勇気を振り絞って会いに行ったドラゴンがめっちゃフレンドリー
一匹のドラゴンが、寝息を立てている。
そのドラゴンは、森の道を一直線に横切るかの如く「でん」と寝転がっていた。犬猫のように体を丸めたり、蛇のようにとぐろを巻いていたりするといった慎ましさは持ち合わせていない。本当に、一本の丸太のように真っすぐ寝ころんで道を塞いでいるのだ。その巨体は、燃えるような赤い鱗と相まって余計に見る者を圧倒する光景を作り出している。
そんなドラゴンを前に少年、マーヴィンは途方に暮れていた。彼はこの道を通りたいわけでも森に何か用があるわけでもない。目的は今まさに、目の前でぐうぐうと寝息を立てているこの真っ赤なドラゴン。マーヴィンはこのレッド・ドラゴンを探して、わざわざここまで来たのだ。だが――洞窟や湖といった、いかにもな場所に住んでいるというわけでもない。野性を忘れ去ったように、ぐっすり眠るドラゴンを前に些か拍子抜けしていた。
「……なんだ、コイツ」
思わずマーヴィンがそう呟けば、ドラゴンがぱっちりと目を開く。
まずい、気づかれた。慌てて身を隠そうとするマーヴィンだったが、ドラゴンの方が動きが速い。ぎょろりと目玉を動かし、むっくり起き上がったかと思うと鋭い歯の並ぶ口元をずいっとマーヴィンの方へ近づける。
「――おー、何? 人間? 俺になんか用?」
死を覚悟したマーヴィンに対し、ドラゴンは能天気にそう声かける。
「えっ、ちょっ、マジ? ひょっとして俺に会いに来てくれたの? わー嬉しー!」
「あ、いや、まぁそうなんですけど……」
「おー、嬉しいこと言ってくれるねぇ。わり、寝ぐせ整えるからちょっと待って。いやー、人間と口きくなんて久ぶりだわー!」
ドラゴンの一体どこに寝ぐせがつくのか?
そう聞きたいマーヴィンをよそにそのドラゴンは前足で顔の周りを少し整えると――「んで?」とマーヴィンに尋ねる。
「君、一般人だよね。俺を倒しに来た冒険者だったり荒くれ者だったりするようには見えない。至って普通の少年、みたいだけど……なんで俺の元に来たわけ?」
ぐい、と顔を寄せてきたドラゴンに再びマーヴィンは口ごもる。物理的にも心理的にも、いきなり距離を縮めてくるレッド・ドラゴンにマーヴィンはかなり戸惑っていた。
(なんか、思ってたのと違う……)
ドラゴン。それは強大な力を持ち、時に人間と敵対し時に神として崇められる幻想的な存在。しかし今、マーヴィンの前にいるレッド・ドラゴンにそのような威厳はなく……ただ、「おー、取って食ったりしないから言ってみー?」などと促されおそるおそる口を開く。
「こ、この森に伝説の真っ赤なドラゴンがいて……ソイツの鱗を取ってこいって言われて……」
「うお、俺いつの間にか伝説的存在になってんの? そっかー、まぁ確かに人間たちと長く話してなかったからなー。その『真っ赤なドラゴンの伝説』って、具体的にどんな感じ? カッコいいんだったら超テンション上がるんだけど」
「それは、その……あ、赤い体は地獄の炎を纏ってるからとか、その鱗を手にした者は地獄の力を手に有するとか……そういう風に、聞いております」
決して穏やかではない内容の数々に、マーヴィンは徐々に声をすぼめていく。今はフレンドリーだが、機嫌を損ねれば一飲みにされてもおかしくないのだ。恐怖を覚え、ガクガクと震え始めるマーヴィンをよそにドラゴンは「ふーん」と能天気な反応を示した。
「この赤い体に言及してるのが多いわけねー。なるほど、なるほど……別に深い意味はないんだけどなー。左腕が銃になってるどこかの海賊とか、十九歳で少佐になったどこかの彗星とか、そういう宇宙のロマンに魅せられて赤にしただけなんだけど……」
「体色ってそんな簡単に変えられるものなんですか……?」
「んー、まぁ人間でいえば髪染めるぐらいには手間かかるけどね」
白龍になっても良かったんだけど、それだと眼が青じゃないといけなかったからねー。
そう話すドラゴンは大きなあくびをしてみせる。野性を忘れ去ったとしか思えない、寛いだ様子にマーヴィンの肩から力が抜けていく。
ここに来るにあたって、マーヴィンは本気で死を覚悟した。レッド・ドラゴンが口から火を吐いて自分の体を焼き尽くすのではないか、鋭い牙で自分に噛みついてくるのではないか。そんな恐ろしい想像が頭をよぎって、何度も引き返そうとした。だが、その度に別の恐怖に突き動かされて――マーヴィンは自分で自分を奮い立たせ、ここまでやってきた。その結果がこの、やたらフレンドリーで無駄に距離を詰めてくる軽い奴だとは思っていなかったのである。そりゃ肩透かしにもなる、そりゃ脱力する……一人でそう項垂れるマーヴィンに、ドラゴンは「ん?」と興味を示したようだ。
「そういえばお前、俺の鱗を取ってこいなんて一体誰に命令されたんだ? やっぱ王様の命令? それとも好きな女の子にプレゼントとかするため?」
「いや、俺は……」
「え、それなら俺キューピッドだよね? ねぇ、相手どんな子? え、ちょっ、馴れ初めとか教えてよー」
「っ違いますってば!」
思わず声を荒げるマーヴィンに、ドラゴンはニヤニヤと揶揄うような笑みを浮かべている。……そもそもドラゴンに表情あったのか? そんなことを考えてしまうマーヴィンはそれでも溜め息交じりに、レッド・ドラゴンへ告げる。
「俺が、あなたに会いに来たのは……俺の村を牛耳ってるロッキーって奴に命令されたからです。アイツ、体もデカいし家が大金持ちだから……いつも手下と一緒に気に入らない奴を虐め倒して、みんな逆らえずにいるんですよ。俺もその標的にされそうで、『それが嫌なら森のレッド・ドラゴンの鱗を取ってこい』なんて言われちゃって……」
「……なんだ、野郎かよ。つまんねぇの」
一気に白けた様子で尻尾を振るレッド・ドラゴンをマーヴィンは恨めしそうに見つめる。だがドラゴンはそれすら退屈そうに、はんと鼻を鳴らすとマーヴィンを見下ろす。
「っていうかそのロッキーとかいうクソガキが、俺より恐ろしかったの? 俺んとこ来るぐらいならそいつにやり返してやりゃ良かったのに」
「っアイツ、いつも取り巻き連れて複数でつるんでますし、『行かなきゃお前ボコボコにするぞ』ってさんざん脅されたんですよ。俺以外にも、何人も気に入らない奴に嫌がらせを続けてて中には引っ越した奴までいるんだし……そんな奴に歯向かったら俺の家族にだって迷惑が……」
「んー、まぁ人間はもう既に権威持ってる奴に対してはなかな反撃することができないからな……でも、ここで俺の鱗持ってったところで奴は変わんないよ? だいたいソイツ、大した奴じゃないみたいだし……」
ドラゴンは面倒くさそうに言いながら、瞬きするとその目の前に巨大な石板のようなものが現れる。
「これ、ドラゴンペディアで人間の情報はだいたい載ってるけど……やっぱりそのロッキーってガキ、大したことねーぞ。三歳の時カエルと目が合ってびびって漏らしたことがあるし、家では妹と母ちゃんに頭上がらないみたいだし、三日前はカエルが手に跳んできてそれに驚いて坂道転がり落ちたみたいだし、カエルの卵見てから集合体恐怖症になってるし……」
「なんか、カエル関係のトラウマ多くないですか?」
「前世でよっぽどカエルに恨まれることしたんだろ」
そうして石板から目を逸らさないまま、それでもドラゴンは話を続ける。
「腕力、中の上くらい。頭脳、下の上くらい。人望はほとんどないな。ぶっちゃけお前が多少荒っぽい真似に出ても、その取り巻き? とかは黙って見てるだけだと思うぞ。まぁ、人間社会は色々めんどいところもあるしそう簡単にはいかないかもだけどさ……この俺に会いに来れるぐらいの勇気があれば、思い切って反撃してみれば案外なんとかなるぞ」
ドラゴンはふっと石板に息を吹きかける。途端に跡形もなく石板が消えたのを見届け、まだ戸惑いを見せているマーヴィンにドラゴンは語り掛ける。
「まぁね、鱗取るのそんなに痛くないし? ここまで来た勇気に免じて、特別に一枚ぐらいはあげちゃっていいけど……その代わり、条件が一つある。それ、守ってくれる?」
「条件、ですか……?」
マーヴィンはここに来て、また身構える。相手は人外、価値観や倫理観が人間と違っていてもおかしくはないだろう。
腕を一本よこせとか、とんでもない量の財宝を取ってこいと言われるのではないか……しかしそうして息を飲むマーヴィンの姿にぷっと吹き出すとドラゴンはげらげら笑いだす。
「いや、そんなシリアスな空気にならなくたっていいって! 俺がお前に望むのはたった一つ、そのロッキーとかいうクソガキに一発やりかえしたれ! お前は少なくとも、この俺のところに来れるだけの勇気がある逸材だ。だから度胸を見せろ、度胸を! 俺が言いたいのはそれだけだ! わかったか?」
わっはっは、と豪快に笑ってそう言ったドラゴンは自らの手で、鱗を一枚ぺろりと剥がす。それを無造作にマーヴィンの方へ放り投げると、また再びごろりと寝ころび――今度は少しドラゴンらしく、とぐろを巻いている――ふわぁ、とあくびをする。
「ま、気が向いたら俺もちょっとは協力してやるからさ……あとはお前が勇気出せるかどうかだよ。俺んところに来た勇気を、ロッキーとかいうバカガキに向ければいいだけ……人間ってのは自分たちが思ってる以上にずっと弱っちいし、馬鹿だし、あれこれ色々考えがちだけど……なんでもいいから行動を起こしてみれば、案外どうにかなるもんなんだよ」
そんじゃ、頑張れよ。
言い終えたドラゴンはすぐにマーヴィンから興味を失ったのか、またぐうぐうと寝息を立て始める。慌てて赤い鱗をキャッチしたマーヴィンはその様子を呆れ気味に見つめていたが――心の中で何度も、レッド・ドラゴンに言われたことを思い出していた。
『やっぱりそのロッキーってガキ、大したことねーぞ』
『この俺に会いに来れるぐらいの勇気があれば、思い切って反撃してみれば案外なんとかなるぞ』
『度胸を見せろ、度胸を!』
思いの外フレンドリーなレッド・ドラゴン。どうやらカエルに関して嫌な縁があるらしいロッキー。勇気を振り絞った結果、そんな予想外な事実を知ったマーヴィンの心には――ほんの少しだけ、また違う勇気が溢れ出していた。
「ほら! レッド・ドラゴンの鱗だ! 取ってきてやったぞ」
懸命に虚勢を張り、マーヴィンはロッキーに赤い鱗と見せつけてみせる。強気なマーヴィンの様子と実際、手にされていた赤い鱗にロッキーは一瞬目を丸くしたが――すぐに、悪意ある表情でマーヴィンに絡んでくる。
「これ、本当にあのレッド・ドラゴンの鱗かぁ? だったらお前、なんでそんなピンピンしてんのかよ。証拠はあんのか? 証拠は」
高圧的な物言いに、マーヴィンは怯みそうになる。だが――
『度胸を見せろ、度胸を!』
「……だったらお前も、確かめに行ったらいいじゃないか」
ドラゴンの言葉を胸に、マーヴィンは全身の奥から精一杯の勇気を振り絞る。
「お、俺、知ってるぞ。お前、腕力大したことないし実はカエル苦手だろ。そのくせ威張ってんじゃねーぞ」
その一言に、ロッキーはカッと顔を真っ赤にするが――それ以上に反応を見せたのは、ロッキーの取り巻きたちだった。
「え、アイツ、カエル苦手なの? ダサ……」
「ロッキーって強そうなフリしてるけど、よく見れば腕も細いしな……ひょっとして、マジ……?」
「っうるさい!」
感情的になったロッキーは叫ぶようにそう言うと、マーヴィンの手から強引にレッド・ドラゴンの鱗をもぎ取る。
「とりあえず、今回はこれで許してやる! だけど今度、また生意気な口を聞いたら今度はボッコボコにしてやるからな! 覚えとけよ!」
捨て台詞を吐きながらも、動揺を隠せないロッキーに以前の傲慢な態度は見受けられない。あるのはただカエルが苦手で、やたらカエルに呪われている馬鹿な少年の姿だった。その事実を再確認すると、マーヴィンは自分も一息つく。
怖くて仕方なかったロッキーに、言い返すことができた。震えながら、「弱みを握る」という戦い方とはいえ、どうしようもないと思っていた強敵に抗うことができた。その事実はマーヴィンに確かな達成感と充足感をもたらし――同時にあの、やたらフレンドリーなドラゴンへの感謝の念も湧き上がっていた。
『人間ってのは自分たちが思ってる以上にずっと弱っちいし、馬鹿だし、あれこれ色々考えがちだけど……なんでもいいから行動を起こしてみれば、案外どうにかなるもんなんだよ』
「……案外どうにかなるもんなんだな」
ドラゴンの言葉を思い出しながらマーヴィンは一人、苦笑いしてみせるのだった。
「ったく、マーヴィンのくせに調子に乗りやがって……」
悪態をつきながらも、ロッキーは一応マーヴィンから取り上げたレッド・ドラゴンの鱗をしげしげと眺める。真っ赤なその色はさして綺麗という程でもないが、それでも巨大な生物のそれということで物珍しく何か特別なもののようにも思えた。その希少さで自尊心を取り戻しているロッキーの耳に、誰かの声が響く。
『よぉ、お前が「ロッキー」とかいうクソガキか?』
「っ誰だ!?」
振り返るが、そこには誰もいない。耳を澄ませばその声は、天から降ってくるもののようだった。咄嗟に思い出すのは、よく知っているレッド・ドラゴン――地獄の炎を纏った赤い龍の噂話。まさか自分を食いに来たのか? と身構えるロッキーに、その声は落ち着いた……というかフランクな口調で会話を続ける。
『やー、気になったから見に来たけどお前わりと普通に小物だな。どっかの国じゃ「井の中の蛙大海を知らず」って言葉があるらしいけどお前マジでそれじゃん。お前、カエルだろ。やーい、カエル男』
よりによって自分が一番苦手なものに例えられたロッキーは、ドラゴンに負けないほど顔を真っ赤にしてみせる。
「っ何だとテメェ!? この俺様に向かってそんな舐めたこと言って……」
『テメーこそ自分の立場わかってんのか? 俺、ドラゴンだぞ? そりゃ、他のドラゴン……週刊少年誌を男子のバイブルにのし上げ、その素晴らしい作品は世界中に届き今なお少年漫画ナンバーワンのあのお方が描いてくださった龍のようなことはできないけど……』
その時、何かがロッキーの顔面をかすめた。地面に落ちたそれを見て、ロッキーは「ひぃぃぃっっっ!?」と異常に怯えた様子で飛び上がる。
『「ファフロツキーズ」とかいう現象で生意気なガキにちょこっとオシオキするぐらいのことは、できるんだぜ?』
――その後、ロッキーは今までの態度が打って変わって真面目かつ謙虚な少年になった。のちに本人は「カエルの雨に降られて一生モノのトラウマを植え付けられた。あんな思いはもう二度とすまいと考え、更生した」と語っているという。