一話・安いパソコン
暗い部屋の真ん中で、一人座っている。その無機質な部屋には無数のケーブルが張り巡らされており、モーター音が響いている。高スペックだと思われる置型のパソコン数台目の前に並べたその人は一心不乱にパソコンの画面を凝視していた。
多くの数字やアルファベットの羅列。それが滝のようにスクロールしていっている。
その中の一つの画面には『server:Metropolitan Police Department』の文字。その表記をクリックする。海外数百の基地局を経由する画面が表示され、少しの間の後、『Successful access』の文字が表示され、画面いっぱいに四角の枠が表示される。そこには「警務部」や「庶務部」等の文字が表示されていた。そこからカーソルを動かし、「総務部」の場所で止まりダブルクリック。縦に箇条書きで様々な資料や記録が表示される。カーソルを動かしていき、「職員名簿」のところで止まる。『Do you want to download it?』というウィンドウが開かれ、『OK』を押す。ダウンロードの表示バーが100%までいき、『Download complete』と表示される。ファイルを開くと、画面には警視庁の職員の詳細な情報が書かれたデータがあった。その人はニヤニヤと気味の悪い笑みを浮かべた。下にスクロールしながら職員名簿を眺めていく。すると、パソコンの画面にメッセージ受信のアイコンが現れる。その人は宛名を見てすぐにメッセージを開く。そこにはこう書いてあった。
『お前の思い通りにはさせない。そしてお前の言いなりにもならない。覚悟しろ』
その人はメッセージを見ると急いで他のパソコンを操作する。『Searching…』から『Unknown location』の文字を見てその人は思い切り机を叩く。荒い息を吐きながら先程手に入れた職員名簿を勢いよくスクロールしていく。そして目的の人物を見つける。画面の向こうに映る顔写真が、自分を逃さまいと睨んでいるように見えた。その人はその顔写真の目を潰す様に思い切り指を押し付ける。液晶画面が波打つ。そして名前を見てまたもや不気味な笑みを浮かべた。
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目黒明日香は上はスーツ、下はパジャマという何とも不思議な格好をしていた。目黒はそんな自分の姿を気にせずリビングの机に置いてあるパソコンの前に座る。パソコンの画面には上半身しか映らない自分がいた。そしてその後画面が何分割にもされ、様々な人が画面に映し出される。そして最後の男性が入ってきたところで、目黒が話し始める。
「皆さん、おはようございます。本日の業務内容の確認を行います」
そう言って画面上で会議が進んでいく。
目黒が勤める商社では新型コロナウイルスの影響で、テレワーク化が推奨され、目黒もしばらくはテレワークでの仕事が強いられた。最初は戸惑ったが、慣れれば中々いいもので、わざわざ着替えなくても上半身だけしっかりしていれば、画面上ではしっかり働く社員、という印象を与えられる。もちろん、下がパジャマだとバレた時のリスクも大きいが。
目黒は朝の会議を終え、オンライン会議ツールを閉じる。背伸びをすると、上着を脱いでワイシャツの第一ボタンを開ける。
「いやー、オンライン会議は上半身だけ着替えればいいから楽だー」
そう言って台所に行き、コーヒーを入れ、パソコンの傍らに置きながら仕事を始める。これくらいは出社していた時でもできたかもしれないが、お菓子食べながら仕事はテレワークでないとできないので、実はテレワークを満喫していたりする。
新型コロナウイルスが大流行し、出勤での外出等も規制され、家で仕事をするテレワークが推奨された。一時期は本当にどうなるのか、と思っていたが、慣れてしまえばなんてことは無い。逆にテレワークの方がのびのびとストレスなく仕事ができていると感じる。コーヒーを啜り、苦味を舌と鼻で堪能していると、スマホに着信が入る。会社の同僚からだった。
「もしもし?」
『明日香おはよー。さっきの会議、絶対下パジャマだったよね』
「あはは、バレた?でも正直バレないし、多分テレワーク組はみんな下パジャマだと思うよ?」
『上司にチクってやろー・・・まぁ私もパジャマだったけどね』
「お前もかー!」
他愛もない話をしながら仕事をする。これもテレワークの恩恵か。
『あ、そういえばこの前貸したCDそろそろ返してよね』
「わかってるわかってる・・・ちょっと探してみるね」
立ち上がり、奥の自室に向かう。その時、コーヒーカップに手が当たり、中身がこぼれ液体がパソコンに盛大にかかっていることに気が付かなかった。
「いやー、ごめんごめん。実はすっかり忘れてたんだよね」
『やっぱりか!念の為言っておいてよかった!』
「でも見つけたんだからいいじゃん・・・じゃ、次会社行った時に返すね。バイバイ」
これ以上の説教は耐えられないと思ったので早々に通話を切る。さーて仕事仕事、とパソコンの前に戻るとパソコンのキーボードが茶色になっており、画面が消えているのに気がつく。何事かと思い、横を見ると倒れたコーヒーカップ。とても嫌な予感がして電源ボタンを叩きまくる。予想通りパソコンは復活しなかった。
「やっちゃたー!」
とりあえず心の中の悲鳴を声に出してから、急いでパソコン修理店に向かう。
「直りませんね」
修理店のメガネ店員にそう言われた。コーヒーを零した後、急いで修理店に向かい直せるかどうかを確認してもらっていた。しかし帰ってきた返事は目黒の希望を打ち砕くものだった。
「直らないって・・・そのパソコンには仕事のデータとかが沢山入っているんです!」
「あー、そちらの方は何とか抽出できたのでご安心ください」
メガネをくいっ、と直して言う。その言葉を聞いてとりあえずは安堵した。データが無事ならば今から会社に行っても仕事はできる。テレワーク組だが、そんな事は言ってられないだろう。
しかし、正直今から会社とかはあんまり行きたくない。朝早く出ているとかなら行ったかもしれないが、午後から出社とかは気分的にも乗らない。
「どうしても直りませんか?」
「普通ならコーヒー零したくらいでここまでなりませんが、今回はちょっと奥まで染み込んでしまっているので・・・」
運が悪いですね、とか言われそうな感じだった。正直、お金もそこまである訳では無いし、すぐにノートパソコン買わなくてもとは思った。しかしいつまでテレワークが続くか分からない。そうでなくてもノートパソコン自体は使う。今後必ず使うのだから、いずれにせよ買うしかないのだ。そういえばここは中古のパソコンも売っていたはずだ。
「あの、すみません・・・今あるパソコンでなるべく安いのが欲しいんですけど・・・」
店員はメガネを直して、
「あんまり型が古いとかはおすすめしませんよ。少なくともテレワークができるスペックとなると中古でもそれなりにします」
メガネ店員に連れられて店内を見る。やはりどれもいい値段はする。中古とは書いてあるがどれも新品みたいだった。それだけしっかりメンテナンスをしているのだろう。あまり長居はできないので、諦めて会社に行こうとした時、店の中心からは少し外れた展示棚に一台のノートパソコンを見つける。
「これ、型自体は一昨年くらいのですよね?なのになんでこんなに安いんですか?」
それは世界的に有名な企業ノートパソコンだった。型は一昨年くらいだが、それでもかなりのスペックのはずだ。それがなんと一万五千円だった。
「えーと、多分店長が担当したと思うので僕には分かりかねます・・・でも確かに型はそんなに古くないし、スペックも高いのにかなり安いですね」
メガネ店員もまじまじとノートパソコンを見る。少し怪しい感じはしたが、ここは怪しい店でもないし、店頭に出す以上メンテナンス等はしっかりやっているはずだ。それに値段が安ければ買わない手はない。
「すみません!これください!」
目黒は少し押し気味でメガネ店員に言う。メガネ店員も少しのたじろぎながらわかりました、と言ってパソコンをレジに持って行く。
「とりあえず買ったし・・・一万五千円なんてラッキー!」
箱に入ったノートパソコンを見て笑う。データはパソコンの簡単な設定をしてもらうついでに入れてもらった。これでとりあえず仕事はできる。
「にしても本当に安かったなー」
急いで家に帰る。
「あのパソコン、なんであんなに安かったんだろう?」
メガネ店員は不思議に思った。別店舗に行ってて居ない店長に心の中で何故?と繰り返し聞いていた。
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「お疲れ様でしたー」
目黒は挨拶をして、その日の報告を済ませてオンライン会議から退室する。背伸びをして時計を見る。午後六時だった。
「いやー、パソコン買えてよかったー。スペックも問題ないし、しばらくはこれでいけるかな」
パソコンを撫でる。どう見ても新品にしか見えないが、これで中古でしかも一万五千円という破格の値段だった。きっと母なら「こんなに安いのはおかしい!怪しい!」って言って絶対に買わなかっただろうな、と思いクスッと笑う。
母には昔から見た目には騙されるな、本質を見抜けるようになれ、と散々言われてきた。正直そうなれたかは怪しいところだったが、今のところは見た目には騙されていないと思う。
「・・・パソコンはしょうがないよ・・・これで一万五千円だもん」
それだけは例外だ、と考えてパソコンを弄る。ネット検索も問題なし、スペックも高い。これはラッキーだったと思う。その時、不意にネット回線が切れた。
「あれ?さっき繋げたばったりじゃん」
WiFiルーターに該当するアドレスをパソコンで見つけて接続する。しかし、接続は失敗する。それに先程からパソコンの動作が重い気がする。
「もしかしてもう一万五千円の代償がきたか・・・」
様々なファイルを見てみる。しかし初期化してあるはずなので前の人のファイルやデータ等は残っていないはずだ。自分も動作が重くなるほどデータは無いはずだ。しばらく弄ると動作は元に戻った。試しにワイシャツの接続もしてみたところ、今度は成功した。
「んー・・・まぁ一万五千円だし、ダメージは少ないか」
高スペックのパソコンを静かに閉じる。
薄暗い部屋の中で、その人は一人座っている。しかし先程とは少し様子が違う。忙しなくパソコンを見ては爪を噛んでいる。キーボードを叩いて目的の物を探す。しかし、一向に『Searching…』から変化しない。その人はついにパソコンを殴り、画面にヒビを入れる。七色に画面が発光し、壊れた事を知らせた。その人は壊したパソコンを無造作に床に落とすと、手に入れた職員名簿を見る。その人はメッセージを一つ送ると、立ち上がり、外に出る。外は既に暗かった。
その人が外に出たすぐ後、一つのパソコンの画面に『Location confirmation』の文字が表示されていた。