空の日記
することのないとき、やたらと生産性のない思考が脳を巡る。将来へのあれこれを考え悩む、なんてことはまるでなくて、ただただ使い古した思考回路が、今日も自己分析と達観めいた益体もない自己嫌悪を弾き出す。
私は求められなければ何もしない人間で、そして誰に求められる人間でもなくて、きっと数年もしないうちに誰の脳裏からも消え去っているのだろうな、とか。
これは別に被害妄想とかでもない単なる事実で、そしてそれを認識していてなお何もしないのが私なんだな、とか。
あるいは将来への悩みめいた自己分析とか。つまり、私は常に現状に満足していた人間だけれど、あと何年私は現状に満足していられるだろう、ということとか。
こうした私の思考の中に常にいるのは私だけだ。私の世界は閉じている。人間関係に悩みたくなくて、人間と関係しない私はきっと、閉じた狭い四畳半の中で、カビて死んでいく。ただ一人そうして死ぬことができるならばともかく、どうやら私はカビを撒き散らしながら死ぬようだけれど。
こんな思考が、いつもなにもしないときに巡っている。なにもしない私はいつも、こんな思考を巡らせている。
巡らせたこんな思考を文章に書き起こすのは気が紛れる。文章を書くこと自体、何かを生産している気分に浸れて好きだけれど、こうした独白めいた文章は筆が乗るから楽だ。これも現実逃避の一つなんだろう。
娯楽に身を投じている最中もどうせ私は私と向き合ってしまうから、それなら本腰を入れて向き合っている気分になった方が気は晴れる。
いや、晴れないけれど、沈むけれど、それでもなんだか満足する。私は蔑まれるべき人間だけれど、私の人間関係の希薄さからして、きっと誰かに蔑まれることが少ないから。そしてそれは他者に任せれば本当に傷ついてしまうけれど、自分でする分には傷ついた気分に浸れるから。実際はまるで傷などつかないのだけれど。自分で自分を殺せるような人間ならばそれもできるのだろうけれど、私はそこまで度胸のある人間ではないらしい。
いつまででもこんな思考は続けていられるけれど、今日はここまで。総括すれば、私は実に下らない、つまらない、無駄しかない人間だ、という。そんな話。




