プロローグ
――聖女は苦行を行うことにより、聖力が高まるのである、とは誰が言ったのだったか。
シイラは、審判の間でため息を吐くのを堪えていた。
長々しい司祭の言葉が終わり、シイラはようやく審判の水晶に進み出て手をかざした。
弱々しく光る水晶に、彼女は内心で「やっぱりね」と呟いた。胸によぎったのは諦観と失望。ぎゅっと手を握る。
続いて、意気揚々と新たな聖女候補が水晶に手をかざした。水晶は眩く光る。シイラの光が夜の星ならば、彼女の光は真昼の太陽だ。周囲からどよめきが聞こえた。聖力の差は雲泥であった。
聖女は教会の象徴であり、神の愛し子である。時に神託を授かり、時に奇跡を起こす。聖女の豊かな聖力は傷や病を癒すことができた。
シイラもまたその力を見出され聖女になった口ではあったのだ。だが、もとより力にムラがあり、国の重鎮を上手く治療できなかった事件と、新たな聖女候補が現れたタイミングが重なったことにより、聖力を偽っているのではないかと疑いをかけられたのである。
その疑いを晴らすべく行われたのが聖力比べだ。タリリオンの苦行と呼ばれる、聖力を高める三日間の苦行を行ったうえで審判の水晶で聖力を図る。外界の人間と切り離された状態での苦行は不正ができないものだった。
そしてその結果がご覧の有様である。
審判の間に槌の音が響く。
「聖女シイラは本日をもって聖女の資格を剥奪する。また、聖力を偽った罪は聖地への巡礼の旅をもって償うものとする」
大司教の言葉に、シイラは目を伏せた。
「承知いたしました」
言い訳などあるはずがない。
私の幸運も尽きたということだろう、とシイラは心の中でつぶやいた。
新しい聖女候補は貴族の娘だ。教会への支援もたっぷり行ってくれるだろう。
日差しが眩しい。空腹でクラクラになりならがらシイラは審判の間を出る。
「シイラ様!」
心配そうに駆け寄ってきたのは侍女のサンだ。涙を目にためた様子を見るに、審判の結果は知っているらしい。
「あんまりです、あんまりです! シイラ様が聖女でないはずありませんのに!」
サンは憤りも露わに声を上げる。
長年共にいた侍女は、結果にムラっけのあるシイラが聖女であることを少しも疑っていない。シイラは苦笑した。
「大司教様の決定よ。それに、死ねと言われたわけでもないもの」
「それでも聖女資格剥奪の上、巡礼に行けだなんて……これでは追放ではないですか!」
「しっ、滅多なことを言ってはダメよ。早く部屋に戻りましょう」
シイラは声を潜めて真剣な顔で言うと、自室に向かって歩き出す。サンはぎゅっと唇を噛み締めると、ふらついているシイラの体を黙って支えた。
自室への道を歩きながら、シイラはこれまでのことをツラツラと思い返す。
シイラの人生のどん底は、恐らく生まれた直後ぐらいだったろう。
というのも、彼女は生まれた直後に教会の前に捨てられた孤児なのである。しかし捨てられた先の孤児院も併設している教会が非常に良いところで、彼女はシスターや同じ境遇の子供達に囲まれ愛されて育った。金銭的には豊かではなかったが、方々から寄付などもあり、着る物はあるし食べ物も不自由しなかった。文字の読み書きや計算も教えてもらった。
そんな中でシイラは、いつしか自分は運がいいのでは? と気づいた。
お菓子が配られる時は必ずその場にいるし、小腹が減ったと森を彷徨えば食べられる木の実を見つける。他の子が迷子になれば不思議とすぐ見つけることができたし、冬の川に落ちても風邪を引かなかった。単に野生動物に近いだけだろう、とは同じ孤児仲間の言であるが、シイラは聞こえなかったことにした。
しかしそれだけではない。町全体に流行り病が蔓延した時も、シイラがたまたま見つけて助けてあげた行き倒れの若者が実は名家のご子息とかで、多額の謝礼金をもらったことで孤児院では薬も買えて食べ物も買えて被害が少なく済んだ。
そんなこんなで10歳、孤児院を出る日が近づいてきた時だ。教会にある司教がやってきた。
たまたま応対に出たシイラを見た司教は、この子こそが聖女だ! と興奮しだしたのである。聖力もあることが判明してとんとん拍子で教会に聖女として就職することが決まった。聖女ということで年の近い侍女が付けられた。それがサンである。仕事のできる彼女は、甲斐甲斐しくシイラの世話を焼いてくれた。
聖女の仕事は意外と忙しい。治療、接待、苦行、巡礼、苦行、治療、苦行、説法。
教えのせいで合間合間に挟まる苦行はそれなりにキツかった。だが、聖女の苦行というのは見張る人がいるわけでもなく、山籠りで断食だとしてもシイラの移動先に食べられる果物があったり、動物が食べ物を持ってきたりしてくれたのでそれほど空腹に苦しむことはなかった。野辺で寝るものだと言われていた巡礼道中での野営も、なんだかんだで田舎にポツンとある一軒家の住人と仲良くなってベッドを貸してもらったりということがあって、辛いものではなかった。
とにかくシイラは運が良かった。
しかし聖力が必要とされる治癒についてはその結果にムラっけがあり、特に上手くいかなかった人たちからは実力を疑問視されることもしばしばだった。
シイラは真面目ではあるが、滅私奉公と言うほどではなかったので、できない場合はそれもまた神の思し召しだろうと無理を断っていた。完治しなかった人からすれば面白くなかったことだろう。
そんなこんなで十年ほど。ついに新たな聖女候補が擁立された。もともとシイラが苦行をサボっているという噂もあり――断食の最中につまみ食いを毎回行っているので事実ではある――衆人環視の中、聖力を新たな聖女候補と競うということになったのだ。
そして見事にシイラは負けた。
部屋に戻ったシイラは淡々と荷物の整理をしながら言う。
「タリリオンの苦行をするという話になった時点で、こうなる気はしていたのよ」
なにしろシイラは苦境に弱い。今まで幸運により辛いシーンは脱してきたからである。空腹は嫌いだし、睡眠はフカフカの布団でたっぷり取りたいタイプだ。
「何をおっしゃいます。シイラ様こそ神の愛し子ですのに」
サンは呆れたように言うが、シイラの自己認識は聖力のある運の良い女なのである。
ある程度片付けの目処がついたシイラは、おもむろにサンの手を取った。
「ねぇ、サン。巡礼の旅なのだけど……」
「もちろんお供いたします!」
元気いっぱいのサンは、太陽の如く眩しい笑顔だ。
「ありがとう、サン。とても嬉しい。心強いわ」
シイラは思わずぎゅっとサンを抱きしめた。サンは照れくさそうに笑う。
「私はシイラ様の侍女ですから。着いてこなくていいと言われたってついていきますからね」
2人は目線を交わし合い、お互いに笑い声を漏らした。
と、聖女の部屋にやってきた人物がいた。すっかり旅支度を整えた旅装の騎士、彼の名はバッツという。聖女付きの護衛騎士だ。
「何か手伝えることはありますか」
「まぁ、バッツ! あなたもついてきてくれるの?」
「当然です。私は聖女様の騎士ですから」
バッツは至極真面目な顔でいう。
もともと質実剛健を表した男であるので、思ってもいないことは言わない男である。シイラは顔を綻ばせた。
「ありがとう。バッツが来てくれるなら巡礼の旅も安全になることでしょう。頼りになるわ」
「微力を尽くします」
「貴重な男手ですからね。目一杯働いてもらいましょう」
サンが茶目っけたっぷりに言って笑った。
もともとシイラの身辺は、侍女のサンと護衛騎士のバッツだけで固めていた。前には女性の騎士もいたのだが、つい先日結婚を機にやめてしまっていた。シイラも含め、全員平民出身であり孤児でもあったので、強い連帯感があった。
「では、荷物をまとめて出発しましょう。聖地巡礼の旅へ」
従者2人も力強く応える。
一見美しい主従愛であるが、3人の心中を知るのは神のみである。