巡礼の事情
シイラは元より巡礼の旅で馬車に乗り慣れていたが、やはり聖女用の豪華な馬車と今回の馬車では勝手が違う。
特に乗り心地の点でだ。
「シイラ様、申し訳ありません……」
三度目の休憩で、いよいよ吐き戻しそうになったサンの顔色は悪い。
「いいじゃない、急ぎの旅ではないもの。それに馬の休憩だって必要だったんだし。それに休憩の度に食事の材料が豪華になっていくわ。ありがたいことよ」
三半規管も強いシイラはサンの背中をさすりながら笑う。
彼女の言う通り、休憩で止まる度に近くにハーブや木の実の群生地を見つけたり食べられる動物を仕留めたりと運が良いことが続いていた。今日の食事は豪華な春の恵みが食べられることだろう。
「うう、馬はまだまだいけるんです……」
サンが呻く。
もともと馬車馬というのは小休憩を入れて長時間走らせないようにするべき馬だ。
しかし聖女を乗せるとあって張り切っているこの二頭の馬は、自分たちはまだまだ走れると主張している。頼りない従者だとサンのスカートを食んでいるくらいである。
御者の男はのんびりしたもので、休憩に入るとさっさと馬の状態を確認しては煙草をくゆらせて寝転がっている。
バッツは真面目に周囲の警戒をしているが、まだ教会からそう離れておらず、ピリついた様子もない。
一行の中で唯一サンが己のふがいなさに落ち込んでいるだけだ。
「もうせっかくだし、少し休んだら昼食にしましょう。ね」
シイラが微笑むと、サンも釣られて微笑んだ。
昼食を食べながら三人は旅の経路について改めて確認した。
「上手くいけば今日の夕方にはアリーの祈宿につきます」
と、バッツが言う。
「祈宿――聖地を目指す巡礼者のための宿ですよね。……教会が管理している」
サンは顔をしかめた。
本来ならば祈宿は巡礼者のための宿で、巡礼者の印である巡礼布を見せればタダで泊まることができるはずだ。
のだが。
「やっぱり、聖力を偽っていた偽聖女となればみんないい顔をしないかしら」
「シイラ様は神に愛されし聖女です!」
サンは声を大にして主張する。
「……とはいえ、大司教より各地に早馬が出されていることは事実です。教会側から何らかの妨害があるやもしれません」
バッツも苦々し気な顔をしている。
「そうね。私の顔も知れ渡っているでしょうし、気まずいわね」
「気まずいとかそういう問題でしょうか……」
サンは何とも言えない顔をした。ちらりとバッツをアイコンタクトをかわす。
二人とも、それなりに人間の汚い面を見てきた人間である。政治闘争的な理由で十年も聖女を務めた人間を追い出すのだ。その後の排除もセットで用意されていると予測していた。
巡礼の旅にはいくつかの決まりがある。
一つ、聖地へ行くまでに定められた教会を訪れるて巡礼の証である「祈りのかけら」を得ること。
一つ、その道中でも教会があれば神へ祈りを捧げること。
そして最後に、聖地への最後の道のりは無一物で歩いてゆくこと。
物理的な距離もさることながら、巡礼すべき教会があること、そして祈宿が教会の管理下にあることも、二人には大きなリスクに思えた。
しかし聖地に近づけば近づくほど、祈宿以外の宿はなかなかない。もしそれでシイラを排除したい側の息がかかっている人間がいれば寝首をかかれるかもしれない。
「まあとりあえず行ってみましょう。対応を考えるのはそれからでも遅くないわ。さすがに教会の人間が、元とはいえ聖女を手にかけようと思ったりしないでしょう?」
――人間の善性を信じるのはシイラ様の美点なのだけど。
サンは頭を抱えそうになった。
「もし神の愛し子に手をかける者がいれば」
バッツは静かに呟く。
「その者と国運はともに終わりを迎えるでしょう」
「穏やかじゃないわね」
シイラは思わず突っ込みを入れる。
「その時は守って頂戴」
「御心のままに」
バッツは頭を垂れた。
少し離れた木の上には、白いリスのような聖獣が一行を見守っていた。