1−8
「盗撮してたのか?! プライバシーの侵害だ! 訴えてやる!」
佐々浦が声を荒げるが、九条さんは涼しい顔のままだ。
「訴えたければ、勝手にしろ。だがその前に――会社の資金横領、女子職員へのパワハラ……ついでに、お前の嫁にもこの動画は送っておいた。これから、裁判で大忙しだな」
さりげない口調だったが、その言葉は確実に佐々浦の心をえぐった。
そして今度は、隣でうなだれている神保に目を向ける。
「そうだ。君にも慰謝料請求するから覚悟をして待っていてくれ、と――佐々浦の嫁から伝言を預かっている」
神保の顔が、見る間に蒼白になる。
後方の三課の職員たちから、小さな笑い声とひそひそ話が聞こえてきた。
中には微笑を浮かべながら、「ざまあみろ」と言わんばかりの顔をしている者もいる。
(……なんだよ、これ)
その空気に耐えきれず、佐々浦が苛立ちをあらわにして振り返る。
「おい。お前たち、すっかり他人事か」
「ええ、俺たちは無関係なんで」
丸木はほくそ笑んだ顔で、苦笑している。
「私たち、課長が横領してたなんて、まったく知りませんでしたから」
高家が、両手を広げておどけた仕草をした。
ついさっきまで怯えていた面々が、手のひらを返したように、得意げに言い放つ。
九条さんが冷たく睨みつけ、低く呟いた。
「他人事じゃないだろう」
「……いや、まぁ、そりゃあ……課長がこんなことやってたのはショックですけど。ね?」
しらじらしく頷く丸木に、九条さんの言葉が鋭く刺さる。
「辻山ひよりを自殺に追い込んだのは、お前らもだ」
「は……?」
キレた声を出したのは、千田だ。
「お前たちは知っていた。佐々浦のパワハラも、神保が仕事を押し付けていたことも。それでも、誰も彼女をかばおうとしなかった。むしろ、面白がって傍観していたんじゃないのか?」
「……言いがかりです!」
千田が九条さんに食って掛かる。
「そうか? 彼女が苦しんでいる姿を笑って見ていた。まるで良い酒のつまみにでもなるかのように――違うか?」
三人が一斉に、顔を見合わせた。
「私たちは……何もしてません!」
高家が声を荒げる。
「その通り。お前たちは“何もしなかった”んだ。年に一度の個人面談で、部長に報告するチャンスもあったのに、誰一人口を開こうとしなかった」
九条さんの視線が、会議室の空気を凍らせていく。
「知らなかった、じゃ済まされない。社内で囁かれていた不倫の噂も、幽霊騒ぎも、全部誰が言い出したかは調べればわかる。もう逃げられないぞ」
「――もういい」
社長が椅子から静かに立ち上がった。
「営業三課は、本日をもって解散する」
ざわっと、空気が揺れる。
「……どういう、ことですか。まさか、俺たち全員の首を切るつもりじゃ……! そんな処分、不当だ! 訴えますよ!」
丸木が声を荒げる。
すると、今まで黙っていた営業部長が静かに立ち上がった。
「――黙れ」
その一言に、部屋が水を打ったように静まり返った。
「お前たちを解雇するわけじゃない。これは“組織改編”だ。社内的には、人事異動として処理される。何の問題もない」
その口調には一切の情けもなかった。
佐々浦も、神保も、そして三課の誰もが声を失っていた。
◆◆◆
ーーそれから。
営業部の組織改編、佐々浦への告訴、三課全員の人事異動と、御厨リゾート本社はこの一ヶ月、まさにドタバタの嵐だった。
最終的な調査結果で、横領は三年ほど前から行われていて、総額一千万円を超えると判明。
もちろん、佐々浦と神保は懲戒処分。
他の三課メンバーたちも地方への転勤を命じられ、半分はそのまま依願退職したらしい。
「菅野さんも、辞めることなかったのに……」
本来であれば、警備会社にまで報告すべきような事件だった。
けれど、もはや誰も「トイレの落書き」の犯人を追及する者はいない。
結局、あれは“辻山ひよりの幽霊が書いたものじゃないか”という、元営業三課の噂話で収束してしまった。
私はというと、相変わらず――
鬼のパワハラ上司にこき使われている。
「口じゃなくて、手を動かせ」
……はいはい。
私は、神様も幽霊も信じていない。
いたとしても、神様は人間の悩みなんていちいち解決してくれないだろうし、
幽霊なんて……いるなら、それはあまりにも悲しすぎるから、やっぱりいない方がいい。
「どうした? 腹でも減ってるのか」
「……減ってません。ただちょっと、センチメンタルな気分に陥ってただけです」
「ふっ」
くっそ! 鼻で笑われた!
「本当に怖いのは、人間だ」
そう言って、九条さんは小さな花束を持っていた。
白と紫の、すごく綺麗な花。
「どうしたんです? その花……私にくれるんですか?」
「お前にあげるわけないだろう」
そっけなく言いながらも、九条さんはそのまま六階のトイレへと向かった。
――そして、その数日後。
再び六階女子トイレに、ひとつの落書きが見つかった。
そこには、こう書かれていた。
「ありがとう」
けれど、その“犯人”は――
いまも謎のままだ。