2.始まりの日と終わりの日
2.始まりの日と終わりの日
冬も始まる晩秋にリュックはクロディーヌの元にいた。娼婦館の庭先にある黄色いイチョウの葉が、落葉前に最後の命をたぎらしているかの様に力強く紅葉している。
「クロディーヌ、実は相談があってさ」
「相談?何?」
「一度・・・、いや、何でもない」喉まで出かかった言葉はそれ以上出ようとはしなかった。出るはずもなかった。王が娼婦との結婚を許すはずがない。
「何よ、気になってしまうよ」
「いや、それより外に出ないか?」
「良いわよ。待って、少し寒いから上に羽織っていく」そう言ってクロディーヌは青いドレスの上に白くて柔らかな兎の外套を羽織った。
外は確かに肌寒かった。リュックとクロディーヌは体を寄せ合い、手をつないで歩いていた。
「クロディーヌ、秋は好き?」
「ええ。でも私は春が好きよ。この大地の生命が寒かった冬を乗り越え、新しい一年を始めるでしょ。その息吹を感じることが出来る。だから春が好きなの。あなたは?」
「私は夏が好きだ」
「えー?何故?」
「それこそ命を、生を実感する。暑さに耐え凌いで入る水の中は天国だ」
「ははは、何それ。私はそういった経験が無いから、想像するとおかしくて笑ってしまうけれど、余程良いのでしょうね」
「ああ。今度の夏は一緒にしよう」
「うん」そう返事をしてクロディーヌは嬉しそうにほほ笑んだ。
「なあ、クロディーヌ、もしも君を妻に出来る可能性があるとしたらそれは何だと思う」
「可能性の話よね」
「ああ、可能性の話だ」
「王様になって誰にも文句を言わせない、とか?単純に」
「そうだな。他には?」
「えー、他にー?」
「一般人になって・・・うん、やはり私がまず辞められない、辞めさせてもらえないよ」
「回りくどいがまず私がここから君を城の使用人にする。そしてそこであの手この手で貴族まで押し上げ、そこで何も無かったかのように父に紹介するなんてどうだ?」
「何だかとても面倒ね。それにそんな上手く行くのかしら」
「例えばだよ」
「そうね、例えばね」
二人は色々な会話を弾ませながら、街外れの林へ向かった。林の木々は紅葉のピークを迎えていた。色鮮やかな林道を二人仲睦まじく歩きながら野生のリスを見ては、または野鳥を見ては足を止めて微笑んだ。そして林を抜けた丘の上で二人は手頃な岩の上に腰を下ろし、街で買ったリンゴをかじった。
「リンゴ王子ね」
「え?」
「リンゴ王子・・・くくっ。王子様がリンゴをかじるっておかしな話よ」
「確かに城ではこのままで出てくることは無いからね。リンゴは好きでね、昔からかじっているよ」
「でしょうね。本当、あなたは面白い人だわ」
「それは良かった。つまらない人だったら、君の笑顔を見ることは出来ないかもしれないからね。君の笑顔は最高だよ。元気が出る」
「私もあなたの笑顔を見ると元気になる。うんん、あなたの存在自体が私の元気の源かも」
「それは光栄だな」
二人は夕焼けを見ながら寄り添った。丘の上から見る夕焼けはいつもより赤く、太陽もいつもより大きく、二人は同じ思いを抱きながら抱擁と熱い口付けを交わした。
―同時期、城内
この時、城ではワルテルが裏でクーデターの根回しに躍動していた。目的はロレンヌ王国を自分のものにすること。その為に長年、経済面と軍事面を押さえ、国の安定を装ってきた。この日も長年育ててきた側近たちに、いよいよ迫ったクーデターの日の段取りを支持していた。
「おい、ダビ、お前は今からロマニア国に向かい三日後だと伝えてこい」
「かしこまりました」
「えーっと、ジル」
「はっ」
「お前は三番通路を塞いでおけ。リュックがすぐに城へ戻れないようにする」
「承知いたしました!」
「おい、エド、お前は門番のフェリクス兄弟に伝えろ、不審な平民が近付いてきたら殺さずに拘束せよと伝えるんだ」
「かしこまりました」
「ジェジェ、お前は先日言った通り兵たちに指示を」
「御意」
こういった具合にワルテルは部下一人一人に役割を与え指示をした。
そしてこの日の夕方、ワルテルは王の食べる料理に毒を盛らせた。王と食事を共にしていたパトリックは、目の前で王が倒れる姿を目の当たりにすると、血相を変えて父に駆け寄った。
「父上?父上!」
王は口から泡を吹き、紫色の顔をしていた。目は虚ろで、言葉も発することは出来ない様子だった。口から流れ出る泡が静かに床へ流れていた。
「医者だ!すぐ医者を呼べ!後、料理人たちを逃げられないように拘束しろ!」パトリックは今まで出したことのない程の大声で皆に指示をした。
医者はすぐに駆け付けたが、手遅れだと首を横に振った。
「父上!ああ、兄上は何処に行かれたのだ⁉こんな時に何をされているのだ⁉」完全に取り乱したパトリックは、泣きながら右往左往を繰り返した。
「パトリック王子、こうなってはお気の毒ですが致し方がありません。それに大変言い難いのですが料理人たちから料理にリュック王子が近付いていたという目撃情報がご・・・」
「おい!ワルテル!貴様、いい加減なこと申すな!」
「あっ、いや、しかし、これは事実でして・・・その・・・」
「もうよい!あぁーもー!」
「パトリック様、今は落ち着かれた方が良いでしょう。私が色々手はずを進めて参りますので、今はお部屋でお休みになって下さい。私もリュック様が犯人だとは思っておりません。総力を挙げてリュック様を探し出し、彼の潔白を証明してもらいましょう」
「分かったワルテル大臣。取り乱してすまない。いつも何から何まで申し訳ない」
「いえ、お気になさらずお休みになって下さい」
料理人は勿論のこと、呼び寄せた医者でさえ、ワルテルの手に染まっていた。ワルテルの陰謀は着実に計画通り進んでいた。
―同時刻、その日の夕方
クロディーヌを娼婦館まで送り届けると、リュックは城に戻るべく、いつもの水路に向かった。そして服を隠してある木の上に手を伸ばした。しかし、その手を伸ばした先にある筈の服がない。リュックは慌てて手を右に左にまさぐるが、どう手を動かしても服が無い。次にリュックは木の下の草をかき分けたが、どうにも服は見つからなかった。これ以上探しても仕方が無いと諦め、リュックは水路に足を入れ、鉄格子に手をかけた。しかし鉄格子はびくりともしない。どの角度に力を入れても力の限り蹴りつけても、しっかりと鉄格子は固定されている。
「ばれたか」リュックはそう呟くと石壁に腰をかけどうするか暫く考えた。
例えここで鉄格子を外せたとして、この先の通路に何者かが待ち伏せしていたら、狭い通路であるが故、太刀打ちできる気はしなかった。そして更にその先、馬小屋の干し草にある出入口まで辿り着いたとして、そこが塞がれていたら来たこの長い距離を戻らなければならない。
そもそもここを塞ぐということは、リュックを城に戻らせない、または戻ることを遅らせる狙いがあるとリュックは考えた。そして次の瞬間、リュックの頭にはワルテルの顔が浮かんだ。
もし、ワルテルがリュックの行動を監視していたら、もしワルテルが何かを企てるとしたら、まず消したいのは自分だろうと感じた。ただの勘違い、ただの被害妄想であることを祈りながら、リュックは城の正門へ向かった。
城の正門を遠目で見ると、門の左右に一名ずつ門番として男が外に体を構えているのが目に見えた。リュックは彼らを掻い潜らないとならないが、彼らが平民の服を着た自分を王子だと認識出来るかがまず心配だった。しかし、他に手を思い浮かぶことも出来ず、リュックは真っ直ぐに道を進んだ。
「おい、止まれ!」同じような顔をした門番たちが、槍を向けてリュックに怒鳴りつけた。
リュックはぴたりと足を止めると、黙って門番たちを順番に睨み付けた。
「私が分からないのか?」
「何を言っている⁉こちらは止まれと言っている!何者だ⁉」
「私はリュック・リリエ=ド・ロレンヌである」
「はっ、ははっ、何を言っている?こいつが不審者だな」門番の片割れが呆れた様子でそう言った。
「おい!王子がそんな服装な訳がないだろう!それ以上戯言をぬかすのならばその命無いぞ」もう一人の門番がリュックに怒鳴り付けた。
リュックはそう言われ『やはりな』という面持ちで頭に右手を当て、こう言った。「私は嘘などついていない。事情があってこうなってしまった。お前たちは王子の顔を知らぬのであろう。どの者か分かる者を連れて参れ。身内でなくとも構わん。例えばそうだな、ミシェル・オゾン大将でもフレデリク・バル参謀長でも、あっ大臣衆ならどの者でも構わんぞ」
「おいおい、よく調べたな」そう言って門番はクスクスと笑いだした。
リュックはまるで相手にされない態度に苛立ったが、自分が肌身離さず身に着けている腰に挿した剣に、王家の紋章が入っていることを思い出した。
「そうだ!これを見よ!」
そう言ってリュックは剣に手を伸ばしたが、その瞬間、後ろから何者かがリュックの頭を殴り付けた。リュックは衝撃で気を失った。
「あぶねえ、あぶねえ」そう言う男は鉄塊の様な体つきの大男、エドことエドガー・ベラスコ警備長だった。「お前ら危うく殺されるところだったな」そう言ってエドはフェリックス兄弟にむさ苦しい笑顔を振りまくと、頭から流血するリュックを抱えて城の中へと消えて行った。
「おお、クソ王子を捕まえたか。良くやった。牢にぶち込んでおけ」気絶したリュックを目の当たりにしたワルテルは、嬉しそうにエドガーを誉め、次の指示を下した。
「かしこまりました」エドはそう返事をすると、牢獄へリュックを投獄する為に地下へ向かった。
蝋燭の日が隙間風で揺らぐ薄暗い中では、次は誰だと囚人たちが檻の中からリュックの様子を窺っている。
「おい、お前!何したんだ?」そう声をかけた初老の男は、嬉しそうな顔をしている。
「おい、坊主、大丈夫か?」そう言った男は丸坊主でやせこけた男で心配そうな顔をしている。
リュックは揺らめく意識の中、または夢の中か、少し前の出来事を思い出していた。
―二年前
ワルテルにとって人を見抜く能力に長けているリュックの存在は邪魔で仕方がなかった。ワルテルとリュックは非常に仲が悪く、リュックは何度も王である父親のピエールに大臣の解任をロレンヌで意見が許される十五の歳より求めていたが、今になっても一向に聞き入れる様子の無い王に、リュックもワルテルの解任を諦めかけていた。
「父上、ワルテル大臣は何か企んでおります。ここから出て行って頂いた方が宜しいかと」
「リュック、前にも話したが、お前は何を根拠にその様なことを申しておるのだ?ワルテルは長年この国の財務から防衛まで、様々な分野で重要な役割を担っている。彼の忠誠心はこの国が平和であることが何よりの証拠であるぞ」
「ワルテル大臣はいつか裏切る気がしてなりませね」
「では聴こう。根拠は?証拠はあるのか?」
「いえ、確たる証拠はございません」
「では好き嫌いで物申しているのか?」
「いえ、そうではなく、彼の澱んだ目、それに彼は何でも・・・・」
「もうよい」
「父上」
「下がれ!気分が悪い!」
「失礼致しました・・・」リュックはこれ以上、王に話をすることは許されなかった。彼は何でも城のことを知っている。それは彼が知る筈もないところに至るまで。それは普通ではない気がしてならなかった。
リュックは一度、ワルテルが小声で側近の者に何かを指示している様子も見ていた。その内容は聞き取れなかったが、リュックが近づいた際に気まずそうに立ち振る舞い、側近も逃げるようにその場を去った機会があった。この時のワルテルは、リュックの動向を調査するよう側近に指示をしていたのだから、リュックにその場を見られては気まずくなるのも無理はない。
実際、ワルテルは長年に渡り王国の乗っ取りを計画していたので、その手口は実に巧妙。財務から防衛まで国の最重要機関を網羅し、国に平和と繁栄をもたらしていた。
しかしその一方で、防衛兵に隣国で敵国でもあるロマニア人を裏ルートで独自採用し、クーデターの準備に余念が無かった。
財務もワルテルが税の徴収から他国との貿易、国家の運営まで全てを押さえていることで、細かな金の流れを王は把握しておらず、ワルテルに任せきりでいた。
―八年前
そんなワルテルだったが、唯一の邪魔者がリュックだった。リュックとは昔から相性が悪かった。初めてリュックがワルテルと関わったのが、この年、リュックが十歳の時だった。
子供心に建物の陰に隠れ、誰かが来たら「わっ!」と声を出して飛び出し、驚いた相手をケタケタ笑って楽しんでいたのだが、偶然、ワルテルを驚かしてしまった際、臆病なワルテルは驚きから激高し、リュックをはたき飛ばしたのだった。王宮に仕え始めたばかりのワルテルは、この時まだリュックやパトリックたちのことを詳しく知らず、まして母親似で王に容姿が似ていないリュックのここは、ただのいたずら小僧だと思っていた。ワルテルがリュックを王子だと知ったのは、その後に行われた着任式でのことだった。ワルテルは元々、財務が上手く行っていなかった王国の指南役として町の貿易商から財務監督へスカウトされていた。この着任式ではその財務監督で発揮した手腕を評価され、財務副大臣に任命されていた。そしてその式典で初めて王の傍にいたリュックとパトリックが王子だと認識した。着任式でワルテルは自分を睨み続けるリュックに気が付いた。自分が以前張り飛ばした子供は王子だったという事実に、ワルテルの血の気はみるみる引いて行った。
ワルテルはその後のパーティーで謝罪する機会を窺い、そのチャンスは訪れた。それは王がワルテルに近付いた時のことだった。
「おお!ワルテル、この苦しかった国の財務状況をよく立て直してくれたな。見事であった。感謝する」王が王子たちを連れてワルテルに近付いてきた。
「いえ、勿体ないお言葉です。私の様な平民をお招き頂き、更にはこの様な立派な役職まで頂き、心から感謝しております」
「これから長い付き合いになるだろう。私の息子たちを紹介しよう。彼らに是非、財務の知識を叩きこんでくれまいか?」そう言って王は、息子たちの手を引いた。「パトリック、リュック、来なさい」
そう呼ばれて来た二人の男児の内一人は、自分が張り倒した子供である。ワルテルは、その事実をこの子供から話される前にどうにかしなければという思いでいっぱいだった。ワルテルの胃は激しく痛み出し、その痛みは時間と共に強さを増して行った。
「こっ、これはパトリック王子、リュック王子。わっ私、ローラン・ワルテルと申します。この度は・・・」緊張で上手く話せなかった。自身がとんでもないことをしてしまったことを激しく後悔しながら、ワルテルは二人の王子に挨拶をした。
「ふん」リュックはワルテルが挨拶途中だというのに、言葉を発するとそっぽを向き、あからさまに仲良くなる意思がないことを強調した。
「どうした?リュック、失礼だぞ」王は笑顔でリュックの肩を抱き寄せ、しっかり挨拶させようとした。
「いてっ!」リュックは王の手が肩に触れると、とっさに痛がりそこをかばった。
「ん?どうした?」
「・・・何でもないです」
「いや、見せてみよ」そう言って王はリュックの上着を剥いで肩を見た。
「いたたた!何でもないですって!」そう話すリュックの肩は紫色に腫れ上がっていた。
「あ、いや、その・・・」ワルテルはその痣は自身がリュックを張り倒して負わせてしまったものだと認識し、何とか上手く伝えようとしたが、何か王に不快な思いをさせでもしたら即刻クビになる。下手したらそれ以上のこともあり得る。そう考えると、その言葉は喉から上へ出ようとはしなかった。
―その後も相性の悪さは続いた。二年前の出来事。
ワルテルはその野心をリュックの目からはごまかしきれずにいた。それはロレンヌ兵の軍事練習を視察していたリュックが、さり気なく発した一言からだった。
「ワルテル大臣」
「リュック王子、如何いたしましたか?」
「一つ聞きたいことがある」
「唐突に何でございますか?」
「お主、ロマニア人をロレンヌの兵に採用していないか?」
「え?何をおっしゃいますか、その様なことある訳が。何故ですか?」
「いや、そんな気がしただけだ」
そう言うリュックには根拠があった。ロマニア人の多くは少し褐色の肌、くせ毛の黒髪に髭を蓄える者が比較的多かった。昨今増え続ける兵の多くはその様な容姿の者が多かったので深くは考えずにワルテルに質問していた。
実際にロマニア人採用を強化していたワルテルは肝を冷やした。この国でそんなことに気が付くのはリュックくらいだった。焦ったワルテルは即、ロレンヌ国内にいるロマニア兵に髭を剃らせ、少しでもロレンヌ人らしく振舞うよう指示をした。ワルテルのそんな根回しも全てはクーデターの為だった。リュックを消せば王位を継ぐ予定の者はパトリックとなる。そしてそのパトリックは時間をかけて手名付けてある。リュックとは違い、警戒心をワルテルに抱いていないパトリックならば、煮るも焼くも思いのまま、これこそワルテルが待ち望んでいた展開であり、今がワルテルにとって絶好のチャンスだった。
ワルテルは料理長を買収し、王の料理に毒を盛らせた。その料理を食べた王はあっけなく死亡した。コックたちには行方知らずのリュックを厨房で見かけたと発言させ、リュックを容疑者として投獄することにも成功した。その後もワルテルはトントン拍子に計画を進め、国内ではワルテルの片腕、ジェジェことジャン=ジャック・ジャヌレ大将がこの日の為に採用していたロマニア兵たちに戦いの準備を進めさせた。また、クーデターを待ちわびていたロマニア国の兵士たちも、ダビことダヴィド・シュヴァリエ外交大臣の連絡よって進軍を開始していた。
野望を叶えるべく次々に策略を行使して行くワルテルを横目に、違和感を覚えている物も数多く城内にはいた。特にロレンヌ王国でジャン=ジャック・ジャヌレ大将と並ぶ二大大将の一人、ミシェル・オゾン大将は王子たちに剣術を指導した経験から、リュックとは親交が深く、リュックの国王暗殺に異議を唱えていた。父であるピエール国王を尊敬し、何だかんだ言いながら献身的に王を支え続けた息子が『王を暗殺する訳がない』と信じて疑わなかった。しかし、城内の重役大多数は既にワルテル大臣の手中にあり、少数派の意見など取り付く島もなかった。
王を暗殺したという罪名で、リュックが公開処刑されることは一目瞭然だったので、リュックが投獄された直後、ミシェルはすぐに脱獄させる作戦を、戦友で親友でもあるフレデリク・バル参謀長と共に計画した。フレデリクもまた、王子たちに戦術指導などを行った経験の持ち主で、リュックとの信頼関係は揺るがないものだった。ミシェルとフレデリクはロレンヌ生まれ、ロレンヌ育ちの幼馴染だった。ミシェルは黒髪の前髪が耳の辺りまであり、その髪はいつも後ろにかき上げられていた。フレデリクは直毛のミシェルと違ってくせ毛の栗色の髪が肩まであり、いつも後ろに結っていた。ミシェルとフレデリクは共に長身で、街中を歩けばすぐに見つけることが出来た。互いに端正な顔立ちだった為、街では特に異性から余計に注目された。
「さてどうしたものかな」フレデリクがため息交じりに呟いた。
「妙に落ち着いているな」そう言うミシェルも落ち着いていた。
「こういう時こそ落ち着くべきだろう」
「そうだな。で、どうする?そのまま堂々と牢から王子を出すことは出来ないだろう?」
「そうだな、はっきり言って困難を極める。それに遅くとも三日以内にはどうにかしないと王子の命は無いだろう」
「何故だ?」
「俺がワルテルなら三日以内にリュック王子を公開処刑する」
「え?本気か?」
「そうだ。ピエール国王は野心家で軍才もあるワルテルに国の舵取りを任せてしまった。その王の言わば怠惰が、結果としてワルテルの力を増幅させ、自身の命を失うことになったのだ。
勿論、自業自得とは言い難いほど、ワルテルは賢い。それに犬猿の仲のリュック様を封じれば、残るはパトリック様のみだ。
パトリック様では勇敢な剣士になれても国を統治する王にはなれない。それにパトリック様は失礼ながら完全にワルテルによって飼いならされ、洗脳されている。ワルテルが右と言えば右と思うだろう」
「だがワルテル以上に発言力がある人間は王子たち以外にいないではないか」
「そうだな。パトリック様がワルテルに、『兄は間違いなく無罪なので、牢から解放しろ』と命ずることが出来れば、証拠が無くともリュック様は牢獄から解放されるが、パトリック様は王の座を欲し、そしてそれが今、目の前にある。恐らく彼を説得するのは困難を極めるだろう」
「確かに可能性は低いが、それも一つの手だろう。他にも手を模索しつつ、それもお願いしてみよう・・・・では・・・」
ミシェルとフレデリクの話し合いは朝まで続いた。
翌朝、城内は王の葬儀の準備と王暗殺の件で、物々しい雰囲気に包まれていた。
リュックが王を暗殺したという噂は、朝一番にワルテルの部下たちによって国中に言いふらされていた。王の葬儀を表向きはパトリックが取り仕切る流れになり、いよいよパトリック王が誕生しようとしていた。そんな中、パトリックの元にミシェルとフレデリクがリュックの無罪と解放を懇願しにやって来た。パトリックは自身の部屋で王位継承の際のスピーチの練習をしていた。
「恐れ入りますパトリック様、リュック様がピエール王を暗殺したと本気でお考えですか?」ミシェルがパトリックの傍で他には聞こえないよう囁いた。
「我らが偉大なる父の名に恥じぬよう、私は・・・・。何だ?お前ら二人で何を今更申しているのだ?」練習を妨げられてかパトリックは少し不機嫌そうだった。
今までのパトリックとは明らかに態度が違うことにミシェルとフレデリクは驚いた。今までの彼ならば物腰が柔らかく謙虚で、まして二人は剣や戦術などを教わった師、こういった威厳を示そうとするような態度はとった試しがなかった。
「パトリック様、リュック様を牢から出してくれませんか?リュック様が王を暗殺する訳がないですよ」
「犯人が他にいると?」
「ええ、そうです。よくお考えになって下さい。リュック様が犯人だと言っているのは料理長やワルテル大臣。言っているだけで証拠は無いのです。それにリュック様には動機がないではないですか。リュック様が暗殺などする筈が無いと、パトリック様が一番分かっていらっしゃるのではないですか?」
「お前たち、では聞こう。兄上がやっていないという証拠はあるのか?」
「いえ、それはございません。しかし後に証明してみせましょう」
「私は兄上を尊敬していた。しかし、もう、その思いは無い。兄上は落ちられた」
「落ちられた?」
「そうだ。兄上はあろうことか街の娼婦に溺れていた。娼婦は妃にはなれぬ。唯一、それを出来るのは王だ。しかし娼婦と結婚したいなどの戯言は、父上が首を縦に振ることは無いであろう。だから兄上は父上を殺し、自分が王になり、それを行使しようとしたのだ」
「パトリック様、誰にそれを?」
「ワルテルだ」
「パトリック様、ワルテル大臣は今回の騒動の首謀者です。信用してはなりません」
「お前たち、これ以上ワルテルのことを悪く言うのであれば兄上と同じ場所に入ってもらうぞ」
「いえ、失礼致しました・・・」
ミシェルとフレデリクの最初の作戦は失敗に終わった。二人は意気消沈した様子でパトリックに背を向けた。
「おい、待て」二人をパトリックが呼び止めた。「もしかしたら犯人は兄上ではないのかもしれない。そうであればお前たちで、兄上の無実をすぐに証明して見せよ。それにもし、兄上が犯人だったとしても、いずれ私は兄上を解放しようと考えているぞ」
「何と?どういうことでございますか?」
「私が王となれば、兄上に自由を与えて差し上げることが出来るではないか」
「・・・かしこまりました。失礼します」ミシェルとフレデリクはパトリックの軽率な考え方に呆れて、その場を一刻も早く後にすることを選択した。このままではこの無能な王子が第十七代目の国王になってしまう。そう考えると夢も希望も無くなってしまうからだった。
この日、午後からはロレンヌ王、ピエールの葬儀が行われた。翌日にはパトリックの王位継承式を予定している。王の死の翌日に葬儀が行われることは異例のことだったが、人々が疑問を抱く隙も与えない程に、ワルテルが用意した段取りは整っていた。ワルテルの部下たちがリュックの父親殺しと、そのリュックをワルテルが中心になって逮捕したこと、そして同時にその葬儀がパトリック指揮の下、午後に行われることを国内くまなく広まっていた。城内でもワルテルが用意した台本通りに部下たちが指示と行動を手際無く熟し、これもまた歴史上初と言って間違いない速さで準備を進めて行った。
この時、ミシェルとフレデリクも王の葬儀に参列していた。王国の重役として翌日の王位継承式にも、当然ながら参加を余儀なくされる予定だった。
―この日の深夜・地下牢獄
「これは、これは、リュック元王子。如何ですか新しいお部屋は?」
「ワルテルか」
「実に良い眺めです。こうやってお話しできるのも今日が最後でしょうな」
「ふっ、それは清々するな」
「そうですか。あなたが愚かなお陰で、実に安易に計画を遂行できた。愚かなまま、この世を去る。愚行の王子としてあなたは後世に語り継がれる」
「そうやって貴様は、己の手を汚さずここまで来た様だが、私から見れば貴様の手の中は真っ黒だぞ」
「この手が真っ黒なことぐらい百も承知ですよ。今でも夢に見ます。まあ、直接手を汚したのは過去に一度だけです。今も思い出すと心が痛みます」
「何があった?貴様にも痛む心があるのだな」
「それはございますよ。私にもね、今よりずっと若い頃、愛する女がいた訳ですよ。でもね、私はその女に裏切られました」
「ほう、詳しく聴こうか」
「その時の私はしがない商人、恋をしたのはエリアール・マリエールという十も年が離れた娘でしてね、それは綺麗な女でした」
「マリエールと申したか?」
「えっ、ご存知ですか?とうに滅んだ貧乏貴族ですよ。何とか貴族の地位に喰らいつこうと、親は上流貴族のバカな御曹司に娘を嫁がせようとしたのです。私の思いを受け入れない上、商人の私を親子で侮辱した」
「殺したのか」
「今も忘れませんよ、私の手の中で愛する人が命の灯を失って行くあの表情。実に美しくも切ない」
「くだらんな。実に歪んだ愛情だ」
「娼婦に現を抜かすやつには、この愛は理解できないでしょうな」
「気色悪い男だ」
「・・・どうでも良い男が目の前にいたので、どうでも良い話をしてしまいました。あなたの公開処刑はじっくり行わせて頂きますよ。私の特等席も用意してある。その澄ました顔が悶え苦しむ様、ありとあらゆる技術を駆使した特別方法で処刑して差し上げますよ」
「・・・」リュックには恐怖もあったが、何よりも悔しさで胸がいっぱいだった。
「では、お楽しみに」そう言うとワルテルはその場を後にした。
リュックはワルテルがその場から去ったことを確認すると、牢獄の中の石畳を右の拳で叩きつけた。クロディーヌの家族を殺したのはワルテルだった。愛する人の家族を殺し、自分の父も殺された。病気で死んだ母でさえ、もしかしたらワルテルが関係しているのかもしれないと思ってしまった。リュックは何も出来ない自分に憤りを覚え、余計に腹を立てた。
―今朝の四時
昨晩からリュック救出について話し続けていたミシェルとフレデリクは、パトリックが説得に応じなかった場合の策を行動に移し始めていた。二人がまず会いに行ったのが城内の書物庫の責任者で、御年八十八歳になるローラン・リゴー管理官。リゴー管理官の朝は早く、四時前には起きている。二人は書物庫の隣の部屋を静かにノックした。
「おはようございます、リゴーさん」
「おお、誰だったかな?」
「私がミシェル・オゾン大将で隣の者がフレデリク・バル参謀長であります」
「おお、そうだった、そうだった。昔は王子たちとよく一緒におったなよな?」
「ええ」
「それで、今日は何の用じゃ?」
「実はリゴーさんに相談がありまして、ロレンヌ城建設の際に作成された設計図など残っておりませんでしょうか?」
「んん?設計書?そりゃあるよ。こっちにおいで」
設計書は書物庫の一番奥の本棚の下の段にあった。この場所にしまって以降、一度も手に取った様子は無かったその書物は、外は真っ黒、中身も焦茶色でリゴーがいなかったら見つかる気さえしなかった。二人はランプが照らす薄ら明るい一角で、手早くページをめくった。
「おっ、これだ!」
フレデリクが指さしたその図は、城の地下に張り巡らされた地下水路だった。そしてまたページを少しめくると手を止め、一つ一つ図面を確認するように指で指した。その指していた図は地下牢獄の設計図、更には隠し通路についての設計図だった。
「もしやと思ったが、本当にあったな。これを描き写そう」そう言ってフレデリクはミシェルに微笑むと、中の図面を描き写した。
「リゴーさん、我々がここに来たことは内密にして頂けますか?リュック王子が無実の罪で囚われ、もしかすると殺されてしまうかもしれないものですから、我々で救出しようとしているのです」ミシェルはそう言ってリゴーの表情を窺った。
「大丈夫じゃよ。この歳になるとすぐ忘れてしまうからのお」
「感謝します。失礼します」そう言って二人は書物庫を後にした。
―同日、昼前
ミシェルとフレデリクはパトリックと話した後、ロレンヌ王国会議に参加した。ロレンヌ国の舵取りは実質ワルテル大臣が行っていたので、ワルテルを中心に今回の葬儀も、その後に行われるパトリックの王位継承式もワルテルを中心に行われる。まず葬儀についてはワルテルが用意した計画に異議を唱える者はおらず、スムーズに次の王位継承式について議題が及んだ。
ワルテルはこれもそのまま話が通るものだと、話をまとめあげようとしたが、その矢先にフレデリクが挙手をし、異議を申し立てた。
「ワルテル大臣、宜しいでしょうか?」
「どうしたバル参謀長官?」
「ワルテル大臣の計画はほぼ完璧ですが、王の死後から新王が誕生するまでの間、もしも万が一何処かの敵国が攻め入ってきたら、勿論、新王着任後も不安定では御座います。もう少し、兵士を警備に回しては如何でございますか?」
「なるほど。おい、エド、どう思う?」
「そうですね、我々警備兵だけで十分だと思いますが、ワルテル大臣のご指示があれば」
「分かった。ではオゾン大将の軍より百名を警備に回してくれ。オゾン大将、宜しいか?」
「はい、構いません」
「よし、ではミシェル・オゾン将軍とエドガー・ベラスコ警備長官は何処に警備兵を増員するか話し合って配置してくれ」
「「かしこまりました」」ミシェルとエドガーは返事をすると、フレデリクも手招いて話し合いを始めた。
「おい、フレデリク、お前どういうつもりだ?」警備長として恥をかいた気分だったエドガーは、明らかに憤慨しているといった面持ちで、フレデリクを指さしそう言った。
「別にお主の警備兵だけでは不安だとは言っていないさ。ただミシェルの部隊は人数が多いのでな、もし万が一に備えられるのならば、それが国の為だと考えただけだ」
「成程な。了解した。では、フレデリク、そしてミシェル、その百人の警備兵、何処に配備するか案を聞こうか」エドガーは『あくまで警備の最高責任者は自分だ』と言わんばかりの態度でそう言い放った。
フレデリクは予め用意していた案をエドガーに話した。その兵の配置場所はリュックを救出する為のものだったが、敵の侵入対策という意味でも紐付けがしっかり出来ており、エドガーを納得させるには十分だった。
そして王国会議後、早速、各隊は準備に取り掛かった。
大将のミシェルは城内にある別の部屋、軍事会議室に五人の部下を集め、作戦会議を始めた。
「いいか、お前たち、ここに集まりし五人は、今回の警備任務を与えられた百人の中より更に私が選び抜いた精鋭たちだ。まずそのことを誇って欲しい。今回の国王暗殺について正直な意見を聞かせてくれないか?秘密は守る。これからここで話し合うことは極秘任務だ。ここで話したことは外に持ち出すことは禁ずる」
「宜しいですか?」
「ああ、クレール。聞かせてくれ」
「自分はリュック王子がお父上を殺害されたとはとても思えません。きっと何者かの陰謀に、はめられたのだと疑っております」そう話すクレール・リッツォという男、赤毛でくせ毛、年齢は十八、まだまだ血の気の多いこの男は、十三の頃に孤児をしていたところをミシェルに拾われ、それ以降は彼の片腕として同じ境遇のアベル・ガロンと共に切磋琢磨していた。
アベルは茶髪の直毛長髪で、クレールとは違い大人しい性格だったが、馬術や剣、双術にも定評があり、背中で兵を率いるタイプの男だった。
「私もそう思います」そう同調したのはロロ・ポワレ。彼はぼさぼさの金髪に無精髭、普段は酒ばかり飲んでいるどうしようもない男として城の内外に知られているが、それは偽りの姿で、酔っぱらったふりをして、情報をミシェルの為に集めるミシェルが持つ軍隊の諜報員だった。
「おっ、ロロ、お前もそう思うか」ミシェルがそう言うと、自分もそう思うと、そこにいた全員が手を挙げた。
「やはり皆そう思うか。それは俺も同じだ。そして皆、リュック王子が好きだよな?」ミシェルがそう言うと全員が縦に首を動かした。
その中の男、アラン・マッティは黒髪で胸まである長髪は後ろで結っている。綺麗に整えた顎髭を触るのが癖で、中世的な顔立ちも影響して、常に街行く女たちの視線を集める色男でもあった。アランはマッティというワイン農家の三男坊で、兄二人に嫌われ路頭に迷いそうだったところをミシェルに拾われた。
そしてエジット・フレイという男。銀髪を後ろで結ったこの男は、落ち目の貴族、フレイ家の一人息子で、借金まみれだった父は、家は愚か、母と自分も借金の形として捨ててしまい、その先で奴隷の様な生活をしていたところをミシェルに偶然助けられた。それ以降はミシェルに忠誠を誓い、古今東西ミシェルの為に誠心誠意尽くしている。つまりここにいる男たちはミシェルが率いる第一番部隊の中でも、特にミシェルと絆が深い者たちばかりだった。
「実は今回、お前たちに特別任務がある」ミシェルがそう言うと、全員が固唾を呑んだ。
「何でしょうか」沈黙に我慢できず、すぐにクレールが口を開いた。
「リュック王子を脱獄させる」
「えぇ?」それは流石に全員が驚きを隠せずにいた。国の大将まで上り詰めた男の台詞とは、到底思えなかったからだった。
「このままだとリュック王子は公開処刑、または一生牢獄の中だ。パトリック王子はいずれリュック王子を解放されると話しておられたが、正直いつになるかも不明確な状態だ。何より濡れ衣を晴らすにしても、形勢逆転を企てようにも王子が牢の中では何も始まらん」
「了解致しました。ここは全員で力を合わせて王子を脱出させましょう!」血の気の多いクレールが誰よりも力強くそう言った。
早速、ミシェルは五人に城の隠し通路、地下水路、地下監獄の図を手渡し、計画の手順を説明した。
まず、隠し通路の現在の利用状況を調べ、完全に使っていない通路の中から第三候補までを絞り出す。地下水路に関しては地下監獄と壁が肉薄の場所があり、そこをピンポイントで破壊し、王子を救出する。そこから隠し通路へ移動し、王子を城の外へ逃がす作戦だった。
計画は即時に開始され、男たちはパトリックの王位継承式が終わる前にリュックが閉じ込められている牢の中への潜入に成功した。
コツコツと小さな石を叩く音は、地下牢全体に響いていた。気にした牢屋番が何度も巡回に来たが、囚人は誰一人として石を打ち付けている様子は無く、それでも響き続けるその音に、牢屋番に囚人の一人は幽霊だと脅し、牢屋番は本気で気味悪がった。そんな牢屋番が謎の音に怯え初めて一刻、音が止んだ。音が止んだことに牢屋番は安堵したが、実際はリュックの牢屋内が開通していたのだから、喜ぶべきことではなかった。
牢屋番はそうとも知らず安心し、うたた寝を始めた。
「リュック様」クレールがリュックの名を囁いた。
「何者だ?私を殺しに来たのか?」リュックも小声でそう言って返した。
「いえ、ミシェル・オゾン大将の命により救出に参りましたクレール・リッツォと申します」
「おーお、ミシェルの仲間か、恩に着る。しかしこの様なことをして、お前たちの身が危ないのではないか?」
「私たちの心配はなさらないでください。さあ、早く」
こうしてリュックはミシェルの部下たちによって脱獄を開始した。すぐにはばれない様にと、穴をあけた場所の上に、着ていた服を瓦礫にかぶせ、あたかも寝転んでいるように見せかけてその場を後にした。替えの衣服は用意されていたので、リュックは地下水路でそれに着替えた。
顔を隠せるフードが付いた派手過ぎない洋服だ。リュックはクレールに先導され、地下水路から隠し通路へ案内された。隠し通路の入口は地下水路とつながっており、そこからはアベル・ガロンが案内をした。エジットはそのまま水路に残り警備兵を装った。アベルは無言で黙々とリュックを先導した。そして隠し通路を出た先は、城からほど近い小さな教会の祭壇下だった。そこで待っていたのはロロだった。
普段はだらしない恰好のロロだが、今日はリュックと直接会うということで、身なりをきちん整えていた。その姿に隠し通路から出たアベルはロロとは最初気付かず、危うく切り捨てそうになってしまった。
「ロロ!ロロ!俺はロロ!」ロロは慌てて誤解を解いた。こうなることはロロには想定内だった。ロロはリュックに自己紹介をすると、準備してあった服などが入った麻袋、ロレン金貨が入った巾着袋、王家の紋章が刻印されたリュックの愛剣を手渡した。
「これから暫くの間、リュック様には指定された場所で生活して頂き、来るべき日に備えて頂きます。これがその場所の地図です。地図が記すままに道をお進み下さい。道を間違えますと本件とは無関係の警備兵がおります故、絶対にお間違えの無い様お願い申し上げます」
そう言ってロロはリュックへ地図を手渡した。「外には仲間のアランが見張っています。一緒に目的地まで行く事は出来ませんが、目的の家の近くにはエジットが待機しております」
「分かった。お前たち、何から何まですまない」
「とんでもございません」
教会の外に出ると既に日が暮れていた。日中にパトリックの王位継承の祭りが行われた影響で、あちらこちらで酔っ払いが酔い潰れていた。
「リュック様、アラン・マッティと申します。向かって頂く先は、仲間のエジットがかつて住んでいた家です。詳しい話は後日致しますが、今は空き家になっておりますので、そちらでお体を半月程お潜め下さい。その間に次の準備を進めますので」
「分かった。ありがとうアラン」
リュックはそう言ってアランの肩をポンと叩くと、目立たぬようになるべく気配を消しながら、地図に描き記された順路を辿った。
家は街を大きく囲む城壁内の南西にあった。建物が密集している中央や南東のエリアとは違い、貴族の家が割と多いせいか、庭付きの家一軒一軒の間にゆとりがある。その中では割と小さく、庭の草木も手入れが行き届いていない家、その前で銀髪の男が待っていた。エジットはリュックに気付くと、手を振ってリュックに近付き、簡単に挨拶をした。
「リュック様、エジット・フレイと申します。さあ、中へ」エジットは小声でそう言うと、リュックを元自宅へ案内した。「正面玄関は施錠してあります。ここからの出入りはお控えください。ここはかつて私が住んでいた家です。父が借金の形に一度没収されたのですが、時が経ち、今は私が買い戻し、持ち主となっております。まだ外までは手入れが行き届いていないのですが、中は綺麗にしてあります」そう話しながらエジットは裏口からリュックを中へ案内した。
家の中は確かに片付いていて、生活するには何の問題も無さそうだった。
「では、しばしこちらでの生活をご辛抱下さいませ」エジットはそう言いうと、外の警備に戻って行った。
リュックは脱獄開始からどれ程の時間が経過していたか把握はしていなかったが、実は二十時間以上が経過していた。長い緊張から少し解放されたリュックは、崩れるようにそのまま床に寝転んだ。
リュックが目を覚ましたのは朝の七時頃だった。それは「「「ウォー!」」」という男たちの激しい気迫あふれる声と、地震のような地響きだった。そしてその声はロマニア兵たちの声、地響きは多くの馬が駆け抜ける振動だった。リュックはそれが戦いの音だと即座に気付いた。
リュックは激しく動揺した。「何故なんだ?よりによって何故このタイミングなのだ?」近づいてくる敵が進軍する音にリュックは剣を抜き、外へ飛び出した。家の目の前を馬にまたがったロマニア兵たちが駆け抜けて行く。片手には剣、または松明を持っている。火はあらゆる家に注がれる。リュックの頭にはクロディーヌの姿が浮かんでいた。
クロディーヌがいる娼婦館はここと真逆の南東にあった。リュックはロマニア兵たちに見向きもせず、我武者羅に南東方面へ駆けて行った。しかし市場に差し掛かったところで城に突入して行くロマニア兵団に鉢合わせしてしまい、その数、百、いや千、二千・・・敵の数は止めどなく増え続ける。リュックが行く筋に迷った次の瞬間、市場を馬で蹴散らしながら、ロマニア軍がリュックのいる方へ突撃してきた。敵はリュックを気にもせず、一気に市場を駆け抜けて行く。唯一、リュックは騎馬の男が振りかざした剣を自身の剣で受けたが、馬の勢いそのままに後ろへ吹き飛ばされ足を挫いてしまった。走ることままならないリュックは一軒家へ潜入しているロマニア兵の馬を盗み、娼婦館へ馬を走らせた。道を進むにつれ、街中は火の海、そして死体の山が増えて行く。何より頭を過るのはクロディーヌの安否だった。一瞬、パトリックや城の仲間が気になり、城の方を振り返えった。リュックの目に映ったのは至るところから煙を上げる、生まれ育った城だった。
その光景を見て、リュックは国が乗っ取られている状況を確信した。しかし今の自分には何も無く、なす術もない。身一つで城に向かったところで何もできないことは明白だった。今は何よりクロディーヌの身が心配でならないリュックは、馬の尻を叩き、馬を更に急がせた。そんなリュックの思いはお構いなしに、ロマニア兵たちは剣を振りかぶって来る。“絶対死ねない”リュックは鬼気迫る勢いで兵士たちを薙ぎ払いながらその場を走り抜けた。
そして、やがて辿り着いた娼婦館からは嫌な予感そのままに、煙が上がっていた。
「クロディーヌ!」
娼婦館の扉は壊され、開放したままになっている。リュックは馬から飛び降りると勢いそのままに、館の中に侵入した。中では炎と共にロマニア兵によって無残に殺された女たちの死体、そして今まさにロマニア兵に犯されている残された娼婦たちの姿があった。リュックは破竹の勢いで情けない姿のロマニア兵たちを後ろから続々と切りつけ、一階にいるロマニア兵たちを壊滅させた。しかしクロディーヌの姿はそこに無く、リュックは目の前の階段を駆け上がった。
そしてクロディーヌがよく利用している部屋の扉を蹴破った。するとそこにはクロディーヌに短剣を向けて迫るロマニア兵の姿があった。鎧姿の男はもじゃもじゃの大きく蓄えた髭面が特徴的で、体はリュックよりも一回り大きかった。
「クロディーヌ!」
「リュック!」
ロマニア兵はリュックの姿を確認するや否や、すぐに手元の短剣をリュックの顔をめがけて投げつけた。「よう王子様、綺麗な顔が台無しだな」
短剣を交わしきれなかったリュックの目の下は、ナイフの起動そのまま、顔の右から左に血が溢れ出ていた。リュックは木にも留めず剣を抜き、ロマニア兵に斬りかかった。
「ウオー!」リュックは上段から真っ直ぐ剣を振りかざした。
ロマニア兵は腰から剣を抜くと、リュックの剣を頭上で受けた。
そしてそのまま剣伝いに自分の剣を滑らせ、競合いからリュックを跳ね飛ばした。リュックは吹き飛ばされるもすぐに体を起こし、ロマニア兵の攻撃に備えた。だがロマニア兵はすぐに襲っては来ず、リュックが立ち上がるのを待っていた。
「良い一撃だ。やるなー。ここにお前がいるということは、下の隊長たちを全員殺ったってことだろう。あの数の実力者を負かしてここに来るっていうのは正気の沙汰ではないぜ」ロマニア兵の男は仲間を殺された怒りよりも、リュックと剣を交えていることを楽しんでいるかの様だった。
「戦争で女、子供に手を出すやつは下種の極み。絶対に許さん」
「許さんってお前、自分の立場が分かっていないようだな。この国は我らロマニアが制圧した。もうここはロマニア国だ」
「まだ分からないだろう!」
「いや、これは確定事項だ。俺はジャック。お前は?」
「リュックだ」
「覚えておこう!久しぶりに手ごたえのあるやつと手合わせ出来て嬉しいぜ!」ジャックはそう言うと、リュックに剣を向けて突っ込んだ。
リュックは剣を振りかぶり、ジャックの頭めがけて切りつけたが、挫いた足で踏み込みが甘くなってしまい、ジャックはギリギリで体を捻りそれをかわした。リュックは咄嗟に狙いをジャックの腕に変え、そのまま剣を振り切った。
「リュック⁉」クロディーヌは金切り声でリュックの名を叫んだ。
クロディーヌの前にはポタポタと胸から大量の血を流すリュックの姿があった。ジャックの剣は鎧を着ていないリュックの胸を安易に貫いていた。しかしまた、ジャックの右腕も肘から先がつながっておらず、リュックを突き刺した剣にジャックのその腕がぶら下がっていた。リュックはジャックの腕の、鎧が無い関節を狙って攻撃をしていた。
ジャックはリュックに刺さった剣を自分の腕ごと抜き、既に力無きリュックの体を蹴り飛ばした。そして剣と自分の斬り離れてしまった腕を外し、剣を一振りした。剣からは付着したリュックの血が弾け飛ぶ。リュックの体はゴロンと力なく床へ転がっている。
「痛て・・・これは女遊びしている場合じゃねえな・・・」ジャックはクロディーヌを諦め部屋を出ると、燃え盛る炎で剣を炙り、リュックに斬られて無くなった右腕の傷口に押し当てた。「ぐあーっ!」ジャックは目を充血させ痛みを堪え叫んだ。剣を押し当てたジャックの腕からは「ジュ―」という肉が焼ける音が出ている。
「リュック!」涙を流しながらクロディーヌはリュックへ恐る恐る近付いた。リュックの目に光は無く、呼吸は止まる寸前なのかというくらい浅い。口と胸からは大量の血液が流れている。「ごめんなさい・・・」返事をしないリュックを抱きしめ、クロディーヌは泣き続けた。
「私もあなたを愛しているわ・・・もう恋なんて絶対しないわ・・・・ううん、もう生きていても意味がない。私も・・・」そう言ってクロディーヌはリュックの横に落ちた剣を手に取った。
「クロディーヌ!」そう言って命を絶とうとしたクロディーヌの手を止めたのはオレリだった。「逃げるよ!」オレリはそう言うと、クロディーヌの手を強引に引っ張り上げ、生き残った他の娼婦たちと共に、燃え盛る館を後にした。
夕方、ギュエルタスという男が荒廃した街中をロマニア兵の目を盗みながら探索していた。こげ茶の短髪、鼻の下と顎に同じ色の髭を生やしている細身な男の主な目的は火事場泥棒だった。まだ何かしら残っているだろうと、特に誰も手を出さなそうな状態が酷い家を重点的に探索した。その流れで燃え後の娼婦館にも足を踏み入れた。目の当たりにしたのは血まみれ、または焼け焦げた死体の山と、荒れ果てた館内。その多くは炎の後で真っ黒だった。なかなかお宝を見つけるには困難を極めそうな景色に一瞬怖気付いたが、ギュエルタスにとっては稼ぎ時。踏みとどまって足を前に進めた。一階には特に金になりそうな物は無かった。そのまま黒焦げで崩れ落ちそうな階段を使って二階へ上がり、一つ目の部屋の部屋を覗き込んだが、やはり何もなかった。そして二つ目の部屋。扉を壊されたその部屋の中に入ると、血まみれの男が倒れていた。
「うわっ」ギュエルタスはおぞましいものを見る目で男を見つつ、何かないかと辺りを見渡した。「金になりそうな物は・・・」そして次の瞬間、ギュエルタスは我が目を疑った。倒れている男の腰袋より黄金に輝いている物がこぼれている。そしてそれは紛れもない、期待に応えるロレン金貨そのものだった。金貨は腰袋ぎっしり入っており、その量は生まれてこの方、一度も見たことがない量だった。「こんなに・・・これでどれだけ生活が出来るんだ。しかしこいつ、何者だ?娼婦館に大金持って、豪遊したい貴族のお坊ちゃんか?それにしては大した身なりではないような・・・」そう言いながらギュエルタスはリュックの横に落ちていた剣を手に取った。
「こっ・・・これは・・・」剣を持つ手が震えた。その剣に刻印されているのは王家の紋章だった。「なっ、何で王家の人間がこんなところにいるんだ??」
そして次の瞬間、ギュエルタスはハッとした。『もしかして生きているのでは?もし生きていたら助けなければ。もし助けたらお礼は弾むはずだ』ギュエルタスはリュックの胸に耳を当てた。ほんの微かだが心音が聞こえる。ギュエルタスはリュックを担ぐと剣と大金を回収し、足早にその場を後にした。