1 三人の運命の女たち
門から一歩出れば車の行き交う街中の高校では、昼食を食べ終わった生徒たちがいた。とはいえ、女学園のため、生徒は女しかいないのだが。
「ああ、平和っていいわねぇ」
まだ枯れたままの芝生に寝転がっていた西條未来がしみじみと言った。
無造作に結んだポニーテールのために、真っ直ぐに上には向けずに頭だけをもう一人の女生徒の方へ傾けていた。
その女生徒は見事な美人で校則違反のパーマを軽くあてた長い髪が緩やかに波打って、華奢な肩を覆っている。色白で顔の作りが整っていることはもちろん、そのスタイルの良さにおいても学園の中では注目の的だ。
その美人、斎宮寺愛美は笑顔を未来に向けて言った。
「未来に平和なんて言葉、似合わないわね」
「うるさい、この遊び人!」
「そうよどうせ遊び人よ。遊ぶのが楽しいんですもの。未来も男作りなさいよ」
「結構よ」
「くだらない会話でわたしの読書の邪魔をしないでほしいわね」
そう言って未来と愛美の二人に冷たい視線を向けたのは、学年一の秀才、菅原聡子だった。
「耳障りなら、わざわざここで読書することないのに」
未来は、寝転がった姿勢からブリッジをしてそのまま立ち上がった。
「いつもながらお見事」
愛美は未来の運動能力については素直に褒める。
未来は、よく言えば運動神経抜群で、将来はスポーツ選手で十分生活していけそうなのだが、同じスポーツを続けることがないので望みは薄い。悪く言えば飽きっぽくて運動神経の良さしか取り柄がないとも言える。
「未来と愛美の口げんかなんて、語彙が貧困で聞いていても楽しめるものじゃないのよね。どうせするなら相手が落ち込んで口もきけないようなハードなものを期待するわ」
聡子は見るからに頭の良さそうな感じがするが、やや童顔なのが曲者で、少し甘いところを見せると容赦なくやられる。しかし聡子もさすがに見境なく他人の痛いところを突くわけではない。
「あたしたちが友人同士だってことだけでも現代の奇跡よね」
愛美がそう言って微笑んだ。
「ああ、そう言えば最近あたしたち、何て呼ばれてるか知ってる?」
未来は軽く体操しながら愛美に答えた。
「聞いた。三位一体完璧シスターズ、でしょう」
聡子は途端に読んでいた本を閉じて叫んだ。
「ああ!もっと他に言いようがないの?いくら未来が運動することしか能がなくて、外面だけの愛美が役に立たなくて、知識はあっても生かす機会に恵まれていないわたしにしても、三位一体の一言で片づけられるなんて許せないわ」
未来と愛美は聡子の言葉に少し怒りを覚えながら言った。
「どうせ運動しか能がないわよ」
「外面だってないよりマシよ」
未来は十分わかりきっていることを改めて言われた不愉快さで、茂みに囲まれた自分たちのたまり場を出ようとしたところ、不意にめまいに襲われた。ポニーテールがゆらゆらと揺れる。
次第に景色が揺れだし、地面が波打っているようだった。
未来はめまいに襲われながら愛美と聡子に助けを求めた。
「変よ、変。変なのよ」
未来は必死に訴えたが、二人には口を開けて何か言おうとしているという感じなだけで、全く意思が通じていなかった。
「ちょっと聡子、どういうことよ、これ。地震じゃないの?」
「わたしに理解できるくらいなら、とっくに説明してやってるわよ」
めまいに襲われた未来のそばで、愛美と聡子も異変に慌てていたのだ。
未来には二人の会話もすでに耳には入っていない。
呼ぶ声、がするのだ。
めまいのために目を閉じたのか、周りが暗いのかは未来にはわからなかったが、その暗闇の向こうから、誰かの呼ぶ声がするのだ。
未来だけではなく、愛美は聡子も含めた『三人』を呼ぶ声。
「どうして景色が…。景色だけ揺れてるのよー」
「愛美、あんただけが被害者のような顔をしないでよね」
暗闇の向こうからの強大な力の働きは、未来・愛美・聡子の三人を包み込み、その力の源へと導いていく。まるで暗闇の向こうの扉を開けろと催促するかのように。
未来は暗闇の向こうの扉を意識した。
「あたしたち、助かるかしら」
「愛美ご自慢の面の皮も諦めたらなんとかなるんじゃない?」
「扉がある、扉だって!」
「未来ったらさっきから金魚みたいね。口をパクパクさせてる」
「冗談じゃないったら、全く!いったい何がどうなってるのよ。勉強のしすぎかしら」
三人とも既に互いの声は聞こえず、周りの景色もいつの間にか消え去り、暗闇が広がっていたが、それもわずかの間に光が前方から三人を包んだ。
眩しいと思った時、三人は冷たく響きのある声を聞いた。
「運命の女…」
未来、愛美、聡子の三人を包む光がおさまってからも、三人はすぐに目を開けることができなかった。目を開けたその場所が学園の中庭だとは思えなかったので、目を開けるこのが怖い気さえしたのだ。
一番最初に目を開けたのは愛美だった。
「ここ…どこ?」
愛美の言葉に目を開けた聡子は頭を抱えた。
「ああ、やだやだ。信じたくない」
未来は先ほどの眩暈のせいで、まだ目を開けられずにいた。
「どういうことだ、タズロット。運命の女が三人というのは聞いたことがないぞ」
低く太い声がしたところで、未来はようやく周りを見ることができた。
二本のろうそくだけが揺れている暗い部屋の中には、未来達三人の他に二人ほどの人がいるのを確認すると、目を凝らして見ようとした。
一人は大柄な戦士を思わせる中年の男。
もう一人は黒のフードをかぶり、黒の衣装を着た魔法使いを思わせた。男だか女だか、顔も見えないうえに背は高いが線の細い中性的な感じがした。また、声も不思議な声だった。
「お言葉ですが、私は扉が選んだ運命の女を呼び寄せるだけです。運命の女が一人だろうが三人だろうが関係がないのです」
戦士は魔法使いの言葉に納得した様子はなく、部屋の扉を開けて出ていきながら言い放った。
「とんだ時間の無駄だったな。役立たずの魔術師が」
未来は戦士風の男の方が、タズロットと呼ばれた魔術師よりもまだ親しくできるような気がした。
未来の隣で放心状態の愛美も、何か考え込んでいる聡子も、そして未来自身も無傷なことを確かめると、ひとまず安心した。しかし、得体の知れない魔術師相手に警戒を解くことはなかった。
考え込んでいた聡子は顔を上げて言った。
「呼んだからには、わたしたちが必要なんでしょう?いったい何のため?運命の女っていうのは、わたしたちのことみたいね。言葉は通じてるんでしょう?答えて」
魔術師はフードの中で笑っているようだった。
「あなた方が運命の女だという話はどこにもありません」
「あら、そう。それなら元の場所に返してほしいわね」
「お望みなら」
魔術師がそう答えた時、一瞬にして部屋の中は暗くなった。
三人はもう帰ることができるのだという期待をしたが、再び周りが明るくなった時に見えたのは、陽光の下の中庭の木々ではなかった。そこは先ほどと同じ部屋の中で。開けられたカーテンから差し込む陽光が三人に降り注いでいたのだった。
三人は大きな窓を見上げた。
「どうやら時が満ちてしまったようです」
揺れていたろうそくの炎は消えて、白く細い煙だけが残っていた。
「どういうこと…?」
未来は魔術師を振り返った。
「もはやあなた方に帰ってもらうべき扉は閉じてしまったと言ったのです」
「嘘よね?あなた、今帰してくれるって言ったじゃない!」
愛美が叫んだ。未来も同じように叫んでやりたかった。
陽光が部屋の中に満ちているが、フードの中の顔は相変わらず見えない。むしろ光が満ちて、更に闇が深くなったようだ。
「そのつもりでしたが、扉は閉じてしまいました。つまり、扉はあなた方を運命の女として選んだということです」
聡子はボブカットの髪を左手でかき乱すと、魔術師をにらんで言った。
「他に帰る方法は?」
「ありません。あなた方の世界と私たちの世界とは全くの異世界です。あなた方をこうして扉が選んだ以上、私もそれなりに対処させていただきます。次に扉が開く百日後まで」
「百日後?百日間あたしたちのいない世界をどうしてくれるのよ。あなたが優秀な魔術師なら、時間調整くらいしてくれるんでしょうね」
聡子の言葉にはっとしたように愛美が叫んだ。
「やあだ、困るじゃない。来週は小川君と、再来週は山本君とデートの約束してるのよ」
未来と聡子は愛美の言葉に脱力した。
この非常時に緊張の欠片も見られないやつと、聡子がため息をついた。
未来も半分呆れて、半分感心しながら魔術師を見た。
「それは扉が決めること。私の役目ではありません」
魔術師はそう言って笑った。とは言ってもフードの中が見えないので、未来の勝手な想像だったのだが。
「だいたい運命の女って何をするの?どうせ苦しい時の神頼みってやつだろうけど」
聡子の言葉に、未来と愛美も魔術師を改めて見つめた。
「運命の女は、国を勝利に導くためにあらゆる知を持ち、自ら剣を持って戦い、そして類まれなる美を持つ」
聡子はにやりと笑ってお互いを見やった。
「選ばれた訳がわかった。つまり、わたしが知を持つ女で、未来が剣を持つ女、愛美が美を持つ女ってわけね」
未来と愛美もわかったというようにうなずいてみせた。
未来は相変わらず魔術師に対して警戒していたが、愛美はすっかり気を許している。
「わたしたちを、運命の女として世話してもらうわ」
聡子は言った。
どうせ百日後にしか帰れないのなら、自分たちの身を守るためにはそうするしかないと未来も思った。
「よろしいでしょう。その代わり、運命の女としての役目は果たしてもらいます」
魔術師の言葉に、三人は思わず寄り添った。
「しばらくお待ちください」
そう言って魔術師は黒いマントを翻して部屋を出ていった。
三人は向き合って座り込んだ。
「どうするのよ、これから」
未来は、魔術師の得体の知れない不気味さを思い出して少し身震いした。
「どうせ帰れないなら、楽しんじゃえばいいじゃない。国って言うからにはあたし好みの王子や騎士の一人や二人はいるはずよね」
先ほどまでいろいろ叫んでいた割にはすっかり順応したらしい愛美は、一人はしゃぐ。
「ま、どうせ剣を持つのは未来だし、わたしは頭使って考えれば済むものね」
「聡子、ひどい。あたし一人だけ危ない目に遭わせるつもりなの?」
「あら、かっこいいじゃない、未来。未来が剣を持って戦うなんて、想像するだけでぞくぞくしちゃう」
愛美がうっとりとした顔でそう言うので、未来は思わず後ずさった。
「愛美、そういう趣味あったっけ」
「ないわよ」
愛美のはっきりとした口調に未来はほっと息を吐いたところへ、愛美が笑って言った。
「でも未来は特別」
「…え?」
「やあね、別に襲ったりしないわよ」
愛美は陽気に笑う。
未来がやや青ざめて聡子を見ると、聡子には呆れた顔で見返された。
魔術師が戻ってくるまでの間、不安に押しつぶされそうになりながら、未来は自分の腕時計を見た。時計の針は十二時四十五分を指したまま止まっていた。
未来は愛おしむように腕時計を外して握りしめると、制服のポケットにしまった。
大きな運命の歯車が、嫌な音を立てて回り始めたような、そんな気がしていた。
軽いノックの音がして部屋の扉が開いた。
待ちくたびれていた三人は、扉が開いてもすぐに動く気にはなれなかった。
「失礼する、三人の運命の女たちよ」
よく通る声は栗色の髪をした騎士だった。長身でスマートな男で、人の良さそうな感じがした。少なくとも最初に会った戦士と魔術師に比べれば、だが。
「あら、あたしの好み」
未来の耳元で愛美がささやいた。
「俺の名はフェンタール=フィリス=マーズロン。フェンと呼んでくれ。本当ならこの国の王か王子があいさつするべきだが、あいにくの留守で俺が代わりに来た。この国の王子とは従兄になる」
騎士・フェンが自己紹介したところで、三人を代表して聡子が立ち上がって言った。
「わたしは聡子、知を持つ女。わたしの後ろにいるのが愛美で美を持つ女。左後ろにいるのが未来で剣を持つ女、よろしく」
フェンはじっくりと三人の顔を眺めた。
「なるほど。三人の運命の女たちとはいえ、三人いなければ意味がないというわけか」
「わかっていただけたなら光栄。ところでこの国は、国を救うだろう者たちにこういう扱いでもてなすわけ?」
聡子の言葉にフェンは少し目を細めたが、すぐに笑った。
「もちろんそれ相応の部屋にすぐ案内させよう」
フェンが手を一つ叩くと、侍女が六人、音もなく部屋に入ってきた。
「予定は狂ったが、三人の運命の女たちだ。誰か一人が欠けてもその能力を発揮しない。この国の最高の客人だ。そのように世話してくれ」
聡子はフェンの言葉に少し引っかかることがあったが、寄ってきた二人の侍女に気をとられて忘れた。
愛美に近づいた二人の侍女は、愛美を上から下まで眺めて次々に言った。
「まあ、本当にこの方の美しいこと」
「私たちがさらに美しくいたしますわ。さあ、どうぞこちらへ」
褒められるのが好きな愛美は、侍女の言葉に気を良くして一緒に部屋を出ていった。
「あ、ちょっと…。あの馬鹿」
聡子のつぶやきが合図のように、聡子に寄り添っていた二人の侍女が聡子を見つめて言った。
「この方のお顔をご覧なさいませ」
「知にあふれるお顔は、知を持つ女に相違ございません。さあ、あなた様も相応しいご衣裳にお召し替えを」
聡子は途端に驚いて抵抗した。
「わたしはこの服で十分…」
しかし、侍女二人に両腕を抱えられて、抵抗しながらも叫び声とともに部屋から連れ出されていった。
未来は始終をぼんやりと見ていたが、部屋に残されたのが自分だけなのに気づいて身体を固くした。
「何も心配することはございません。後ほど皆様同じ部屋にご案内いたします」
そして、もう一人の侍女はフェンに何やらささやいていたが、やがて未来に近づいて言った。
「あなたさまも動きやすいご衣裳にお召し替えになりませんと」
未来はフェンを振り返った。
「剣を持つ女、ミキよ。その恰好では敵の一人も倒せまい。それとも、その恰好でも敵を倒せるほどの腕前を見せてくれるのか」
灰色の瞳の奥に潜むものを見ようとしたが、気の良さそうな騎士の仮面がフェンの真実の姿を見せようとはしなかった。
未来はぐっと奥歯を噛みしめてから言った。
「替えさせてもらうわ」
フェンの視線を撥ねつけるようにしてそう言うと、侍女と一緒に部屋を出ることにした。
その背中でフェンが笑っているような気がしてならなかった。実際未来の態度にフェンは苦笑めいたものをその顔に浮かべていた。
しかし未来にとっては一笑に付すようなことはできなかった。
城のどこかで未来達三人を見て笑っているような気配を感じていた。
もうお前たちは逃げられはしないと。
未来が歩いていく後姿を、魔術師がじっと見つめていた。
その敵意に満ちた眼差しは、フェンも、そして城中の誰もいまだ知る者はいなかった。