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もう十分だ!!

作者: 平野あお

※【短編】『まだ早い!!』のギルフォード視点です。続編ではありません。

 

 左鎖骨あたりにハッキリと浮かび上がった花紋(かもん)を見た時、最初に思ったのは(わずら)わしい、だった。


 皇族が成人年齢に達した時に必ず現れる花紋は、運命の伴侶と自身を繋ぐ大切な証。

 それをゴシゴシと擦って落ちないものかと試してみるが当然消えるはずもない。


 顔を顰めて溜息をつき、いつものように執務室へ向かった。


「おはよう、ギル。今日も仕事は沢山あるぞ」

「はい」


 皇太子である兄上から書類を受け取ろうとするが、何故か兄上はそれから手を離さない。


「なん、」

「お前、それ!」


 驚愕の瞳で俺の首元を指している様子を見て合点がいった。

 どうやら花紋の存在を目に留めたらしい。


「現れたみたいですね」

「みたいってお前、他人事みたいに」


 事実他人事だった。


 皇族として生まれたからには自分の運命の伴侶がいることは分かっていた。ただそれは頭で理解しているだけで、心では理解できていない。


 伴侶の存在にいまいち必要性を感じないのだ。

 愛だの恋だのにかまけているぐらいなら仕事をしていた方が何倍も国のためになり、効率的だ。


「いやいやいや、運命の伴侶は本当に良いんだぞ!俺はエイダに出会って世界が変わった!!」


 両手を広げて声高に主張し始めた兄上に冷ややかな視線を送る。

 放っておけばいつものように自分の妃自慢が始まるので、俺は無言で書類を奪い取った。


「面倒くさい」


 一言吐き捨てれば兄上は愕然とし、俺に人差し指を向けてこう言った。


「ギルお前、運命の伴侶と会った時ぜっっったいその言葉後悔するからな!」


 子どもじみた言葉を軽く受け流し、慣例通り皇帝陛下への報告と花紋を公開する準備にかかる。

 花紋の公開については絵師が呼ばれ、その紋を寸分の違いなく紙に描き写し、世界新聞を発行している出版社へと送られる。


 花紋が現れた以上、運命の伴侶に会わなければならない。

 伴侶に対して国の利益になる能力があるかどうかなど求めはしない。せめて(かしま)しい相手でなければ良い。


 自分が皇族の運命の伴侶でありたいと望む媚びてきた人間を沢山見てきた手前、どうも自身の運命の伴侶に希望を持てなかった。


 溜息を一つ吐き、どうせ直ぐに現れるであろう伴侶のことから逃げるように仕事に没頭することにした。


 思い上がっていたこの時の俺は、これから一年以上運命の伴侶に会えないなど微塵たりとも思わなかったのである。




「なぜ、名乗り出てこない」


 公開から一ヶ月、俺は僅かに苛立っていた。

 無意識に低くなった言葉に同感するように兄上も溜息をついて書類を整える。


「うーん、一ヶ月経っても現れないってことは国外の可能性が高いかな。一応もう一度掲載してもらおう」


 早くて一日、遅くとも一週間以内に名乗り出る者がいるだろうと考えていた手前、調子が狂ってしまった。


 国外の者ならば情報が行き届くまで時間がかかるし、この国に赴くのも時間がかかる。

 だからまだ伴侶が現れないのは仕方ないことなのだと無理やり自分に言い聞かせ、振り切るように書類と向き合った。



 二ヶ月目、何に対してか分からない焦燥感を感じるようになり、仕事で小さなミスをするようになっていた。


「何故!現れない!」

「お前がそんな態度だから出てきてくれないんじゃないのか?」

「……」

「ったく。んー、そうだな、じゃあ伴侶に向けてメッセージを書くのはどうだい?」

「メッセージ?」


 兄上曰く、俺の伴侶は『氷の皇子』という異名を持つ俺のことを怖がって、出るに出られない状況になっているのではないかということだ。


「運命の伴侶に向けて恋文(メッセージ)の一つや二つ書けば相手も安心して出て来られるだろう」


 理にかなった兄上の助言に俺は頷いて、試行錯誤を繰り返し、メッセージを書いて新聞に公開した。

 不思議とその行動に羞恥心が湧いてくることはなかった。


 世間には有る事無い事の噂が出回っており、それを全て信じて俺のことを誤解するのも仕方のないことだ。その誤解を解くためならメッセージを出すくらい何の苦労も無い。


 伴侶に出会えたらお互いをよく知るための努力を惜しまないようにしよう、と心の中で密かに誓った。



 三ヶ月目、注意力の散漫さが目立つようになり、それは私生活にさえ及んだ。

 決して綻びを見せることのなかったあの第二皇子が、と城の者たちが囁いているのを知っている。そして奴らは酷く俺に同情的であることも。


 理由など、運命の伴侶が現れないこと以外にあり得ない。


 伴侶は国外から名乗り出る気配もなければ、俺の噂を怖がっているわけでもなさそうだった。


 では他に何の理由がある?

 世間の言うように、既婚者だからなのか?奴隷として囚われているからなのか?それとも、それとも既に死んでしまっているというのか!?


「落ち着け、ギル。過去に運命の伴侶が既婚者だった事例はないし、伴侶の命に危険が及べば花紋が強く反応するそうだから死んでいるということもないだろう。奴隷に関しては、何とも言えないが……」


 我が帝国はこの大陸一の強さを誇るため、他国は我が皇族の運命の伴侶探しに協力的だ。当然奴隷にわたるまでチェックはさせてはいるが、取り零しがないとは決して言えない。

 焦ったところで事態は変わらないが、それでも厳重に調べるよう指示を出す。


 何故、何故、と心が叫ぶ日々の中、伴侶のことが頭から離れた日など一度もなかった。


「呪いか何かか、これは……っ!」

「呪いだなんて失礼な」


 髪の毛を掻き潰す俺に少し休むようにと、兄上が侍女に茶を出すよう指示する。そしてソファに深く座り込んだ兄上は自嘲的な笑みを浮かべて静かに語り出した。


「俺たちこの国の皇族は心に欠陥を抱えて生まれるんだ。お前も分かっているだろう、伴侶に出会う前の皇族たちは皆揃いもそろって感情の起伏がほとんどないことに」


 兄上と俺は十歳差。幼少時の記憶に残る兄上は笑顔を決して見せることのない物静かな人で、今のように溌剌(はつらつ)と喋る姿など見たことが無かった。

 それが運命の伴侶(エイダ)との出会いを経て、人が変わったように感情豊かな人になった。

 その時の驚きは今でも忘れはしない。


「国を動かしていくのに感情など必要ないと思っていた。でもそれは違うとエイダに出会って分かったんだ」


 運命の伴侶と出会うことで初めて知る感情は、国を繁栄させていくために不可欠なもの。


 喜び、哀しみ、慈しむ。


 これらを得ることで、民に寄り添った視点でも物事を考えられるようになるのだと言う。


 ──皇族を人たらしめる存在。


「それが運命の伴侶だ」


 兄上はくしゃりと笑って俺の頭を軽く叩いた。


「ギルは歴代の皇族の中でも冷酷な皇子として有名だからなあ。運命の伴侶を得た後のお前が楽しみだよ。勿論周りの反応も」


 兄上の話を聞いて、成人したから現れると思っていた花紋が実は成人(・・)を促すための印であるということを知ってからは、自分を満たしてくれる存在はどんな人物なのだろうと考えるようになった。


 興味を惹かれるままに、その翌日から俺は自らの足で伴侶を探しに出ることにした。


 まずは皇都の独身者がいる貴族の屋敷に訪問し、直接顔を合わせるようにした。俺の補佐に行き先を一任しているため、会う者は俺の意思に関係なく決められた。

 そして伴侶探しの際、貴族たちの意見を聞くことで交流を深め、人脈を広げることにも陰ながら力を入れた。


 それから二ヶ月が経ち、最初の花紋の公開から半年が過ぎた。


 それでも伴侶が現れないのは前代未聞とまで言われ、それを利用して自分の娘をあてがおうとする貴族も少なくはなかった。


 運命の伴侶が申告制なのは、今まで花紋が公開されて名乗り出ない者がいなかったからだ。

 しかし今の俺にとって、申告制は最悪の形式。

 俺にできる行動と言えば(しらみ)潰しに探すことだけで、伴侶が自らの意思でそばに来てくれなければ会うことすらできない。

 

 事態の深刻さを感じ取った者たちは腫れ物を扱うように俺と接してきたが、唯一兄上の態度だけは変わらなかったことが俺の救いだった。


「実は運命の伴侶は近くにいて、お前が言った面倒くさいって言葉聞いて逃げちゃったのかもね」


 たまに口にする兄上の冗談(ブラックジョーク)が胸に突き刺さり、しばらく口を開くことすらできなくなる時はあったが。



 この時から自身の花紋に触れながら、伴侶と唯一繋がることができる空を見上げることが癖となった。






 *






 あれから一年が過ぎ、俺はすっかり腑抜けた人間に成り下がっていた。

 ふとした瞬間に意識がよそへ行き、周囲の者を困らせることは日常茶飯事。無気力で以前のような覇気も消えたことによって舐めた態度を取る者がでてきたくらいだ。


 直そうと思っても、結局は全て無意識のうちにやってしまっているので改善の見込みはない。


 食事をする時も、入浴する時も、眠る時も、歩いている時も、何かが足りないと思ってしまう。

 勿論、その何か(・・)の正体など分かりきっていた。


 俺の、運命の伴侶。


 食事をすれば考える。

 どんな味を好むのだろうか。甘いものが好きなのか、辛いものが好きなのだろうか。どちらにしても手ずから俺が食べさせてあげたい。いや、食べさせてもらうのも良いかもしれない。そうすればきっと俺は幸せ太りをするほど食べるのだ。

 風呂に入れば考える。

 湯浴みをするときはどんな表情をしているのだろうか。きっと風呂上がりは良い匂いをふんだんに纏わせて俺を魅了するのだろう。火照った体を抱きしめてその熱をずっと感じていたい。

 ベッドを見れば考える。

 寝つきはいいのだろうか。寝相はどんな感じなのだろう。良い夢を見たのならば俺にその話をして欲しいし、悪夢を見たのならば震えがおさまるまで抱き締めよう。きっとそれを口実に俺はずっと伴侶のそばに居続けるのだろう。

 一人歩いている時も考える。

 散歩は好きだろうか。晴れた青空の下を、大地を潤す雨の中を、手を繋いだり腕を組んだりして歩くのも良い。きっと伴侶と歩く道は全てが色鮮やかに美しく輝いていて、俺はガラにもなくその時交わした言葉を覚えているのだろう。そして他愛もない話をしながら笑いあって、時折口づけを落とすのだ。伴侶が自分のそばにいることを確かめる為に。


 しかしこれだけ伴侶のことを考えていても、結局俺は伴侶の名前すら知らない。


 何も、知らない。


 それを痛感して絶望して、発狂しそうになるのを抑えて少しすれば再び伴侶のことを考える。

 この一年、そんなことばかりを繰り返してきた。


 そう、俺はここまできてようやく自分が運命の伴侶の存在を渇望していることを自覚したのだ。


 伴侶の捜索は続いているが、仕事の合間を縫って行っているので進みが遅く、効率も悪い。虱潰しの捜索など、一生会えないと言っても過言ではないやり方だ。

 それでもそれ以外のやり方がないのだから仕方ない。


 食事と睡眠をあまりとっていないせいか上手く動かない頭を何とか動かして仕事に臨むも、かつてのような処理能力の高さは発揮できない。

 兄上はそのことを把握してそれ相応の仕事を振ってくれるようになったが、その気遣いに自分の不甲斐なさを思い知り落ち込んだ。



「本日の午後はウインドベル商会、ウルリヒ・トゥニーチェ様との会議の予定がございます」


 予定を読み上げる書記官の声にああそうか、と兄上は思い出したように手を叩いた。


「その予算についての書類は部の方に差し戻しておいて、ギルもこちらの話に立ち会え。良い勉強の機会だ」

「はい」


 ウインドベル商会──我が国を本拠地とし、様々な国と交易を行う大会社であり、この国の経済の中心を担う存在だ。

 そしてこの会社を主導するトゥニーチェ家はこの大陸一の大富豪である。


 会社設立当初は香辛料を主要とした商品取引を行っていたが、今では銀の先買権を手に入れ莫大な利益を獲得している。また、最近では金山と銅山を入手し、鉱山専門の貿易会社を設立する見込みだという。


 今回の訪問はそれに付随して、我が国の商品取引所の設立に関する話し合いをしたいということであった。


「皇太子殿下、並びにギルフォード殿下におかれましては、この度お忙しい中お時間をとっていただき誠にありがとうございます」

「氏とは話したいことが沢山あったからな。こちらこそ忙しい中時間を取ってくれて感謝する」


 応接間にて皇家とトゥニーチェ家双方の意見の擦り合わせが始まった。


 トゥニーチェ家の動きは我が国の損益にダイレクトに影響を与える。つまりトゥニーチェ家が国を見放せばこの国は終わりも同然の状態となる。

 わざわざ皇太子が直々に話し合いを行うのも、家長であるウルリヒ・トゥニーチェの機嫌を損なわないようにするため、という理由が大きい。


 ウルリヒは一見すると毒にも薬にもならない、年相応の容貌を持つ、普通の男であった。

 しかしそんな見た目とは裏腹に、ウルリヒは何を考えているのか分からない食えない男として界隈では有名で、富のスペシャリストと呼ばれるほどの優れた経営手腕を持っている。

 ただの成金の平民だと見下していたら痛い目を見ることは、実際にこの男にしてやられた貴族たちをはじめとした者たちの様々な事例を見れば明らかであった。


 高度な会話がなされる中、俺自身は数時間の話し合いを通してまとまっていく内容を書記官と共に整理することに努め、時たま話を振られれば自分の意見を返すという事をしていた。


 あまりに難易度の高い話し合いに、俺は久々に伴侶のことを忘れて仕事に没頭することができたのはきっと良いことだったのだろう。


 そうして数時間が経った頃、兄上とウルリヒが握手を交わす。


「楽しい時間であった」

「はい、有意義な時間でありました。今後も我が国の繁栄は続いていくことでしょう」


 ウルリヒの言葉に兄上は僅かに肩の強張りを解いた。トゥニーチェ家を繋ぎとめられたという確信が得られたからだ。


「ではお暇する前に一つ。ギルフォード殿下に申し上げたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


 二人の視線がこちらに据えられる。

 ウルリヒの何の感情も読めない瞳に警戒心を抱くのは自然な流れだった。


「何だ」


 次の瞬間、衝撃的な言葉を落とされた。



「ギルフォード殿下、貴方様の運命の伴侶が我が娘である可能性が高く」



 息を、呑んだ。

 言葉の中身を理解した途端心臓がバクバクと高鳴り始める。


 第二皇子の運命の伴侶の話題は一年半経った今、本人の目の前で口に出す者など、兄上以外いはしない。皆俺の琴線に触れないよう気を遣っているのは一目瞭然だった。


 それなのに、この男はこともなげに言い放った。


 皇族は自分の運命の伴侶は一目見れば分かる。それをこの男も知らないはずがない。ゆえに皇家に取り入るために娘を差し出そうとする魂胆は無いと見るのが相当であろう。


 兄上が真剣な表情で手を組む。

 その力のこもった握り方からして内心興奮しているに違いなかった。


「ここにきて虚言、ではないだろうね」

「絶対とは言えませんが、間違ってはいないかと」

「娘はどこに?」

「この国にはおりません」


 勿体ぶった態度に気が立つも、感情のままに口を開けばやっと見つけた希望の光を失いかねない。


「……ふむ、ならば其方の娘の、偽りのない絵姿はあるかい?」

「はい、こちらにその絵姿がございます」


 予めこうなることを予想していたようで、革作りの鞄から小さな絵姿が取り出される。


 運命の伴侶は生身の相手を見なくても、感覚的に理解してしまうので絵姿を見ても分かる。

 そうなると対象になりそうな絵姿を集めれば家訪問は必要ないと思われるだろうが、そうは簡単にいかない。


 絵姿というものは大抵実物よりも綺麗に、美しく描かれることが殆どだ。モデルの理想が反映されていると言っていいだろう。誇張も虚飾もない絵の方が珍しいくらいだ。

 そうなると絵姿が運命の伴侶だったとしても判別が難しくなる。また、絵姿を描いてもらえるのも貴族やお金を持った上流階級の特権で平民たちはそもそも縁がなく、絵で判断しようとするのは現実的には難しい。


 しかし誇張なく生きている姿そのままを描かれていて、かつそれが伴侶かもしれない絵姿なら話は別だ。


 動揺していることを隠したいのに、正直な体は前のめりになってウルリヒから奪うように絵姿を受け取る。


 そして俺はその絵におさまっている人物を目にした瞬間、雷に打たれたような強い衝撃を受けた。


「うそ、だろ」


 無意識にこぼれ落ちた言葉は小さかった筈だが、何故か部屋によく響いた。


「……これは」


 横から覗き込んだ兄上が目を見開いて絶句している。


 その反応は当然といえば当然だった。

 (くだん)の娘は絵の中で惜しみなく豊満な肢体を曝け出していた。見慣れている貴族女性のような華奢な体とは程遠いその娘の姿に、兄上が考えていた俺の伴侶像がいともたやすく崩れ落ちたのだろう。


 ふと顔を上げてウルリヒを見ればその顔は僅かに強張っていた。

 その意図をつかめないまま、再び絵姿に視線を落とす。


「名は」

「はい?」

「この娘の名前を聞いている」

「フーリン。フーリン・トゥニーチェと申します」


 微かに震える手で額縁を握りしめる。


「……フーリン」


 自分の口から紡がれる音が特別なものに聞こえる。それはなんとも可愛らしく、涼やかな音だ。


「えーと、ギル。で、どうだ?この()はお前の運命の伴侶か?」

「はい」


 間髪入れない強い肯定に、ウルリヒが口を開いた。


「その絵姿は娘をありのままに写した姿。ギルフォード殿下の運命の伴侶とは言え、その姿では殿下のお気に召さないと推察しております。ゆえに娘には会わないという選択肢もございますが」


「──は?」


 部屋を凍りつかせるほどの冷たい声音が喉を震わす。


 お前はそれを本気で言っているのか?

 この絵姿を見て本気で、ほ・ん・きで思うのか?


 このみるからに白くて柔らかい肌は触ったらさぞかし気持ちいいに違いない。二の腕をこの手に収めて指の間から溢れる肉を楽しむのだ。腕の二倍以上ありそうな太ももで膝枕をしてもらうのもいいかもしれない。きっと至福のひとときを味わえるだろう。もしかしたらそこで天に召されるのかもしれない。

 いや、身体も捨てがたいが何より顔がとても愛らしい。ぷくぷくとした頰は涎が溢れてくるほど美味しそうで、今にも食みたい衝動に駆られる。もちろん食むだけですむはずがない。舐めて吸って、赤く染まった唇をこじ開けて熱いその中を蹂躙したい。

 そして性格はどんな感じなのだろうか。元気で明るい子なのだろうか、それとも大人しくて控えめなのだろうか。どんな会話を好むのだろうか。どんな彼女にしても、どんな会話にしても、彼女と言葉を交わすだけで俺は単純に喜ぶに違いない。


 彼女に対する想いは際限なく溢れていく。


 どうしてこんなにも心が温かくなるのか、その答えに辿り着いた時、ストンと胸に落ちてくるものがあった。


 ああ、そうだ。

 彼女こそ、俺の運命の伴侶なのだ。


 心のどこかに残っていたわずかな(わだかま)りは一瞬にして消えていく。

 そしてそれに変わってとめどない欲望が生み出された。


 彼女が欲しい。

 欲しくてたまらない。

 この腕に抱いて愛し合いたい。


 それなのに。


 それなのに、彼女はそばにいない。

 隣を見ても腕を伸ばしてみても、フーリンは俺のそばにいない。


 フーリンがまだ自分のものでないことを痛いほどに思い知り、逸る気持ちはもう抑えられなかった。

 バンッと机を叩いて立ち上がると二人はビクリと肩を揺らし、こちらを伺う。


「直ぐに彼女を迎えに行く」


 その言葉にウルリヒは一瞬呆けた後、愉快そうに何かを含んだ微笑みを携え、フーリンの居場所を何のためらいもなく口にした。

 それは隣国の学園の名前で、確実にこの男の助けがなければ入れない場所だ。


「……氏よ、其方いつから知っていた」

「一年前には」


 睨め付けるように視線で射抜いたにもかかわらず、顔色一つ変えずウルリヒが言い放った言葉に、すっかり毒気に当てられてしまった。


「子の望みは親の望み。(フーリン)が留学をしたいと申したのです。ならばそれを叶えてあげるのが親というものでしょう」

「フーリンが、……俺の伴侶は嫌だと、そう言ったのか?」


 ドクリドクリと心臓が不規則に変な音を立て始める。


 この一年半考えないようにしていたこと。

 伴侶自身が俺を厭っているのではないかという考えは絶え間なく浮かんできて、その度に頭を振って打ち消してきた。


 口にするのも恐ろしいそれを、どうか否定してくれと心の中で請い願えば、ウルリヒはその通りに首を横に振ってくれる。


「いいえ、フーリンはただ私の跡を継ぐために勉強したいと、言ったまでです」

「……跡を、継ぐ」


 それは暗に嫌だと言っているのではないか。

 だから名乗り出なかったのではないのか。


「まあ殿下の伴侶になるというのならばそれは叶わぬものですが、殿下が娘を厭う様子を少しでも見せればそうした道もあったでしょうな」


 その言葉から分かることはフーリンにそのような相手はいないということ。ウルリヒには俺からフーリンを遠ざけることを簡単にしてしまえるということ。

 つまり、少しでも間違えていればフーリンは跡を継いで、ゆくゆくは相応しい相手と結婚して俺と全く関係のない場所で暮らしていたかもしれなかったのだ。


 彼女が誰かのものになる?

 俺以外の者の手によって幸せになる?


 想像した瞬間、腹の中がカッと熱くなった。


 そんなこと、許すはずがない。

 彼女は俺の運命の人だ。


 そうだ。


「フーリンは──俺の伴侶(もの)だ」


 自分の言葉に突き動かされるように、失礼する、と一言だけ残してその場を去る。

 伴侶を迎えに行くために廊下を走る俺の目は肉食獣のようにギラギラと輝いていた。



 護衛を連れて馬で早駆け、非公式のために密かに国境を越えて隣国に入る。

 そして彼女が住んでいると言う家に辿り着くと、使用人たちは驚いた様子もなくフーリンのいる部屋へと案内してくれた。


 ウルリヒから予め聞いていたのだろう。

 何とも言えない複雑な気持ちになりながらある扉の前に立つ。


 半分ほど開いていた扉の隙間から息を潜めて覗く。

 そして彼女を視界に入れた瞬間、俺は息を止めた。


 そこには天使がいた。


 腰に手をあて鏡を見ている姿は絵姿よりも格段に痩せてはいるが、彼女こそ俺の運命の伴侶だと直ぐに分かった。

 絵姿のフーリンも良いが、こうして全体的に小さくなったフーリンも良い。


 可愛い。


 その言葉以外思い浮かばない。自分の語彙力を呪いたいほどに頭の中はフーリンに対する狂ったような想いで埋まってしまっていた。


 兄上の言う通りだった。今俺は猛烈に後悔している。

 面倒くさいなどと何故思えたのか。

 彼女の存在全てが愛しく、むしろ面倒をかけて欲しいとさえ思う。


「この国もいい国だし、永住するのもありよね」


 声すら可愛いとはどういうことだ。これでは彼女の声を聞いた者全てが彼女に惚れてしまうではないか。

 できるならば俺だけに向けて口を開いて欲しいところだが、今は天使が口にした不穏な言葉が気になる。


「お父様みたいに色んな国を飛び回るのも楽しそう!」


 彼女のその言葉にスッと自分の体温が下がっていくのを感じた。

 フーリンは俺と共に行くことを想定していない。それどころか俺の存在すら頭の中にないようだった。


 自分と彼女の間にある壁は分厚いことに胸が痛み、それを隠すように口を開く。


「──へえ、俺をおいてどこに行こうと?」


 低くなった声音に内心焦る。


 違う、こんな声では彼女を怖がらせる。もっと優しく、誤解されないようにしなければならないのに。


 彼女が、鏡越しに俺を見た。

 天使が俺を視界に入れてくれている現状に、自然と口角が上がっていく。


「見つけたぞ、フーリン・トゥニーチェ。我が伴侶よ」


 そして彼女が体ごとこちらを振り向くと、俺の興奮は最高潮に達した。


 ああ、フーリンが俺を見ている……!


 歓喜が全身を飛び回って、今までの疲れが全部吹き飛んでいってしまった。


「他の国へ行きたいなら俺を連れて行け。第二皇子として外交も担わなければならないからな、良い機会だ」


 立場上他国に移住することはできないが、一緒に行くことならできる。

 彼女と共にいられるならばどこへ行こうときっと楽しいに違いない。


 引き寄せられるようにフーリンのそばに寄って顔を覗き込む。すると菫色の丸い瞳が俺を映していて、顔がニヤけそうになるのを必死に耐える。


「フーリン」

「ひえっ」


 小さな悲鳴ですら可愛い。


 俺を凝視しているフーリンを抱きしめたくて仕方なくて、本能のままに彼女を引き寄せてその存在を確かめる。

 鼻腔をくすぐる甘い、心地よい匂いが脳を痺れさせる。


 俺の伴侶。

 愛しい、唯一無二の伴侶。


 会えて嬉しい、と嘘偽りない素直な気持ちが心を満たす。


 可愛い。可愛い。可愛い。


 天にも昇る心地でフーリンを堪能していると、フーリンが何か小さく呟いた。

 気になって少し体を離してみると、真剣な表情で何か唸っている。


「フーリン?」


 体調が悪いのかと心配になって頰に触れようとしたその時、ドンっと胸を押された。

 普通ならば微動だにしないであろうか弱い力なのに、突然拒絶された事実に驚いて一歩後ずさった。

 その隙を狙うようにフーリンは俺から離れ去って行く。


 血の気が引いた。


「フーリン!!」


 行くな。逃げるな。置いていくな。俺を、捨てていかないでくれ。


 これ以上彼女と離れていたら俺は今度こそ狂ってしまう。フーリンを知ってしまった今、俺の未来は彼女の隣にしかない。



 伴侶のいない色褪せた日々など、もう十分だ!!



 だから、──絶対に逃がさない。




「別に隠匿は罪じゃないからなあ」

「……」

「ギルフォードも話に同席させてくれと言った理由はこういうことか」

「ご協力感謝します」

「なぜ一年も経って言う気になったんだい?」

「娘の願いが大方叶ったとみなしたからです」

「願いというと、勉強?」

「いえ、──ダイエットです」

「……なるほど」


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― 新着の感想 ―
どちらもめちゃくちゃ面白かったです! 某連載中の漫画から、作者様を探して参りました。 テンポが良くて、シニカルで、思ってもみなかったところにトントン進むこの面白さ、最高です。 沢山作品があって嬉し…
[一言] ウルリヒとエルズワースのやり取りが簡潔だけど凄く面白くて何回読んでも飽きが来ないですね。
[一言] 連載版とは違って「フーリンの事をゲロっちゃうパパ」面白いし「ダイエット」という身も蓋も無い理由をエルズワースにぶっちゃけてるのも実に良いですね!!!
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