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御厨リゾート怪異ファイル  作者: しろいぬ
第二話 乗りかかった船は、途中で降りません。
12/36

2−4

 動画サイトで見るような落書きやイタズラの痕跡はない。

 ここは、誰もいないまま時が止まった——いや、静かに息を引き取った廃墟のようだった。


 足が震える。私は何度でも言うが、極度の怖がりだ。ホラー映画は観ないし、お化け屋敷にも入ったことがない。正直、仕事でなければ絶対に来ない。

 九条さんが、ためらいなく暗い廊下へ踏み出す。着いていくのは怖い。だが、置いていかれるほうがもっと怖い。


「絶対に、置いていかないで下さいね」


 念を押し、背中から離れないように追う。

 懐中電灯の光が壁をなぞるたび、薄いピンク色の壁紙がめくれ上がり、茶色いシミが浮かび上がる。

 カーペットは色あせ、ところどころ沈み込み、「ぎゅっ……」と湿った音を立てた。


(最悪だ……)


 一時間前までは、ちょっとした旅気分だったのに。こんなことならホイホイ着いて来るんじゃなかった。

 北海道出張が決まったとき、九条さんは『俺たちの仕事がどんなものか教えてやる』と言っていた。


 ——これが、仕事? 肝試しじゃなくて?

 調査課って、何を調べる部署なんだ?


 考えが巡るうちに、九条さんは無言で階段を上り、五階の突き当たりで止まった。

 金色のプレートがかかった扉——「スイートルーム」。だが、ドアノブは白く曇った埃に覆われている。


「ここか」


 鍵束から一本を選び、ガチャリと差し込む。

 ゆっくりとドアが開き、懐中電灯の光が室内を切り取った。

 広い。だが空気が重い。


 ベッドはシーツが剥がされ、マットレスがむき出し。半分外れたカーテンの隙間から、港の黒い水面が覗く。

 壁際のドレッサーは厚い埃に覆われ、鏡には白布が掛けられている。


「……九条さん、これ、雰囲気的に“出る”やつじゃないですか?」


 声が掠れる。背中を冷たい汗が流れる。


「お前には”声”が聞こえないか?」


 真剣な眼差し。冗談じゃない。


「……声って、誰のですか?」唇が震える。

「このホテルが倒産した理由、まだ言ってなかったな」

「経営不振……ですよね?」

「その経営不振の原因だ」


 言葉が喉で止まる。聞きたくない。だが九条さんは続ける。


「理由は、このスイートルームにある」


 声……なんて、やっぱり聞こえない。


(脅かすために言ってるだけ……?)


 そう思いかけたが、九条さんはそんな冗談を言う人じゃない。

 その横顔は、夜の闇に沈んでもなお真剣だった。


「九条さんには、誰かの声が聞こえるんですか?」


 返事はすぐに返ってこなかった。


 港から吹き込む潮風が、湿った冷気を部屋に運び、カーテンがひとりでに揺れる。

 遠くでフェリーの汽笛が、重く低く響いた。


「ずっと……聞こえている。送り火を焚いても戻れなかった者たちが、ここに集まってくる」


 背筋が一気に冷え、足元の感覚が遠のく。


「ど、どういう……ことですか……」


声が震え、自分でも情けなくなる。


「このホテルは駄目だ。買い取るべきじゃない」


 私には波の音しか聞こえない。けれど、その声には、理由を説明しきれない重みがあった。


「土地が悪いと言えば、わかるか?」


 首をぶんぶん横に振る。


「いくら祓ってもきりがない土地というものがある」

「……祓うって……お祓いのことですか?」

「そうだ」


 喉が渇く。呼吸が浅くなる。


「じゃあ……ここには幽霊が……」


九条さんは少しだけ視線を上げ、短く答えた。


「大勢いる。お前の声がよく聞こえないほどにな」


 心臓が一瞬、跳ねた。幽霊なんて信じないはずなのに、足元が揺れるような感覚に襲われる。


「も、もしかして、九条さんは……幽霊が視える人で、お祓いもできる人なんですか?」

「そうだ」

「それが……仕事?」

「御厨リゾートは土地の購入、ホテルの買収、新規開拓、全ての事業で、まず俺達が調査する」


 乾いた唇を噛み、必死に笑おうとしたが、喉の奥が引きつって声にならなかった。


「そんな……だったら、私みたいな幽霊を信じてない人は調査課向いてないですよね?」

「信じてない割には、死にそうな顔をしているが」

「これは、ただひらすら怖いだけです! 私、こういうの苦手なんで!」



「そうだな。信じていなければ、俺達の仕事は理解できない。……今のお前には、俺が頭のおかしい奴に見えるだろう」

「そこまでは言いませんが……」


 正直、霊媒師や霊能力者なんて全部インチキだと思ってきたし、怪談も作り話か気のせいだと思っている。


 だけど、こんな大人の男に真正面から言われると、頭ごなしに否定するのも気が引けてくる。


 部屋の奥、影になった角でカタンと何かが落ちたような音が響いた。


「ひっ!」


 喉が詰まったような声が漏れ、思わず飛び上がる。


「……これはただの風だ」

「そ、そ、そうなんだ……怖すぎる……」

「こんな所まで無理やり連れてきて、悪かったな」


 意外な謝罪に、返す言葉を探す。九条さんは絶対に謝らないタイプだと思っていたのに……。


「ええっと……、正直いきなり信じろと言われても無理なんですが……それが調査課の仕事だと言われると、その……」


 御厨リゾートは世界にも進出している有名企業だ。その会社が真面目にやっているなら……。


 ドン! と、天井から大きな音が響いた。反射的に見上げる。


「か……風、強いですね。ははっ……」

「いや、これは……」


 九条さんが、懐中電灯の光を天井から壁へと滑らせる。その視線は真剣で、私の足は竦み、もう立っているだけで精一杯だった。


 ドン……ドドン……ダン!


 最初は遠くで鳴っていたはずの音が、次第に部屋の四方から響き出す。壁も天井も、見えない何かに叩かれている。


「ひぃぃぃぃぃ!」


 私は耳を塞ぎ、その場にしゃがみ込んだ。これは絶対、風じゃない。


「大丈夫だ。落ち着け。俺がいる」


 九条さんが、私の頭に軽く手を置く。その仕草だけが異様に現実的で、逆に心が揺れる。


「ラップ音だな。威嚇しているだけだ。力は強くない」


 その低い声は、不思議と波立った呼吸を整えてくれる。


「い、威嚇って……怒ってるってことですよね?」

「そうだ。俺達は侵入者だ」

「早く出ましょうよ!」


 涙で視界がにじむ中、九条さんはわずかに首を横に振った。


「お前がいるからそうしたいが……」


 その言葉が途切れた瞬間、背筋に氷のような悪寒が走る。


 音が、消えた。

 風も、波も。代わりに——



《……ママ……どこ……》



 掠れた幼い声が、真横から耳に入り込んでくる。

 汗が頬を伝うのも構わず、私は振り向けなかった。


「母親とはぐれたらしい」


 あまりに落ち着いた九条さんの声が、逆にこの状況を非現実にしていく。


 私は幽霊なんて信じない。いたら悲しすぎるから。


 けれども——


 窓際に、月明かりよりも淡い輪郭が浮かんでいた。

 肩までの髪が水に濡れたように艶を失い、白いワンピースが風もないのに揺れている。足は……床に届いていなかった。


「……みえます……私にも……」



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