表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/14

第8話 ライラが連れてきたのは、なかなか厄介な案件だった

-おじさんの薬草屋スローライフ-

 その日の朝、ライラは一人で来なかった。

 暖簾をくぐってきたライラの後ろに、もう一人いた。

 大柄な獣人の男だ。

 熊系だろうか、茶色い耳と、背中まである分厚い体躯。


 年齢は三十代くらいに見えるが、顔色が悪い。

 いや、顔色が悪いというより——身体全体から覇気が消えている、という感じだ。


「ガルド、頼みがある」

 ライラの声がいつもより低かった。


「どうぞ」

「こいつはルーカス。一緒に冒険者をやってた仲間だ。最近、様子がおかしくて」


 ルーカスはライラの後ろで、どこか焦点の合わない目をしていた。

 立っているだけで精一杯という雰囲気だ。


「座ってください」


 ガルドは奥の椅子を引いた。

 ルーカスは黙って座った。

 近くで見ると、顔の血色が悪いというより、土気色に近い。

 目の下の隈が深い。呼吸は浅い。


「いつからですか」


「二週間くらい前から」とライラが答えた。

「最初は疲れてるだけかと思ったんだが、だんだん飯も食えなくなって、眠れなくなって、今じゃ依頼にも出られない状態だ」


「医者には」

「行った。異常なしと言われた」


「ギルドの治癒魔法使いには」

「行った。魔力的な異常もないと言われた。呪いでも毒でもないと」とライラは眉間に皺を寄せた。


「でも明らかにおかしい。こいつは元々、俺より体力があるくらいの男だったんだ」


 ガルドはルーカスの前にしゃがんだ。

「少し触れてもいいですか」


 ルーカスは無言で頷いた。

 手首を取った。

 脈を診る。

 規則的だが、弱い。


 掌が冷たい。

 次に首筋に触れた。

 リンパの具合を確かめる。

 腫れはない。


 目を見た。

 瞳孔は普通だ。

 一通り確かめてから、ガルドは立ち上がった。


「何かわかったか」とライラが身を乗り出した。

「わかりません」

「わからないのか」


「医者でも治癒魔法使いでも異常なしと言われたなら、俺にわかることは少ないです」とガルドは正直に言った。

「ただ——」


「ただ?」

「生命力が、全体的に落ちている気がします。病気とか怪我とか、そういう具体的な原因ではなく、根っこのところが弱っているような」


 ライラはルーカスを見た。

 ルーカスは黙っていた。


「心当たりはありますか」とガルドはルーカスに聞いた。


 しばらく間があった。


「……一月前に」とルーカスは低い声で言った。

「仲間が死にました」


 ガルドは黙って聞いた。

「俺のミスで。庇えたはずだったのに、間に合わなかった。それから——うまく眠れなくて、飯の味もしなくて」


 なるほど、とガルドは思った。

 医者が異常なしと言うのは正しい。

 治癒魔法使いが異常なしと言うのも正しい。

 身体に問題があるのではなく、心が身体を削っているのだ。


 この世界にそういう概念があるかどうかはわからないが、前世の知識で言えば——ひどく消耗した状態だ。


「薬で治るものではないかもしれません」とガルドは言った。


 ライラが少し顔を曇らせた。

「でも」とガルドは続けた。

「少し楽になる程度のことは、できるかもしれない」


 ---


 ガルドは調合台に向かった。

 何を作るべきか、少し考えた。

 傷薬でも回復薬でもない。

 身体ではなく、根っこのところに働きかけるもの。


 前世の知識と、この世界の五十二年分の経験を、頭の中で混ぜ合わせた。


 カモミール。

 緊張を和らげる。

 ラベンダー。

 眠りを助ける。

 セントジョーンズワート。

 気持ちの落ち込みに。


 それからもう一つ——この世界にしかない薬草で、感情の波を穏やかにする効果があると言われているもの。

 前世の田中誠はこの薬草を知らなかった。

 でもガルド・ライナスは五十二年間、この薬草と付き合ってきた。


 丁寧に刻む。丁寧に混ぜる。いつもより時間をかけた。

 念じた。

 楽になってくれ、とか、効いてくれ、とか、そういう言葉ではなかった。

 今日は——ただ、眠れるようになってくれ、と念じた。


 飯の味がわかるようになってくれ、と。

 朝が来ても、もう少しだけ生きようと思えるようになってくれ、と。

 指先が温かくなった。光ったかどうかは確認しなかった。


「これを毎晩、眠る前に飲んでください」とガルドはルーカスに渡した。

「七日分あります」


「……いくらですか」

「後で結構です」

「後でって」

「七日後に効き具合を教えに来てください。その時に払ってもらえれば」


 ルーカスはしばらく薬草の包みを見ていた。

 それから、掠れた声で言った。

「治りますか」


 ガルドは少し考えてから、正直に答えた。

「治るかどうかはわかりません。でも——少し眠れるようになれば、飯が食えるようになります。飯が食えるようになれば、少し考えられるようになります。一気には無理でも、一段ずつなら上がれます」


 ルーカスは黙っていた。


「仲間を亡くしたことは、薬草では解決しません」とガルドは言った。

「でも身体が動くようになれば、向き合う力が少し戻ってきます。順番の問題です」


 長い沈黙があった。

 ルーカスがゆっくりと頷いた。


 ---


 二人が帰り際、ライラが扉のところで振り返った。


「ガルド」

「はい」

「ありがとな」

「まだ何もしていませんよ」


「そうじゃなくて」とライラは少し困った顔をした。

 珍しい顔だ。

 いつも迷いなく話すライラが、言葉を探している。


「こいつに、ちゃんと向き合ってくれたから」

「薬草屋ですから」


「医者も治癒魔法使いも、異常なしで終わりだったんだ」とライラは言った。

「あんたは最後まで話を聞いてくれた」


 ガルドは何も答えなかった。

 話を聞くのは、別に特別なことではない。

 前世でも、会社でも、誰かが話していれば黙って聞いていた。

 それだけのことだ。


「また来ます」とライラは言った。

「ルーカスの具合を確認しに」


「七日後に来てくれれば」

「それより前にも来る」

「薬草を買いに来るなら——」

「椅子を借りに来る」


 ライラはにやっと笑って、ルーカスを連れて出ていった。

 灰色の尻尾が暖簾を揺らした。

 ガルドは一人になった店の中で、小さくため息をついた。

 椅子を借りに来る、というのはどういう意味なのか。


 あの椅子は別にライラのものではない。

 でも止める気にもならなかった。


「神様」


 調合台を片付けながら呟いた。


「今日は少し、難しい仕事でした」


 返事はなかった。


「身体じゃなくて、心が弱っている人間に、薬草でできることは限られています。でも——何もしないよりはいいと思うので」


 返事はなかった。


「こういう時、もう少し気の利いた言葉が言えれば、とは思いますが。俺は昔から口下手なので」


 返事はなかった。


「前世でも、この世界でも、変わらないですね」


 ガルドは窓の外を見た。

 夕暮れの空が、王都の屋根の向こうに広がっている。


 どこかで夕飯の匂いがした。

 今日は豆スープをやめて、肉でも買って帰ろうか、と思った。

 たまには違うものを食べてもいい。

 それくらいの気持ちの変化は、五十二年越しの転生者にも、あっていいはずだ。


 薬草の青い香りが、夕暮れの空気に静かに溶けていった。



最後までお読みいただき、ありがとうございます!

続きが気になった方は、ぜひ「ブックマーク登録」をお願いします!

皆様の評価や感想が、次のエピソードを届ける原動力です。


カクヨムでも連載中のものになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ