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ENDLESS DESIRE  作者: 清水進ノ介
第四章 仮面と指輪
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第四章 仮面と指輪 一

ー 第四章 仮面と指輪 ー


 レストランでは、店主のカルロスが大急ぎで料理を作っていた。妻のミンメイも盛り付けに忙しそうだ。昨日アリス達が南東へ出かけた後、カルロスはホープ親子の為にごちそうを作り、その後カルロス夫妻とホープ親子とで、楽しい時間を過ごした。ホープの母親は消極的な性格で、料理には手を付けず終始黙っていたが、息子がはしゃいでいる声を、ずっと幸せそうな顔で聞いていた。そしてカルロスが、また新しいお客が来てくれたらなぁ、と考えていた矢先、アリスが新顔を二人連れて帰って来たのだ。


「あのう、わたくし達のために、そんなにお急ぎにならなくても……」

「あっしが作りたいだけなんで、お気になさらず!」

「……おじさん、その腕……」

「へい、驚きやしたか?この腕のおかげで、料理をたくさん作れますんで!」


 マリーは腕がたくさん生えているカルロスを見て、なにやら複雑な表情を浮かべていた。マリーはカルロスのその姿に、嫌悪のような感情を抱いていたようだが、それをはっきり態度や表情に表すことはしなかった。

「……おじさんに腕がたくさんあるのって、デザイアに来てから?」

「へい、これがあっしの非常識なんで!」

「……そっか!便利だね、すごい!」

「そういえば、あの親子は部屋に戻ったのかしら?」

「へい、成長している最中です」

「成長?……あぁ、例のあれね」


 アリス達はミンメイに案内され一番奥のテーブル席に座った。ミンメイは一応メニューも持ってきたが、注文を聞く前にカルロスが料理を作り始めていたので、アリス達はまずそれを食べ、その後で追加を注文することにし、料理を待つ間にミューズの今後についての話を始めた。


「まず彼女の腕を直さないといけないだろうね。このままでは不便だ」

「そうですね、両腕が無いのはどうにも……」

「ごめんね、あたしのせいで……」

「もう気になさらないでください。過ぎたことです」

「はい、おまちどうさま」


 ミンメイが前菜を運んできた。ミニトマトを使ったカプレーゼ、サーモンのカルパッチョ、タコのマリネの3種類だ。ミンメイが「好きなのをどうぞ」と言うと、アリスは我先にとカプレーゼの皿を取り、マリーはミューズに「どっちがいい?」と聞いたが、ミューズは「わたくしは大丈夫です」とそれを断った。


「この人形の体は、ものを食べることが出来ません」

「え、そうなの?」

「単純に食べることが出来ないだけじゃなく、味覚も機能していませんので。あと嗅覚も」

「ってことは、視覚と聴覚と、触覚だけしかないの?」

「はい。みなさんと食事を楽しめないのは、残念なことです」


 それを聞いていたミンメイが、ミューズに質問した。

「きみの分も作ってる途中だったけど……。飲み物もだめなんだよね?」

「すみません、先に言っておくべきでした」

「ほんとに美人さん。全身人形なの?」

「はい、そうです」


 ミンメイがしげしげとミューズの体を見ていると、ノーフェイスが「彼女の首の後ろを見てみてくれないか。文字が入っていると思う」とミンメイに言った。ミンメイは驚き、ミューズに「いい?」と確認し、ミューズがこくんとうなずいたので、髪をかき分け、首の後ろを見てみた。

 ミューズの首の後ろには「道」という漢字の入れ墨が彫ってあった。ミンメイは「先生の作品だ」と言って、驚きの表情のまま固まっている。ミューズはミンメイに、自分の体を作った職人のことを知っているのかと質問した。


「きみの体を作ったの、わたしの先生だよ」

「長いおひげのおじいさま、ですよね?」

「そうだよ。びっくり」

「飴細工の先生がその人なのかしら?」

「ううん、孤児院の先生。わたし地球では孤児だったから。先生は子供の厄除けのために、小っちゃい人形をいつも作ってたの」

「ノーフェイス、なんでミューズが人形だって気付いたの?」

「簡単なことだよ。僕の体も人形だからだ」


 アリス達は「え?」と声をそろえ、ノーフェイスは髪を上げて、首の後ろを見せた。そこにはミューズと同じように『道』というタトゥーが刻まれていた。

「僕の体と彼女の体は、同じ職人が作ったものだ。彼からもう一体、特別製の人形を作ったと聞いていたが、それが君だったとはね」

「それじゃあ、その職人さんの所に行って、新しい腕を造ってもらえばいいんだね」

「わたくしの記憶だと、工房は街の北西だったかと」

「顔無しと一緒に行くといいわ。私は今日こそ、ここでごちそうを食べるから」


 その時カルロスがミンメイを呼び、彼女は厨房へと戻っていった。アリスはカプレーゼを次々と口に放り込みながら、ノーフェイスに質問した。

「あなたの顔が無いのって、なにか理由があるの?」

「強烈な光に見舞われたときに、目がくらまないようにこうした。目だけ無いのは不気味だったから、鼻も口も作らなかったわけさ」

「……よく分からない理由だけど、あなた自身の問題じゃなかったのね。精神に問題があって、そうなってるのかと思っていたわ」

「なにか僕に問題があるように見えるかい?」

「やっと自分の直感の理由が分かったわ。あなたの中身、人間じゃないでしょ」

「……ほう」


 ノーフェイスは”無表情”だが、その口ぶりからは、驚きと関心の感情が感じられた。

「どうにも人間らしさが感じられないと思ってたのよ。人形の体の中に、人間以外の魂が入っているのね」

「では、なんの魂だと思うのだい?」

「さあね、そこまでは分からないわ」

「わたしは猫だと思うなぁ」

「……ほう。なぜだい?」

「はい、次はスープ」


 ミンメイがスープを運んできた。野菜がたくさん入ったコンソメスープ、コーンポタージュ、トムヤムクンの三種類だ。アリスは誰よりも早くコーンポタージュを取ったが、マリーはマリネをまだ食べ終えていないので、スープには手を付けなかった。

「ノーフェイスとローレンスが兄弟だと仮定したら、猫になるかなって」

「ほう、なるほど」

「もしかして『ノーフェイス』って、本名じゃなくて、あだ名なの?」

「いや、本名だよ。この体になった時に名前を変えたんだ」


 その言葉にミューズが反応し、ノーフェイスへ質問した。

「名を変えることが出来るのですか?元々の名を捨てられるなら、そうしたいのですが」

「簡単な話だよ。自分の名は、自分で決めればいい。自身の魂に誓うんだ」

「あたしもデザイアに来て、少しだけ名前変えたよ。親からもらった名前は好きだったけど、生まれ変わった気持ちになりたくて」

「手続きなんて必要ない。君が名を変えたいなら、今この場でも変えられるよ」

「はい、魚料理ね」


 ミンメイがさらに料理を運んできた。ティラピアのグリル、いわしのベッカフィーコ、銀ダラの西京焼きの三種類。

「このタラの料理なにかしら。見たことない料理ね」

「あたし知ってる!西京焼き!日本の料理!」

「変わった香りがするけどおいしそうね。でもベッカフィーコも食べたいわ」

「キミはご飯食べられないし、あたし達の分、全部あげていいよね?」

「えぇ、構いません。それとわたくしのことは、ミューズと呼んでください」


 マリーは驚いた顔でミューズを見た。アリスとクラリス、ノーフェイスに名を告げるなら分かるが、自分のことまで、信用してもらえているとは考えていなかった。

「あたしも、その、いいの?」

「はい、マリーさんも」

「ほ、ほんとに?」

「……それで仲直り、ということにしませんか?」

「うん!」


 マリーは満面の笑みで喜んだ。すっかり輪に馴染んでいる様子のマリーだが、ノーフェイスは彼女の処遇について、クラリスへ意見を出すべきだと考えていた。しかしこの雰囲気を壊すのはよくないと思い、一旦その言葉を飲み込んだ。アリス達はよく働いてくれたし、大切な人を失ったミューズの心の傷はまだ癒えていないはずだ。今は労いの気持ちを込めて、余計な口出しをしたくなかったのだ。


「すまないが、職人の所へ行くのは明日でいいかい?」

「はい、わたくしは急いでいませんので」

「僕はローレンスの様子を見てくるよ。まだ寝ているようなら起こさないと」

「ゆっくり寝かせてあげなさいよ」

「彼ばかりずるいじゃないか。僕だってたまには寝たい」

「……ふふ」

「なんだい?」

「初めて素のあなたを見たわ」

「……今日は問題が起きてもローレンスに解決させるよ。ゆっくりするといい」


 ノーフェイスはローレンスを寝かせた部屋へ向かい、ドアをノックした。中からローレンスの返答が聞こえたので、彼は部屋の中へと入った。ローレンスはベッドの上で体を伸ばし、大きなあくびをすると、ノーフェイスに「やぁ、おはよう」と言った。

「丁度今起きた所だよ。どうだった?」

「城主の男は救えなかった。……僕と君の二人で向かっても、あれはどうにも出来なかったと思う」

「そっか……悲しいね……。ぼくもそう思ったから、アリスとクラリスを向かわせてみたんだ。言い方は悪いけど、物は試しでね」

「君、最初から彼女達の危険性に気付いていたね」


 ノーフェイスは、はぁとため息をついた。ローレンスは目的達成のためなら、手段を問わない傾向があった。目的とはつまり、城主の暴走を止めること。もちろん人命を最優先にしているが、いざとなったときに切り捨てられる、悪く言えば冷酷、良く言えば合理的な一面があった。城主を救えないことは、ローレンスの予想通りだったのだろう。


「にゃはは。危険性なんて言葉が悪いなぁ。可能性って言わないと」

「あの二人はどういうわけか、暴力的な手段を選ぶことに抵抗がない。優秀な人材であることは確かだが、監視は必要だろうね」

「それも含めて執政官になってもらったわけだしね」

「逸材であることは確かだ。君の判断は正しかったよ」


 執政官の仕事をする中で、ときには武力をもって、問題の解決にあたる必要が出てくる。はぐれものや、暴走者の対処だ。デザイアの住人は皆心優しく、どんな理由であれ、他人を傷つけることに抵抗を示してしまう。アリスとクラリスは、その点の心配がなく、危険ではあるが、頼もしい人材でもあった。


「それと、アリスは形の無いものまで食べ始めたよ。かなり強い力の持ち主に成長するかもしれない。もしもその時にはぐれものになったら……」

「心配性だねぇ。ぼくときみの二人がかりなら、どうとでもできるでしょ。で、なにを食べたの?」

「”声”だ」

「いいねぇ。そのうち彼女一人に仕事を任せられそうだね。あ、違うね。一人じゃなくて二人か」

「その件で、報告がある」


 ノーフェイスはかぶっていたシルクハットを脱ぎ、それを近くにあったテーブルに置くと、ベッドにどすんと腰掛け、そのまま上半身を寝かせた。 

「彼女達の魂は一つになり始めている可能性がある。後で会いに行って確認するといい」

「……嘘でしょ?」

「そんな嘘を言うわけないだろう」

「……ありえないね、魂の構造上。双子とはいえ、魂は別々のはずなのに」

「双子は同じ母体から、同時に生まれただけの他人だからね。同じ魂を共有しているわけがない」

「水と油が混ざるわけないのに。……だとしたら、いや、この推測はさすがに……」

「それしかないと思うよ。わけがわからないことだがね」


 ローレンスのしっぽは、ぺたんと垂れ、彼は深刻な面持ちで、結論を口にした。

「アリスとクラリスの魂は、元々一つだった。これしかないよね」

「一つの魂を二つに分解し、誰かが双子の体にそれを入れた」


 ローレンスは落ち着きなくベッドの上を歩き回った。しっぽがそわそわとした様子で揺れ始める。

「そんな芸当、誰が出来るのさ。魂を分解する?無理無理、ありえない」

「しかもそれを、意図的に双子の肉体に入れたわけだ。出産前の母体の中にある胎児に、他の魂が宿る前にね」

「なんの目的でさ?なんの意図があって?」

「分かるわけないじゃないか」

「そうだよねぇ、意味不明だよ。……そんな馬鹿げたことをできるのは、あの人だけなんだけど……」


 ローレンスのしっぽが、再びぺたんと垂れた。どうやらその先の言葉を口にするのが嫌なようだ。ノーフェイスはそれを察して、代わりに答えを出した。

「師匠だね」

「うわぁ、言わないでよ。分かっててもそれは言わないでよ」

「しかしこれ以外の答えが見当たらない」

「あの魔女ならやってのけそうではあるけどさぁ。いや、あの人だからこそ、やりそうだけど」

「師匠はこの二千年、姿を見せていない。直接確かめるのが、一番手っ取り早いのだが、無理だろうね」

「ぼく達でデザイアを創って以来、一回も会ってないし。長旅に出るとか言って、それ以来全く現れないからねぇ」


 ノーフェイスはベッドに寝たまま軽く体を伸ばし、ふぅと大きく息をついた。

「だが君は、師匠に会いたくないだろう」

「もちろん。大っ嫌いだし」

「考えても仕方が無いし、僕はひと眠りさせてもらうよ。明日は行く場所があるから、それまで眠らせてくれ」

「オッケー」

「あぁ、それと」

「それと?」

「マリーの洗脳は解いた方がいいと、クラリスに伝えてくれ」


 ローレンスは顔をベッドにうずめて「うにゃあ」と小さな悲鳴を上げた。疑問が解決する前に、別の問題が襲い掛かってくる。どちらもアリスとクラリスに関することなのだが、まずは目の前の問題を解決しないといけない。クラリスの洗脳の非常識を、どう対処するかだ。

「あちゃ~。洗脳系を発現したのかぁ。分かった、伝えるよ」

「……」

「もう寝てるし。まぁ疲れてるよね」

 ローレンスは窓辺にぴょんと飛び乗ると、そのまま外に出て、あっという間に姿を消した。

「アリス達に会う前に、まずは街のパトロールかな。久しぶりに寝たし、体が軽いねぇ」


 アリス達はノーフェイスがレストランを出て行った後も食事を続け、そこにホープ親子も合流し、それぞれが親睦を深めた。そして数時間が経ち、時刻は夜中の二時を回ったころ。アリスは過去の教訓を生かし、レストランの食べ物を枯渇させないよう、食事を止めた。それを機に、今日は全員休もうということになり、ホープ親子は自分の部屋へと戻っていった。カルロスは洗い物を片付けてから休むことにし、ミンメイは用意していたアリス用の部屋へ、一行を案内した。


「四階の四〇五号室。軽く掃除もしておいたから。でも一人用の部屋だから、ベッドが一つしかない」

「大丈夫よ、ありがとう。今夜くらいはなんとかするわ」

「……でも、一個気になることがあって」

「なによ?」

「このアパート、なんでか誰も住んでなかったの。全室空き家」

「ふうん。まぁ、たまたま全部空いてるってこともあるわよ」

「……そうだね。一番きれいだったのがこの部屋だから、ここを使って。じゃあまた明日」


 アリス達の部屋は、八畳ほどのワンルームだった。部屋の角に小さな机と椅子があり、ベッドが一つ。キッチンは無く料理はできないが、レストランがあるのであったところで使わないだろう。バスルームにはバスタブとシャワーがあり、一人用の部屋としては全く問題ない作りだ。しかしアリスとクラリスには一つだけ気になる点があった。


「……なにかしら、バスルームに違和感を感じるわ」

「うん、そこの壁かな?なんだか変な感じがする……」

「……でも何も無いわね。なにかしら、この感覚」

「ねぇ~!なにしてるの~?」

「はいはい、今行くわよ」


 マリーが呼びかけてきて、アリスとクラリスはバスルームから出た。部屋にいるのは成人女性が三人分。一つのベッドに寝るには少々狭い。マリーに小型化でもしてもらおうかと考えていると、ミューズが小さく手を上げてから言った。

「あのぅ、わたくしは屋上にいます」

「気を遣わなくていいよ。狭いけどくっついて寝れるし」

「いえ、城でずっと寝ていたので、疲労は回復しているのです。屋上で小さく歌を歌って過ごそうかと」

「それならあたしはクラリスとくっついて寝る!おやすみ!」

「先にシャワーを浴びなさい。汚れた体のままでベッドに入らないで」

 

 ミューズは屋上へと行き、マリーは勢いよくベッドに飛び込もうとしたが、アリスが後ろからマリーの首根っこを掴んでそれを止めた。

アリスに促され、マリーは元気よくバスルームへと駆け込んでいく。アリスは「はぁ」と小さくため息をついてからイスに腰かけ、窓の外の月を眺めた。満月の光が柔らかく部屋の中に入り込み、アリスはゆったりとした気分で落ち着いていたが、クラリスの心は落ち着きなくざわざわとしていた。


「魂が一つになってるって、本当みたいね。あなたの気持ちがなんとなく伝わってくるの」

「じゃあ、なんで落ち着いてないかも分かる?」

「そこまでは分からないわ」

「マリーと一緒に、シャワーを浴びちゃおうかなーって」

「……シャワーだけで終わる気ないでしょ」

「ふふっ、うふふっ。もちろん」

「仕事も終わったことだし、好きにしていいわよ。別に止める気もないし」

「うふふふ。ずっと我慢してたからね。じゃあ突入しまーす」


 クラリスが邪悪な笑みを浮かべたその時、コンコンと窓を叩く音が聞こえた。クラリスが目をやると、窓の外にはローレンスがいた。クラリスが窓を開けると、ローレンスはぴょんと跳ねて部屋に入り、机に乗った。

「ローレンス、ゆっくり寝れた?」

「うん、おかげさまで。しかしきみ、その邪悪な顔はなんだい?」

「クラリスが女を襲おうとしているわ」

「あぁー。ノーフェイスから聞いたよ。マリーって人を洗脳したらしいね」

「うん。やっちゃった」

「マリーへの洗脳を解くんだ。それは許されないことだよ」

「……やっぱりそう思う?」

「洗脳は重大な人権の侵害だもの。もしも自分が洗脳をかけられて、好き勝手に心を操られたら嫌でしょ?」


 クラリスはしょぼんとして顔を伏せた。クラリス自身も、本当はよくないことをしているのを承知している。しかし自身の内から湧き上がる欲求には逆らうことが出来ずにいた。

「ちなみに洗脳の発動条件は何?」

「ちゅーしたら洗脳しちゃう」

「性欲を満たすだけなら、合法的に出来る場所もあるんだけど。ちゅー禁止はどう?」

「そ、それは嫌だよ!……というか、我慢できる自信ない」

「……あぁ、そうだ。いいことを思いついたわ」

「なにかアイディアがあるのかい?」


 アリスは得意げな顔で、自分のアイディアを口にした。

「好き放題したくなった時だけ洗脳すればいいのよ。そのときだけね」

「そっか、欲求をぶつけたくなったら洗脳して、終わったら解けばいいんだ!」

「そうよ。日常的に洗脳してるから問題なんでしょ?行為の最中だけ洗脳するなら問題ないわ」

「いや、普通に問題だよ」

「え、なんでよ?」

「いやいや、洗脳してるじゃないか」

「わたしが満足したら解くよ?」

「いやいやいや、あれ?なんだか論点というか、倫理観がずれてるね」

「うわ!猫執政官がいる!」


 マリーがシャワーを浴びて戻ってきた。バスローブに身を包み、髪はまだしっとりと濡れている。その姿を見た瞬間、クラリスの理性はきれいに消し飛んだ。

「マリー、こっちにおいで」

「はい」

「黒猫、これもう駄目だわ。窓から出て行ってちょうだい」

「あー……。仕方ない、魔法を使うよ」


 ローレンスがしっぽを一振りすると、クラリスは正気に戻り、内から湧き上がる欲求が消えてしまった。先程まで感じていた、ざわざわとした高揚感が失われ、クラリスは自分の心が、何かに縛り付けられたように感じた。

「ローレンス、なにをしたの?」

「本当はよくないんだけどね、一時的にきみの魂を麻痺させたんだ」

「魔法って言ったわね。非常識じゃなくて?」

「魔法は習得すれば、誰でも使える力だよ。非常識はその人だけの力だけど。じゃあぼくは行くね」

「どこに行くの?」

「きみの欲求の対処法を見つけてくるよ。一応考えはあるから、またねー」


 ローレンスは窓から飛び出ていった。クラリスはぼうっとした顔で、立ったまま動かない。マリーは心配そうにクラリスの顔を覗き込み、彼女の頬をつんつんと指でつついた。

「クラリスー?どうしちゃったのー?」

「……なんだろう、なにも感じない」

「アリス!クラリスが変だよ!」

「黒猫は魂を麻痺させたって言ったわ。感情とか欲求が機能しなくなってるのかしら」

「ど、どうするの?」


 クラリスは何も言わずに立ったままだ。アリスは、慌てたところで出来ることもないし、ローレンスに任せておけばいいやと考え、今日はもう休むことにした。

「とりあえずシャワーを浴びて、さっさと寝るわ」

「呑気!」

「あなたも疲れてるでしょ。分身を大量に作ってたし、先に寝てていいわよ」

「うん、分かった」

「今は体力を回復させましょう。クラリスのことは明日、顔無しに聞くわ」

「じゃあ寝る!おやすみ!」


 マリーはベッドに転がり込み、すぐに眠りについた。アリスもシャワーを浴びてすぐに横になり、六時間ほどの睡眠をとった。翌日アリスが目を覚ますと、ベッドからマリーが消えていた。レストランに行ったのかと思いそこへ向かったが、そこにいたのはノーフェイスだけだった。彼はカウンター席に座り、アリスとクラリスが来るのを待っていたようだ。


「おはよう、よく眠れたかい」

「えぇ、なんだかんだで疲れてたのね。ちょこちょこと非常識を使ってたし。体力を消耗してたみたいだわ」

「マリーとミューズは屋上だよ。意外と気が合うようだ」

「ノーフェイス、昨日ローレンスに会ったよ」


 ノーフェイスはクラリスの様子が変わっていることに、すぐに気が付き、ローレンスがしたことを察したが、念のためクラリス本人に確認を取った。

「マリーの洗脳について、なにか言われたかい?」

「うん、洗脳は解いた方がいいって」

「解いたのかい?」

「解いてない」

「君、魔法をかけられたようだね」

「そうなのよ、クラリスの魂を麻痺させたって」

「……よくない手段を取ったね。かなりよろしくない」


 ノーフェイスはため息を吐きながら、頬杖をついた。アリスはノーフェイスの隣に座り、カルロスに朝食と紅茶を注文する。クラリスはぼんやりと「へぇ、隣に座るんだ」と思ったが、それを口には出さなかった。

「ローレンスはよくないことをしちゃったの?」

「彼がやったのは、麻酔だけかけて、手術はしなかったのと同じことだ」

「麻痺が解けた時が大変ってことかしら?」

「欲求のエネルギーは蓄積し続けているわけだからね。それを一時的に感じなくなっているだけだ」

「……麻痺が解けた瞬間、暴走するかもしれないのね?」


 アリスはクラリスが暴走したときの状況を想像し「それはまずいわ」と顔を手で覆った。自分が暴走したときは、食欲に身を任せ、鍛冶屋の手とクラリスを食べてしまった。クラリスが性欲に身を任せた結果、なにが起きるか。アリスは怖くなり、途中で考えることをやめた。

「昨夜はあれだろう、クラリスがマリーに手を出そうとして、彼がそれを止めたのだろう?」

「止めないで襲わせた方がよかったのかしら?」

「麻痺させるくらいなら、そっちの方がよかったと思うよ。いや、よくはないがね。洗脳系の対処は本当に難しくてね……」

「ローレンスは、わたしの欲求の対処法を探しに行ったよ。心当たりがあるみたい」

「へい、まずはスクランブルエッグとトーストです」

「ありがとう。いただくわ」


 アリスが食事に手を付けようとしたとき、その手がぴたりと止まった。ミンメイはそれに気付き、どうしたのかとアリスに尋ねた。アリスは感情の無い顔で「食欲が無いわ」と答え、カルロスとミンメイは驚きのあまり言葉を失い、思わず厨房から出てアリスに駆け寄った。

「ど、どうかしちまったんですかい!?」

「あぁ、やはりか」

「どうしたのかしら、食べたいと思わないのよ」

「やはり君達は魂が一つになってきている。クラリスの魂が麻痺したなら、君もその影響を受けるはずだ」

「私の欲求も麻痺しているの?」

「非常識は使えるかい?そのスプーンをナイフに変えてみてくれ」


 アリスは持っていたスプーンをナイフに変えようとしたが、スプーンはなんの変化も起こさなかった。

「駄目ね、出来ないわ」

「屋上へ行こう。クラリスの非常識がどうなっているかも確かめようか」

 三人は屋上へと上がった。そこにはマリーとミューズがいて、ミューズの歌に合わせて、マリーは謎の小躍りをしていた。

「なによ、そのダンス」

「盆踊り!」

「ぼん?知らないダンスね」


 ノーフェイスはマリーの洗脳が解けていることを期待し、クラリスに「命令を出してみてくれ」と要請した。

「マリー、その場でジャンプして」

「え?なんで?」

「命令出来ないよ」

「あぁ、よかった。洗脳は解けて……」

「洗脳は解けてないよ。命令が出せなくなってるだけ」

「……分かっていたなら、先にそう言ってくれたまえよ」


 ノーフェイスは心底がっかりしたようで、長めにはぁーとため息をついた。一行はこの後どうするかを相談し、アリスとクラリスの件は、ローレンスに任せ、その他はミューズの腕を直すために動くことになった。

「アリスとクラリスは、今回は休みだ。街の北西、人形工房へは、僕とミューズの二人で行こう」

「あたしも行く!……あたしのせいだし、あたしは行かないと」

「気にしなくていいですのに」

「そういうわけにはいかないよ」

「分かった。今は洗脳を解くことが出来ないし、マリーにも同行してもらおう」


次回へ続く……

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