第60話:教育改革(スキルトランスファー)
「……よし、今日はここまで。みんな、自分の書いた数字をもう一度確認しろ。一桁間違えただけで、村一つ分の小麦が消えると思えよ!」
パリの一角にある修道院の講堂。ルイの声が、黒板代わりの大きな石板の前で響いた。集まっているのは、軍の若手将校や、街の優秀な商人の見習いたちだ。
「ルイ、あなたって本当に教えるのが上手いわね。……あの子たち、最初はペンを持つのも怖がっていたのに」
私は、廊下から講堂の様子を覗き込んだ。石板には、ルイがチョーク(石灰の棒)で書いた「算術」と「複式簿記」の基礎がびっしりと並んでいる。
「……ジャンヌ。俺たちが帰った後、この国を支えるのは奇跡(予言)じゃない。……計算ができる人間と、正確な記録だ。現代の……いや、俺たちのいた学校でも、成績がいい奴じゃなくて、ちゃんとメモを取る奴が最後には勝ってただろ?」
ルイは、手に付いた白い粉を払いながら、私の隣に歩み寄った。高校の文化祭の時、後輩たちに「これさえ見れば誰でも設営できるマニュアル」を作って渡していた時と同じ、徹底した「標準化」の姿勢だ。
「……俺は今、あいつらに『効率』を教えてる。……神様に祈る前に、まず在庫を数えろ。……根性で戦う前に、まず風向きを計算しろ。……それが、俺がいなくなった後のフランスを守る『防壁』になるんだ」
ルイの目は、目の前の生徒たちではなく、もっと先の、自分たちがいない未来のフランスを見つめていた。
「……ルイ。あなた、本当に一人で全部背負い込もうとして。……でも、あの子たちの目が輝いているわ。……新しい『武器』を手に入れたみたいに」
「……武器だよ、これは。……しかも、折れないし錆びない、最強の武器だ」
ルイは、満足げに講堂の中を眺めた。
高校生の彼が、部活動の引継ぎ資料を分厚く作って、「これでもう俺がいなくても大丈夫だろ」と寂しそうに笑っていた、あの時の表情。
「……ジャンヌ。俺たちの『帰還』まで、あと一ヶ月。……それまでに、この国に『論理』という種を植え切ってやる。……そうすれば、君を魔女だなんて呼ぶ奴は、この国から一人もいなくなるはずだ」
ルイは、窓の外で夕陽に照らされるパリの街路を眺め、少しだけ誇らしげに鼻を鳴らした。
歴史が用意した「無知ゆえの悲劇」を、二人の高校生は、教育という名の「OS(基本ソフト)のアップデート」によって、根本から書き換えようとしていた。
「……さあ、次は『公衆衛生(手洗い)』の授業だ。……中世の病気も、知識で駆除してやろうぜ」
「……ふふっ。……先生、次の授業も手伝うわね」
私たちは、活気に満ちた講堂の中で、ようやく訪れた「平和の維持」を確信していた。




