5 水晶の剣の主
暗い王室の玉座に一人が語り掛けた。
「兄上、まもなくナーザも紅玉の剣も手に入ることでしょう」
玉座には金の髪の男。体躯はたくましく、組んだ足を持て余すように揺すった。
カラン王国のカルテオと呼ばれる男は、嬉しそうに笑った。
「もうすぐ我が手にあの剣が戻る。元はカランで作られたもの。行方知れずと聞いていたが、何のことはない。サジュリスの王が隠し持っていたとは。
つくづく卑怯な男よ。しかしその男も年には勝てぬ。哀れなものよ」
カルテオは立ち上がると台座の上のものを見た。
「最後まで渡すのを拒んだ男が我をにらんでおるわ。愚かな男よ。お前の息子は、どうだろうな」
そう言って台座の上のものをつかむとカルテオは上に掲げた。
やや褪せた青銀の髪、しわの刻まれた肌にうつろな目。
サジュリス国王、ゴビス=フォン=ハウトの胴体のない頭だった。
「エスカリール、お前の美貌でナーザを落とせ」
玉座の横に立つカルテオに向かって少女は微笑むと、ドレスをつまんで礼をしながら答えた。
「お望みのままに」
朝食は賑やかに始まった。
食卓には運命の女たちと称された三人が向き合っていた。
「ルシオン王子と会ってなかったの、あたしだけだったの?」
昨夜遅く城に帰り着いたルシオンと非公式に会ったのは、聡子と愛美だけだった。
「だって、未来ってば起こしても起きなくて…」
「初日から訓練だとか魔術師だとか、もうあたしのキャパ一杯だったよ」
愛美の言葉に未来は言い訳を返してため息をついた。
食卓に並ぶのはどこか異国の料理。食べ慣れないが食べられない味でもない。おいしいとは正直言えなかったが、不味くはない。そんな料理だ。
異世界だからなのか、日本との文明の差はある。かなりの差だと言えるが、地球のどこかにはこんな生活をしている民族くらいあるのかもしれない。
何より未来たちの住んでいる世界は恵まれている。
しかし、その不便さが魔術を生み出したのかもしれない。
「昔はもっと魔術も便利に使っていたらしいんだけど、今じゃ生活にも使えないとなってはねぇ」
「なんで?使えないの?」
聡子の言葉に未来は素直に聞いたが、愛美は首をすくめた。
「だんだんと魔術を使える者が減った、としか書かれてないんだけど、わたしが推測するに戦争に伴う魔術師たちの招集に関係するんじゃないかと思う。
平和な世界では誰もが使える生活の魔術が、戦争に使われて、当然戦死したり戦争に行きたくない者は隠れたりして表向き数が減り、魔術を扱える者が衰退していけば、持っている要素も意味のないものになっていくと思う。
たとえ魔術を扱える器とか資質とかがあったとしても、教える者がいなければ扱えないだろうし、扱えなければただの偶然以外では魔術として表に出てくることはないわよね。才能があったとしても宝の持ち腐れってやつで」
「あたしたちに才能とか…」
「あったとして誰に習うの?そんな時間ある?そもそもあると思う?」
愛美は苦笑した。昨日同じ問答を聡子としたことをまた未来と繰り返していることに。それでも丁寧に説明している聡子は、結構教えたがりのおせっかいなのだ。
「ところで未来、剣は上達した?」
聡子が不意に聞いた。
「さあ。馬には乗れるようになったけど」
「フェンタールとはどう?うまくやっていけそう?」
「怒られてばっかりだけど」
「ルシオンとは?」
「言うほど会話してない。第一印象はフェンより不愛想でとっつきにくい」
「そう」
愛美は二人の会話を聞きながら、そっと聡子を見た。
「あ、あたしフェンに呼ばれてるんだった。もう行くね。
なんか水晶の剣を貸してくれるって」
「へえ。気を付けて」
「…うん」
未来が食堂を出て行ってしまうと、愛美が硬い声で「聡子」と声をかけた。
「なんで寝た子を起こす様なことを」
「なんでって。未来が、あの二人のどちらかと恋に落ちたらまずいとちょっと思ってる」
「だからと言って」
「歴代の運命の女は、結構王族と結婚して残ってるの。嘘みたいなファンタジーでしょ。でも本当なのよ」
「あたしじゃダメなの?」
「わたし、ずっと黙ってるつもりだったんだけど、こんな話、読んだことがある、と思って」
「どういうこと?」
聡子がフォークを置いて額に手を当てた。
「随分昔に読んだ本に、運命の女、というのが出てきて」
聡子が苦笑しながら愛美を見た。
「ここが、私が読んだことのある小説の中の世界と同じだと言ったら、信じる?」
「聡子が読んだ本?」
「そう。結構読み漁ってるから、細かい名前まで忘れていたんだけど、確かに剣と魔法の出てくる冒険ファンタジーみたいな話だった」
「それで?」
「異世界に呼ばれた女は、運命の女と呼ばれ、国を救わなくちゃいけない。それも勝手な話よね。でも所詮ファンタジーだから。
紅玉の剣と青玉の剣を持った騎士たちと運命の女は水晶の剣を持たされ、一緒に侵略国家に対抗する。
王子とか騎士たちとのラブロマンスなんかもあったりして、最終的には国を救うことに成功はするんだけど、誰かが命を落とす」
「誰が?」
「わからない…。ごめん、本当に覚えてないの。だって、結構昔ってわたしが小学生の頃なの。繰り返し読んだわけじゃなくて、ただ一通り読んだだけ。あの頃は何冊読めるかに重きを置いていて、内容は二の次だったの」
「運命の女って、三人だった?」
愛美の言葉に聡子は顔を上げてきっぱりと言った。
「いいえ。一人よ」
フェンに呼ばれて入った部屋には、宝剣の間という呼び名があった。
水晶の剣はその部屋の祭壇らしき場所に安置されていた。
フェンの顔を見ながら未来は首を傾げた。
聡子の言葉を思い出していた。
いずれ百日後に帰る自分たちは、親しくなりすぎれば辛くなるだろうことくらいは未来にもわかっている。
それでも、たとえわずかな時間でも教えを請い、一緒にやっていくためには親しく口をきくことも、信頼感も必要なことだと未来は知っている。
少なくとも、未来はスポーツを通して学んだはずだった。
相手が王族とは言っても、あまりピンとは来ない。
おそらく他の者からすれば親しくしすぎ、という批判は来るのだろうと思う。
もしかしたら、不敬、という風にとらえられてしまうのかもしれないと思っている。
そんな未来の思いには気づかず、フェンは飄々と祭壇に手をかけた。
そんなに簡単に祭壇を触って大丈夫なのかと未来が驚いていると、奥に置いてあったらしき剣をフェンは引っ張り出した。
それはその名の通り柄に水晶をはめ込んだ水晶の剣だった。
ダイヤモンドのように輝くわけでもなく、見た目はいたって地味な石だが、程よく研磨されて輝いていた。
「これが水晶の剣だ」
フェンから渡され、未来の手に乗せられた。
剣の重さを感じるかと思った矢先に驚くほどの温かみを感じた。
「温かい?」
未来の言葉にフェンは少しだけ眉をひそめた。
「…軽い」
「そんなわけは」
ない、と言う前にフェンは水晶の剣を見た。
これは、運命の女が持つべき剣なのだと。
「真実、おまえが水晶の剣の持ち主であると認められたのであれば、そういうこともあるかもしれない」
そう言うにとどまった。
「さすが、運命の女、というわけですな」
後ろの扉から音もなく声だけがして振り向いた。
「宝剣は持ち主を選ぶ。真に言い伝え通りではありませんか」
「タズロット」
そこにいたのは、宮廷魔術師タズロットだった。
「私がここに来たのはご不満ですか」
「いや、そういうわけではない。ただ驚いただけだ」
フェンとタズロットの会話のそばで、未来は水晶の剣を握りしめて戸惑っていた。この剣を自分が持ち歩かなければならない、という事実に。
「抜いてみるか?」
フェンに促されて未来は鞘に力を込めてみた。
しかし、思ったよりも事は単純ではなく、抜けなかったのだ。
「抜けない、のか」
未来はうなずいた。やはりこの剣を持つべきではないのかもしれない、と。
「まあそう気にするな。実は城にいる誰もこの剣を抜くことはできなかったのだから」
タズロットもうなずいた。
「水晶の剣は、宝剣の中でもかなり気難しい剣であり、文献にも必要なときにしか抜けないと言われております」
「それって、役に立つの?」
「どちらにしても未来がすぐに扱えるとは俺も思っていない」
「じゃあ、いらない」
「まあそう言うな。どちらにしても運命の女しか扱えないのなら、ミキが持つのがふさわしい。他の剣を選んでもよいが、持てるのか?」
未来がそう言われて水晶の剣を預けて他の宝剣を手に取れば、その重さにふらつくこととなった。
「なんでこんなに重いの」
「そうだろうな。ちなみに今俺が持っている水晶の剣は、他の剣の重みと全く変わらないんだが、ミキにとっては軽いんだろ」
未来が他の剣を飾り棚に戻したところでフェンは水晶の剣を未来に戻した。
やはり重みが違う、と未来は感じてうなずいた。
「そうならば、やはりその剣はミキが持つべきだ。短期間で普通の剣を持つようにはできないだろう」
「そうかもしれないけど…」
こんなに大層な剣を持たされて、どうにかできるのだろうかと未来としては複雑な気分だった。
「ミキに人を斬れとは言いたくないが、せめて魔物が出たら身を守れるくらいのものは必要だろう」
「わかった」
そう言って未来は仕方なく水晶の剣を腰に差しておくことにした。
「それではここはしばらくの間封鎖します」
「頼む」
タズロットの言葉に未来は首を傾げた。
「封鎖?」
「ここにもいつ賊が入るかわからんからな」
「城の中で?結界とかなんとかそういう類のものは?」
「私の魔術が未熟なせいなのか、相手が上手なのか、時々城を守る術にも綻びが見られるのですよ」
その隙を狙って魔物を送り込んだり、賊を放ったり、敵はいろいろと仕掛けてくるのだという。
それってタズロットが絶対じゃないってこと?と未来は口に出すのを堪えた。
魔術師なんてあってないようなもの、と聡子は言っていたことを未来は思い出した。
それでもまだ細々と魔術師は確かに存在するのだと、宝剣の間に刻まれるいわゆる魔法陣を見て未来は知った。
魔法も魔術も魔物も縁のない世界から来たと言えば簡単だが、この世界から見ればそれ以上のものがある世界だった。
未来は、重みを感じさせないはずの水晶の剣の柄をそっと握った。
重くないのに、重い。
自分に託された事の重さを感じるのだった。