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古びた木のドアを押すと、カラン、と乾いた鈴の音が響いた。
中は静かで、窓際の席に新聞を広げた老人、カウンターには地元の主婦らしい二人が腰かけている。昭和の香りがそのまま残った空間に、濃いコーヒーの香りが漂っていた。
「いらっしゃい」
カウンターの奥から、白髪混じりのマスターが顔を上げる。
私は名刺を差し出しながら声をかけた。
「すみません、東京から調査で来ておりまして……御厨リゾートの山木と申します」
マスターは名刺を受け取り、眼鏡の奥の目を細める。
「御厨リゾート……ふむ。あの辺りのホテルに関係してるのかい?」
「はい。実は、廃業になった『ホテル三ノ上函館』について調べているんです」
その名を口にした途端、店内の空気が重くなる。新聞を広げていた老人がちらりとこちらを盗み見し、主婦たちの話し声もぴたりと止んだ。
「経営のことはさておき――」
低い声で、九条さんが口を開く。
「こういう場所では、客よりも従業員の方がよく見ているものだ。まだ生きている元従業員がいれば、話を聞く価値がある」
私はその言葉を引き継ぎ、身を乗り出した。
「どなたか、ホテル三ノ上函館で働いていた人をご存じないですか?」
カウンター越しに目を合わせたマスターは、黙ってカップを磨き続ける。
店内の空気が一瞬ぴんと張りつめ、新聞を読んでいた老人もちらりとこちらをうかがった。
ややあって、マスターが渋い声を出した。
「……昔の従業員なら、漁港の奥に住んでいるおばさんがいたはずだ。調理場で長く働いていた人だが……あまり話したがらないかもしれん」
「そうなんですか。お名前は?」
マスターは小さく首を振り、
「松島さんという人だ。ただし、根掘り葉掘りはやめた方がいい。あのホテルのことは、この町じゃあんまり口にしたがらないんでね」
脇でコーヒーを飲んでいた主婦の一人が、ひそひそと囁いた。
「そりゃそうよ……思い出したくもないことだもん……」
またもや空気が重く沈む。
九条さんは特に驚いた様子もなく、私の方を見た。
「行くぞ。余計な詮索をしている暇はない」
私は慌てて頷き、カウンターに礼を言って店を後にした。