第22話:シノンへの強行軍
「……おい、ガキども。本当にこの道を行くのか?」
護衛の兵士の一人が、馬を止めて毒づいた。
目の前に広がるのは、道とは名ばかりの急斜面と、深く生い茂った湿地帯だ。
通常の行軍ルートを大きく外れた、獣道ですらない場所。
「不満があるならヴォークルールへ帰れ。ただし、一刻も早く王太子に謁見したいなら、俺の計算に従ってもらう」
ルイは馬上で、自作のコンパス――磁石の針を水に浮かべた粗末なものだが、精度は十分だ――を確認しながら冷淡に言い放った。
「現代の軍事理論で言えば、敵が待ち伏せ(アンブッシュ)を仕掛けるのは街道の要所だ。逆に言えば、誰も通らないこんなクソみたいな泥沼こそが、最高の安全圏なんだよ」
ルイの口から漏れる「現代」の単語。
兵士たちは意味を理解できないながらも、彼の纏う圧倒的な「統率者」の空気に圧され、渋々従った。
私たちは、一日のうち十六時間を移動に費やした。
食事は馬上で摂り、睡眠は交代で数時間。
現代の強行軍の知識に基づいた、肉体の限界を科学的に管理するスケジュールだ。
「……ジャンヌ。糖分が足りてない。これ、食べとけ」
ルイが差し出してきたのは、ナッツと干し肉を蜂蜜で固めたものだった。
現代の行動食を再現しようとした、彼なりの工夫だ。
「ありがとう、ルイ。……でも、あなたこそ休んで。ずっと先頭で、神経を研ぎ澄ませているじゃない」
「……俺はいいんだ。現代で一度死んだ時に、眠るのには飽きたからな」
ルイは自嘲気味に笑ったが、その瞳には鋭い光が宿り続けていた。
彼は知っているのだ。
史実では、私がシノンに着くまでに数々の暗殺の危機があったことを。
その全てを、彼は事前に「回避」しようとしていた。
三日目の夜。
私たちはロワール川の支流に辿り着いた。
本来なら渡河地点を探して数日を費やす場所だ。
「……ルイ、橋がないわ」
「橋なんていらない。この時期の推移と流速なら、あそこの中州を経由すれば馬でも渡れる。……俺が計算した通りだ」
ルイは迷わず川へ馬を乗り入れた。
現代の物理学と、ヴォークルールで仕入れた地形データ。
それらが組み合わさり、中世の常識では「不可能な進軍」を可能にしていた。
「……信じられん。本当に、五日でシノンに着くつもりか」
護衛兵たちが、呆然と呟いた。
彼らにとって、私たちはもはや「ただの子供」ではなく、何かに取り憑かれた「異能の存在」に見え始めていた。
四日目の夜明け。
霧の向こうに、巨大な岩山の上に聳え立つシノン城のシルエットが浮かび上がった。
「……着いたわね、ルイ」
「ああ。……ここからが本番だ、ジャンヌ」
ルイは剣の柄を強く握り直した。
城門の前で、私たちは数人の騎士に道を塞がれた。
「王太子への拝謁を願う、ドンレミの村娘だ」と告げる。
「……ふん、またか。王太子殿下はお忙しい。村娘に構っている暇など――」
「――ロベール・ド・ボードリクールの紹介状と、この『戦術提案書』を。……一刻を争う。オルレアンが落ちれば、フランスは終わるぞ」
ルイが、疲れを微塵も見せない鋭い眼光で、騎士の言葉を遮った。
その圧倒的な圧力に、騎士は思わず言葉を呑み込み、差し出された羊皮紙を受け取った。
歴史の時計が、激しく加速し始める。
祈るだけの少女と、守られるだけの少年。
そんな二人の姿は、もうどこにもなかった。




