二話・バックドア
警視庁捜査一課の刑事、三芳慶史は朝から警察署内が騒がしい事に気が付いた。複数の警察関係者が時折三芳の横を走り去る。その顔は皆険しい表情をしていた。三芳は先日発生した強盗殺人事件が終わったばかりで疲れてあまり頭がはっきりしていなかった。
「よっこらせっと」
まだ三十代前半なのに、四十代後半のおっさんが座る時に言う言葉を発しながら自分のデスクに戻る。三芳は隣にいた同僚刑事に聞いてみる。
「何があったんだ?」
「ん?お前知らないの?」
これだからお前は、なんて言う顔で見られうるせぇ、という顔で返す。
「昨日の夜、警視庁のサーバーに不正なアクセスが確認されたらしい。そしてそこから、警視庁の職員情報が盗まれたらしいよ」
「え?職員情報ってもしかして俺たちの情報ってことか?」
三芳が驚いた顔をすると、同僚も苦い顔をして首を振る。
「そう。総務部の管理ファイルからごっそり職員情報が外部にダウンロードされてたって」
「んーと、つまり俺たちの個人情報がどっかの誰かに盗まれた・・・・・・」
「ま、何もやましいことが無いなら焦る必要もないだろ」
同僚は俺は大丈夫だけどな、と言い残して三芳の前から去る。警視庁のサーバーに不正にアクセスするなんて随分と度胸があるやつだな、と思った。難しいことは分からないが、そんな生半可なセキュリティでは無いはずだ。そこをリスクを冒してまで突破したとなると、単なるハッカー気取りのやつではないだろう。
「まぁそっちはそっち専門の人達が対応してるか」
日本の警察は優秀だ、そう信じてコーヒーでも飲んで一服しようとした時、課長が三芳の肩を叩いた。
「三芳、行くぞ。八王子だ」
「また事件ですか?」
「あぁ、殺人だ。しかも、現職の刑事だ」
「現職の刑事?」
自分と同じ仕事、同じ立場の人間が殺された。そう聞いて黙っていられるはずがない。もちろん、街に住む人々が襲われるのも耐えられないが、同じ立場の人間が殺されたとなると、また違う感情が湧いてきた。三芳はすぐに課長の後を追う。
サイバー犯罪対策課の坂城純はパソコンのデータと睨めっこしていた。昨晩、何者かが警視庁のサーバーに不正にアクセスして、総務部の管理ファイルから警視庁の職員情報が盗まれた。その中には坂城の情報もあっただろう。しかし、今はそんなことは考えている暇はない。警視庁からデータが盗まれたとなれば、警視庁にとって信頼を落としかねない一大事だ。
「坂城、アクセス元は特定できたか?」
サイバー犯罪対策課の課長である宮野屋嘉人が坂城の元へやってくる。
「いえ、まだ特定には・・・海外数百の基地局を経由して、さらに通信が暗号化されているみたいです」
坂城は少し疲れた顔をしながら課長に言う。どんなに追跡してみても何処かで必ず途切れてしまう。ここまでの腕前となるともはや素人ではなく、その道のプロのハッカーによる犯行という事になる。そもそも警視庁の硬いセキュリティを破った時点で素人では無いのだが。
「単独犯か?」
「いえ、ここを見てください」
坂城はパソコンに表示されている文字列を指さす。
「警視庁のセキュリティプログラムなのですが、そのプログラムの中にバックドアが仕掛けられてました」
「つまり、警察内部に共犯がいると?」
「可能性はあると思います」
そもそも警視庁のサーバーは高いセキュリティによって守られている。素人程度で破られるほど生半可なものでは無い。だとすればプロのハッカーの犯行という事になるが、いくらプロでも単独で警視庁のセキュリティを破る事は難しいはずだ。しかしここまで簡単に、短時間でセキュリティが破られ、情報を盗まれたとなると外部からだけではなく、内部からの協力があったと考えるべきだ。宮野屋は腕を組んで渋い顔をする。
「警視庁の中に情報を流した協力者がいたとなると・・・・・・これは上の人間は良い顔をしないだろうな」
「まぁ、まだ内部の人間と決まった訳ではありませんから。過去に何度もサイバー攻撃を仕掛けて、その間にセキュリティの穴を見つけてバックドアを仕掛けた可能性もあります」
坂城の指摘に宮野屋は渋い顔を直さずに聞いていた。少し低く唸る。
「とりあえず上には内部の協力者と単独犯の両方の可能性があることを提言してくる。引き続き犯人の追跡をしてくれ」
宮野屋はスーツのボタンをしっかり閉めるとサイバー犯罪対策課の部屋を後にする。坂城はに向き直り、一度考える。すると隣から女性から声をかけられる。
「坂城さん、大丈夫ですか?大分疲れてるみたいですけど」
同じサイバー犯罪対策課の皆原綾だ。坂城と同じくらいの年齢であり、見た目も悪くは無いのだが、本人はオシャレ等には全く興味がないようでいつも同じような外見をしていた。
「いや、大丈夫です・・・・・・それより協力者、どう思います?」
「確かに無いとは言えないと思います。寧ろ私は協力者の方が可能性が高いと思います」
「僕もそう思います。残っていたIPアドレスを調べてみたんですが、過去に同じアドレスからのサイバー攻撃はありません。もちろんアドレスは暗号で偽装されたものでしょうが、一度のサイバー攻撃でセキュリティを突破して情報を盗んだとなると、元からバックドアが設置してあったと思います」
「今回のサイバー攻撃が一度、つまり初めての攻撃なら尚更内部の協力者がバックドアを設置していたって事になりますね」
皆原は少し考える素振りをして答える。信じたくはないがそれが現場の感想だ。しかもサイバー犯罪専門の捜査官の意見なのだから信憑性は高い。
「僕はちょっとバックドアから内部の協力者がいないか調べてみます」
「じゃあ外部犯の方は私が引き継ぎますね」
皆原に追跡中のデータを渡してから、坂城はバックドアの解析を始める。
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東京都八王子市八王子ジャンクション。その付近を三芳は車で走っていた。首都高から中央道に乗っている訳ではなく、その下の一般道を走っていた。街から外れ細い道を走る。目の前に中央線が見え、その高架下を通る。そこを通り抜け中央線に沿うように走る。上には中央線が走っていた。下を見ると大きな柱で支えられている。こうして間近で見るとこんなにも大きな柱を何本も作り、それを並べてその上に道路を作っている。人間が作ったにしては壮大だな、なんて思いながら走る。梅林の横を通り抜けると、途中で車両の集まりが見える。三芳は車を降りて現場に向かう。現場はその道から右に曲がったところにある小さなトンネルを抜ける。中央道を真横に渡った感じだろう。トンネルの先は草木が生い茂っており、道らしき道はあるが、どう見ても獣道だった。高速道路下にこんな怪しい道があるのか、と思いながら歩く。フェンスに挟まれた道の突き当たりに行くと、複数の警察官に囲まれたブルーシートが見えた。
「お疲れ様です」
鑑識が現場を後にしたのを確認してから三芳達も現場に入る。草木が生い茂り、道も獣道のような道しかないフェンスに両側を囲まれた道。その左側のフェンスにもたれかかる様に倒れた人がいた。
「彼ですね・・・」
「こりゃまた酷いな」
倒れている男性のワイシャツは真っ赤に染まっていた。傷口もワイシャツの上から分かるくらいだった。
「被害者は染矢亮太郎。警視庁総務部文書課の現職の職員だ。腹部から胸部をメッタ刺し、凶器は無しか」
課長が手を合わせる。三芳も手を合わせて遺体に向き直る。警視庁ではあったことは無いが、この人も紛れもなく同じ警視庁で働いていた人だ。そんな人が無惨にも殺されてしまった。どうしようもないが、心の中ではどうにかできなかったのか、と考えてしまう。
「ていうかよくこんな入り組んだ場所に遺体があったの見つけられましたね」
「さっき来たから分かると思うが、ここら辺はかなり人通りが少ない。使うのは近所の住人くらいだ。そんな道を見慣れないスーツの男が歩いていったら嫌でも分かるだろ」
課長は第一発見者である老人を見る。老人は人の死体を見つけてしまったことからか酷く疲れているように見える。気の毒に、と思う。
「ってことは目撃情報があったってことですよね」
「第一発見者のご老人の話だと、昨日午後十時くらいに殺された染矢ともう一人男がこの道に抜けるトンネルに入ったのを目撃していた。しかし夜も遅く街灯もない為顔なんて見えず、気にせず寝てしまったので、その後は知らないそうだ」
染矢の遺体が担架に乗せられ運ばれていく。それを見て課長も現場を後にする。三芳は一通り現場を見た。争った形跡があるので恐らく染矢の後に入った謎の男と揉み合いになったのだろう。いや、揉み合いになって突発的に刺した、というよりは元々殺すつもりで刺したのだろう。何しろ上半身がメッタ刺しだ。遺体から殺意が滲み出ていた。
それにしても、どうして染矢はこんな入り組んだ場所に来たのか。呼び出されたとしてもこんなところに呼び出されたら、それこそ怪しむはずだ。総務部とはいえ現職の警察官なのだから。三芳はそんな事を考えて、ふと思い出す。
「総務部って確か、昨日サイバー攻撃を受けて、情報が盗まれたところだよな・・・」
朝聞いた話を思い出す。警視庁の職員の情報が盗まれたという事件。関連があるか分からないし、どちらかといえば関係ないと思う。総務部、と聞いて朝の話と結びつけてしまっただけだろう。特に有力な証拠などを見つけられなかった三芳は道に落ちている枯葉や草を見る。染矢の血で真っ赤に染まっていた。痛々しい現場を見て、もう一度手を合わせてから現場を後にする。
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坂城は警視庁のセキュリティに仕掛けられたバックドアの解析を続けていた。こちらは外部犯の追跡よりはかなりやりやすかった。何しろ、バックドアが仕掛けられた痕跡がしっかり残っていたからだ。隣の皆原を見ると、苦戦している様子だった。押し付けてしまった身としては何としてもバックドアの解析を成功させたい。
「にしてもこのハッカー、本当に追跡ができませんね。どんなに辿っても必ず途切れます。数百の基地局の経由、さらに数百のパソコンを踏み台にしてます」
「そこまで用意周到な奴なら、痕跡すら残さずに一発でセキュリティを破りたいと思いますよね。だから内部の協力者が必要だった」
言いながら解析を続ける。信じたくはないが、同じ警察官が犯罪に加担している可能性もある。警視庁の職員の情報なんか盗んでどうするつもりかは知らないが、正規のルートで手に入れずに盗んでいる以上、人に言えないような事に使うのだろう。被害者が出る前に何とかしなければ。その思いで解析を続け、ようやくバックドアを仕掛けたIPアドレスを特定する。
それと同時に課長の宮野屋が戻ってくる。
「やっぱり上の連中はいい顔をしなかったな」
「あ、課長!特定出来ました!」
坂城の報告を聞いて宮野屋は駆け寄ってくる。
「ハッカーか?」
「いえ、先程言った通り、内部の協力者がいると思ってバックドアの方を解析してみたんです。そしたら一つのIPアドレスに辿り着きました」
画面に表示されているIPアドレスを見る。
9ケタの数字、途中にカンマがつけられたIPアドレスを調べていく。
「このIPアドレスに該当するパソコンの所有者は・・・・・・染矢亮太郎という人ですね」
「染矢亮太郎?」
「課長、知ってるんですか?」
染矢亮太郎、という名前を聞いて何か思いたる節があるような課長を見て聞いてみる。課長は少し考える素振りをしてから、あっ、と思い出したように言う。
「染矢亮太郎って確か、警視庁の職員だ。確か総務部の文書課」
「警視庁の職員?それに総務部って職員の情報を盗まれた・・・・・・」
「文書課って確か個人情報とかの保護の・・・職員の情報も確か・・・」
課長の言葉に坂城と皆原は何とか思い出す。自分とは違う部署なので少し思い出すのに苦労した。
「って事はその人が協力者・・・すぐに話を聞いた方がいいんじゃ・・・」
「いや、どうもそれが出来なくなったみたいだぞ」
宮野屋の言っている意味が分からなかった。現職の警視庁の職員なら今は勤務中のはずだし、まだ特定されてのがバレてないなら今のうちに取り調べをした方がいいのではないか。そんな坂城の考えを宮野屋は否定した。
「染矢亮太郎は殺された。今朝、八王子で遺体となって発見されたそうだ」
「殺された・・・?」
予想外の展開に坂城は少しついていけなかった。昨日警視庁に不正にアクセスされ、総務部に保管されている職員情報が盗まれ、その翌日に総務部の職員が殺された。
まさか、なんて思いながらIPアドレスをもう一度調べる。
アクセス履歴にはやはり数ヶ月程前に警視庁のサーバーに不正アクセスしていた。そしてもう一つ、あるURLがあった。そのURLの最後には『onion』の文字。
「ダークウェブ・・・・・・」
坂城は、嫌な悪寒が背中を襲ったのを感じた。