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「話してくださって、ありがとうございます」
私は一度息を整えてから、意を決して切り出した。
「実は……早見さんから“自分を騙した男を殺してくれ”と頼まれました」
その瞬間、和田部課長と新橋さんの顔色がさっと変わる。
血の気が引いたように青ざめ、互いに目を見合わせた。
「おいおい……冗談はやめてくれ」
「もちろん、“わかりました”なんて言いませんでしたよ」
私は苦笑して肩をすくめる。
「その代わり、『だったら、その人に取り憑いて呪い殺したらどうですか』とは……言いましたけど」
「おい!」と明生さんが小声で突っ込む。
和田部課長は眉をひそめ、低く問いかけてきた。
「……その“自分を騙した男”って、誰のことなんだ?」
「それが……名前まではおっしゃらないんです。曖昧に濁すばかりで。ただ、やっと会話はできるようになりましたから……次は直接、本人に聞くしかないと思っています」
しばし沈黙が落ちた後、和田部課長は信じられないものを見るようにこちらを凝視した。
「君たち……本当に、幽霊と話ができるのか?」
「俺は、それで飯食ってるんや」
明生さんがさらりと答える。
その時だった。
「成仏! 成仏させることはできないんですか!?」
突然、大声を張り上げたのは新橋さんだった。
思わず私も背筋を震わせる。
「できますよ。浄化させて、魂を上に送るんですわ」
明生さんが落ち着いた声で返すと、新橋さんは縋るように叫んだ。
「お願いします! 彼を……彼を成仏させてあげて下さい!」
その声には、切実な響きがあった。
仕事仲間としての情か、それとも個人的な思い入れか――。
「……最終的には、もちろんそうします」
明生さんは静かに頷いた。
「すごく真面目な人だったんです。きっと……出来心だったんだと思います。だから、あまり問い詰めるのは……可哀想で……」
新橋さんの声は震えていた。
私はその横顔を見つめ、胸の奥に重いものを抱える。
「……せやな」
明生さんが小さく息を吐く。
「俺も、死んだ人の罪を根掘り葉掘り問い詰めるような真似はしたない。……救うために、ここにおるんやから」
◆◆◆
和田部課長と新橋さんが去った後、静まり返った調査課の部屋で、私は明生さんと顔を見合わせた。
「……新橋さん、様子がおかしかったですよね」
「せやな」
明生さんは椅子に深く腰を下ろし、腕を組む。
「あれは“無関係な人間”の反応やなかった。むしろ、早見に余計なことを喋られたくない……そういう風に見えたわ」
私も頷く。胸の奥に引っかかる違和感が、じわじわと広がっていた。
「どうしますか?」
「……まずはもう一度、早見さんのところへ行って揺さぶるしかないな。あの人が隠してるもんを吐かせるには、それが一番や」
言葉の端に、決意と緊張が滲んでいる。
「でも……もし揺さぶって、暴れ出したら?」
「……その時は、したないけど強制的にどいてもらう」
低く告げる声に、背筋がすっと冷える。
「明生さん……強制的に散らすこともできるんですか?」
「……ああ。最終手段やけどな。ほんまは得意やないんや」
私は少し考えてから、口にする。
「……九条さんとは逆なんですね」
明生さんが小さく笑みを浮かべた。
「せや。あの人は、あんま迷わんからな。……俺は、できる限り“言葉”で済ませたいんや」
机の上に残された下手な似顔絵を見つめながら、私は静かに頷いた。
――でも、相手が何を隠しているのかを突き止めなければ、この件は終わらない。
◆◆◆
再び、私たちはエレベーターで地下二階へ降りた。
角を曲がると、一直線の廊下の先に、人影が立っているのが見える。
「……あれ、新橋さんじゃ?」
例の部屋の前で立ち尽くしていたのは、新橋さんだった。
近づくと、こちらの足音に気づいたのか、彼は小さく会釈をした。
「……先ほどは、どうも」
ぎこちない声。表情は硬く、どこか思いつめたように見える。
「まだ近寄ったら危ないですよ」
私は注意を促すが、新橋さんは視線を逸らさない。
「……私も、ご一緒してもいいですか?」
唐突な申し出に、明生さんが即座に首を振った。
「無理や。中は危険や」
それでも新橋さんは、一歩も退かない。
「それでも……どうしても、私は……」
その様子に、私は悟った。――ここでは言えない事情があるのだ、と。
そうでなければ、わざわざ心霊現象が起きる部屋に入りたいなんて言い出さない。
「……明生さん。連れて行ってあげましょう」
「胡桃ちゃん……」
明生さんは苦い顔をする。
「もし彼が怪我でもしたら、取り返しがつかんかもしれへんで」
それでも新橋さんは、強い決意を宿した目で言った。
「構いません。私は幽霊なんて信じてませんでした……。でも、本当に早見さんがここに居るのなら――私は行かなければならないんです」
張り詰めた声。その言葉には嘘がなかった。
明生さんはしばし沈黙し、やがて小さく頷いた。
「……ほな、約束や」
低く言い渡す。
「俺が“逃げろ”と言ったら、二人とも何があっても逃げること。その時、決して後ろは振り向かんといてな」
新橋さんは、深く頷いた。
私も胸の奥で固く誓う。
「――ほな、開けるで」
明生さんが、静かにドアノブへと手をかけた。
金属の冷たさが、廊下の空気よりもさらに重く感じられた。