先はペンだこで赤くなり、瞳には深い隈ができている。
高校の時、試験前日に「クラス全員が赤点を取らないための対策プリント」を徹夜で作っていた、あのお節介なまでの責任感。
「……ジャンヌ。……俺たちが帰った後、もし王様や貴族がこの知識を独占しようとしたら、また元通りだ。……だから、今のうちに『写本』を大量に作らせて、各地の教会や大学にばら撒くんだ。……現代の……いや、ネットの『オープンソース』と同じさ。誰でも見れるようにすれば、誰も独占できない」
ルイは、スープを一口啜り、熱さに顔を顰めながらも満足げに笑った。
「……これ、全部配るの? 国家機密になってもおかしくない知識ばかりよ」
「……当たり前だろ。……『一部の天才』じゃなくて、『みんなの常識』に落とし込む。……そうすれば、俺という軍師がいなくなっても、フランスは勝手に成長し続ける。……ほら、あそこの挿絵を見てみろ。文字が読めない農民でも、これを見れば効率的な耕し方がわかるように描いてある」
ルイが指差したページには、彼が記憶を頼りに描いた「深耕」や「輪作」の図解が、驚くほど正確に描かれていた。
「……ルイ。あなた、本当に一人でこの国の『未来』を底上げしようとして。……でも、おかげでみんな、自分の力で明日を良くできるって信じ始めているわ」
「……ああ。……奇跡を待つより、自分で計算して動く方が、みんな人生を楽しめるだろ?」
ルイは、書き上げたばかりの最終章を丁寧に閉じ、満足げに背筋を伸ばした。
歴史が用意した「暗黒時代の停滞」というシナリオを、二人の高校生は、知識という名の「OS(基本ソフト)の配布」によって、根底から書き換えようとしていた。
「……よし、これで『情報のバックアップ』は完了だ。……次は、俺たちが帰るための『物理的な回路』の構築に戻ろうぜ」
「……ふふっ。……プロデューサー、本運びも最後まで付き合うわ」
私たちは、インクの香りが漂う静かな書斎で、揺るぎない勝利への確信を深めていた。




