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御厨リゾート怪異ファイル  作者: しろいぬ
第二話 乗りかかった船は、途中で降りません。
16/36

2−8

 港の通りを抜けると、潮の香りが一層濃くなった。

 波止場に並んだ古い木造の倉庫は、どれも外壁のペンキが剥げ落ち、錆びついたトタン屋根が夏の陽にきらめいている。

 漁具を積んだトラックがゆっくり通り過ぎ、港町特有の、ざらりとした生活の匂いが漂っていた。


 九条さんは迷うことなく歩を進め、狭い路地に入る。

 足元には海水で濡れた石畳、猫が一匹、魚の骨を咥えて塀の影へ消えた。 



「さっきのマスターが言っていた松島さん……」


 私は隣を歩きながら声をひそめる。


「どんな人なんでしょうか」

「知るか」


九条さんはそっけなく言った。


「だが、彼女も何も話したくないというのなら、今回の調査はこれで終わりにする」

「そうですね……」


 私はこくりと頷く。胸の奥に、微かな期待と同じくらいの不安が同居していた。

 まおちゃんの影を追ううちに、いつの間にか心臓が早鐘を打つ。

 会えば、きっと何か分かる予感がする。だが、同時に知りたくない真実が待っている気もするのだ。


 やがて路地を抜けると、古びた平屋の一軒家が見えてきた。

 漁網が軒先にかけられ、外壁には潮風で白く色あせた板が打ち付けられている。

 庭先には干し大根がぶら下がり、生活感が漂っていた。

 松島という表札を確認すると、九条さんはためらいなく玄関前に立ち、扉を軽く叩いた。


「はいはい、どなたさん?」


 少ししゃがれた声に続き、中からしばらく物音がして、やがて腰の曲がった小柄なおばさんが現れた。

 日焼けした肌に、手の甲は皺だらけ。それでも眼光は鋭く、若いころの勝気な性格が垣間見える。


 九条さんが軽く会釈し、私に視線を送る。

 ここから先は、私が口を開く番だ――。


 松島さんは私たちを訝しげに眺め、玄関口で腕を組んだ。


「……あんたら、観光の人じゃないべね?」

「はい。東京から来ました。実は――」


 私は名刺を差し出し、深呼吸をして言葉を整える。


「三ノ上函館ホテルについて調査をしていて……当時、従業員だった方にお話を伺いたいんです」


 その名を聞いた瞬間、松島さんの瞳が細くなる。

 一拍置いて、低くため息をついた。


「倒産してから、もう十年かねぇ……。今じゃ建物も荒れ放題だよ」

「今は、どなたが所有しているんですか?」


 聞くと松島さんが答えるより先に、九条さんが口を開いた。

 

「競売にかけられて、港町不動産が買い取ったはずだ。もっとも、再利用の話は立ち消えになって、そのまま放置されているが」

「……そうそう、港町不動産だ。けどな、あの土地も建物も厄介者扱いでね。取り壊すにも莫大な金がかかるし、観光資源にするには”いわく”が多すぎる。誰も手を出さずに、十年も塩漬けさ」

「なるほど……だから今も廃墟のまま残っているんですね」


 私は頷き、メモに書き留めた。


「そういうことだ。悪いことは言わないけど、あそこはやめときなさい。昔のことを知ってる地元の人間ほど、あの場所には近づかないもんさ」

「失礼ですが、働かれていたのは本当ですか?」


 問を重ねると、松島さんは口をへの字に結び、しばし逡巡した。

 やがて、玄関先からちらりと港を見やり、私たちを手招きする。


「立ち話もなんだから、中に入りなさい。人に聞かれたくない話もあるしね」




◆◆◆




 中に入ると、潮風の香りが染みついた畳の部屋に案内された。

 卓袱台の上には漁師町らしい湯呑みが二つ、すでに用意されている。まるで訪問を予期していたかのようだ。


「……私があそこにいたのは十年以上前さ。若いころから、掃除と配膳で世話になってね。社長さんも奥さんも、優しい人たちだったよ」


 松島さんはぽつりぽつりと語り始める。


「ただね、親父さんが亡くなってから、跡取りの坊ちゃんが仕切るようになって……そこから歯車が狂った。経営も荒れて、お客も減って、従業員も辞めていった」

「跡取りの坊っちゃんというのは、霧島礼一さんのことですよね? どんなお人柄だったのか、聞いても?」


 松島さんは湯呑みを置き、しばらく黙り込んだ。

 その沈黙が重く伸び、潮風の音ばかりが耳に届く。


「……礼一坊ちゃんのやり方は、ほんとに滅茶苦茶だったんだよ」

 やがて吐き出すように言葉がこぼれる。


「経営は下手だし、金の使い方も荒いし……女遊びも派手でね。奥さんが妊娠中でも、平気で愛人をホテルに泊めるような人だった。従業員に強く意見する人は片っ端から辞めさせちまって、まるで王様気取りだったよ」


 だから潰れたんだと、松島さんは語尾を強めた。


「母親のことだって、最後は奥さんの雪乃さんが世話をして看取ったんだよ。奥様は嫁さんに、不出来な息子のことを詫びながら亡くなったって話だ」


 私はペンを止め、息をのんだ。


「そんな噂があったんですか……」

「それに……礼一坊ちゃんは、親にも雪乃さんにも手を上げていた、そんな話も聞いたよ。直接見たわけじゃないけどね」


 九条さんが静かに眉をひそめる。


「よく離婚しなかったものだな」

「子供がいたからねぇ。頑張りたかったんだろうよ。でも過労で倒れて、そのまま入院。あんなに働き者だった人がねぇ……」


 松島さんは苦い顔をし、卓袱台の縁を撫でた。


「そのうち心の病を患ってしまって……とうとう礼一さんと離婚することになった。気丈な人だったのに、立ち直れなかったんだ」


 私は胸の奥が締め付けられるような思いで、次の言葉を待った。


「追い打ちをかけたのが……まおちゃんのことさ」


 松島さんの声が、いっそう低くなる。


「まおちゃんは、雪乃さんと残った従業員たちの唯一の癒やしの存在だったんだよ。太陽のように明るくて、妖精のように可愛かった。それなのにーーある夜、海で溺れて亡くなってしまった。事故なのか、それとも……真相は私も知らない。ただ、あれが決定的だった。残った従業員たちも次々と辞め、お客も寄りつかなくなって……ホテルは暗い噂ばかりが広がって、ついに潰れてしまったんだ」


 部屋に重苦しい沈黙が流れる。

 潮の匂いが、やけに強く鼻を刺した。


「不躾ですが……、その、雪乃さんの所在をご存知ですか?」


 松島さんは、首を横に振る。


「さあ……。今頃、どこでどうしているのやら」




 ◆◆◆




 松島さんに別れを告げたあと、私たちは再び港へ出た。

 潮の匂いとカモメの鳴き声が、妙に冷たく響く。


 ホテルが倒産した経緯は聞き出せたものの、肝心の雪乃さんの所在ははっきりとしないままだった。


 九条さんが腕時計で時間を確認しながら呟いく。


「状況は見えてきた。ついでに、まおの死因もわかるかもしれない」

「まおちゃんの死因って……、海で溺れたと……」

「色々と話しを聞いて、おかしいと思わなかったのか?」


 私は手帳を開き、メモを確認する。


 港のおばあさんの話によると、白いワンピース姿の少女が目撃されたのは夜。

 松島さんも、夜の海で溺れたと言っていた。


「夜の海で溺れるって……、海岸で足を滑らせたということでしょうか?」

「ではなぜ、海岸に行ったんだ?」

「それは……」

「当時は、ホテルも営業していて今ほど暗くはなかっただろうが、日が落ちてから七歳の子供がふらふらと海に行く理由は?」

「……わかりません」

「8月の終わりなら、花火や祭りもない。観光客だって、宿に戻っている時間帯だろう」


 港のおばさんも、松島さんも言っていた。

 ”真相は知らない”って……。


「誰も、事故だと断定した言い方をしない。明らかに状況がおかしいからだ」

「まさか……」


 私は最悪な想像をして、顔を青ざめる。


「……だが、殺されたわけでもなさそうなんだ」

「そうなんですか?」

「誤って海に転落をしたのは事実なのだろう」


 九条さんは目を伏せて静かに言った。


「次の手がかりは……礼一さんの関係者、あるいは雪乃さんの親族でしょうか」

「それと、倒産時の記録だな。十年前の新聞記事や裁判記録を当たれば、断片的でも事実が拾えるはずだ」


 冷たい風が吹き抜け、潮のしぶきが頬にかかった。

 私たちは顔を見合わせ、黙って歩き出す。

 まるで海の底から、まだ語られぬ真実が手招きしているようだった。


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