第32話:チェックメイトの残響
「……落ちた。本当に、落ちたぞ……!」
デュノワの震える声が、夕暮れの戦場に響いた。
フランス軍が数ヶ月かけても指一本触れられなかった「トゥーレル砦」の最上階に、今、百合の紋章が描かれた白い旗が翻っている。
「……やった。……やったんだ、ジャンヌ!」
ルイが馬から転げ落ちるように降りて、私に駆け寄ってきた。
彼の顔は煤と汗でドロドロだったが、その瞳は期末テストで満点を取った時のような(取ったことはないけれど、きっとそんな顔だろう)達成感に満ち溢れていた。
「ルイ……! あなたの計算通りだったわ」
私は城壁を降り、彼の手を強く握った。
鎧越しでも伝わってくる、ルイの震え。
冷徹な軍師のふりをしていたけれど、やっぱり彼は、ただの、本当にただの高校生なのだ。
「……怖かった。マジで怖かった……。矢が飛んでくるたびに、物理の……空気抵抗の計算とかして、当たらないって自分に言い聞かせてたけど……心臓止まるかと思った」
ルイが地面にへたり込み、情けない声を漏らして笑った。
その姿を見て、周囲の屈強な兵士たちも、つられたように笑い声を上げた。
神がかり的な奇跡ではなく、一人の少年の「理屈」と「勇気」が、絶望を打ち破ったのだ。
けれど、戦いはまだ終わっていない。
砦を失ったイギリス軍の主力は、まだ川の向こう側で息を潜めている。
「……ジャンヌ、休んでる暇はないよ。敵はまだ『負け』を認めたわけじゃない」
ルイがフラフラと立ち上がり、乱れた息を整えながら言った。
「今のうちに、イギリス軍の司令官……タルボットに『最後通告』を出すんだ。……現代の心理戦……あ、いや、一番効果的な『脅し』をさ」
「脅し……? 降伏を勧告するのね」
「そう。でも、ただ『降伏しろ』じゃダメだ。……『俺たちは、お前たちが想像もできない方法で、次の砦も同じようにブチ壊す。抵抗しても無駄だ』って、論理的に絶望させるんだよ」
ルイは、懐からクシャクシャになった羊皮紙を取り出した。
そこには、イギリス軍の残りの陣地を、どの角度から、どのくらいの「力」で壊せるか、緻密な……あるいはハッタリに近い計算式が並んでいた。
「……恐怖が極限に達した時、人は一番合理的な判断を誤る。……でも、追い詰められた奴らに『逃げ道』だけ見せてやれば、あいつらは自分から撤退していくはずだ」
ルイの瞳には、再び「知略」の光が宿った。
高校生の彼が、ネットのゲームや動画で学んだ「相手を動かす方法」。
「……分かったわ。ルイ。あなたの言葉を、私が届ける」
私は再び軍旗を手に取り、夕陽に染まるオルレアンの原野へと向き直った。
翌朝。
イギリス軍は、昨日までの猛攻が嘘のように、静かに包囲を解いて撤退を始めた。
戦わずして勝つ。
現代の戦略理論が、中世の戦場に「無血の勝利」という最大の奇跡をもたらした瞬間だった。
オルレアンの街中に、歓喜の鐘が鳴り響く。
けれど、ルイと私は、ただ静かに、冷たくなったスープを分け合って飲んでいた。
「……不味いな。現代のカップラーメンが恋しいよ」
「……ふふ、そうね」
二人の高校生の、本当の戦いは、ここから始まる。




