第61話:浄化の泉(サニテーション・レボリューション)
「……いいか、石鹸はケチるな! 手の甲も、指の間も、爪の先までだ。これをやらない奴は、今日の晩飯の肉を一切れ減らすぞ!」
パリの中心部、かつて悪臭が漂っていた路地に、ルイの号令が響き渡った。
彼は、街の職人たちに命じて、川の水を濾過して汲み上げる巨大な手洗い場を設置させていた。
「ルイ、みんな最初は不思議そうな顔をしていたけど。……でも、確かに最近、お腹を壊して倒れる兵士が目に見えて減ったわね」
私は、清潔な水が流れる木製の樋を見つめながら、感心して呟いた。
かつての軍勢は、敵に倒されるよりも、病気や「腐った水」で脱落する者の方が多かった。
「……ジャンヌ。目に見えない敵に負けるのが一番の損失なんだよ。現代の……いや、俺たちが学校でインフルエンザの流行を抑えるために、口酸っぱく『手洗い・うがい』って言われてたのと同じさ。あれ、当時は面倒だったけど、今思えば最強の防衛策だったんだな」
ルイは、自作の「灰と脂の石鹸」を手に、手本を見せるようにゴシゴシと手を洗った。
高校の時、理科室の掃除当番で「排水溝まで除菌しないと気が済まない」と豪語していた、あの極度の潔癖さが今、中世の衛生概念を根底から変えようとしている。
「……これ、街の人たちにも配るの? 石鹸なんて、貴族の持ち物だと思っていたわ」
「……当たり前だろ。一部の人間だけが綺麗になっても、病気は消えないんだ。……『街全体をアップデート』しなきゃ意味がない。……ほら、あそこの看板を見てみろ。文字が読めない奴のために、絵で洗い方を説明してある」
ルイが指差した先には、ユーモラスなイラストで手洗いの手順が描かれた木板が掲げられていた。
「……これで、パリから疫病の発生率を激減させる。……君がいなくなった後のフランスを、死の病から守る『免疫システム』を構築するんだ」
ルイの目は、石鹸の泡を見つめながらも、その先の「歴史の生存率」を見据えていた。
高校生の彼が、部活動の合宿で食中毒が出ないように、調理場を徹底的に消毒していた時のような、執念深いまでの「リスク管理」。
「……ルイ。あなた、本当に一人でこの国の『未来』を救おうとして。……でも、おかげで街の空気が、なんだか少しだけ、澄んできた気がするわ」
「……ああ。……不潔な絶望よりも、石鹸の匂いがする希望の方が、みんな戦う意欲が湧くだろ?」
ルイは、満足げに立ち上がり、濡れた手を振って乾かした。
歴史が用意した「病による軍の崩壊」というシナリオを、二人の高校生は、衛生という名の「科学の盾」によって、完全に打ち砕こうとしていた。
「……さあ、次は『下水道』の整備計画だ。……汚い歴史は、全部水に流してやろうぜ」
「……ふふっ。……プロデューサー、水仕事も手伝うわね」
私たちは、石鹸の香りが漂い始めたパリの街角で、新しい時代の到来を確信していた。




