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時刻は17時ーー。
六階のフロアに潜入して撮った写真を、調査部課の部屋の机の上に並べる。
九条さんは、それらを手に取ると切れ長の冷めた目つきで写真を眺めていた。
「神保奈央がコピーを撮っている所、電話を取っている所……佐々浦が部下に指示をしている所……」
そして大きなため息を一つ。
「君は、半日かけて何を撮影してきたんだ」
「ええっと……彼らの勤務風景?」
半疑問形で答えると、冷ややかな視線で返される。
「俺は、不倫の証拠になりそうなネタを撮ってこいと指示したはずだが」
「そんなの社内で堂々とやりません」
まさかとは思うが……。
九条さんは不倫というものがどういうものなのか、根本的に知らないんじゃ……?
「そういうものなのか?」
「そういうものです」
……やっぱり!
「社内メールやラインだって使ってないかも。佐々浦課長は妻帯者ですから、奥さんにみつかるような証拠は残さないと思います」
「なら、彼らはどうやって連絡を取るんだ?」
「詳しくはないですけど、SNSのDMとかでやりとりしてるってよく聞きますよ。エックスとかインスタとか」
聞かれたから教えてやったのに、じとっとした目で見られる。
「詳しいな」
いや、あなたが知らなすぎでしょ!
そして、簡単に言ってくれる。
「なら、現場を抑えるしかないか」
「現場って……、二人で会っている所をですか?」
「それしかないだろう」
この人、優秀なんだかポンコツなんだか分からなくなる。
不倫デートなんて、頻繁にするわけじゃないと思うし……。
「……この写真は、よく撮れているな」
「え? どれですか?」
「佐々浦のスマートフォンの画面を見てみろ」
それは、頑張って佐々浦課長の近くでウロウロして激写した……至って普通の仕事風景だ。
「これのどこが……」
「佐々浦のスマートフォンの文字をよく見てみろ」
かなり見えにくいが……、頑張って目を凝らす。
「……予約の完了画面?」
「業界では、まあまあ有名な日本料理店だ。完全個室のな」
「それって家族で行くような店じゃありませんね。うちの会社はランチ接待しか容認してないから……かなり怪しいですね」
「行くぞ」
九条さんが、席から立ち上がる。
「尾行するんですか?!」
「そんなまどろっこしいことはしない。どうせ、二人で仲良く会社から店には行かないだろう」
「……それもそうですね」
「今度は堂々と盗撮する」
九条さん、盗撮は堂々とできませんて……。
◆◆◆
佐々浦浩二が予約していた店は、"まあまあ"どころか、都内でも有数の高級日本料理店だった。
もちろん、私のような庶民が気軽に足を踏み入れるような場所じゃない。
佐々浦と神保の予約時間は19時。
それなら──ということで、私たちは少し早めの18時半に店に向かった。
店の前に着いてから私はこっそり考えていた。
(……で、盗聴ってどうやるの?)
盗撮はともかく、盗聴は素人にできるようなものなのか。
そんなことを考えていたら、九条さんは何の迷いもなく、つかつかと店の入口へ向かっていく。
「ちょ、九条さん! このお店、完全予約制じゃ……!?」
引き止めようとしたけど、彼はぴくりとも足を止めなかった。
慌ててその後ろに着いていく。
てっきり、私は興信所の調査員みたいに電柱の影から双眼鏡でも構えるもんだとばかり思っていたのに。
予想をぶっ飛ばして、堂々と正面突破だなんて、まさかすぎる。
雰囲気のある引き戸を開けると、桜模様の着物を着た若い女性がぴたりとお辞儀をした。
「申し訳ございませんが、当店は完全予約制となっておりまして……」
案の定、きっぱり断られた。
やっぱり。九条さんって、もしかして“社会常識”というものにちょっと疎いのでは?
それにしても、この店の雰囲気……。
まるで政治家が秘密の会合でも開いていそうなレベルだ。
BGMはなく、照明も暗め。間接照明だけがぼんやりと廊下を照らしている。
扉付きの下駄箱とか、隠し部屋感ある個室構造とか、もう“いかにも”って感じ。
家族連れや友達との食事では絶対選ばないし、正直デートでも気が引ける。
それくらいの敷居の高さだった。
玄関で引き返そうとした、そのとき──
九条さんがすっと私の腕を掴んだ。
「オーナーに話がある」
「オーナー……ですか?」
私も着物の女性も、ポカンである。
「彼には貸しがある。この店にも一度来たことがある」
どんな"貸し"かは知らないが、その一言で状況は一変した。
気づけば私たちは、すんなり部屋に通されていた。
すごい……。
九条さんって、魔法が使える人だったんですか?
◆◆◆
六畳ほどはありそうな和室。
真ん中には、重厚感のある木目のテーブルがどんと構えている。
障子に床の間。
格式高い料亭のような設えに、私は隅っこの座布団にちょこんと座っていた。
「佐々浦が予約したのは、この隣の部屋だ」
「……はぁ」
「店側に盗聴させるわけにはいかないから、俺がやる」
そう言って、九条さんはスパーン!と音を立てて襖を開けた。
あまりに勢いよく開けたものだから、私は思わずビクッとしてしまう。
彼は部屋の隅に小型カメラを設置しはじめた。
やっていることは超アナログなのに、なぜかやたらと手慣れて見える。
それがまた、この人らしい。
「これで、隣室の様子はすべて録画できる」
次に、テーブルの上にノートパソコンをどんと置き、私にワイヤレスイヤホンを渡してくる。
画面には、カメラ越しの隣の部屋が映し出されており、イヤホンからは微かに空調の音声が聞こえていた。
「この個室は、防音設計がされている。大声で騒がない限り、隣の声はほぼ聞こえない。だから……」
九条さんが説明を続けていた、その時――
隣の襖がすっと開いた。
「来たな」
最初に姿を現したのは、佐々浦浩二。
年齢は三十六歳。だが実年齢よりも若く見える。
スーツ、ネクタイ、時計――どれも一目で分かる高級品。
こんな店を予約できるぐらいだから、よほど羽振りがいいのだろう。
「佐々浦さんって、もしかして金持ちのボンボンなんですか?」
「特にそういう情報はないが」
「独身ならまだしも、妻子持ちでこの贅沢っぷり……どう考えても生活レベルがおかしいですよね?」
「うちの給料水準は他社より高いが、それ以上に使っている気配はあるな」
「あっ、来た!」
神保奈央が登場した。
さっきまで会社にいたとは思えない華やかさ。
どこかで着替えたのか、派手なプリントのワンピースに、これ見よがしな高級ブランドのバッグ。
場違いにも見えるけど、彼女は堂々とした足取りで座敷に上がる。
『浩二さん、おまたせ』
とびきりの甘い声。
派手に抱きついたり、イチャつき始めるのかと思いきや、意外にもあっさり座椅子に腰を下ろした。
『私、和室って苦手なのよね。フランス料理にしてくれたらよかったのに』
『個室で落ち着いて話したかったんだ。我慢してくれ』
そこへ料理とビールが運ばれてくる。
ちらりと見えた膳の上――刺身、小鉢、揚げ物……。
どれも見るからに高級そうで、もう、胃袋が暴れ出しそうだった。
「あのお刺身……絶対美味しいですよね……。あのカツ、牛かな? とんかつって感じじゃないし。小鉢のあれ、アワビじゃないですか? うわ、やば……私、アワビって食べたことないんですよね」
「……うるさい。実況中継はいい。会話に集中しろ」
耳から美食の気配、目の前には水すらもなし。
苦行でしかないけど、調査は続く――。




