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御厨リゾート怪異ファイル  作者: しろいぬ
第二話 乗りかかった船は、途中で降りません。
13/36

2−5

「……俺は子供が得意じゃないんだが……仕方ないか」


九条さんは小さく舌打ちをして、乱暴に頭をかきながら窓際へ歩み寄る。港からの湿った夜風が、カーテンを重く揺らした。


「お前の母親は——ここにはいない」


 えっ、ちょっと!? いくら幽霊でも、そんな直球で言わなくても!


《……ママ……どこ……》


「自分の名前は言えるか」


《……まお》


「何歳だ」


《七歳……》


 まおちゃんは瞬きもせず、ただ九条さんを見つめている。輪郭がかすかに揺らぐ。


「盆の時期に家に帰って……戻れずにここにたどり着いたか。あるいは、帰る前にこの場所で……」


 九条さんは振り返り、低く続けた。


「……迷い込んだか、だ」

「どうするんですか? こんな所にずっとなんて可哀想です」

「そう言われてもな。俺ができるのは、強制的に“上”に送ることだけだ」


 強制的、って……語感が怖い。


「まおちゃんはお母さんを探してるんです。会わせてあげられませんか?」

「簡単に言うな」

「そんなに難しいんですか?」

「生きてるのか、死んでるのかも分からん相手だ」


 その現実を突きつけられ、胸が重くなる。


「この子の視え方だと……亡くなったのはそんなに昔じゃない。近くで七歳くらいの少女が亡くなった記録があれば……なんとかなるかもしれんが」

「なら、探しましょう!」


 九条さんに、盛大なため息を吐かれた。


「……お前、怖くないのか」

「怖いですよ! でも、それ以上に……こんな小さな子がお母さんを探して彷徨ってる方が、ずっと嫌です!」



 九条さんが、空中に向かって呟く。


「なら、こいつらは蹴散らしておこう」

「……こいつら?」

「さっきから俺達を威嚇しているやつらだ。こういうたちの悪いのが集まるから、このホテルは倒産したんだ」


 九条さんが、まおちゃんの小さな手を軽く握り、静かに立ち上がる。

 視線が部屋の奥、闇の向こうへと鋭く突き刺さる。



「……出てこい」



 その声は低く、しかし拒絶を許さぬ圧があった。

 途端に、部屋の四隅で黒い影がざわめき始める。壁の木目からにじみ出たような人影が、歪んだ顔をこちらに向けた。


「お前達の縄張りは、ここで終わりだ」


 九条さんは指先をゆっくりと持ち上げ、空中に何本もの見えない線を描き出す。

 指が動くたび、部屋の空気が震え、床から天井まで淡い光の鎖が伸びていく。

 影はその鎖に絡め取られ、もがくように身をよじった。



「跪け」



 一言。

 九条さんの視線と声に縫い付けられるように、黒い影たちは一斉に膝を折る。

 畏怖か、屈服か、その動きはまるで人間だった。

 彼はさらに一歩踏み込み、指を弾く。

 鎖が収縮し、影をまとめて一つの球状に押し固める。

 部屋の温度が一瞬だけさらに下がり、吐く息が白く漂った。



「……散れ」



 払うような動作とともに、球状の闇は霧のように四方へ飛び散り、光の粒となって天井の闇へ吸い込まれていく。

 その瞬間、張り詰めていた空気がふっと和らぎ、窓の外から再び波音が戻ってきた。

九条さんは何事もなかったかのように、まおの方へ視線を戻す。


「これで静かになったな」


 私は、目の前で繰り広げられた一部始終を思い返しながら、まるで特等席で壮大な舞台を見せられたような気分だった。


 恐怖よりも、圧倒的な感動のほうが胸を満たしている。

 さっきまで制御できずに震えていた手足は落ち着きを取り戻し、窓から入り込む夜風さえ心地よく感じられた。


「あの、まおちゃんは……」

「母親が見つかるまで、もう少しここに居てもらう」

「わかりました。あの……私がその子に話しかけたら、まずいですか?」

「問題ない。俺が居るから、お前に取り憑くようなこともない」


 その一言に、胸の奥で固まっていた不安がほぐれていく。

 私はゆっくりと少女に向き直り、膝を少し折って目線を合わせた。


「あの、私は山木胡桃と言います。まおちゃんがお母さんに会えるように、調査してきます。だから……もう少し、ここに居て下さいね」


 返事はなかった。

 それでも、まおちゃんの大きな瞳が一瞬だけ私を映したように見えて、胸の奥が温かくなった。


 廃ホテルを出ると、潮の匂いを含んだ風が頬を撫でた。

 港の方角から、低く響く船の汽笛が夜を裂く。

 遠くの防波堤に並ぶ灯りが、波間に揺れながら金色の筋を描いていた。

 振り返れば、ホテルの黒いシルエットが夜空に沈み、その窓の一つだけがぼんやりと白く光っている気がした。


 雪の花ホテルの部屋に戻ると、湿気で少し重くなった服を脱ぎ捨て、机にノートパソコンを置く。

 照明の白い光が、さっきまでの非現実を現実に引き戻す。


 過去二十年分、この函館周辺で七歳の少女が事故死、あるいは不審死した記録を洗い出していく。

 手掛かりは「七歳」と「まお」という名だけ。

 スクロールしても、該当するニュースは見当たらなかった。

 モニターの光に照らされた画面は、ただ無言でこちらを見返してくる。

 

 ……やはり、明日は現地での聞き込みだ。

 私はブラウザを閉じ、小さく息を吐いた。


(げ……もう三時半……)


 九条さんの言った通り、結局、眠りについたのは明け方近くになってしまった。

 もっとも、そんな夜更かしをしていたのは私だけだ。九条さんは、調べ物もそこそこに浴衣へ着替え、隣の部屋へとあっさり引き上げてしまっていた。


(一緒に調べてくれると思ったのに……白状だな)


 ぴしゃりと閉じられた襖を、暗がりの中で睨む。

 布団に潜り込みながら、明日のことを思う。



 ――まおちゃんの母親を探さなきゃ。



そう心に刻みつけるようにして、私は瞼を閉じた。


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