第三章 夢と人形 四
ー 夢と人形 四 ー
客室では人形が、アリス達に城で起きている問題や、自分と主人との関係をあらかた説明し終えていた。アリスは人形の話を聞き終えた後、率直な疑問を口にした。
「なんであなたの主人の夢に、娘が現れなくなったのかしらね。この非常識を発現するまでは、夢の中に出てきていたのでしょう?」
「理由は全く分からないのです。主人ですら分かっていないのです」
「この城は夢の具現化のはずなのにね。一番の目的のはずの娘さんがいないなんて、どう考えてもおかしいよね……」
「私の直感で話すけど、いいかしら?」
「はい、なんでしょうか?」
「本当は、会いたがっていないんじゃないの?」
人形は目を丸くして、ぽかんと口を開けている。主人が娘と会えずに苦しみ続けているのを、人形は誰よりも近くで見続けてきたのだ。アリスが口にしたその考えは、あまりにも的外れで素っ頓狂なものであるとしか思えなかった。
「正確に言うと、怖がっているのではないかしら」
「ドロシー様と会うことを、ですか?」
「なんの根拠もない直感だけれどね」
「人形さんの主人のところへ行ってみようよ。アリスの直感はよく当たるから、話を聞いてみよう」
「……分かりました。ご案内いたします」
アリス達が席を立ったその時だった。マリーが顔を真っ青にして、客室に飛び込んできたのだ。そしてクラリスの胸へ飛び込んでくると、ぶるぶると体を震わせて、なにかに怯え始めた。
「マリー、どうしたの?」
「お、お、お化け!」
「お化け?」
「この城!お化けがいる!早く逃げなきゃ!」
「お化け、ですか?ワタクシはここでお化けに会ったことはないですが」
「モールス信号で言ってきたの!『早く殺して』って!」
アリスはそれを聞くと、呆れた顔でマリーを自分から引きはがした。わざわざモールス信号で意思表示してくるお化けなんて、聞いたことがない。間違いなくこの城にいる、生きた何者かのしわざのはずだ。
「マリー、落ち着いて」
「はい」
「どこでお化けに会ったの?」
「一番上の部屋。物置みたいなところ」
「どうしようかしら、一旦そこに行ってみる?」
「ワタクシも気になります。この城にワタクシと主人の他に、誰かいるとは思えないです」
アリス達は最上階の部屋へと行ってみることにした。部屋に着くまでの間に、マリーから隠された隣の部屋のことや、モールス信号が聞こえてきた経緯を聞き、人形はそれに驚いていた。半年ほどこの城で暮らしてきたが、隠し部屋のことは全く気付いていなかった。この時からすでに、人形は悪い予感を感じていた。その部屋に誰かが、ずっといたのだとすれば、それはきっと……。
「この部屋ね。床から聞こえてきたのよね?」
「……確かになにか聞こえます」
「マリー、モールス信号が分かるなんてすごいね」
「地球にいた頃は、モールス信号以外で人と話したことないよ」
「……あなた、どんな暮らしを送ってたのよ。詳しく聞く気はないけど」
アリスと人形が床に耳を当ててみると、マリーの言った通り、ピッピッと電子音が聞こえてきた。この音の正体を探りたいのだが、そのためには床を破壊しないといけない。アリスはリボンを斧に変化させ、床を壊せないかと試してみたが、中々うまくいかなかった。刃が床に刺さりはするが、破壊するとなると、もっと大きな力をぶつける必要がありそうだ。
「ダメね、この調子だと丸一日以上かかるわ」
「あたしなら壊せると思うけど」
「マリーが?どうやって?」
「壊したら、ご褒美にちゅーしてくれる?」
「うん、いっぱいする」
「じゃあ頑張る!危ないから部屋から出てて!」
マリーにそう言われ、アリス達は部屋から出た。そしてマリーがボクシングのように拳を構えると、全身が振動し、その肉体が膨れ上がった。身長は二メートルを超える巨体となり、体中の筋肉が、はちきれんばかりに肥大化し、まるでボディビルダーのような姿へ変貌すると、全力で床へと拳を打ち込む。床はその一撃で穴が開き、全体にひび割れが走った。マリーはとどめの一撃だと言わんばかりに雄たけびを上げると、さらに渾身の一撃を床に叩き込む。床はガラガラと音を立て崩れ落ち、その先に下へと続く階段が現れた。マリーは両手を天に掲げると、誇らしげに勝利のポーズを決めた。
「どんなもんじゃい!がはははは!」
「なんで性格まで変わってるのよ。見た目だけでいいでしょ」
「この方が気合が入るだろうよ!さぁクラリス!褒美のちゅーをいただこうか!」
「マリー、元の姿に戻って」
「はい」
マリーが元の姿へ戻ると、クラリスは彼女の唇へキスをした。マリーは一回のキスでは満足できないようだったが、クラリスが「お化けの正体を調べないと」と言うと納得して、クラリスの後ろへと隠れた。
「お化け怖い……。この先になんかいるの?」
「どうかしらね、行ってみないと分からないわよ」
崩れた床の先には、不自然な暗闇が広がっていた。窓からの月明りが、その空間にだけ全く届いていない。物置部屋はそれなりの明るさがあるというのに、床の下はなにも見えないほどに真っ暗だった。
「人形さん、大丈夫?」
「はい?」
「さっきから何も話さないわね。怖いの?」
人形は無言で首を縦にふった。体全体にからみつくような悪寒が、ずっと止まらないのだ。この先にあるものを見てしまえば、もう後戻りできない。救いのない悲劇の中に、身を放り込んでしまうような気がした。アリスは「ここでまっていなさい」と人形を気遣ったのだが、人形はそれでも、目の前に広がる暗闇へ進むことを選んだ。
「ワタクシも行きます。逃げたくありません」
「意外と根性あるのね、あなた。でも私達の後ろにいなさいよ、危ないから」
「あ、まって。一応明かりになるものと、あとロープとかないかな?準備無しに進むのは危ないよね」
アリス達は暗闇へと進む前に、廊下の壁に掛けられていた燭台を拝借し、カーテンを引き裂いて作った即席のロープを用意した。ロープで物置部屋のドアノブと、アリスの腰を結んで繋げる。万が一暗闇の中で方向を見失っても、これを辿って引き返せば、物置部屋に戻れるはずだ。
「さぁ行くわよ。はぐれないように、前の人の肩をつかんで」
「準備はできました。行きましょう」
「お化けが出たら、殴っていい?」
「殴っちゃダメ。まずは話を聞けるか試さないと」
アリスとクラリスを先頭に、その後ろにマリー、最後尾に人形がつき、一行は縦一列になって床の下へと続く階段を下りた。しばらく下りると階段はなくなり、平坦な場所へと出た。一行は隊列を崩さずに暗闇を進む。アリスが燭台を持っているのだが、その明かりはわずかに彼女の顔を照らす程度で、一寸先にすら届かない。一行はほとんど何も見えない暗闇の中で、どこからか聞こえてくる、ピッピッという音を頼りに足を進めた。音がはっきり聞こえてくる方へ進み続ければ、その正体へとたどり着けるはずだ。
そしてどれほど歩き続けただろうか。ほんの数メートルかもしれないし、百メートル以上歩いたかもしれない。一行は闇の先に、うっすらと光を放つ地点を発見した。まるで霧の中の街灯のように、ぼやっとした光が見える。どうやらあの場所が、音の発生源のようだ。一行は無言で足を進め、光の正体を目視で確認した。それは手術用のライトだった。そしてライトが照らしているのは、手術台に寝かされた、一人の女性。体はやせ細り、顔は苦悶の表情を浮かべているが、人形は一目でその女性が誰か分かった。主人の寝室に飾られた写真立て。その中で笑顔を浮かべているあの人……。
「ドロシー様……」
「大方の予想はついていたけど。なんでこんな所にいるのかしらね?」
「お化けじゃないじゃん!人間でよかったぁ~!」
「意識はあるのかな?ドロシーさん?聞こえてますか?」
ドロシーは手術台の上で眠り続けている。何度か呼び掛けてみたのだが、反応は一切返ってこなかった。彼女は全身を管に繋がれ、おびただしい量の薬物を体内に流し込まれている。そしてモールス信号の正体は、彼女に繋がれた心電図だった。心電図がピッピッと音を鳴らし、それがメッセージとなっていたのだ。
「駄目ね、意識がないみたいだわ」
「……ここに、主人を連れてきます。主人が声をかければ、目覚めるかもしれません」
「ねぇ~、それはやめた方がよくない?」
「どうしてよ?」
「だってこの人『父さん、早く殺して』って伝えてきてるし。会わせたらよくないことが起きそう」
一行はどうするべきかと話し合ったが、結局最善がなにかなど分からないし、ノーフェイスの意見を聞いた方がいいだろう、ということで落ち着いた。そしてドロシーが突然目覚めるかもしれないから、人形を彼女のそばにおいておき、残りのメンバーでノーフェイスに会いに行くことにした。アリス達がいなくなると、人形はそっとドロシーの髪を撫で、彼女へと語りかけ始めた。
「ドロシー様、ワタクシの声は届いていないのでしょうか」
「これはワタクシの独り言です。もし聞こえていたとしても、聞かなかったことにしてください」
「ワタクシは怖いのです。主人が求めているのはワタクシではありません。ドロシー様です。あの方は、ワタクシを通してドロシー様を見ているだけでしょうから……」
「だからドロシー様が目覚めたら、ワタクシはもう要らない子……。ワタクシは……」
「ワタクシは、捨てられてしまうのでしょうか……。また、家族から……」
「……また、家族から……?」
アリス達はノーフェイスに会うために寝室へと向かっていたのだが、そこへ移動している最中に彼と合流することができた。ノーフェイスもアリス達に会うために客室へ移動する途中だったのだ。
「クラリスはもう落ち着いたようだね」
「うん、まだ満足したわけじゃないけどね。このお仕事が終わったら、ゆっくりマリーと楽しむことにしたの」
「それで、どんな非常識を発現したんだい?」
「『女の子を、自分の言いなりにさせる力』だよ」
「……参ったねそれは……。まさか洗脳系を発現するとは……。これは困ったことになった……。さてどうするか……」
ノーフェイスは本気で困っていた。他人を洗脳するタイプの非常識は、他の非常識と違い、自由に使わせるわけにはいかないからだ。マリーがクラリスに対して向けている好意は洗脳によるものであり、マリー本人の感情ではない。デザイアは欲求を追求するための世界であり、自由な思想や意思が尊重される。それ故に他人の思考や感情を操ることは許されないのだ。洗脳系の非常識を発現させた者には、なにかしらの対処と継続した対応が必要になり、それが難航することをノーフェイスは経験上分かっていた。
「クラリス、洗脳がよくないことだというのは、分かっているね?」
「うん……。でもマリーが可愛い過ぎて……」
「えへへー」
「だが今は城で起きている問題を解決しないといけない。君の非常識については、この仕事が終わってから、ちゃんと話し合おう」
「うん、分かった……」
クラリスはノーフェイスに、ドロシーを発見したことを報告し、今後どうするべきかと相談した。ノーフェイスは一旦、その情報を主人には伏せておき、自分だけでドロシーの様子を見てみることにした。一行は人形とドロシーの元へと足を進め、その道中、アリスはクラリスに質問をした。
「そういえばだけど、あなたの非常識って私にも影響しているのかしら?」
「どうかしたの?」
「なんだか私まで、その女が魅力的に見えてきてるのよ」
「マリーが可愛く見えてきたの?なんでだろうね」
「……もしかするとだが」
「なに?あなたになにか分かるの?」
「君達は、本当に一人の人間になってきているのかもしれない」
アリスとクラリスの足が止まった。突然立ち止まったものだから、アリスの後ろを歩いていたマリーは、彼女の背中にぶつかって尻もちをついた。
「私達が、一つに?」
「今さら説明しなくても分かっていると思うが、君達は物理的な肉体があるわけではないのでね」
「魂が形を作っているだけって、ローレンスが言ってたね」
「体を共有しているというのは、正確には一つの肉体に二つの魂が入っているわけではない。二つの魂が一つに混ざり合っている状態だ」
「わたしの欲求とか好みが、アリスと混ざってきてるってこと?」
ノーフェイスはうなづくと、自分の仮説の根拠を話し始めた。二人が一つになっていると考えれば、昨日の疑問が一つ解決するのだ。
「昨日大男と対峙した時、クラリスが人食いを推奨したのも、同様の理由かもしれない。逆にアリスの欲求や思考も君に混ざっているのだろう。今は白と黒が分離している状態だが、完全な灰色になる時が来る可能性がある」
「……うふふっ、どうしようアリス、本当に一人になれたらどうしよう?」
「最高じゃないの。そんなに素晴らしいこと他にないわ」
「うふっ、うふふふふ……」
「あはっ、あはははは……」
マリーは不気味な笑い声を上げ始めたアリスとクラリスに困惑し、ノーフェイスの背後へと隠れた。
「な、なに?どうしちゃったの?」
「気にしなくていい、この二人はたまにこうなるんだ。悪癖だよ」
「じゃあ人形さんのところに行こうね。一緒に、アリスと一緒にね。うふふふ……」
「えぇ、そうね。二人で一緒に……。あははは……」
「……怖っ……」
「そうだね、僕もあれは不気味だと思うよ。でも今は目の前の問題に集中しよう。それが最優先だ」
一行は人形とドロシーの元へと戻ってきた。人形はじっとドロシーの顔を見つめていて、アリスが声をかけても、すぐにはその声に気付かず、数回大丈夫かと声をかけたところで、ようやくアリス達が戻ってきたことに気が付いた。
「彼女がドロシーか。なにか変化はあったかい?」
「いえ、なにも。変わりありません」
「そうか。さて、君の主人をここに連れてくるべきかどうか。判断が難しいところだね」
「すみません、わたくしは、主人の所へ戻ってもいいでしょうか」
「構わないが、ドロシーのことは言わないほうがいい。彼女がこの状態であることには、意味があるはずだ」
「はい、分かっています」
人形はそう言うと、そのまま何も言わずに立ち去って行った。
「なにあれ、入れ替わりに出て行ったじゃん」
「……彼女、雰囲気が変わった気がしない?」
「うん、少し変わった感じがしたかな」
「そうかい?気にかかるなら、今からでも引き留めに行った方がいい」
「まぁ大丈夫でしょ。それより、この眠り姫をどうするべきかしらね」
「彼女が目覚めてくれたら、事態を進展させることも出来そうだが、それは期待できそうにないね」
アリスはマリーのことを見て、彼女を使えばなにか状況を変えられるのではないかと、アイディアを出した。
「この女を変身させるのはどうかしら?」
「あたし?」
「マリーがドロシーさんの姿になって、生きているように見せるってこと?」
「それは無茶だろう。見た目を変えても、性格は再現できない」
「姿だけ見せても、余計に欲求が加速するだけかも。ちょっと危険かな」
「そっか。それもそうね。困ったわねぇ……」
その頃寝室では、人形の主人が頭を押さえ、ベッドに横になっていた。彼は二カ月ほど前から、突発的に激しい頭痛に襲われるようになっていた。それは欲求の暴走を抑え込んでいる弊害だった。彼の体内に渦巻く欲求のエネルギーが、彼の肉体、つまり魂に多大な負荷をかけていたのだ。
「……そこにいるのは、人形か?」
「はい、わたくしです」
「……オレはもう駄目だろう。自分で分かる」
「そんなことはありません。きっと、なにか方法が……」
「……ノーフェイス殿に、なんとかお前だけでも助けられないかと相談しておいた」
「……『お前』、ですか」
人形は男のその言葉を恐れていた。男の言う『お前』は、誰を見て言っているのか。人形は愚かなことだと分かっていたが、それを確認せずにはいられなかった。ずっと心に秘めてきたその疑問を、人形は覚悟を決めて口にした。
「その『お前』というのは、誰のことでしょうか?」
「……あぁ、そうか。ずっと、そう、考えさせてしまっていたのか……」
「……」
「ミューズ、というのはどうだ?」
「ミューズ?」
「お前の名前だ。ずっとなにがいいかと考えていた」
人形はその言葉を聞き、思わず主人の元へと駆け寄った。彼は目を閉じ、ゆっくり息を吐くと、自らの罪を告白する罪人のように、震える口で人形へと語りかけた。
「すまない、お前はオレの娘じゃない。ドロシーになろうなんて、しなくていいんだ」
「……はい」
「お前がドロシーになると言ってきたとき、オレはそれを止めるべきだったんだ。そんなことはするなとな」
「……はい」
「ミューズというのは、ミュージック……。『音楽』という言葉の元になった、女神の名前だ」
男は人形の、ミューズの手を握り、自分の思いを伝えた。男の手は氷のように冷たく冷え、生きていることが感じられなかった。魂の限界が近づいてくるその中で、男はずっとミューズのことを気にかけていたのだ。
「お前は、お前だ。ミューズだ。ドロシーじゃない。それでいいんだ」
「……」
「生きてくれ、ミューズ」
「……聞きたいことがあります」
「なんだ?」
「ドロシー様は、どうして亡くなったのですか?」
男は目を開くと、人形の顔を見た。彼女の表情には、覚悟が現れていた。これから耳にする真実を、すべて受け止めようという、力のこもった眼差しで、人形は男の目をしっかりと見返した。
「……どうして、感づいた?」
「それは後で話します。ドロシー様は病で亡くなったと、わたくしは聞いていました」
「……あぁ、そうだな」
「本当のことを教えてください」
「……ドロシーは、病気だった。それは事実だ」
「……はい」
「だが……」
「……ドロシーは、オレが殺したんだ」
次回へ続く……