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第10話 エリナさんが店に来た。なぜか少し緊張していた

-おじさんの薬草屋スローライフ-

 エリナが店に来たのは、昼過ぎの静かな時間帯だった。

 朝の常連客が帰って、夕方の客が来るまでの間。


 ガルドが一人で調合台に向かって、来週分の薬草の仕込みをしていた頃だ。

 暖簾が揺れて、澄んだ声がした。


「お邪魔してもいいですか」


 顔を上げると、エリナが立っていた。

 ギルドで会った時の制服ではなく、今日は薄い水色の普段着だ。

 銀髪を緩やかに下ろしていて、ギルドにいた時より少し柔らかい雰囲気がある。

 手には小さな布袋を持っていた。


「どうぞ」とガルドは言った。

「休みですか」


「今日は非番なんです」とエリナは入ってきた。


 店の中をゆっくり見回す。

 薬草の束が吊るされた天井、並んだ小瓶、調合台の上の道具。


「素敵なお店ですね。来てみたかったんです」

「散らかっていますが」

「そういうのが好きなんです。生活感があって」


 エリナは棚の前に立って、並んだ薬草の瓶を眺めた。

 長い指先が、一つ一つの瓶をゆっくりとなぞっていく。


 エルフというのは手先が綺麗だな、と場違いなことを思った。


「これは何ですか」

「乾燥させたラベンダーです。眠りを助けます」

「これは」

「カモミールです。緊張を和らげます」

「これは」

「セントジョーンズワートです。気持ちが落ち込んだ時に」


 エリナはそれぞれの瓶を手に取りながら、興味深そうに聞いた。

 一つ一つに対してちゃんと反応する。

 へえ、とか、なるほど、とか、そういう相槌が、取り繕った感じではなく自然だった。


「詳しいんですね」


「受付の仕事をしていると、冒険者の方が怪我をした時に何が必要か、少し知っておきたくて」とエリナは言った。

「でもガルドさんから直接聞くのは、本で読むより全然わかりやすいです」


「それはよかった」


 エリナは一通り棚を見てから、カウンターの前に来た。


「常備薬として、いくつか分けてもらえますか。切り傷に使えるものと、疲れを和らげるものと」

「どのくらいの量が必要ですか」

「ギルドに置いておこうと思って。受付にいると、軽い怪我をした冒険者が相談に来ることもあるので」

「ではこの二種類を」


 調合しながら、念じた。

 いつも通りだ。

 よく効いてくれ、と。

 手のひらが少し温かくなった。


 最近は念じるたびに、ほぼ毎回温かくなるようになってきた。

 指先の光も、以前より安定してきている気がする。

 まだ制御はできていないが、何かが少しずつ変わっているのは確かだった。


「はい、どうぞ」


 エリナは包みを受け取った。

 その瞬間、わずかに目を瞬いた。


「温かい」

「そうですか」

「手が温かいんですか、それとも薬草が」

「さあ」


 エリナはガルドの手を見た。

 それから薬草の包みを見た。

 それからまたガルドの手を見た。


「不思議な方ですね」

「そうですか」


「はい」とエリナは微笑んだ。

「ギルドで初めてお会いした時から、そう思っていました」


 ---


 代金を受け取って、さて帰るのかと思ったら、エリナは帰らなかった。

 持ってきた布袋から、小さな包みを取り出した。


「よければ、お茶でもどうかと思って。お菓子も少し持ってきたんですが、迷惑でしたか」

「迷惑ではないですが」

「よかった」


 エリナは嬉しそうに言った。

 迷惑ではないですが、という言葉のどこにそんなに喜ぶ要素があるのか、ガルドにはよくわからなかったが、とりあえずお湯を沸かすことにした。


 二人でカウンターを挟んで、お茶を飲んだ。

 エリナが持ってきたのは小さな焼き菓子で、甘さが控えめで食べやすかった。


「ガルドさんは、ずっとこの王都にいるんですか」

「生まれはもう少し南の村ですが、二十代の頃にこちらに来ました」

「ずっと薬草屋を」

「親がそうだったので、自然と」

「好きですか、薬草屋が」


 少し間があった。

 好きかどうか、と考えたことがなかった。

 五十二年間、それしかやってこなかった。

 前世でも、会社員という仕事が好きかどうかなど、考えたことがなかった気がする。


「嫌いではないです」


「それは好きということだと思います」とエリナは言った。

「そうですか」


「はい。嫌いな仕事を三十年続ける人は、そんなに多くないので」


 なるほど、と思った。

 エルフというのは、長く生きた分だけ、こういう言葉をさらりと言う気がする。


「エリナさんは、受付の仕事が好きなんですか」


「好きです」とエリナは迷わず言った。

「色々な人に会えるので。冒険者の方は個性的な方が多いですし、旅人の方もいますし、毎日同じ日がない」


「大変ではないですか。毎日騒がしそうで」


「騒がしいのは慣れました」とエリナは笑った。

「でも——たまに静かな場所に来たくなります」


「ここは静かですよ、一応」


「知っています。だから来ました」


 また、返事に困った。

 エリナという人は、言葉の意味がガルドには少し掴みにくかった。


 さらりと言うので冗談なのか本気なのかがわからない。

 エルフというのはみんなこういう話し方をするのだろうか。


「ガルドさん」とエリナが言った。

「はい」


「一つ聞いてもいいですか」

「どうぞ」


「最近、ガルドさんの薬草を使った冒険者の方から、回復が早かったという報告が増えているんです。ギルドとしては記録しているんですが、個人的にも気になっていて」


「ベアトリスさんにも聞かれました」


「そうですか」エリナは少し目を細めた。

「ベアトリスさんは薬師として気になっているんでしょうね。私が気になっているのは、少し違う理由で」


「違う理由」

「ガルドさんから薬草を受け取った人が、みんな同じことを言うんです」

「何を」


「温かかった、と」とエリナは静かに言った。

「薬草が、ではなくて、ガルドさんが、という人もいました。なんか温かい人だな、と思ったって」


 ガルドは黙っていた。


「緑手、という言葉を聞いたことがありますか」とエリナは言った。


 ガルドは少し驚いた。


「ベアトリスさんから聞きました。最近」


「エルフの古い文献にも出てくるんです」とエリナは言った。

「植物を通じて生命力に干渉する能力。長く植物と向き合った者に現れる、とても稀な力」


 エリナは薄い緑色の瞳で、静かにガルドを見た。


「ガルドさんが持っているのは、それだと思います」

「俺にはよくわからないんですが」


「わからなくていいと思います」とエリナはあっさり言った。

「わからないまま、誰かの役に立っているなら、それで十分じゃないですか」


 ガルドは少し黙っていた。


「エルフというのは、ずいぶんと割り切りがいいですね」


「長く生きていると、わからないことを無理に解決しようとするのが馬鹿らしくなります」とエリナは笑った。

「それより、わからないままでいいことと、わかった方がいいことを、分けて考えるようになります」


「何年生きているんですか」

「内緒です」

「そうですか」


 エリナはお茶を一口飲んだ。


「ガルドさん、また来てもいいですか」

「薬草を買いに来るなら——」

「それだけじゃなくても」

「お茶くらいは」


「出せます、でしょう」とエリナは先を取って言った。

「ライラさんにも同じことを言いましたよね」


「言いました」

「私にも言ってくれますか」

「……お茶くらいは出せます」


 エリナは嬉しそうに微笑んだ。

 その笑顔が何を意味しているのか、ガルドにはよくわからなかった。


 受付嬢というのは、みんなこういう笑顔をするものだろう、と今日も同じ結論に至った。


 ---


 エリナが帰った後、ライラが来た。

 タイミングが少し面白かった。

 入れ違いではなく、エリナが帰って三十分ほど経ってからだ。


「エリナが来てたか」

「知っているんですか」

「ギルドで聞いた。今日非番だって言ってたから、もしかしてと思って」とライラは店の隅の椅子に座った。

 すっかり定位置だ。


「どうだった」

「薬草を買いに来てくれました」

「それだけか」

「お茶も飲みました」

「それだけか」

「それだけです」


 ライラは少し呆れた顔をした。

 灰色の耳が片方だけ下がった。


「ガルド、あんた本当に鈍いな」

「何がですか」


「何がですか、じゃない」とライラは脚を組んだ。

「エリナが非番の日にわざわざ来るのは、薬草だけが目的じゃないだろ」


「静かな場所に来たいと言っていました」

「それは口実だ」

「口実」


「気がついていないのか、本当に」とライラは天井を仰いだ。

「あんたのことが気になっているんだろ、どう見ても」


 ガルドは少し考えた。

 エリナが気になっている。

 五十二歳の、白髪交じりの、薬草屋のおじさんのことを。


「それはないでしょう」

「なんでそう言い切れるんだ」

「俺はおじさんですから」

「おじさんだから気になってもいけないのか」

「普通はそうじゃないですか」


 ライラは大きくため息をついた。


「ガルド、あんたが思ってるより、あんたは人を惹きつけるものを持ってるんだよ。鼻が利く俺が言うから間違いない」

「薬草の匂いじゃないですか」


「違う」とライラは断言した。

「生命力の匂いだ。それがあんたからはずっとしている。傍にいると安心する、そういう匂いだ」


 ガルドは何も答えなかった。

 緑手、という言葉を思った。

 植物を通じて生命力に干渉する。

 もしかしたら薬草を通じてだけではなく、傍にいるだけでも何かが伝わっているのかもしれない。


「神様」


 心の中で呟いた。


「これも才能の芽の仕業ですか。人が集まってくるのも」


 もちろん返事はなかった。


「まあ」とガルドは声に出して言った。


「何んだ」とライラが聞いた。


「いえ、独り言です」

「よく独り言を言うな、あんた」

「癖なので」


 ライラはまたため息をついた。

 でも口元は笑っていた。

 薬草の青い香りが、夕暮れの店の中に静かに漂っていた。


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