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「この洗浄池ホテルはね、御厨リゾートの会長が赤字覚悟で建てたんだ」
ホテルのロビー。
支配人が出てくるのを待ちながら、百瀬さんが声を落として言った。
「……でも、この場所……あまり土地がいいようには見えませんが」
私はつい口にしていた。
函館で九条さんに聞いたことを思い出す。――リゾート開発やホテル建設の前には、必ず土地の調査をしてから着工を決める、と。
「洗浄池って、恐山の裏鬼門にあるんだ。もともと方角が悪い上に、水場だから余計に“不浄”が溜まりやすい」
「……少しだけ、ネットで調べました。昔、血のついた鍬を洗ったり、飛び込み自殺をする人が多数いたとか」
百瀬さんは肩をすくめ、口を歪める。
「人間てバカだよね。“あんな池に飛び込めば来世は勝ち組になれる”なんて思い込んじゃって」
……言い方。
けれど笑えない話だ。
「まあ、そんなこんなで。長い年月の“澱み”が洗浄池を汚染してる。会長は、その悪霊のボスみたいな存在を鎮めようとしてるんだけど……僕らが何年かけても、現状維持がやっとってとこ」
「……では、九条さんと明生さんはここで?」
「洗浄池から溢れたものは、このホテルに集まるように“道”が作られてるんだ。静さんと陽稀君は、集まった連中を祓う役目。いつもなら静さん一人で間に合うのに、今回は陽稀君まで連れてきた……ってことは、例年以上に溢れかえってるのかもね」
◆◆◆
ロビーに姿を現したのは、五十代ほどの男性だった。腰が低く、しかしその仕草には妙な威厳が漂っている。
「これはどうも、百瀬家のお坊ちゃんまでいらして下さるとは」
お坊ちゃん――?
胸の奥で小さく引っかかる。やはり百瀬さんは、ただの同僚なんかじゃなかったのだ。
「今年は大変そうだからさ。ちょっと応援に来たんだよ」
百瀬さんはいつもの調子で軽く答える。だが支配人・喜林さんは深々と頭を下げ、「遠路はるばるありがとうございます」と感謝を口にした。
やがて、百瀬さんが私に視線を向ける。
「喜林さんも、僕らと同じ“祓い屋”の末裔なんだよ」
「……祓い屋?」
思わず問い返すと、支配人は謙遜するように微笑んだ。
「私など、大した力はございません。せいぜい、人形に一時的に封じる程度。御三家の方々のお力がなければ、とても祓えはしません」
御三家――初めて聞く言葉に、頭が真っ白になる。
「……御三家って、一体……」
「クルミン、もしかして何も知らないの?」
百瀬さんの声には、呆れと驚きが混じっていた。
「……初めて聞きました」
静さんは私を現場に連れ出しておきながら、何も説明してくれなかったのか。
神様も心霊も疎い私には、最初から話す必要がないと判断したのかもしれない。
けれど――そういう問題じゃない。
支配人の案内で、それぞれの部屋が割り当てられた。
私の部屋は三階。九条さんも、明生さんも、同じフロアに泊まっているらしい。
「荷物を置いたら、またロビーで」
百瀬さんに言われ、私は重たい荷物を抱えながらエレベーターに乗り込んだ。
胸の中に残るのは、初めて聞かされた“祓い屋の御三家”という言葉と、自分だけが知らされていなかったという現実。
◆◆◆
部屋に入ると、そこはシンプルなシングルルームだった。
白いシーツのベッドに、無造作に体を投げ出す。
「……祓い屋、なんて。なんだか遠い話だな」
天井を見上げながら、ぽつりとつぶやく。
祓い屋なんて、漫画や映画やアニメの中でしか知らない存在だ。
ほんの少し前までは、オカルトなんてただの娯楽でしかなかったのに。
(なんで……私だったんだろう)
入社二年目で異動を通達されたときは、本当に驚いた。
「私、何かやらかしましたか?」と人事部長に尋ねると、彼は小さく笑って「引き抜きだ。どうしても君に来て欲しいそうだ」と答えた。
そのときの私は深く考えもしなかった。
調査課がどんな部署なのか、ろくに知らなかったからだ。
総務部の総務課にいた頃は、課長以下七人の職員と一緒。
経理部と同じフロアで、毎朝わいわいと人の声が響くオープンな職場だった。
だから――初めて調査課の部屋に入ったときは衝撃だった。
四つの机が中央に並ぶだけの、小会議室を改造したような閉鎖的な空間。
窓際には課長の九条さん、その隣が私の席。
向かいには、明生さんと百瀬さんの机。
……九条さんの存在は知っていた。調査課の名前も耳にしてはいた。
けれどまさか、彼らが“祓い屋の末裔”で、心霊現象と真正面から向き合う部署だったなんて――夢にも思わなかった。
私は当たり前のように彼らと接している。
でも今思えば、とんでもない人たちと同じ机を並べているんじゃないか……。
そう考えたら、胸の奥にふわりと不思議な重みが広がった。