〜オレ得でしかない〜
000.
耳障りな蝉の鳴き声と、汗で濡れた肌着の気持ち悪さで目が醒めた。
うっすらと開いた視界に映るのは、見覚えのないカラフルな世界地図のポスター。ハワイと日本にはすぐに目が行く。いつかハワイでナンパした女の子が可愛かった。また会いたいなぁ。……いや、そうではなくて。
ここは、どこだ。
女の子の部屋だということはすぐに分かった。ピンクのベッドのシーツ、パンダ柄のカーテン、飾り棚に並べられたシャクレルプラネットの人形、年季の入った机と椅子にはハム太郎のステッカーがいたる所に貼られている。スタンドには女子学生の制服が吊るされてある。
また飲みすぎて女の子の家に転がり込んでしまったのだろうか。夜を共にしただろう相手の顔は覚えておらず、クラブに行って騒いだところで記憶は途絶えていた。でもなぜこともあろうか学生の部屋なんかで寝ているのだろう。
ベッドから起き上がると、いつもより視線が低いことに気付いた。2メートル弱ほどの高さの本棚を見上げている。本来俺は身長が184cmあるから、アダルトビデオを借りる時だって、高い位置にあるパッケージデザインも目の前に見える筈なのだ。それなのに、何故。
視線を下に移すとキャミソールがはだけており、そこにはあろうことか「乳」があった。それほど大きくないがこれは紛れもなく女子の「乳」だ。ピンク色の乳首がちらりを顔を見せている。ジーザス・クライストっっ!
「や、やわらけぇ〜♡」
思わぬ揉み心地の良さに天を仰いだ。
予想通り股関には俺の自慢の立派なムスコはいなかった。これはこれで悲しい。他を確認する間もなく階下から女性の声が響いた。
「花ちゃん、朝ごはん出来てるわよー!」
俺は花ちゃんではない。大沼圭吾だ。しかし、もしかしたら、今の俺は花ちゃんなのかもしれない。
階段を降りてすぐ右のところにリビングがあった。この家はどこもピカピカでホコリ一つなさそう。
料理をせかせかと並べる女性が振り向いた。よく手入れされているのであろうビロードのような髪がカーテンのようになびいて、現れたのは三十代後半かと見られる美しいひとであった。 綺麗な二重の目はやや吊り上がってて厳しさを感じるが、形の良い桃色の唇が艶っぽい。あの傷んだことのないような髪を俺の好みのレイヤースタイルにしてみたい。
ほら早くと急かされてそれ以上拝む間もなく食卓につかされた。おお、旨そうだ。ベーコンエッグにネギと油揚げの味噌汁、きんぴらごぼうに小盛りの白米。いつもは朝早くて朝食はコーヒーを飲むだけだったし、料理なんて殆どしないから、こんなまともな食事は何年かぶりである。
「お母さん、目玉焼きの半熟具合いがパないっす!きんぴらごぼうもうめぇ♪」
手作りってやっぱりいいなぁ。
「花、なぁに『パない』とか『うめぇ』って。そんな言葉遣い許した覚えはないわよ。」
ギロリと睨み付ける御尊顔も美しい。目にかかるやや長めの前髪が、まるでそよ風にさらりと吹かれるすすき畑のごとく軽やかに揺れる。こんな女性に苛められてみたい……♡なんだこんな俺得の夢は。神様ありがとうございます!しかし、夢にしてはやけに箸を掴む感覚がリアルではないだろうか。手荒れを知らない綺麗な華奢な手が俺の意思で動いている。職場にいた若い女性アシスタントを思い起こさせた。この小さい手なら小回りが利いて、俺が普段苦労している手細かいパーマのロッドを巻くのも余裕なんだろう。
今分かることは俺が花ちゃんという少女の身体に入っているということだ。おそらくこの後は部屋にあった制服を着て登校するのだと思うのだが、なにせ道が分からない。
あ、あの、お母さんと遠慮がちに切り出す。
「私って普段誰かと一緒に登校してますか?」
寝ぼけてると思われたのか他の事で頭がいっぱいなのか、「佐倉さんがそろそろ来るわよ。」と花の母親は洗濯物を淡々と畳みながら思いのほか普通に答えた。
001.
Wow..
なんて光景だ。
笑い声が響く教室には女子しかいない。花ちゃんはどうやら私立の女子高に通っているらしい。右を見ても左を見ても、女子、女子、女子。今日も暑いねぇとスカートをつまんでひらひらしている子がちらほら。白のパンツ、見えた。床にあぐらをかいて座りながら、セーラー服のブラウスをパタパタと仰ぐ女子もいる。黒のブラ、黒のパンツ、見えた。良く言えば無防備、正直に言うと想像を越える女子高のワイルドさにどぎまぎしてしまう。男がいないから気を付けていないのだろう、たまに見える下着に目が言ってしまう。仕方ないじゃないか、男なんだから。一番後ろの席に座るギャルっぽい女子に至っては、ヒョウ柄のブラが透けている。
けれど俺の花ちゃんだって負けていない。さくらんぼ柄の下着は好みではなかったが、この胸は形の良いC65だ!手にしっかり収まる感じといい綺麗な薄いピンク色の二つの突起といい、文句の付け所がないことを俺は知っている。姿鏡で確認した花は猫背の気があったが姿勢を正すとスタイルだってそこそこ良かった。顔は、母親似の猫のような眼と、いつかプラネタリウム見た冬の大三角を連想させる首筋の3つのほくろが特徴的だった。母のような厳しさは無くどこか頼りなさげで、どちらかと言えばかわいい系だろう。
「ねぇ花、今日めちゃくちゃ可愛いじゃん!」
突然目の前に顔を出したのは佐倉だった。物思いに耽っていたので思わずぎょっとする。花と近所の佐倉さんは、「有栖」という下の名前と顔立ちから見るに、おそらくハーフだろう。天然パーマだと言うゆるいカールのかかった髪はブロンドに近い茶髪で、目はとび色だ。雑誌から出てきたモデルのようにすらっとしていて、ころころと表情豊かで笑顔の絶えない彼女は、クラスで一番輝いていた。
「佐倉さんだって可愛いよ!」
大きな声で真剣に応えてしまった。
「なぁにその呼び方。いつもみたいに呼び捨てでいいのに。それより髪の毛すごい上手く巻けてるね。気合い入ってるじゃん。」
「朝ご飯早めに食べ終わって時間があったからね、コテで寝癖直しただけ。」
「花がそんな器用だなんて知らなかった!いつもはただ一つに結ってるだけなのにぃ。今度私にもやってよ。」
キラキラと有栖の目が輝く。窓から指す朝の陽光がくすんだ彼女の髪をより一層明るく見せている。
「いつでもやってあげるよ。」
有栖ちゃんはこうしたらもっと可愛くなるんだろうと想像しながら、微笑んで言う。女性は押し並べて少しの気遣いでより可愛く、綺麗さや艶を増す。等しく人間は女性の胎内から出てくることを考えると、女性という生き物には神秘的なものを感じる。
美容師の資格を取ったのは単に当時の彼女が美容学校に行くと言い出したからだった。俺は別に、将来の仕事なんて何でも良かった。若さ故の思い切りの良さだったのだろう、自分なら挑戦してみればなんとかなると楽観的あるいは根拠のない自信があったのである。
お客さんの喜ぶ姿を見るのが嬉しくて、気が付けば「美容師」という仕事が自分の生き方になっていた。どうすればこの人の魅力をより引き出せるだろうかと考えながらカットしていたら、あっという間に俺の二十代は終わり、三十五歳になっていた。
授業は先生が何を言っているのか全く分からなかった。国語はなんとかついていけたけれど、数学に当たっては俺の記憶は方程式で止まっている。微分だの積分だの習った覚えすらない。化学の小テストは白紙のまま提出して、諦めて教科書に落書きしたり、女子軍団の脚の形なんかを眺めたり居眠りして、なんとか学校での時間はやり過ごした。
「はーなっ!」
帰りのホームルームが終わるなり、有栖が後ろから抱きついてきた。大きいマシュマロが後頭部にもろに押し付けられてたじろぐ。
「今日さぁ、この後スタバの新作のフラペチーノ飲みに行かない?」