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御厨リゾート怪異ファイル  作者: しろいぬ
第二話 乗りかかった船は、途中で降りません。
9/36

2−1

 私が好きになるものは、どうしてか、みんな壊れてしまう。


 小さな頃に抱いて眠ったお人形。

 風を切って走った赤い自転車。

 お気に入りのリボンの髪飾り。


  そして――ママ。


 直そうと願っても、戻らない。


 壊れるだけ。捨てられるだけ。

 その先には、何も残らない。




 ◆◆◆




 目を覚ました瞬間、違和感。右のまぶたがずしっと重い。

 鏡をのぞくと……腫れてる。まんまるに。――蚊か! なんで顔なんだよ! 他にいくらでも刺す場所あるだろ!


 そんな状態で出社したら、あの九条さんが、席に着くなり「ぶっ」と吹き出した。

 え、笑った……? え、あの人が? 貴重すぎる……。たまにはこんな朝もいいか――

 

「って、なるかーっ!」


 自分に突っ込みながら椅子に深く座り直す。

 

 私は山木胡桃、二十四歳、独身。去年『御厨リゾート』に新卒入社して、総務部総務課を経て、今は人事部調査課に配属されている。

 本社勤務は私と九条さんの二人だけ。他のメンバーは全国に散らばって出張中。顔すら見たことがない人ばかりだ。


「なにを鏡に向かって百面相している」


  背後から、冷えた声が落ちてくる。

  九条静くじょう しずかさん。社内では“王子様”扱いされてるけど、実際は冷酷無比の毒舌パワハラ鬼上司だ。

 

「薬が塗れなくて、なかなか腫れが引かないんです。それに痛痒い……」

「番町皿屋敷だな」

「誰がお岩さんですか!」

「まあいいじゃないか。どうせ誰も気にしないだろう」

「……(気にしろ!)」


 そんなやり取りをしていたところで、突然――。


「おー、おつかれさーん!」


 元気すぎる声と共に、給湯室の方から長身の男性が入ってきた。茶色がかった髪を後ろでひとつに束ね、がっしりとした体格。笑えば八重歯がのぞき、妙に親しみやすい雰囲気をまとっている。


(ーー誰?!)


 思わず凝視。こんな人、社内にいたっけ?


「おー、なんやなんや。めちゃくちゃ美人がおるやん」


 そして、関西弁……。


「そいつが、明生あけおだ」


 九条さんが、男性を指す。

 私はやっと理解した。

 明生陽稀さん。彼も調査課の社員だ。


「……直接お会いするのは、初めましてですね。山木胡桃です」

「胡桃ちゃん、会いたかったで〜!」

   

 唐突にがばっと抱きしめられる。うわ、近い! え、これセクハラじゃ……? いや、この人、距離感おかしい……。


「静ちゃんも久しぶりやなぁ〜! 元気しとったかー?」


 明生さんが手を振る。対する九条さんは、いつもの無表情。

 

「煩い」

「そう言わんといてぇ。ずっと会いたかったんやで?」


(げっ)


 今度は私から離れ、九条さんに抱きついた。

 この人すごい、命知らずだ……。

 それとも、中身はアメリカンなのか?


「白々しいな。東京には行きたくないと、いつもごねてただろ」

「東京は人が多すぎてアカンねん。鬱陶しくてたまらんわ」

「俺はお前が鬱陶しい」

「またまた〜、ほんま相変わらずツンデレやなぁ!」


 まあ、たぶん。彼らは親しい間柄なのだろう。

 鬱陶しいと言いつつ、彼のボディタッチをさらりと受け流している。


「――で、どうしてその“鬱陶しい”東京にわざわざ戻ってきた?」

「今回の調査、ちょっとしんどくてなぁ。一ヶ月の休暇を申請したら、部長が“本社に戻ってこい”言うてな」

「当然だ。お前、どうせ申請しなくても勝手に休んでるだろうが」

「まあまあ。それがな、次の調査先ももう決められてて、“そこに行け”言われたんや。それなら東京に戻ります〜って」

「あの……」


 思い切って右手を上げる。


「明生さんは、地方でどんな調査をされていたんですか?」

「どんな調査?」

「社員の横領調査とか、不倫調査とか、職場のいじめ調査とか?」


 大真面目に聞いているのに、明生さんは私じゃなく九条さんを見た。


「……もしかして、この子、俺らのこと知らんの?」

「私、おかしな話こと言いました?」

「そりゃー、横領、不倫、いじめって……」


 沈黙が流れた。 

 これって、そんなに珍しい問題?


「私、この部署に異動してきてからまだ五ヶ月目なんですけど……。本社でその三つが全部重なった大騒動があったんですよ。ちゃんと解決はしましたけど」

「ぶっ」


 明生さんが盛大に吹き出す。

 あれ? なんか空気が変わった……。


「つまりアレやな。胡桃ちゃんは、静ちゃんと一緒に、横領と不倫といじめをまとめて解決したわけや」


 いや、なんで繰り返すの。


「ほー……。なるほどなぁ……。ほー……」

「お前、本当に鬱陶しいな。さっさと部長のところへ行ってこい」


 九条さんが、明生さんをぎらりと睨む。

 あ。この目つき、冗談じゃなくて本気のやつだ。


「せやった。ほな、胡桃ちゃん、また後でな〜。あ、これ土産や。静ちゃんと一緒に食べてな〜」


 殺気を察知して、バタバタと去っていく明生さん。


 ……嵐が過ぎ去ったみたいだった。




◆◆◆




 紙袋をのぞき込むと、ふわっと甘い香り。


「あ、萩の月だ〜」


 仙台の定番土産。ノリは軽いのに、こういうとこはちゃんとしてる。

 箱を取り出すと、九条さんがすっと横から手を差し出してきた。


「ん」

「ん?」

「一個くれ」


 言われるまま渡すと、無言で席へ戻って食べ始める。


(へー、甘いもの好きなんだ……ちょっと可愛いかも)

 

 なんて思いながら、私も一つ口に入れ、緑茶が欲しくなって給湯室へ。

 コーヒーや紅茶も飲むけど、和菓子には緑茶が絶対不可欠だ。


「明生さん、相変わらずカッコいいよねー」


 廊下まで声が漏れている。

 先客が二人いた。彼女たちも同じ萩の月を持っている。


(――明生さん、配って回ってるんだ)

 

「えー、私は九条さん派だよ」

「九条さんって超絶イケメンだけど、近寄りがたいし……私は断然明生派かな」

「でも百瀬君もいいよね。本社にはほとんど来ないけど」

「わかる。子犬みたいで超可愛い」

 

 百瀬さん……名前だけは知ってるけど、会ったことないなあ。

 キャッキャキャッキャ話している二人の空気に割って入れず、給湯室の順番待ちをしていると。


「胡桃ちゃん、そんなところで突っ立って何しとるん?」


 背後から声が飛んできて、びくっとなる。


「明生さん、あ……えっと、お茶を入れようと思ったんですけど、先客がいたので順番待ちを……」

「あの、私たち、もう入れ終わったので……」


 女子二人はそそくさと退室。……気まずい。


「部長との話は終わったんですか?」

「終わったで。大した話やないしな。とりあえず、勤務日にはちゃんと出社せえって。それで一ヶ月の休暇はなしや」


 肩を竦めておどけたポーズ。

 そりゃあ、外資系じゃないんだから一ヶ月の休みなんて取れないよね。普通は……。


 自分の分と明生さんの分、ついでに九条さんの分のお茶を入れる。

 湯呑みから立ち上る湯気が、給湯室の蛍光灯の明かりにふわりと揺れた。


「胡桃ちゃん、いつもそんなに静ちゃんの世話焼いてるん?」

「お茶なんて滅多に入れませんよ。うちの会社は女子にお茶くみさせるの禁止なんで」


 大昔は女子事務員と言えば、お茶くみとコピー取りが仕事だったという時代があったらしいが、そんなものはもはや伝説だ。


「ほー、前に居た子は、毎日静ちゃんにお茶を入れて、机の掃除までしてたらしいで」

「机の掃除?!」


 思わず声が裏返る。


「椅子までピカピカに磨いて、弁当まで作ってきたとか……」

「は……初耳です。それ、九条さんが命令したんですか?」

「いやいや、鬱陶しいって言うて、その子は一週間で元の部署に戻されとった。それから、調査課に女子はいらんて静ちゃんが言うて、しばらく事務員はおらんかったんよ」


 机周りの清掃や整理は、各々の仕事の一つという認識。

 弁当に至っては……自分のだって、ごくたまにしか作ったことがない。

 ……というのは正解だったのか?! 


「私、去年入ったばかりなので前の事情は知りませんでした」

「いやー、ほんま助かってるよ。今までは全部自分でせなあかんかったからな」

「そうですか。良かった。私、調査課の役に立ってるのかなって、心配してたんです」

「十分、役に立ってるで。事務員の人がいるとほんま助かるわー」


 紙コップを揺らしながら廊下を歩き、部屋に戻る。

 すると九条さんは、受話器を肩に挟み、低い声で誰かと話していた。

 机の上に置いた湯呑みの横顔は、眉間に皺を寄せ、目元が鋭い。

 その雰囲気に、給湯室のぬるい空気が一瞬で張り詰める。


「……お前の代わりに、北海道に行くことになった」

「おー、そりゃすまんねぇ。ほな、俺は胡桃ちゃんとお留守番やなぁ」


 明生さんが、のんきに笑いながら自分の席に腰を下ろす。


「明後日から一週間の予定だ」


 なんで私に向かって言う? と、思ったが。

 ああ、飛行機やホテルの手配を頼むってことですね。


「わかりました。お気をつけて」

 

 社交辞令のような笑顔を向けると、切れ長の目でじろりと睨まれる。


「アホ。お前も一緒に行くんだ」

「え?!」


 やばい。思考が固まった。

 明生さんが「ちょっと待った!」と間に入る。


「胡桃ちゃんを現地調査に同行させる気?」

「良い機会だ。俺たちの仕事がどんなものか教えてやる」


 反論しづらい低い声。拒否できない威圧感。


 ……こうして私の人生初出張は、唐突に決まったのである。


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