第5話:二人の秘密基地
ドンレミ村の空気は、現代の日本とは比べものにならないほど重く、野性的だった。
石造りの粗末な家の壁。
家畜の鳴き声。
そして、遠くから聞こえてくる教会の鐘の音。
「……本当に、戻ってきちゃったんだな」
ルイが、自分の小さな掌を見つめながらぽつりと溢した。
私たちは今、村の外れにある大きな樫の木の根元に座っている。
大人たちの目を盗んで抜け出した、二人だけの「作戦会議室」だ。
「ルイ、体は平気? 刺されたところは……」
「ああ、全然。傷跡ひとつないよ。不思議なもんだけど、あの時の痛みだけは、まだ脳裏にこびりついてるけどさ」
ルイは苦笑いしながら、自分の腹部をさすった。
現代の路地裏で流した、あの熱い血。
あれが現実だったのか、それとも今この泥にまみれた姿が夢なのか。
けれど、私たちの頭の中には、はっきりと「16年間の現代の記憶」が残っている。
水道、電気、インターネット。
そして、教科書で読んだ「ジャンヌ・ダルク」という聖女の悲劇的な結末。
「ねえ、ルイ。今の私たちは、たぶん七歳か八歳くらいだと思う」
「歴史の教科書通りなら、君が『神の声』を聞くのは13歳くらいだっけ?」
「ええ。でも、もう神様の声なんて待っていられない」
私は地面に落ちていた枝を拾い、泥の上に線を描いた。
「五年。あと五年の間に、私たちは準備をしなきゃいけない。村が焼かれ、私が戦場へ駆り出されるその時までに、誰にも負けない力をつけるの」
私の言葉に、ルイの目が鋭くなった。
現代での彼は、優しくて少し頼りない幼馴染だった。
けれど今の彼の瞳には、一度死を経験した者特有の、冷徹な決意が宿っている。
「……わかってる。俺は現代で、君を守れなかった。ナイフ一本持ったチンピラに、無様に刺されてさ」
ルイは地面を強く握りしめた。
小さな拳に、泥が食い込む。
「でも、次は違う。この時代には、重力や筋肉の動かし方を理論的に教える場所なんてない。でも、俺は知ってる。効率的な体の動かし方も、致命傷を避ける術も」
「ルイ……」
「樹里……いや、ジャンヌ。俺は、この時代のどんな騎士よりも強くなる。君が旗を振るなら、俺はその前を走る一番の剣になるよ」
その言葉は、頼もしかった。
一度目の人生での私は、常に孤独だった。
神の声を信じ、一人で突き進むしかなかった。
けれど今は、背中を預けられるパートナーがいる。
「ありがとう、ルイ。私も、ただ守られるだけじゃない。現代の知識……衛生管理や戦術、交渉の仕方を思い出して、この国の未来を書き換える」
私たちは、小さな手を重ね合わせた。
泥だらけの、子供の手。
けれどその内側には、数百年の時を超えた知恵と、命をかけた誓いが刻まれている。
「まずは、体力作りからだね。この時代の子供は栄養状態が悪いから」
「そうだな。効率よくタンパク質を摂る方法、考えないと」
ルイが少しだけ、現代の男子高校生らしい顔に戻って笑った。
ドンレミ村の静かな夕暮れ。
黄金色に染まる麦畑の向こうで、運命の歯車が、史実とは違う音を立てて回り始めた。




