第三章 夢と人形 二
ー 夢と人形 二 ー
三人の前に突如浮上した白亜の城。その入り口までは一本の橋がかけられており、城門は開き自由に城内へ入れそうだ。アリスとクラリスは、ノーフェイスが戻ってくるのを待ってから城へ行こうと考えていたが、マリーが無邪気な笑い声を上げながら城へと走って行ってしまったので、慌てて後を追いかけた。
「はぐれものを放っておくわけにはいかないわ。追いかけましょう」
「あんなに可愛い女の子を、逃がすわけにはいかないもんね」
「……そうね、うん。そうね、追いかけましょう」
マリーは城の入り口に立って、城内の様子を伺っている。アリスはマリーに追いつくと、しっかりと右腕を掴んで勝手に走っていかないようにとマリーに注意した。マリーが「はぁ~い」と気の抜けた返事をすると同時、城門がゴゴゴッと重い音を立て閉じてきたので、三人はあわてて城内へと入った。城門はぴったりと閉じてしまい、何者の侵入も許さないとでもいうように鎮座している。アリスとクラリスはノーフェイスと分断されたことで、少し不安を感じていたが、マリーは「探検しよ!どうせもう出られないし!」と楽しそうにしていた。
三人は城内を歩き出す。真っすぐに長い廊下が続いていて、天井からはミニシャンデリアが等間隔で下げられており、赤いバラの刺繡があしらわれた絨毯が途切れることなく続く。壁には立派な絵画や壺が飾られており、アリス達がそれを眺めながら歩を進めていると、どこからか美しい旋律の歌声が聞こえてきた。それは透明感のある女性の声で、美しくはあるが、どこか悲しさを感じさせる歌だった。
「この歌、廊下の奥から聞こえてくるわ。確かドイツの曲よね。糸を紡ぐ……。なんだったかしら?」
「『糸を紡ぐグレートヒェン』だよ。誰が歌ってるのかな」
「こんなに美声なんだし、絶対美人さんだよ!見た目を変える時の参考にしよ!」
「そういえばマリーの非常識は、自由に顔を変える力、でいいの?」
「ちがうよ、全身自由に変えられるの!『体を作り変える』非常識だから!」
「作り変えるって、なんにでもなれるってことかしら?」
「人間ならなんでも!男でも女でも、子供でも老人でも!割と人間離れした姿にもなれるし。でも人間以外は無理だよ、動物とかは無理」
「へぇ、どんな体にも……。それはそそるねぇ、うふふ……」
「こ、怖いよ!なに考えてるの!?」
マリーはそれとなくクラリスから距離を取ろうとしたが、右腕をがっちりと掴まれ離れることが出来なかった。アリスもクラリスも異なる理由から、マリーを遠くへ行かせたくない。単純にマリーよりも二人の方が腕力が強く、マリーはしぶしぶ二人にくっつくように歩き続けた。しばらく歩き続けると、三人は城の大広間へ出た。そこはとても広々とした空間で、人が百人以上は余裕で入ることができそうだ。大広間の奥にはステージがあり、そこにはどん帳が下ろされていて、どうやら歌声はその中から漏れ聞こえているようだ。
「どうしようかな、声をかけてみる?」
「こんばんはー!綺麗な歌声だね!」
「……あなた、考える前に体が動くタイプね。私もそうだけど私より考えなしだわ」
「……もしや、ローレンス様のお知り合いの方ですか?」
歌声がぴたりと止まり、どん帳の奥から歌声の主が三人へと問いかけてきた。クラリスはまず敵意が無いことを歌声の主に伝えると、自分達がここへ来たいきさつを話した。するとステージの幕が上がり、歌声の主が姿を現した。そこにいたのは、人間大の西洋人形だった。真っ黒なドレスを着た金髪碧眼の人形で、完璧な比率で整えられたその体や顔は、もはや芸術だと思えるほどに美しかった。関節が球体になっている以外は人間と見分けがつかず、もしもこの人形が関節部分を完全に隠す服を着たなら、人形だとは気づかず絶世の美女にしか見えなかっただろう。人形は腰まで伸びた長髪を優雅になびかせながら、ステージの端にある階段から広間に下りてくると、アリス達に深々と頭を下げ「お待ちしておりました」と口にした。
「ローレンス様から、あなたを待つようにと言われておりました」
「私達を?」
「顔の無い男と、朱色のリボンをつけた女性がきっと来ると。その人が来たら、この城で何が起きているかを伝えて助けてもらうようにと言われました」
「そうなのね、じゃあ早速聞かせてちょうだい」
「信じらんない!ちょっとまってよ!」
アリスとクラリスが人形の話を聞こうとすると、マリーがそれを中断させた。マリーは人形の顔をじろじろと舐め回すように見たかと思うと、突然左手を振りかざして人形の顔をビンタした。人形はマリーに叩かれた右の頬に手を当て、呆然とした様子でその場にしゃがみ込む。それを見たアリスは力任せにマリーを自分に引き寄せると、彼女のみぞおちへと膝蹴りを打ち込んだ。マリーは苦しそうなうめき声を上げると、腹を抑えながら癇癪を起こしたように叫び始めた。
「この人形、美人すぎるんだけど!完璧すぎる!気に入らない!許せない!」
「やっぱりはぐれものは危険ね。顔無しが来るまで押さえつけておくべきだったわ」
「そ、その方は、はぐれものなのですか?」
「なんの騒ぎだい?叫び声が聞こえたが」
「あ、ノーフェイス。入ってこれたんだね」
ノーフェイスはマリーを一瞥すると「おや、確か君は……」と首をかしげた。マリーはきまずそうにアリスの後ろに隠れたが、いまさら身を隠したところで、もはや手遅れだった。
「君のことは覚えているよ。僕が強制退去させたはずだ」
「なんで分かるの!あの時とは顔を変えてるのに!」
「声を変えるのは忘れたようだね。着ている服も同じだ。その朱色のチョーカーは印象に残っている」
「最悪だよもう~!せっかく街に入ってこれたのにぃ~!」
ノーフェイスが人形に「すまないが、このはぐれものの対処を優先したい」と伝えると、人形はそれを了承した。ノーフェイスは続いて「どこか自由に使える部屋はないかい?」と人形に尋ねると、人形は一行を客室へと案内した。マリーはなんとか逃げ出せないかと隙をうかがうが、右腕をアリスに、左腕をノーフェイスにしっかりと掴まれていて、逃げ出すのは無理だった。人形は客室に一行を通すと「ワタクシは大広間におります」と言って、広間へ戻っていった。
客室には大きなソファーがあり、テーブルの上にはクッキーやキャンディなどの、簡単なお菓子が用意されていた。クラリスはソファーに腰掛け、マリーを膝の上に乗せて、後ろから抱きかかえるようにして彼女を拘束した。
「マリーとは湖のほとりで会ったの。自分からはぐれものだって教えてくれたよ」
「正直なのはあたしの長所だからね!」
「名前まで教えたのかい」
「脅されたの!でもあたしだってこの二人の名前知ってるし!」
ノーフェイスはクラリスを見たが、当の本人はだらしない笑みを浮かべ、マリーの後頭部に顔を埋め、そのにおいを堪能していた。
「彼女は複数の女性に暴力を振るったり、持ち物を盗んだりしたんだ。自分よりも見た目が優れている女性が気に入らないと言ってね」
「じゃあさっさと強制退去させましょ」
「えぇ!?情けを、どうかお情けを!」
「まってノーフェイス。マリーのこと手放したくないの」
「うん?手放したくない?」
「えへへ……。だってこんなに可愛いのに……。ずっとそばに置いておきたい、じゅるり」
クラリスはマリーの首筋を甘嚙みし、そのまま舌を這わせた。マリーは悲鳴を上げ全身を身震いさせる。どうにか逃げようと必死に抵抗するが、クラリスの力が異様に強く、なされるがままにされるしかなかった。
「黙って見てないで助けてよぉ!」
「えへへ……。じゅるりじゅるり」
「ひいぃっ!」
「……アリス、クラリスの非常識が発現しようとしている。急激な欲求の表れは、その兆候だ」
「あら、そうなの?様子がおかしいと思ってたのよ」
ノーフェイスは冷静に現在の状況を分析し、マリーに協力を要請することにした。
「マリー、すまないがクラリスの相手をしてやってくれないか?」
「えぇっ!?」
「これは取引だ。特例として、君をすぐに強制退去はしないことにする。もっともまた誰かに暴力を振るったらすぐに退去させるが」
「そ、それはありがたいけどぉ……」
「ここで君をクラリスから引き離したら、彼女の欲求が暴走する可能性が高い。頼まれてはくれないだろうか?」
「うぅ、分かったよぉ。街にいられるなら仕方ない……」
取引は成立し、ノーフェイスはアリスに「クラリスの事は任せたよ」と言うと、人形から話を聞くために広間へと向かった。客室に残されたマリーは、クラリスを少しでも抑えられないかとアリスに懇願したが、アリスはクラリスを止める気など毛頭ないようだった。
「マリー、どこまでならしてもいいの?」
「え?ど、どういうこと?」
「ちゅーはしていいの?」
「えぇー……。口にってことだよね?」
「一応言っておくけど、ある程度クラリスの欲求を解消させないと、暴走したらキス程度じゃ済まなくなるわよ」
「だ、だよねぇー……。分かったよ、キスしていいよ」
「じゃあこっち向いて」
マリーがクラリスの方を向くと、クラリスは妖艶な笑みを浮かべた後、マリーへキスをした。そしてマリーの唇を強引にこじ開け、舌を挿入してからませていく。マリーはビクンと体を跳ねさせた後、だんだん顔がとろけていき、力を抜いてクラリスに身を任せた。やがてマリーは自分からクラリスの舌を吸い、積極的にキスを楽しみ始めた。
「ふふ、マリーがその気になってくれて嬉しい……」
「くらりすぅ、もっとぉ……」
「可愛い……。可愛いよマリー。ふふ……」
クラリスとマリーが情事にふける一方、ノーフェイスは広間へ到着し、人形から城で起きている問題について詳しく聞こうとしていたところだった。
「すまないね、時間を取らせてしまった」
「いえ、構いません」
「顔は痛むかい?さっき思い切り叩かれたようだが」
「いえ、全然平気です。驚いただけです」
「そうかい。……では早速話を進めるが、さっき外の民家を見てきたんだ。あれはどういうことだい?」
先刻ノーフェイスは湖のほとりでアリス達と分かれた後、明かりの灯っていた民家の中を調べていた。民家はシンプルなログハウスで、飾り気が全くない所が、逆に素朴な魅力となっている、そんな見た目の家だった。窓の外から明かりが見えたので、ノーフェイスは中に誰かいるだろうと思い、何度かドアをノックしてみたのだが、返答はない。試しにドアノブをひねってみると、カギはかかっていなくてドアはすんなりと開いた。ノーフェイスは「お邪魔するが、誰もいないのかい?」と声をかけながら民家の中へと入ってみたのだが、やはり返答はなかった。それもそのはずだ。家主はすでに、口をきけぬ状態になっていたのだ。
ドアを開けたノーフェイスの目の前に現れたのは、天井にロープをくくりつけ、首を吊っている初老の男。ノーフェイスは男をロープから下ろそうとしたが、男のシャツに大きく「オレを夢から覚まさないでくれ」と書かれているのを発見し、手を止めた。その直後に地響きが聞こえてきて、湖から城が浮上してきたのだ。ノーフェイスは一度アリス達に合流しようとしたが、彼女達と分かれた場所には、すでに二人の姿はなかった。おそらく城へ行ったのだろうと算段を付け、二人の後を追おうとしたのだが、城門が閉じてそこから城内には入れなくなってしまった。どこかに侵入口はないかと探していると、何者かが城の中から窓を開けるのが見えた。はっきりとは見えなかったが、背格好から判断すると、窓を開けたのは長身の男に見えた。そしてノーフェイスはその開いた窓から城へと入って来たのだ。
「……その小屋で首を吊っているのは、ワタクシの主人です」
「主人、というのはつまり?」
「ワタクシを作り出した方です」
「あの首を吊っていた男が、君を生み出したのか」
「そしてアナタ様が入ってきた窓を開けたのも、同じ主人です」
「……どういうことだい?」
ノーフェイスはここからが話の肝だなと察し、集中して人形の話に耳をかたむけた。
「主人はずっと、夢を見続けているのです……」
「夢?」
「この城は、主人の非常識によって生み出されたものです。『見ている夢を具現化する』のが主人の非常識なのです」
「では首を吊っていたのが夢を見ている本体で、この城で暮らしている、夢の中の分身がいると?」
「その通りです。この城も、城内の装飾品も、ワタクシも、そして城で暮らしている主人自身も、全て主人が見ている夢なのです」
「なるほど、この城の正体は分かった。では本題に入るが、この城でどんな問題が起きているんだい?」
「……この夢は、悪夢なのです。主人は覚めない悪夢を見続けているのです」
人形の表情が一気に曇り、その目に悲しみが満ちた。それは”人形”の仕草ではなく、生きている人間にしか見えなかった。
「この城が浮上した時、大きな地震があったでしょう?」
「あぁ、地震と共にこの城が現れた」
「あの地震は、毎日大きくなっているのです。まるで主人の苦しみを、日々大きくなっていく苦痛を体現しているかのように……」
「放っておけば、周囲に被害を出すほどの大地震になりえるのか」
「この地震を止めないといけません。主人の苦しみを終わらせないといけない。しかしワタクシには、どうすることもできませんでした。誰かに助けを求めようにも、どこに行けばいいのかも分かりません。しかしローレンス様が来てくださった。ローレンス様は地震の原因を調べ、この城が震源だと突き止められたのです」
「首を吊っていた主人を起こせば、この悪夢は終わるのだろう?」
「……ですが主人はそれを望んでいません。主人はこの悪夢から目覚めようとは考えていないですし、根本的な解決にならないのです」
ノーフェイスが「それはなぜ?」と人形に質問した時、カツカツと何者かの足音が近づいてきた。ノーフェイスが足音のした方向へ顔を向けると、廊下の奥から長身の男が現れた。この顔には見覚えがある。小屋で首を吊っていた男。つまりこの城を生み出している張本人だ。男は黒いローブを羽織り、まるで大鷲のような鋭い顔つきをしている。ウェーブのかかった前髪をあごにかかるほどに伸ばし、無精ひげが生え、若干目が充血していた。男は足早にノーフェイスの前まで来ると、軽く頭を下げ「ご足労をかけ申し訳ないが、帰ってくれ」と重苦しい口調で言った。
「ローレンス殿から話は聞いている。オレを悪夢から解放したいのだろう」
「君はそれを望んでいないのかい?」
「あぁ、望んでいない。余計なお世話だ」
男のぶっきらぼうな態度が、彼の言葉は嘘偽りのない本心であることを物語っていた。しかしこの問題を放置しておくわけにはいかない。ノーフェイスはさらにこの件の調査を進めていく。
「なぜ悪夢から目覚めたくないのか、理由を聞かせてもらえるかい?」
「娘だ」
「ご息女がいるのかい?」
「いるだろう、そこに」
男はそう言うと、人形を指差した。すると人形は柔らかな笑みを作り、ノーフェイスに会釈した。
「娘のドロシーと申します。以後お見知りおきを」
ノーフェイスは人形の自己紹介を聞いて、首をかしげた。彼女はドロシーと名乗ったが、デザイアにおいて初対面の相手に、自分の名を告げることは、通常ありえない。相手が執政官だとしても、名を告げることは普通はしないのだ。
「オレが夢から目覚めたら、娘が、ドロシーが消えてしまう。だからこのままでいいんだ。うっ、頭痛が……」
男が両手で頭を押さえると、人形は慌てて彼に駆け寄った。人形は彼の背中をさすり「大丈夫?」としきりに心配そうにしている。
「申し訳ありません、ノーフェイス様。ご主人様の体調が悪く、お話はまた後で……」
「あぁ、構わない。僕は客室に戻っているよ」
「おいまて。オレを『ご主人様』と呼んだか……?」
「あっ……」
人形はあわてて「申し訳ありません」と男に謝ったが、それがかえって男の怒りを助長してしまった。
「それもだ!ドロシーはそんな言葉使いをしない!」
男はそう言って人形の頭を殴り付けようとしたが、途中で我に返りその腕を止めた。
「……すまん。自分の感情を制御できなくなってきている。オレから離れてくれ……。まさかお前に暴力をふるおうとするなんて……」
「君は本来は理性的な人間のようだね。ずいぶんと辛そうだが、話はできるかい?」
「……ノーフェイス殿、オレの寝室まで来ていただきたい」
「分かった、そこで話を聞こう」
ノーフェイスと男は広間を後にし、男の寝室へ向かうことになった。人形もついていこうとしたのだが、男に「ここにいなさい」と言われ、か細い声で「はい」と返事をした。
「オレは、オレはいつも……」
「……いつも、どうしたの?」
「……すまない。本当に、申し訳ないと思っている。いつもすまん……」
「……いいのよ、気にしないで」
次回へ続く……