第12話 ライラが珍しく、真剣な顔をしていた
-おじさんの薬草屋スローライフ-
その日のライラは、いつもと違った。
暖簾をくぐってくる時の足音が、いつもより重かった。
椅子に座る時も、どかっと勢いよく座るいつもの感じではなく、静かに腰を下ろした。
手に持っていたのも、いつもの食べ物の袋ではなく、何も持っていなかった。
灰色の耳が、片方だけ下がっている。
ガルドは調合の手を止めなかった。
すぐに話したければ話す。
話したくなければ、しばらくお茶を飲んで落ち着いてから話す。
それはルーカスでもミナでも、誰でも同じだ。
無理に聞くことはしない。
お湯を沸かして、お茶を出した。
ライラは受け取って、一口飲んだ。
それからしばらく、湯気を眺めていた。
「なあ、ガルド」
「はい」
「一つ聞いていいか」
「どうぞ」
「あんた、人が死ぬのを、近くで見たことがあるか」
ガルドは手を止めた。
調合台の上の薬草が、静かに香っていた。
店の外では、夕方の王都の喧騒が遠く聞こえている。
その音が、今は少し遠かった。
「あります」とガルドは言った。
「妻が亡くなる時に、側にいました」
ライラは黙って聞いていた。
「それだけじゃなく、長く薬草屋をやっていると、助けられなかった人も、います」
「そうか」とライラは言った。
湯呑みを両手で包むように持って、俯いている。
「俺も、今日——」
そこで一度止まった。
ガルドは急かさなかった。
「依頼中に、一人亡くなった。俺のパーティじゃないんだが、近くで依頼をやってた別のパーティで。ベテランの冒険者だった。油断したわけじゃない、不運だった。でも——目の前で見た」
「それは辛かったですね」
「辛い、というより」とライラは言葉を探した。
「なんか、ずっと頭から離れなくて。飯を食っていても、歩いていても、その場面が浮かんでくる」
ガルドは頷いた。
「冒険者をやっていれば、そういうことは珍しくないはずなんだが」とライラは続けた。
「なんで今日に限って、こんなに——」
「慣れる人もいるし、慣れない人もいます」とガルドは静かに言った。
「慣れないことは、悪いことじゃない」
「でも慣れないと、冒険者はやっていけないだろ」
「慣れることと、感じなくなることは違いますよ」
ライラは顔を上げた。
「どう違うんだ」
「慣れるというのは、それを抱えながら動けるようになることです。感じなくなるのは、抱えることをやめることです」とガルドは言った。
「感じなくなった冒険者は、仲間の危険にも気づかなくなる。ライラさんが今日、こうして重く感じているのは——ちゃんと人として機能している証拠です」
ライラはしばらく黙っていた。
灰色の耳が、ゆっくりと動いた。
「……ガルド、あんた、薬草屋じゃなくて、なんか別のものじゃないか」
「薬草屋です」
「そういうことを言う薬草屋は、普通いないぞ」
「五十二年生きていれば」
「色々ある、だろ」とライラは先を取って言った。
最近、このやり取りが定番になってきた。
「わかった、わかった」ライラはお茶をもう一口飲んだ。
「少し、楽になった気がする」
「それはよかった」
「薬も飲んでいないのに」
「お茶は薬草から作りますから」
「そういうことにしておくか」とライラは小さく笑った。
いつもの豪快な笑い方ではなく、静かな笑い方だった。
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しばらくして、ライラが言った。
「ガルド、あんたに頼みがある」
「なんでしょう」
「明後日、少し遠出をする。王都から半日ほどの距離にある森で、薬草の採取依頼が出ていて」とライラは言った。
「一人でもできる依頼だが、詳しい人間がいた方がいいと思って。薬草の採取なら、あんたの方が俺より詳しいだろ」
「俺に来いということですか」
「頼めるか」
ガルドは少し考えた。
店を一日空けることになる。
常連客には申し訳ないが、臨時休業の貼り紙を出せば問題はない。
身体的には——半日の森歩きか。
膝が若干心配だが、無理ではないだろう。
「薬草の採取なら、俺の方が役には立てると思いますが」
「じゃあ来るか」
「一つ確認ですが、危険な依頼ですか」
「普通の採取依頼だ。魔物の出没報告もない」とライラは言った。
「あんたを危険な場所には連れていかない」
「わかりました」とガルドは頷いた。
「お供します」
ライラは少し目を丸くした。
「あっさり承諾するんだな」
「ライラさんが危険な場所には連れていかないと言ったので」
「信用しているのか」
「はい」
ライラはまた、静かに笑った。
「変なおじさんだな、あんたは」
「よく言われます」
「誰に」
「神様に」
「は?」
「独り言です」
ライラは首を傾げたが、追及しなかった。
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帰り際、ライラは扉のところで少し立ち止まった。
いつもと違う立ち止まり方だった。
帰り際に何か言う時の、あの感じだ。
「ガルド」
「はい」
「今日、ここに来てよかった」
「そうですか」
「あんたと話すと、なんか——整理される気がする。頭の中が」
ガルドは何も答えなかった。
「礼を言うのが癖になってきたな、俺」とライラは苦笑した。
「あんたの前だと、なんか素直になる」
「薬草の匂いのせいじゃないですか」
「それだけじゃないと思うけどな」とライラは言った。
それから、さらりと付け加えた。
「ガルド、俺、あんたのことが好きだぞ」
ガルドは調合台を拭く手を止めた。
「ありがとうございます」
「……それだけか」
「それだけです」
「なんで動揺しないんだ」
「ライラさんは、よく気に入った相手にそう言うんじゃないかと思って」
ライラは天井を仰いだ。
灰色の耳が両方ぺたんと下がった。
「本気で言ったんだが」
「そうですか」とガルドは言った。
「でもライラさんは二十代で、俺は五十二歳のおじさんなので」
「だから何だ」
「釣り合わないでしょう」
「釣り合いなんて誰が決めるんだ」
「常識が」
「常識なんて知らん」とライラは言い切った。
「俺は思ったことを言っただけだ。受け取るかどうかはあんたが決めることで、俺は言いたいことを言った」
そう言って、ライラは出ていった。
今度は足音が、来た時より少し軽かった。
ガルドは一人になった店の中で、調合台の前に立ったまま、少しの間動かなかった。
本気で言った、とライラは言った。
五十二歳の薬草屋おじさんに、二十代の獣人の女性冒険者が本気で。
「……ないだろう」
ガルドは首を振った。
好意を持ってくれているのはわかる。
それはありがたい。
でも本気というのは、さすがに冗談の延長だろう。
あのライラが、本気でそういうことを言うとは——
「神様」
天井に向かって呟いた。
「俺の状況判断は合っていますか」
返事はなかった。
「合っていますよね」
返事はなかった。
「そうですか。まあ、合っているでしょう」
薬草の青い香りが、静かに漂っていた。
その夜、ガルドはいつもより少しだけ長く、夜空を眺めてから眠った。
理由は、よくわからなかった。
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