花弁
初めて其れと出会っときは、なんだか不気味で陰湿で不審な子供だと思った。妖怪の俺が思うのだから余程の事だと。まぁしかし警戒するほどではなかった。
其れはどう見ても生きた人間であったし、生きた人間は妖怪を認識できない。中には妖怪祓いを仕事にして食っている連中もいるが、そいつ等は大抵大きな顔して威張り散らしながら妖怪の縄張りに入ってくる。自己主張の激しい連中なのだ。
「こんな田舎の学校まで来る妖怪祓いなど聞いたことも見たことも無い。肝試しにでもやってきた子供だろう」
此処は人間の学校なので夜中に肝試しをしに子供が希にやってくる。其れも同様だろう。周りの妖怪たちも同じような見解であった。たとえ妖怪祓いであったとしても奴らができるのは妖怪の封印程度。永遠を生きる妖怪にとって百年や二百年の封印など可愛いものである。
そのようなこともあり、学校を縄張りとしている妖怪は誰も其れを気に留めていなかった。
其れは毎晩のようにやって来て、明け方が来る前に帰っていく。時には何やらブツブツと独り言を言うこともある。
「人間の子供にしちゃ余りにも不気味ではないか?」
そんなことを思うのも学校内では俺ぐらいなものであった。
ある晩のこと。
その晩も其れは学校内を彷徨いていた。俺は興味本位で自分の縄張りの教室を抜け出し、後をつけた。其れについて行き、廊下の角を曲がったところで紅い花弁が何枚かひらひらと舞っているのを見た。
最初はこの学校に通う子供たちのイタズラで置かれているただの花びらだと思った。しかし、なんだか《《臭う》》。これは…妖怪の亡骸だ。
『妖怪は血を流さない。死体も残さない。その代わり妖怪の存在が消える時、真っ赤な花弁を落とすのだ』
ふと思い出した話だ。古い妖怪から聞いたことがある。でもそんな光景は千年間1度も見たことがないので、迷信か何かかと思っていた。
「本当に妖怪は消えるのか?死ぬことがあるのか?」
だとすればこれは其れの仕業だろう。妖怪を殺すなど妖怪祓いよりも余程質が悪い。俺は持ち得ない命の危機を感じた。後をつけて来たのだから、まだこの近くにいるはず…
「君も妖怪だったのか。てっきり野生のタヌキかと思ったよ」
其れに後ろから声を掛けられた。逃げようにも身体の真ん中を何やら刃物で刺されている。痛みと言うよりも背筋が凍るような恐怖があった。
「見逃してはくれまいか」
後ろから刺されている為、其れの表情は分からなかった。返事はなく沈黙が続く。そして次第に傷口から紅い花弁が零れ出した。
「この花、綺麗だとは思わない?僕はこの花びらが好きなんだ」
「…………」
身体が崩れて、声を出す気力もなかった。こんなことならば、妖怪祓いに封印されていた方が余程ましだった。そう考えているうちにもどんどん身体が散っていく。
気づけば其れも、身体を貫いていた刃物も姿を消していた。もう夜が明けるのだ。
妖怪殺しは実在する。
せめてその事実だけでも同胞に伝える事が出来れば。
しかし俺の身体は完全に崩れ落ち、意識も次第に薄れていった。
その跡には紅い花弁だけが残る。