第8話 ライラが連れてきたのは、なかなか厄介な案件だった
-おじさんの薬草屋スローライフ-
その日の朝、ライラは一人で来なかった。
暖簾をくぐってきたライラの後ろに、もう一人いた。
大柄な獣人の男だ。
熊系だろうか、茶色い耳と、背中まである分厚い体躯。
年齢は三十代くらいに見えるが、顔色が悪い。
いや、顔色が悪いというより——身体全体から覇気が消えている、という感じだ。
「ガルド、頼みがある」
ライラの声がいつもより低かった。
「どうぞ」
「こいつはルーカス。一緒に冒険者をやってた仲間だ。最近、様子がおかしくて」
ルーカスはライラの後ろで、どこか焦点の合わない目をしていた。
立っているだけで精一杯という雰囲気だ。
「座ってください」
ガルドは奥の椅子を引いた。
ルーカスは黙って座った。
近くで見ると、顔の血色が悪いというより、土気色に近い。
目の下の隈が深い。呼吸は浅い。
「いつからですか」
「二週間くらい前から」とライラが答えた。
「最初は疲れてるだけかと思ったんだが、だんだん飯も食えなくなって、眠れなくなって、今じゃ依頼にも出られない状態だ」
「医者には」
「行った。異常なしと言われた」
「ギルドの治癒魔法使いには」
「行った。魔力的な異常もないと言われた。呪いでも毒でもないと」とライラは眉間に皺を寄せた。
「でも明らかにおかしい。こいつは元々、俺より体力があるくらいの男だったんだ」
ガルドはルーカスの前にしゃがんだ。
「少し触れてもいいですか」
ルーカスは無言で頷いた。
手首を取った。
脈を診る。
規則的だが、弱い。
掌が冷たい。
次に首筋に触れた。
リンパの具合を確かめる。
腫れはない。
目を見た。
瞳孔は普通だ。
一通り確かめてから、ガルドは立ち上がった。
「何かわかったか」とライラが身を乗り出した。
「わかりません」
「わからないのか」
「医者でも治癒魔法使いでも異常なしと言われたなら、俺にわかることは少ないです」とガルドは正直に言った。
「ただ——」
「ただ?」
「生命力が、全体的に落ちている気がします。病気とか怪我とか、そういう具体的な原因ではなく、根っこのところが弱っているような」
ライラはルーカスを見た。
ルーカスは黙っていた。
「心当たりはありますか」とガルドはルーカスに聞いた。
しばらく間があった。
「……一月前に」とルーカスは低い声で言った。
「仲間が死にました」
ガルドは黙って聞いた。
「俺のミスで。庇えたはずだったのに、間に合わなかった。それから——うまく眠れなくて、飯の味もしなくて」
なるほど、とガルドは思った。
医者が異常なしと言うのは正しい。
治癒魔法使いが異常なしと言うのも正しい。
身体に問題があるのではなく、心が身体を削っているのだ。
この世界にそういう概念があるかどうかはわからないが、前世の知識で言えば——ひどく消耗した状態だ。
「薬で治るものではないかもしれません」とガルドは言った。
ライラが少し顔を曇らせた。
「でも」とガルドは続けた。
「少し楽になる程度のことは、できるかもしれない」
---
ガルドは調合台に向かった。
何を作るべきか、少し考えた。
傷薬でも回復薬でもない。
身体ではなく、根っこのところに働きかけるもの。
前世の知識と、この世界の五十二年分の経験を、頭の中で混ぜ合わせた。
カモミール。
緊張を和らげる。
ラベンダー。
眠りを助ける。
セントジョーンズワート。
気持ちの落ち込みに。
それからもう一つ——この世界にしかない薬草で、感情の波を穏やかにする効果があると言われているもの。
前世の田中誠はこの薬草を知らなかった。
でもガルド・ライナスは五十二年間、この薬草と付き合ってきた。
丁寧に刻む。丁寧に混ぜる。いつもより時間をかけた。
念じた。
楽になってくれ、とか、効いてくれ、とか、そういう言葉ではなかった。
今日は——ただ、眠れるようになってくれ、と念じた。
飯の味がわかるようになってくれ、と。
朝が来ても、もう少しだけ生きようと思えるようになってくれ、と。
指先が温かくなった。光ったかどうかは確認しなかった。
「これを毎晩、眠る前に飲んでください」とガルドはルーカスに渡した。
「七日分あります」
「……いくらですか」
「後で結構です」
「後でって」
「七日後に効き具合を教えに来てください。その時に払ってもらえれば」
ルーカスはしばらく薬草の包みを見ていた。
それから、掠れた声で言った。
「治りますか」
ガルドは少し考えてから、正直に答えた。
「治るかどうかはわかりません。でも——少し眠れるようになれば、飯が食えるようになります。飯が食えるようになれば、少し考えられるようになります。一気には無理でも、一段ずつなら上がれます」
ルーカスは黙っていた。
「仲間を亡くしたことは、薬草では解決しません」とガルドは言った。
「でも身体が動くようになれば、向き合う力が少し戻ってきます。順番の問題です」
長い沈黙があった。
ルーカスがゆっくりと頷いた。
---
二人が帰り際、ライラが扉のところで振り返った。
「ガルド」
「はい」
「ありがとな」
「まだ何もしていませんよ」
「そうじゃなくて」とライラは少し困った顔をした。
珍しい顔だ。
いつも迷いなく話すライラが、言葉を探している。
「こいつに、ちゃんと向き合ってくれたから」
「薬草屋ですから」
「医者も治癒魔法使いも、異常なしで終わりだったんだ」とライラは言った。
「あんたは最後まで話を聞いてくれた」
ガルドは何も答えなかった。
話を聞くのは、別に特別なことではない。
前世でも、会社でも、誰かが話していれば黙って聞いていた。
それだけのことだ。
「また来ます」とライラは言った。
「ルーカスの具合を確認しに」
「七日後に来てくれれば」
「それより前にも来る」
「薬草を買いに来るなら——」
「椅子を借りに来る」
ライラはにやっと笑って、ルーカスを連れて出ていった。
灰色の尻尾が暖簾を揺らした。
ガルドは一人になった店の中で、小さくため息をついた。
椅子を借りに来る、というのはどういう意味なのか。
あの椅子は別にライラのものではない。
でも止める気にもならなかった。
「神様」
調合台を片付けながら呟いた。
「今日は少し、難しい仕事でした」
返事はなかった。
「身体じゃなくて、心が弱っている人間に、薬草でできることは限られています。でも——何もしないよりはいいと思うので」
返事はなかった。
「こういう時、もう少し気の利いた言葉が言えれば、とは思いますが。俺は昔から口下手なので」
返事はなかった。
「前世でも、この世界でも、変わらないですね」
ガルドは窓の外を見た。
夕暮れの空が、王都の屋根の向こうに広がっている。
どこかで夕飯の匂いがした。
今日は豆スープをやめて、肉でも買って帰ろうか、と思った。
たまには違うものを食べてもいい。
それくらいの気持ちの変化は、五十二年越しの転生者にも、あっていいはずだ。
薬草の青い香りが、夕暮れの空気に静かに溶けていった。
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