なにもでない事故物件。起きるのはそう、意外なところで
始まりは、一本の電話だった。
『あの、生前……父がお世話になったようで、ありがとうございました』
知らない若い男の声。父ということは、息子さんなのだろう。
――どこの息子さん?
民生委員の私の電話は、よく鳴る。だいたいは、話し方や内容で相手が分かる。
そのせいで今回のように、相手の名前を確認せず、反射のように出てしまって焦ることが時々あった。
今の相手も、記憶の中を漁ってみるけれど、スッとは出てこなかった。
「いえいえ。私のことは気にしないで下さい。ご冥福をお祈り申し上げます。何か、お手伝い出来ることはありますか?」
私は、当たり障りなく答えた。
生前、ということは最近お亡くなりになったのだと察する。
私と関係のあった方なら、きっとご遺族の彼は忙しいだろうと、出来ることはないかと聞いてみた。
『いえ、大丈夫です。ご連絡をと、思っただけなので……』
「そうですか。では、最後にご挨拶に伺わせていただいても、よいでしょうか?」
『……あの、それは』
しどろもどろな息子さん、その後ろでお子さんの声がした。
声が若いのにもう父なのか、と思っていたら――。
『お兄ちゃんー』
そう、幼い声がはっきりと聞こえた。
スッと一本の線で繋がった。お父さんが誰か分かってしまった。
「今日はもう遅いので、明日ご自宅に伺わせてもらっても良いですか?
生前もよくお付き合いさせていただいてたんです。私のことは、お気遣いなくて大丈夫ですから」
お節介だとは思いつつも、それが私の役目だと言いきった。
『明日は、ちょっと……まだ立ち入り禁止や引き取りでどうなるか分からなくて。あ、家は明後日には入れると思うと警察が……』
「お兄さん、ご兄弟の泊まるところはありますか?」
『それは大丈夫です。俺の家に連れてきたので』
そこから二、三言葉を交わして電話を切った。
亡くなったのは、年の離れた子どもを育てるまだ四十過ぎの父子家庭のお父さんだった。
三日前に、お元気そうな姿を見せて私と話した人だった。
◇◆◇◆◇◆◇
二日後、事前の約束の通りご自宅に伺った。
私はマスクとゴム手袋、雑巾に折り畳みのバケツ、ゴミ袋を持参した。
「わざわざすみません」
「いえいえ。お気になさらず、お邪魔しますね。今日はよろしくお願いいたします」
出迎えたお兄さんはやはり声の通り若かった。高校を卒業したばかりなのだ、当然とも言えた。
簡単に挨拶をすると、二人で中へと足を踏み入れた。
閉めきっていたのだろう、鉄の匂いが充満していた。
「親戚から、落とせる範囲の汚れを落とすように、言われました。
あとは部屋の窓を全て開け放つようにと。
発見も早かったから、死臭は、一週間かけて風通しよくして、減っていくだろうって」
「でしたら、私は汚れを落としていきますね。部屋の窓をお願いします」
「はい。すみません。よろしくお願いいたします」
役割分担を終えて、家の中を見渡した。普段の片付けが不十分だと一目見て分かる中は、物が溢れ散乱していた。
そこから、一番鉄の匂いがきつい場所へと進んで向かう。
ダイニング、トイレ、洗面所、風呂これらを繋ぐ道も、壁の至るところも血まみれだった。
ドラマにあるような、風呂場の浴槽の中だけ、もしくは風呂場だけ、ではなかった。
トイレは、トイレットペーパーが転がっていた。
風呂場からは、後の拭き掃除の途中、眼鏡が排水口に落ちていたのを見つけて、息子さんへお返しした。
ダイニングには血溜まりが出来ていて、お父さんの最後はここだろうと予想が出来た。
こびりついた汚れをお湯や水を潤沢に使い、黙々と落としていく。鼻は麻痺して、匂いはすぐに分からなくなった。
何時間経ったろうか、話し声が聞こえた。だんだんと近づいてきた声の主は親戚の人だという。
「ありがとうございます。お手数おかけしてます。助かります」
「いえいえ。この度は、お悔やみ申し上げます」
「本当に。思い詰める前にすることがあっただろうに、子どもも置いて……」
そういって親戚の人は、奥の部屋へと向かった。そこには埃の無い綺麗な台の上に置いてある大小の箱と若い女性の遺影。
「ああ、いたいた。この機会に、お母さんもちゃんと埋葬してあげような。これなら、二人仲良く過ごせるよ」
「仲の良いご夫婦だったんですね」
「嫁入りだから、知り合いのいない墓に、一人入れるのはかわいそう、だそうですよ。
だからって、ここに居て言い訳じゃないんですがね。
自分が死んでも、悪さしてばかりだったから家の墓には入りたくないと、わがままで。
汚れを落とした後、略式になって申し訳無いがせめてお祓いはさせてもらいますよって」
その言い方はまるで――。
「その道の方ですか?」
「地方で、神主と民生委員やっとります。
本家や分家や言うてね。ユルいもんだから、こう遠方に出てきたら、略式で色々させてもらっとります。
正装を運ぶにゃ、ちょっと年取りました。嫌ですね、年取るとこんなのばっかりで。
まぁ喪主は息子本人に頼むんですがね。それ以外の段取りは、仕方ないて、私が組ませてもらってます」
「そうですか、それは助かります。掃除は任せてください」
「いやいや、巻き込んで申し訳ないですわ」
お互いに慣れたもので、苦笑してそれぞれの役割をこなした。
なかなか落ちない血の汚れも、二日かければある程度は綺麗になった。
死臭も消えたその後。略式といいながら、その親戚は儀式用の服を身にまとい塩を撒き、祝詞をあげていた。
◇◆◇◆◇◆◇
葬式や告別式はつつがなく終わり。賃貸を引き払うための不要品を息子さんと処分し、ご兄弟の新しい住まいを斡旋した。
住むところは少し離れるらしく、私の管轄から外れる。
「何かあったら、話はいつでも聞けるから」
「番号は変えないからいつでもかけてくるといい」
と、そう息子さんに最後に伝えて私の役目は終わった。
そこから少し経って、かの物件には新しい人が住む気配がした。早くも遅くも無い、そんな日にちでの新しい住人。
その物件が、事故物件と言われるものだと知っているのか、家賃など優遇されているのか、普通のご家庭と縁はない私には、分からない。
民生委員の任期が終わり、体力的にも引退かと考え更新をしなかった。
ふと思い出して、あのお父さんの眠る納骨堂へと赴いてみた。
納骨堂には、そこに眠る人たちの名札が、入り口に貼り付けられていた。
ただそこにある一枚だけ、名札がずり落ちていた。
その名前は、あのお父さん。
これはいかんと、それとなく言えたらと思い、私は神主を訪ねた。
あの日会った彼は、奥さんを見つけた時と変わらない顔をして言った。
「ああ、アイツまた落ちとりましたか。何回貼り直しても、落ちるんですよ。
古い人も新しい人も、そんなことないんですがね。
大方、居心地が悪いんでしょうなぁ。
奥さんも気がしっかりした人やったから」
その時に聞いたが、当時。病死した奥さんの十年目の命日から、半月経った日だったそうだ。
お子さんが皆出払った時に、起こった出来事。
第一発見者は、一番小さい子だったらしい。
あの時の現場を思い出して、お父さんの最後の未練を想った。
「あの子らが成人したら、よーやっと安心出来るんちゃうかなぁ思うんですわ」
親戚の人は、それまでは何回でも直したりますよって笑って言った。
確かにそうだ。ここに居ると言うことは、事故物件となったあの家にも、他のどこにもいないということでも、あるのだから――。
実話を元にした、フィクションです。
実際に名札は落ち続けているそう……。




