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第14話 ベアトリスが、少し興奮した顔で来た

-おじさんの薬草屋スローライフ-

 ベアトリスが店に来たのは、森から戻った翌々日だった。

 いつもは落ち着いた雰囲気で入ってくるのに、今日は少し違った。


 足音が早い。扉を開ける時に少し勢いがあった。

 顔は普段通り冷静に見えるが、目の奥が違う。

 何かを見つけた時の目だ。


「少しいいですか」

「どうぞ」


 ベアトリスは鞄から革の本を取り出した。

 この間持ってきた古い文献とは別の、もっと古そうな本だ。

 表紙が擦り切れていて、文字が掠れている。


「昨日、王都の古書店で見つけたんです」とベアトリスは言った。

「緑手についての記録が、さっきの文献より詳しく載っていて」


「そうですか」

「読んでいいですか、ここで」

「どうぞ」


 ベアトリスはカウンターに本を広げた。

 ガルドは調合の手を止めて、隣に並んだ。


 古い言葉で書かれていたが、ベアトリスが読み解きながら説明してくれた。

 緑手の能力を持つ者は、植物を介して周囲の生命力に干渉できる。

 傷の回復を早める、眠りを助ける、心の消耗を和らげる——それはガルドもすでに体感していた。


「ここからが新しい情報なんですが」とベアトリスはページを指した。

「緑手の力は、段階的に発展するらしいんです」


「段階的に」


「最初の段階は、今のガルドさんの状態です。薬草を介して、接触した相手に影響を与える」とベアトリスは続けた。

「次の段階は——薬草を介さなくても、直接影響を与えられるようになるらしい」


 ガルドは手を止めた。


「薬草なしで」


「はい。手を触れるだけで、あるいは近くにいるだけで、生命力の干渉ができるようになると書いてあります」とベアトリスは言った。

「ライラさんが言っていた、傍にいるだけで安心する、というのは——もしかしたら、すでにその片鱗が出ているのかもしれません」


 ガルドは自分の手のひらを見た。


「さらにその先の段階もあります」とベアトリスはページをめくった。

「植物そのものを操る、というか——枯れた植物を回復させたり、植物の成長を促したり」


「それは」


「かなり稀なケースで、記録が二例しかないんですが」とベアトリスは言った。

「どちらも、非常に長い時間をかけて発展したと書いてあります。一例は三十年、もう一例は四十年」


「時間がかかるものですね」


「でも」とベアトリスは顔を上げた。

「ガルドさんの場合、最近急に発展しているんじゃないかと思って」


「急に?」


「ここ数週間で、効果が明らかに上がっています。最初に比べて、傷の回復速度も、薬草の効き目も、ずっと強くなっている」とベアトリスは言った。

「何か、きっかけがあったんじゃないですか」


 ガルドは少し考えた。

 きっかけ。


 転生の記憶が戻った日の朝、マーサに薬草を渡した時に、初めて念じた。

 それが最初だ。

 それからルーカスが来て、ミナが来て、エリナが来て、ライラと森に行った。


「意識するようになったのかもしれません」とガルドは言った。

「以前は何も考えずに調合していましたが、最近は——楽になってくれ、とか、効いてくれ、とか、念じながらやっています」


「それだと思います」とベアトリスは言った。

「緑手の力は、使い手の意識と連動するらしくて。意識すればするほど、強くなる。逆に言えば、意識しない限り眠ったままになる」


 五十二年間、眠ったままだったわけだ。


「それと」とベアトリスは少し声のトーンを変えた。

「昨日、ライラさんから聞いたんですが、森で動物に触れた時に光ったそうですね」


「少し」


「その話が、興味深くて」とベアトリスは身を乗り出した。

「緑手の力は、薬草だけじゃなく、生き物全般に作用する可能性があります。動物でも、そして理論上は——人間に直接触れても」


「人間に」


「まだ記録では確認されていないんですが」とベアトリスは言った。

「今の発展速度を見ていると、遠くない話かもしれない」


 ガルドはしばらく黙っていた。

 人間に直接触れて、生命力に干渉する。


 前世の田中誠が読んできた転生小説なら、ここで主人公が目を輝かせるところだ。

 すごい力だ、これで無双できる、と。

 でも、ガルドは五十二歳だ。

 無双したいわけではない。


「それが、何かの役に立てばいいですが」と静かに言った。


 ベアトリスは少し間を置いてから、柔らかく笑った。


「ガルドさんらしい反応ですね」

「そうですか」


「普通、そこまで聞いたら、もっと驚くか、喜ぶか、どちらかだと思います」とベアトリスは言った。

「ガルドさんは、役に立てれば、で終わる」


「他にどう反応すればいいんですか」


「わかりません。でも面白いと思います」とベアトリスは本を閉じた。

「だから研究したいんです、あなたのことを」


 ---


 ベアトリスはお茶を一杯飲んで、帰り際に少し躊躇ってから言った。


「ガルドさん、一つお願いがあるんですが」

「なんでしょう」

「私の手に、触れてもらえますか」

「……はい?」


「研究のためです」とベアトリスは真顔で言った。

「薬草を介さずに、直接触れた場合に何か感じるか、確認したくて」


「俺は、そういう制御がまだ——」

「わかっています。できるかどうかを確認したいんです。研究ですから」


 ガルドは少し迷ってから、頷いた。

 ベアトリスが右手を差し出した。

 ガルドはその手にそっと触れた。

 念じた。


 よく効いてくれ、とか、楽になってくれ、とかではなく

 ——今日は何を念じればいいかわからなかったので、ただ温かくなれ、とだけ念じた。


 指先が温かくなった。

 ベアトリスが小さく息を飲んだ。


「感じましたか」とガルドが聞いた。


「……温かい」とベアトリスは静かに言った。

「手だけじゃなくて、身体の中から温かくなる感じがします」


「すみません、加減がわからなくて」


「いいえ」とベアトリスは手を引かなかった。

「不快ではないです。むしろ——」


 少し間があった。


「最近、調べ物で夜更かしが続いていたので、疲れていたんですが」とベアトリスは言った。

「なんか、すっと楽になった気がします」


「そうですか」


「これが直接干渉ですね」とベアトリスはすかさずメモを取り始めた。


 職業病だな、とガルドは思った。

 感じたそばから研究モードに入っている。


「薬草なしでも発現する。しかも薬草を介した時より、直接的な感覚がある」

「俺には、何が起きているかよくわかりませんが」


「わからなくていいです」とベアトリスはメモを取りながら言った。

「わかるのは私の仕事なので」


 それから顔を上げて、少し照れたような顔をした。

 珍しい顔だ。


 いつも冷静なベアトリスが照れている。


「ありがとうございました。研究に協力していただいて」

「研究対象ですから、仕方ないですね」

「そうです、研究対象です」とベアトリスは言った。


 それからもう少し小さな声で付け加えた。


「それだけじゃないですけど」

「え」

「何でもないです。また来ます」


 ベアトリスは足早に出ていった。

 ガルドは扉を見送って、首を傾げた。

 それだけじゃない、というのはどういう意味だろうか。

 研究対象でもあり、薬草の仕入れ先でもある、ということだろうか。


「神様」


 天井に向かって呟いた。


「ベアトリスさんが、よくわからないことを言いました」


 返事はなかった。


「まあ、研究者というのは時々難しいことを言うものですかね」


 返事はなかった。


「そういうことにしておきます」


 ---


 その夜、ガルドは調合台に向かいながら考えた。

 薬草なしで、直接触れることでも発現する。


 ベアトリスの手に触れた時の感覚を思い出した。

 いつもより、直接的だった。

 薬草を介した時は、じわじわと広がる感じだ。

 でも直接触れた時は——すっと入っていく感じがした。


「段階的に発展する、か」


 呟いた。

 五十二年間眠っていた力が、ここ数週間で急に動き始めている。


 転生の記憶が戻ってから、意識するようになったから、だとベアトリスは言った。

 なるほど、と思った。


 前世の記憶が戻る前のガルドは、ただ薬草を刻んでいただけだ。

 何かを念じることも、意識することも、なかった。


「神様」


 ガルドは天井を仰いだ。


「もしかして、記憶が戻るのが遅れたのは——力を育てるためでしたか」


 返事はなかった。


「五十二年間、無意識に薬草と向き合わせて、土台を作らせて、それから記憶を戻した、とか」


 返事はなかった。


「そんな計画があったなら、先に言ってほしかったですね」


 返事はなかった。


「まあ——」


 ガルドは指先を見た。

 かすかに緑色に光って、また消えた。


「全部後付けかもしれないですけどね」


 薬草の青い香りが、静かに夜に溶けていった。



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