4−1
「疲れた……」
新青森駅に降り立った瞬間、私はもうへとへとだった。
新幹線での移動は本来なら快適なはず――けれど、現実は違った。
百瀬さんからの質問攻めが3時間あまりずっと続いたのだ。
「ねえねえ、静さんと普段どんな会話してるの?」
そこから始まり、6月の営業部事件、函館での出来事……。
東京から青森まで、延々としゃべらされ続けたおかげで、喉がガラガラになりそう。
一方その本人はーー。
「くるみーん! 車借りてきたよー!」
駅前で手を振る百瀬さんの背後には、青い塗装がまぶしいSUVタイプの高級車があった。
レンタカーとは思えないほど豪華だ。
8月の終わりだというのに、青森もまだじんわりと暑い。
東京の残暑よりは過ごしやすいが、油断すると汗がにじむ。
駅前にはねぶた祭のポスターが残っていて、夏の余韻を感じさせた。
百瀬さんは旅行気分そのままの笑顔。
私は新幹線の疲れと暑さで気力ゲージがほぼゼロ。
この温度差に、さらにため息がこぼれる。
助手席に乗り込み、シートベルトを締めながら横目で百瀬さんを見る。
「本当に……九条さんたちに知らせず勝手に来ちゃってよかったんでしょうか?」
「ここまで来て帰るなんてないでしょ? 女は度胸って言うし」
……それ、愛嬌じゃなかったっけ?
「でも、こんな高級車、経費で落ちませんよ」
「洗浄池の周りって道が悪いからさ。これくらいの車じゃないと走りにくいんだよ」
「……そうなんですね」
納得したような、してないような。
だって九条さんなら、絶対タクシー呼ぶと思うんだけど。
新青森駅を出てしばらくは市街地だったが、車が北上するにつれて景色は一変した。
両側に広がるのは、深い森と時おり現れる海。
窓を開けると、潮風と一緒に生ぬるい空気が入り込み、髪の毛をかすかに揺らした。
「ね、見て見て! ほら、あれが下北半島の灯台だよ!」
百瀬さんは片手で指をさす。
「運転に集中してください……」
そう注意しながらも、私もつい窓の外を見てしまう。
人の気配がどんどん減っていく。駅前の賑わいが遠い昔のようだ。
やがて標識に「恐山街道」の文字が現れた。
道は狭く曲がりくねり、両脇には岩肌と鬱蒼とした森。
昼間だというのに木々の影が濃く、フロントガラス越しに差し込む光がどこか鈍い。
窓を閉めていても、鼻を突くような硫黄の匂いが漂ってくる。
「ここまでくると、それっぽい雰囲気になってくるよね〜!」
百瀬さんは相変わらず楽しそうだ。
私はシートベルトを握りしめ、窓の外に視線を逸らした。
観光気分に浮かれる声と、胸の奥に広がる説明しがたいざわめき。
二つの温度差は、車が山奥へ進むごとに広がっていく。
しばらくすると、木々の切れ間から水面が見えた。
湖のように広がるが、どこか濁って重たい色合い。
硫黄の臭気が一段と強くなり、胸の奥にじわりと不快感がこみ上げる。
「あれが洗浄池……」思わず小さくつぶやく。
湖畔の一角に、白い外壁のホテルが建っていた。
観光用なのか、少し古びてはいるがそれなりの規模だ。
しかし周囲に店も人影もなく、建物だけがぽつんと湖面を背に立っている姿は、どこか異様だった。
「着いたー! さ、荷物降ろそう!」
百瀬さんが楽しげにハンドルを切り、ホテルの駐車場に車を滑り込ませる。
私は深呼吸を一つして、重たい空気を胸いっぱいに吸い込みながら、ドアを開けた。
湖畔に建つホテルは、白い外壁に赤い屋根。
少し古びているけれど、どこか懐かしい雰囲気があった。
レビューには「まるで昭和にタイムスリップしたみたい」と書かれていたが、確かに納得だ。
「じゃあ、チェックインしちゃおうか」
百瀬さんが軽い調子で言ったその時、私は大事なことに気がついた。
「あれ? ちょっと待ってください! 部屋は予約してないんですけど」
頭の中が一気に真っ白になる。
まさか……百瀬さんと同室、なんてことは――絶対に無理!
「大丈夫だよ。このホテルが満室になることなんてないから」
「そ、それならいいんですけど……でも、誰かと同室になるのはちょっと……」
私が言うと、百瀬さんはきょとんと首を傾げた。
「当たり前じゃない。クルミンは女の子なんだから、僕らと一緒の部屋に泊まらせたらとんだセクハラだよ。エロ親父だよ」
「え……」
その一言に、私は思わず固まる。
そして数秒の沈黙の後、二人して見つめ合った。
「えっ?!」
先に声を上げたのは百瀬さんだった。
「もしかして……まさかとは思うけど、函館に行った時、静さんと同じ部屋に泊まったの?」
私は視線を空に向けながら、小さくつぶやく。
「……おかしいとは思ったんですが、初めてだったので、そういうものなのかと」
「嘘でしょ……」
百瀬さんはその場にかがみ込み、両手で顔を覆った。
「も……百瀬さん……?」
「くっ、くははっ……! くははははははははっ!」
なぜか大爆笑。
お腹を抱えて、声を上げて転げそうになっている。
「ヤバい、ヤバい! 二人とも天然すぎて……ほんとヤバい!」
私はむっとして口を尖らせた。
「……誤解しないでくださいね。九条さんに“夜に行動するから夕方寝とけ”って言われて、特に変な違和感もなくて……それに部屋は襖で仕切られてましたし。布団だって隣に敷いたわけじゃないんですよ」
「だとしてもアウトでしょ! 同室に泊まったら、襲われても文句言えないんだから!」
「九条さんが……私を襲う?!」
「逆! 静さんが襲われる方!!」
「失礼な! 私は九条さんを襲いませんよ!」
ホテルの玄関前に、私たちの声が響き渡った。
すでに笑い疲れている百瀬さんの顔は、涙でぐしゃぐしゃだ。
ーーひどい。