ユキエ
雨上がりのアスファルトは、街頭に照らされて銀色に光っていた。
私は14歳、このままどこにでも行ってしまいたい。父親のいないところなら、どこへでも。
お気に入りの赤いワンピースは貧困にあえいでいながらも、久しぶりに会った母親が見繕って買ってくれた。母親にはなんの未練もないが、ワンピースには未練がある。けれど、同居人の父親が不器用な洗濯でそのワンピースに色むらを作ってしまった。数少ない友人から教えてもらった(あと、購読していたファッション雑誌で流行っていると書いてあったのもあって)染粉を買って染め直した。うまくいかず、蓋を開けたとき、周囲に染粉が噴火したように散らばってしまった。父親に怒られるだろうという恐怖が先に立った。染粉を買ったお金のもったいなさやワンピースを染められないだろうという心配よりも、何よりも。
案の定父親が激怒した。理不尽と言ってもいい怒り方だった。母親がいなくなったのも私のせいなら、染粉でそこらじゅうを片付けなきゃいけない手間も私のせいだ。私の居場所は、どこへ行こうとしても父親が存在する限り、どこにもないし、どこにも行けない。ここではないどこかならどこでもいいと思った。
泣き濡らした表情が乾かぬうちに、気づけば夜の雨上がりの中を飛び出していた。自転車は知らないアパートに止めた。赤の他人だったアパートは私の赤い自転車を迎え入れてくれた。ユキエのうちに行こう。
ユキエが玄関口で私を一目見るなり、どうしたの?と驚きの声を上げた。私はしゃくりあげながらも、家出してきた、父親にはもう会わない、と話した。そう、とユキエが言った。
ここに隠れておきな、と狭苦しいクローゼットの中を案内された。私は身体を横にできないその場所に不安をおぼえた。ユキエが飲み物としてカルピスウォーターを持ってきてくれた。暗くて長い夜が始まった。
私はクローゼットの中で三角座りをして、明日の学校どうしようか、と考えていた。父親が外を車で動き回っている音がする。私を探している。お尻から肩まで恐怖がのぼってきた。
父親がユキエのうちのそばで私の自転車を見つけたから、といって訪ねてきたようだった。けれど、知らないふりをしてくれるユキエの言を信じてユキエの父親(母親はいない。片親だった)は、ここにはきていないです、と硬くこたえた。
もう何時になっているのだろうか。まだ眠れずにいた。この夜は本当に明けるのだろうか。自分の身体の境界線も見えない暗闇の中で、ユキエの声が聞こえた。もう、やめない?――そうだね、と答えた。
お前は何をしてるんだ!というユキエの父親の怒号が6畳の部屋に響いた。白熱灯が白々しかった。ユキエは涙目でごめんなさい、と言った。殴らないで。あなたも一体どういうことなんです?とユキエの父親は私に向かった。すみません、としか言えなかった。ユキエの父親は空手初段らしい。ユキエはしょっちゅう殴られて、それでも学校に来て、机に向かって黙っていた。休み時間には普通の中学生らしく、おしゃべりした。ばかばかしい冗談も言ったり、取るに足らないことを深刻そうに話したり。ユキエは明日、学校に来るんだろうか。私は今、何時かとても知りたかった。ユキエには死んでも許してもらえない恨みを買ってしまった。私はどこへ行けばいいんだろう?ここではない、どこか。けれど、それは学校でも、ピアノレッスンでも、ユキエの家でもなく。ユキエ。
父親に連絡が行って私は帰宅した。父親が詰問調で私を責めた。暴力を振るわれなかっただけ、まだましなんだろう。不幸のゆえんは不幸という名前がないところにある。名前が、ない。これが不幸の最大の原因だ。私はどんなことにも前向きでなければならないのだろう。だって、父親に殴られていない。ユキエは殴られているのに。物質的にも恵まれていて、義務教育も満足に受けているし、五体満足だ。ただ、母親を父親の暴力のせいで失っただけである。でも、母親だって生きているんだから、会おうと思えば会えるわけで、私が不幸じゃない理由はこうしてたくさん並べられるんだ。だから、私は前向きに考えをシフトするだけでいいはずなのに。
誰もわかってくれない。父親は牛乳を催促する私の言うとおりに動いたことを後悔して、それを床にぶちまけた。