第17話:歴史の残滓(ざんし)
野盗を制圧し、村の防備を固め始めた数日後のことだ。
私は、村の北側に広がる緩やかな丘の上に立っていた。
ここは、一度目の人生で私が「声」を聞いた場所だ。
かつての私は、ここで膝をつき、天からの光に目を細めていた。
けれど今の私は、泥のついた作業着をまとい、腰には実戦用の細身の剣を帯びている。
「……どうした? 聖女様、またお告げか?」
背後から、軽やかな足取りでルイが近づいてきた。
彼の手には、現代の測量技術を模して作った、水平を測るための水入りの瓶が握られている。
「お告げじゃないわ。……ただ、ここに来ると、少しだけ胸がざわつくの」
私は、眼下に広がるドンレミ村を見下ろした。
かつての藁ぶき屋根の家々は、ルイの指導によって防火用の泥を塗られ、村の周囲には捕虜たちに掘らせた深い空堀ができつつある。
中世の農村としては、あまりに異質な、要塞のような外観。
「歴史が変わっていく音が聞こえるわ。……ルイ、私たちは本当に、これでいいのかしら」
「……いいに決まってるだろ。歴史をそのままにするってことは、君がまた火刑台に登るってことだ。そんなの、俺が許さない」
ルイは瓶を地面に置き、私の隣に並んで立った。
十三歳の彼の横顔は、夕陽に照らされて、どこか大人びた陰を落としている。
「……ねえ、ルイ。時々、現代の夢を見るの」
「……夢?」
「ええ。学校の帰り道、あなたがアイスを奢ってくれて、二人で笑いながら歩いている夢。……目が覚めると、ここには土の匂いと、鉄の重さしかない」
私の言葉に、ルイの指先が微かに震えた。
彼は何も言わず、ただじっと、遠くの地平線を見つめていた。
「……俺も、見るよ。……自販機のコーラの冷たさとか、深夜のコンビニの明るさとか。……ここには、そんな贅沢は何一つない。あるのは、明日生き残れるかどうかの泥臭い現実だけだ」
ルイは、自分の胸元を強く握りしめた。
「でも、樹里。……俺は、あの現代での十六年間を『夢』だとは思ってない。あれは、俺たちが手に入れなきゃいけない『目標』なんだ」
「目標……?」
「ああ。この中世という地獄を、いつかあんな平和な世界に繋げるための、長い長い戦い。……君を殺させない。フランスを滅びさせない。その先にしか、俺たちの望む『未来』はないんだよ」
ルイの瞳には、現代の科学者のような冷静さと、中世の騎士のような熱い情熱が同居していた。
「……そうね。泣き言を言っている暇はないわ」
私は頬を叩き、自分に気合を入れた。
史実では、もうすぐロベール・ド・ボードリクールという騎士に会いに行く時期が来る。
シノンへ向かうための、最初の関門だ。
「ルイ。準備を始めましょう。……村を守るだけじゃ、歴史は変えられない。私たちは、ここを出なきゃいけないの」
「……わかってる。そのための『贈り物』も、もう用意してあるよ」
ルイが不敵に笑った。
彼は、村の捕虜たちから聞き出した情報をもとに、近隣の勢力図を現代の「戦略マップ」のように頭の中に描き出していた。
神の奇跡ではなく、圧倒的な知略と武力。
それを持って、私たちは歴史の表舞台へと躍り出る。
ドンレミ村の穏やかな夕暮れ。
それが、私たちの「日常」としての最後の光になることを、二人はまだ言葉にはしなかった。




