第4話 評判というのは、足が早い
-おじさんの薬草屋スローライフ-
三日後の朝、ガルドは異変に気づいた。
店の前に、見慣れない顔が並んでいた。
いつもなら朝一番の客はマーサだけだ。
多くても二、三人が時間をずらしてやってくる程度の、こじんまりとした店だ。
それが今朝は、扉を開ける前からすでに四人が待っていた。
しかも全員、ガルドが見たことのない顔だ。
「開いてますか」
「……今開けます」
扉を開けながら、ガルドは内心首を傾げた。
何かあったか。
今日は祭りでも市でもない。
普通の朝だ。
最初の客は中年の男で、膝の痛みに効く薬草を求めてきた。
どこで聞きましたか、と尋ねると「宿屋のおかみに」と言った。
二番目は若い女性で、夫の傷の治りが遅くて、と言った。
どこで聞いたか尋ねると「市場で噂を」と言った。
三番目は老人で、娘の体調が優れないと言った。
どこで、と尋ねると「冒険者ギルドの掲示板に誰かが書いていた」と言った。
「冒険者ギルドの掲示板に」
「ええ。王都外れの薬草屋が最近やたら効くと。名前がガルドだと」
ガルドは調合しながら、こめかみを押さえたくなった。
誰だ書いたのは。心当たりが多すぎて絞れない。
あの旅人の冒険者か、それとも別の誰かか。
とにかくマーサが余計なことを言いふらしたのが発端なのは間違いなかった。
「効くかどうかはわかりませんよ」とガルドは言った。
「ただの薬草屋です」
「でも評判が——」
「飲んでみて効かなかったら返金します。それだけです」
客は少し拍子抜けした顔をしたが、薬草を受け取って帰っていった。
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昼過ぎになっても客足は途切れなかった。
いつもの三倍は来た。
ガルドは昼飯を食いそびれた。
胃がぐうと鳴った。
五十二歳の身体は、こういう時に正直に抗議してくる。
「忙しそうだね」
暖簾をくぐってきたのは、向かいの宿屋の息子トーマスだった。
十七歳、背だけは一人前に高い、やんちゃな少年だ。
暇さえあればガルドの店に顔を出しては、どうでもいい話をして帰っていく。
「トーマス、今日は買い物か」
「いや、見物。すごい人だったから何事かと思って。ガルドさん、有名人じゃないですか」
「迷惑だ」
「えー、商売繁盛じゃないですか。喜べばいいのに」
トーマスは楽しそうにガルドの手元を眺めた。
ガルドが薬草を刻む手を止めずに答える。
「有名になりたいわけじゃない。いつも通りの客に、いつも通りの薬草を売れればそれでいい」
「地味ー」
「地味でいいんだ」
前世でも裏方が好きだった。
営業より事務、表舞台より舞台裏。
田中誠もガルド・ライナスも、その点だけは一致していた。
目立つのは性に合わない。
「でもさ、ガルドさん」とトーマスが少し真剣な顔をした。
「うちの宿の客がさ、ここで買った傷薬が効きすぎてびっくりしたって言ってたよ。三日で治ると言われた傷が、翌日にはほぼ塞がってたって」
ガルドは手を止めた。
「……翌日に」
「そう。その人、かなり驚いてたよ。なんか特別なもん入れてるんですかって俺に聞いてきた。俺が知るわけないけど」
「何も入れていない」
「だよねえ」
トーマスは首を傾げながら帰っていった。
ガルドは調合台の前で、静かに自分の手のひらを見た。
翌日に塞がった。三日と言ったのに、翌日に。
「……やりすぎたか」
呟いた。
効いてくれと念じた。
治ってくれと念じた。
それだけだ。
加減など知らない。
そもそも何をしているのか自分でもわかっていない。
「困ったな」
本当に困った顔で、ガルドはため息をついた。
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夕方、もう客も落ち着いた頃に、一人の女性が入ってきた。
四十代くらいだろうか。
きりりとした顔立ちで、薬師の白衣を纏っている。
手には革の鞄、腰には薬草入れのポーチ。
一目で同業者とわかる雰囲気だった。
「ガルドさんですか」
「そうですが」
「ベアトリスといいます。王都二丁目で薬師をしています」
聞いたことのある名前だった。
王都でも腕利きと評判の薬師だ。
ガルドより少し年下で、時々薬草の仕入れ先が被ることがある。
直接会うのは初めてだった。
「噂は聞いています。腕のいい方だと」
「こちらこそ」とベアトリスは言った。
単刀直入な雰囲気の人だ、とガルドは思った。
世間話を好まない目をしている。
「少し聞いてもいいですか。最近、何かしましたか」
「何も」
「調合を変えた?」
「変えていません」
「材料の仕入れ先を変えた?」
「変えていません」
ベアトリスは細い目でガルドをじっと見た。
薬師としての目だ。
患者の嘘を見抜く時の目だ。
「実はですね」と彼女は続けた。
「あなたの薬草を入手して、成分を分析してみたんです。失礼とは思ったんですが、気になってしまって」
「……それは構いませんが、何かわかりましたか」
「成分は普通でした。特別な材料も、珍しい配合も何もない。でも効果が明らかに違う」
ベアトリスは鞄から小さなメモを取り出した。
「こういう現象、理論上は一つしか心当たりがないんですよ。魔力付与——薬草に使い手の魔力を込める技術です。ただ」
「魔力なしの判定を受けています、俺は」とガルドは言った。
「十歳の時に」
「そうなんですよね。だから不思議で」ベアトリスは首を傾げた。
「魔力なしと判定された人間が、魔力付与に近い現象を起こすことは、理論上はあり得ないんです。でも——あなたの薬草には、確かに何かが宿っている」
ガルドは何も言わなかった。
「一つ仮説があります」とベアトリスは続けた。
「魔力なしでも、ごく稀に別の形で力が出ることがある——という文献を、昔読んだことがあるんです。魔力として外に出るのではなく、特定の行為に染み込んでいく、みたいな話で。五十二年間、薬草を扱い続けた人間の手には、何かが宿るのかもしれない」
ガルドはしばらく黙っていた。
「俺には、よくわかりません」と正直に言った。
「自分でも何をしているのかわからない」
ベアトリスは少し目を丸くした。
それから、ふっと表情を緩めた。
「正直な人ですね」
「嘘をついても仕方がないので」
「興味深い」とベアトリスは立ち上がった。
「また来てもいいですか。研究させてもらいたい」
「構いませんが、俺に説明できることは何もないと思いますよ」
「それでいいんです。わからないことを一緒にわからないまま考えるのが、研究というものですから」
ベアトリスは帰り際に振り返って、さらりと言った。
「今更でも、遅くないと思いますよ。五十二年分の積み重ねは、若い魔法使いには絶対に真似できないものですから」
ガルドは何も答えなかった。
でもその言葉は、店に一人残ってからも、しばらく頭の中で静かに鳴り続けていた。
夜の調合台に向かいながら、ガルドは独り言を言った。
「神様。俺の才能の芽に気づいた人間が現れましたよ。本人より他人の方が先に気づくって、どういうことですか」
返事はなかった。
「まあ、そうですよね」
薬草の青い香りだけが、静かに答えた。
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