第一章 愛の証明 ①
好きな人が自分を好きになってくれる確率って、一体どれくらいなのだろう。
それははもしかしたら天文学的な数字かもしれないし、じゃんけんで勝つよりも勝算の見込める人だっているだろう。個人のスペックや環境によって大きく差が出る、統計の取りようのない数値である。
逢坂晴陽は、そんなあやふやなデータに振り回されない。
想い人は言う。「恋愛対象として見ていない」と。
それは日時を変えれば、「しつこい」「鬱陶しい」「いい加減にしろ」「通報するぞ」など、バリエーション豊富な拒否の言葉に置き換えられるパターンもある。
さて、どうしたら凌空の心を射止めることができるのだろうか。
今日も今日とてすげなく追い払われた晴陽が頭を捻りながら教室に戻ると、明美が前の席に座った。
「そんなに好きの安売りをしたって、男は振り向いてくんないって。女はミステリアスで何を考えているのかわからないくらいの方が、絶対モテる」
「絶対? 明美の言葉に説得力なんてないけど」
彼氏いない歴=年齢のくせに、やけに上から目線で助言しようとしてくるのが友人である遠野明美の特徴だ。
「は? 男のことならよく知ってるっつの! あっくんの『絶対! 乙女式☆ラジオ』ヘビーリスナーであるあたしを見くびるなよ?」
明美は声優オタクである。明美が夢中になっている「あっくん」とは子役出身の若手人気ナンバーワン声優で、彼は自身の冠番組でよく私生活のことを話したり、同世代の男性声優をゲストに呼んでトークをしているらしい。
明美が男を語るときにベースとなる情報源は、すべてここからだった。
「そのラジオのリスナーであることと、明美が男を知ってることに因果関係は全くないから。っていうか、振られたって決めつけないでよ」
「晴陽が振られたかどうかなんて、超能力者じゃなくても余裕でわかるし。なんなら、明日の結果も予想できるけど?」
「明日の予想くらい私にだってできる。凌空先輩は明日も絶対に格好いい。そんで、明後日はもっともっと格好いい」
日を追うごとに魅力を増す凌空を想って頬を緩めると、明美の瞳が大きく開かれた。
「あれ? 都築先輩のこと名前で呼んでたっけ? ……ありえないとは思うけど、ちょっとは関係が進展したとか?」
「聞いてくれる? 昨日の放課後にね、凌空先輩の方から『苗字で呼ばれるのは好きじゃないから、どうせしつこく付きまとうならせめて名前で呼んでくれ』って言われたの!」
「……嬉しそうだけど、先輩が仕方なく妥協したってだけだからね? 入学してすぐに一目惚れした相手に半年以上も毎日告白し続けるなんて、晴陽は周りから見たらそこらのチャラ男もメンヘラもドン引きするレベルのやべー奴だからね?」
「溢れる愛が抑えられないんだよね。一日は二十四時間しかなくて、一時間は六十分しかなくて、一分は六十秒しかないんだよ? 私の気持ちを知ってもらうためにはどう考えても足りない。だから少しでも多く好きだって伝えたいの」
一秒も無駄にしたくないというのは大袈裟でもなんでもなく本心だ。
明日が来るかどうかを不安に思ったり、命があることに感謝したりする気持ちを、晴陽は同級生たちよりも強く持っていると自覚していた。
☆
小学校入学と同時に与えられた自室にあるベッドは東側の窓に沿って置いてあるため、これでもかというくらいに朝日が入り込んでくる。
晴陽は朝が好きだし、早起きも好きだ。今日も目覚ましが鳴る前に目を覚ました晴陽は、ぐっと背伸びをしながら胸の前で手を合わせた。晴陽には毎日、起床時と就寝前に神様に感謝を告げる習慣がある。
――神様、今日も私を生かしてくれてありがとうございます。
命があるからこそ、凌空を見ることができる。この気持ちを伝えることができる。
当たり前のように過ごす一日は、かけがえのない奇跡の結晶であると晴陽は知っている。
季節は十一月。段々と寒さが厳しくなってきても、晴陽は布団から出ることを躊躇しない。
「おはよう晴陽。今、お味噌汁温めるからね」
居間に顔を出すと、母はそう言ってガスコンロに火をつけた。ダイニングテーブルに腰かけた晴陽はサラダに箸をつけながら、忙しく動き回る母の様子をぼうっと眺めた。
朝からパートがあるのにもかかわらず『健康な体は食から作られる』というモットーを掲げる母は、毎食栄養バランスが完璧に整った食事を用意してくれる。
納豆をかき混ぜていると、母はテーブルの上に味噌汁の入ったお椀を置いた。
「体調はどう? 辛くない?」
「大丈夫だよ。今日も楽しく過ごせそう」
毎朝恒例の質問にも面倒臭がらずに答えると、母は安心したように笑って対面に座り、晴陽が食事をする様子を見つめた。高校一年生の娘に対しては些か過保護な行動に、将来子離れできるのか心配になってしまう。
ただ、過去に迷惑をかけてしまったという負い目からだろうか。晴陽が母を邪険にできないことも過保護を増長させてしまっていると自覚はしている。
「ごちそうさま。じゃあ、行ってくるね」
コップに水を注いで、複数の錠剤を胃の中に流し込む。ルーティン化された作業を素早く済ませて、玄関まで見送りに来る母に背を向けて扉を閉めると、外のひんやりとした空気が晴陽の肌を活性化させたような気がした。
今日の凌空は一体、どんな顔を見せてくれるだろう。
期待に胸を膨らませながら学校へ向かった。