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侍女の事情

 物心がついたときから、サンは自分は人と違うのだということが分かっていた。

 人のオーラが見える。動物と話ができる。精霊が見える。

 それは何となく周囲に知られないほうが良いのだと察して、ずっと隠して生きてきた。それでも小さな村の孤児院で隠し通すことは難しく、何となく気味が悪い子供だと周囲から浮いていた。子供たちのリーダー格がサンを嫌いだと言い放てば、他の子供も付和雷同で嫌い、嫌がらせをしてきた。辛かったが、親もなく身寄りもないサンには耐える以外の術がなかった。

 孤児院の院長はそこまで悪い人ではなかったと思うが、出資者である商家の人間には逆らえなかった。いつも出資者が来るたびにペコペコと頭を下げ彼の気に入るようなおべんちゃらを並び立てる。出資者が黒といえば白も黒にした。それで迷惑をこうむったことは少なからずある。院長自身は甘い汁を吸っていた。

 そういう環境で育ったサンが、強い人間に取り入ったほうが良い、と考えるようになるのは当然の結果だろう。

 そんな中、ある寒い冬に人買いが孤児院に来た。孤児院は財政難でまともな食事も難しかった時期だ。一応名目は働き先の斡旋という話ではあったが、彼らのオーラは黒く濁っており、到底まっとうな仕事をしている人間だとは思えなかった。

 男たちと院長が応接室に入った後、しばらくするとサンも応接室に呼ばれた。そこで目にしたのは、男たちと同じように黒く濁ったオーラとなった院長だった。

 ――ああ、この人は抗えなかったんだな。

 絶望に胸がつぶれる思いだった。

 サンは奉公に出るという名目で孤児院の1か月分の食料と引き換えに売られてしまった。サンを見送る院長のオーラはあの黒さが嘘だったように元の色に戻っていた。肩の荷が下りたのだろうが、随分と現金なことだ、とサンは複雑なまなざしで見てしまった。

 幸い、まだ十一歳だったサンは運よく神殿に売られた。ちょうど大規模な組織編制が行われた年で、上も下も大騒ぎの時だった。

 神殿というくらいだから気高い人が多いのだろうと漠然と思っていたサンだったが、実態はそうでもなかった。濁ったオーラは上にも下にもいた。中には綺麗なオーラを持っている人もいたが、サンが会える範囲にはなかなかいなかった。ほとんどは凡庸なオーラばかりだったので内心では落胆した。

 とはいえ神殿自体は神のお膝元であるからか、清いエネルギーで満たされていた。毎日多くの人が訪れ、思い思いに祈っていた。人々が祈れば、かすかに光が生まれ天へと昇っていく。その光景を見るのは好きだった。

 神殿の下働きとして一通りの仕事を教え込まれ、一年ほど経ったころだ。引退間近の司祭が聖女候補を連れてきたということで神殿でちょっとした騒ぎが起こった。まだ10歳の子供で、それも辺境の村の孤児。しかも、奇跡を起こしたわけではなく、司祭の勘なのだという。

 件の司祭がかなり高齢で耄碌しているという噂もあいまって、その聖女候補の世話係を地位のある侍女たちは嫌がった。そしておためごかしに、「年が近いほうがいいだろう」「似た境遇の子が安心だろう」と言い出した。孤児院出身であるサンが聖女の世話係となったのは自然の流れだった。

 神殿で年上の人間からこれでもかというほどぞんざいに扱われてきたサンからすれば、年下のほうがいくらかマシだろうという程度の考えしかなかった。


 聖女候補がいるという部屋を訪れると、黄金のオーラをまとった少女がいた。

 用意された聖女候補が座るにしては粗末な椅子座った彼女は、慣れない場所だろうに少しの緊張をした様子もなく、近い年頃のサンを見てにこりと笑いかけたのだ。


 ――黄金が自分に笑いかけている。


 サンはそのあまりの美しさに言葉を失った。黄金に輝くオーラは、彼女が何も言わなくとも聖女であることの証に思えた。

 思わず跪くサンに、シイラは驚いた様子だった。


「サンと申します。身の回りのお世話をさせていただきます。どうぞ末永くよろしくお願いいたします」

「そうなんだ。サンっていうねの。私はシイラ。よろしくね!」


 まだあどけない少女であった彼女が笑うと黄金のオーラはきらめき、星が散った。そのあまりの眩さに、サンは目を細めるのだった。



 シイラは実に素直な少女だった。

 教会から課せられた日課を勤勉にこなし、毎日の祈りを欠かさない。彼女が祈れば光がきらめき、昼間でも星雲が生まれたようだった。まさしく神に愛されているのだとわからずにはいられなかった。

 オーラはその人の精神状態も反映する。シイラも例外ではなく、断食などの苦行が続けばオーラは暗く陰っていっていた。サンは教会の教えに疑問を持った。

 苦しいときにも気高い心を持ち続けることは大変すばらしいことだ。しかし意図的に苦しい状況に追い込んで本人を苦しめることに意義はあるのだろうか。苦行は辛く、侍女を伴うことも許されない。孤独に己を苦しめることを神は喜ぶのだろうか。

 教会の教えを疑うことに自責の念を持ちながらも、日々悶々と過ごしていた。


 そんなある日のことだ。

 断食の苦行の場所へと向かうシイラを見送っていると、木の上から声がした。

『ああも無意味な苦行を課すとは。聖女様もお労しい……』

 思わず見上げると、真っ白い鳥がいた。鷹に似ているが、その身から発される白いオーラは神の眷属であることを示している。

「聖獣様……」

 思わずつぶやくと、聖獣の視線がサンに向いた。

『おや、そなたは聖女様の侍女か』

「はい。サンと申します」

 彼女が恭しく礼をすれば、聖獣は目を丸くした。

『私の声が聞こえるのか』

「はい。特殊な体質でして」

 聖獣は少しばかり身じろぎすると、しげしげとサンを見た。

『ははぁ、なるほど』

 値踏みなのか何なのか、人間であるサンには見当はつかなかったが、黙って受け入れる。代わりに質問を一つ投げかけた。

「あの……無意味な苦行というのはどういうことでしょう。苦行が聖力を高めるのではないのですか?」

 聖獣は目を閉じて頭を左右に振った。

『あのお方にとって、苦行はもはや意味を持たぬ。すでに高みに昇られ開花なされている』

「開花……ですか」

 聞き覚えのない話だった。聖獣は枝から降りてくると、サンの肩にそっと留まった。姿は見えないが曲がり角の向こうから誰かが近づいてくる気配がする。サンは素早く人目のない場所へと移動した。


 聖獣曰く。聖力というのはある程度のところで上限があるのだそうだ。

『一見、己の限界に見えるものだ。だがしかし、聖職者として修行することでその限界を突破し、さらなる高みに至ることがある。それが開花だ』

「修行により聖力が高まるということでしょうか?」

『いいや』

 サンからもらった燻製肉を食べながら聖獣は首を振った。

『大事なのは克己心だ』

「克己心……」

『辛いとき、人は挫ける。弱きに流されそうになる。神を疑う。だが神の御力を信じ、己自身の弱さに打ち勝ち立ち上がる。それこそが自身の限界を突破するために必要なのだ』

「……つまりシイラ様はすでに超越していらっしゃると?」

『そうだ』

 聖獣はサンの肩の上で小さく頷いた。

『聖女様はすでに己を克し、光を見出された。それは並の人間にはなかなかできぬこと。されど、あの方はそれを当然のように越えてしまった』

「……あの方は、いつも神と共にある方ですから」

 思わず漏らしたサンの言葉に、聖獣はふふ、と笑ったように鳴いた。

『ゆえに、今あの方に求められているのは高めることではなく、守ることなのだ』

「守る、ですか……?」

 聖獣は片目を閉じ、しばし沈黙した。まるで言葉を選ぶように。

 やがて、静かに口を開いた。

『聖女は光である。だが、光は時に闇を呼ぶ。輝きは欲望を引き寄せ、穢れを招く』

 サンははっと息を呑んだ。

 ――まさに、今のシイラが置かれている状況だった。

「……それでも、私はあの方のそばにいます。たとえどれだけ穢れが迫ろうと、私は……」

 そこで言葉を切り、サンは拳を強く握った。

「私は、シイラ様の侍女です。神が何と仰ろうと、世界がどうであろうとそれは変わりません」

 それは忠誠ではなかった。信仰でもなかった。

 もっとずっと、個人的で、身勝手で、そして――強い想いだった。

 聖獣はしばしの沈黙ののち、ぽつりと呟いた。

『それでこそ、ハピリーダの娘よ』

 ――その言葉に、サンの心臓が跳ねた。

「……ハピリーダ?」

 自分の名前でも、呼び慣れた愛称でもない、奇妙な響き。

 だが、それは確かに“自分のこと”を指していると、本能が告げていた。

「それは……何ですか?」

 問いかけると、聖獣はしばし風を受けながら羽根を撫でるように揺らし、やがて、ゆっくりと語り始めた。

『それは名だ。そして、系譜。かつてこの地に降りた、調律者の呼び名』

「調律者……?」

 サンの眉がかすかに寄る。

『世界は歪む。力を持つ者がいれば、傾きが生じる。力なき者は潰れ、力ある者は暴走する。』

 聖獣の言葉はゆっくりと、しかし耳奥に深く響いた。

『ハピリーダは、その“揺れ”を正す者。力と力のあいだに立ち、偏りをならす存在。』

「……じゃあ、私は……」

『お前の力は、他者を“活かす”。その才を引き出し、時に押し上げる。己の力ではなく、他者を通して奇跡を生む。それが、お前の本質だ』

 サンは、過去の記憶をたぐるように目を伏せた。

 ――たしかに、あった。

 誰かの手を握れば、その人の調子が良くなった。いつも以上の力を発揮していた。騎士は奮い、子供は笑う。

 そして――シイラの聖力が安定したのは、常に自分がそばにいる時だった。

「……でも、それならどうしてハピリーダの存在は知られていないのでしょうか?」

 思わず漏れた声に、聖獣はほんのわずかに顔を伏せた。

『ハピリーダの系譜は……失われて久しい。お前は、百年ぶりの目覚めだ』

 風が、森の枝を鳴らした。ざわ……と、空気が揺れる。

『お前が目覚めたのは、ただ偶然ではない。近いうちに、この地に大きな揺れが起きる。それに備え、力が選び取った』

「……力、が?」

 人ではなく、運命でもなく、“力”が選んだ――

 その言葉の重さに、サンは背筋がぞくりとした。

「私は……何をすればいいんですか」

 問いかけに、聖獣はしばし黙した。そしてぽつりと告げた。

『まだその時ではない。ただ、覚えておけ。お前の力は、これから目覚めていく。己を偽るな。心を澄ませ。』

 サンは小さく頷いた。

『そして……守るべきものを見失うな』

 それが、聖獣からの最後の言葉だった。ふわりと羽ばたき、白い羽根が風に乗って落ちてきた。サンはそっとそれを手に取った。

 まるで誓いの印のように、柔らかく、そしてあたたかかった。

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