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謀婚  作者: 樫本 紗樹
七章 幸せを求めて
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全てが謀とは限らない【前編】

 翌日、ライラの部屋に客人が来た。エミリーは想定外の事に慌てて紅茶の用意をし、来客の前にティーカップを置くと部屋の奥へと下がった。

「いかがされましたか、ウルリヒ殿下」

 ライラは姫改め隊長夫人対応で微笑んだ。他ならまだしも彼には絶対に見破られたくなかった。冷やかしを受けるのだけは避けたかったのだ。

「いや、ライラ姉上は王宮の食事をどう思っているのかなと」

「私は基本的に出されたものは残さず食べますよ」

 ライラのわざとらしい答えにウルリヒは不満そうな表情をした。

「味の話をしているのだけど」

「公国の味付けだと伺いました。私は公国を知らないのでわからないのですが、実は違うというお話でしょうか」

 ライラはあくまでもとぼけていた。もしウルリヒがこの問題を解決してくれるのなら、そんなに楽な事はない。

「僕も知らないよ。公国には一度も行った事がない。母上に聞いた所忠実に再現しているらしいけど、物足りなくない?」

「それを私に言われても困ります。ウルリヒ殿下が王妃殿下に申し上げれば宜しいではないですか」

「勿論味が薄いと言ったよ。でも母上は美味しいと。父上も同じ事を言うから、どこに訴えていいのかわからなくて」

 ライラはやはりウルリヒに期待したのが間違っていたと内心落胆した。しかし王妃が嫌々食べていないのならば、突破口は一つなくなったという確認は出来たので良しとするしかない。

「確か弟君がいらっしゃいましたよね。彼はどうなのですか?」

「フリッツはどっちでもいいって。だから今日はジョージが戻ってきたら僕の分も用意してと、その口添えをお願いに来たの」

 ライラは問題を解決するのではなく、逃げる事を選んだウルリヒに呆れた。彼らしいと言えばそれまでだが、それでは成長しない。

「それは難しいと思いますよ。赤鷲隊料理長は、隊員に振る舞っているのです。預かりの身でなくなった今、ウルリヒ殿下の分をジョージ様が用意して下さるとは思えません」

「でもライラ姉上は以前から食べていたと聞いたよ」

「私は赤鷲隊隊長夫人ですから権利はあります」

 ライラにそう言われウルリヒは口を真一文字に結んだ。彼女はこの光景をよく見るなと思った。これはもう退散するかと彼女は予測したが、それは外れた。

「それなら何か知恵を貸して。二年前までの食事がいい。本当は赤鷲隊の方が美味しいけど、それは諦めるから」

 王宮料理より軍隊の料理の方が美味しいとは、どういう事だろうとライラは疑問に思ったが、二年前の味がわからないので判断が出来ない。

「私はそもそも料理の味が変わったきっかけを知らないのです。ウルリヒ殿下は御存知ですか」

「知らない」

「それがわからないと対策のしようがありません。物事を解決するには、まず原因を追究する事が大切です。そこを調べて頂けないでしょうか」

「わかった。ちょっと聞いてくる。原因がわかったら相談に乗ってくれる?」

「えぇ。いつでもどうぞ」

 ライラは柔らかく微笑んだ。ウルリヒも頷くと立ち上がって部屋を出て行った。扉が閉まるのを確認して、控えていたエミリーがテーブルに近付き、ウルリヒの為に用意したティーカップを片付ける。

「どう? エミリー」

「端正な顔立ちなのは認めます。ただ身長も低いですし、口調や振る舞いが王子らしくありません。正直将来に期待は出来ませんね」

「でももし原因を調べてきたら褒めてあげましょう。あれでも今、成長過程なのよ」

「申し訳ありませんが、私は十八歳で成長過程など遅すぎて受け入れられません。そもそもジョージ様の事を呼び捨てにされて腹が立ったりしないのですか?」

「最初は私の事も呼び捨てだったわよ。ジョージが怒ったから渋々姉上がついているの」

 エミリーは呆れた表情を浮かべる。ライラは微笑んだ。

「この王家の教育方針が全くわかりません。何故これほど差が出てくるのですか。ジョージ様のお母様が余程素晴らしいのでしょうか」

「私はそう思っているわよ。サマンサもしっかりしているし。一度会ってみたかったわ」

「それは叶いませんから、王妃殿下の教育方針を聞いてみたいですね」

 エミリーの言葉には棘があった。ライラは笑う。

「いっそエミリーが南西部の言葉で話しかけてみたら? 教えてくれるかもしれないわよ」

「やめて下さい。私が他国の言葉を話せる事は、ライラ様以上に秘密なのです。ジョージ様には隠せないと思って正直に申し上げましたけど、不審がられて国外追放されたらどうするのですか」

 ライラはあまり深く考えていなかったのだが、エミリーに言われて気が付いた。ライラは身元も確かであるし、休戦協定を守っている間は国外へ追放される事はまずない。しかしエミリーはガレスの間者だと言われて追い出される可能性は否定出来ない。最悪命を奪われる事も考えられる。二国間はあくまでも休戦したのであって、まだ平和条約は締結していないのだ。

「ごめんなさい。エミリーは危険な立場にいたのね。配慮が足りなかったわ」

「私は自分が望んでここにいますから、そこまで重く捉えて貰わなくても大丈夫です。使用人の方達とは徐々に仲良くなっていますし、私自身が怪しい動きをしなければいいのです。現在私はライラ様をこの王宮に馴染ませたいという体で活動していますので、それだけはわかっていて下さい」

「馴染ませる?」

「そうですよ。ナタリー様は五年経った今もシェッド帝国の女と言われています。ライラ様は出来ればガレスの姫ではなく、赤鷲隊隊長夫人として馴染んで欲しいのです。その方が生活しやすいでしょうから」

「そうね、ナタリー様はとても悲しそうだった。全然馴染めないと。私は馴染めそうかしら?」

「馴染めない原因の一つがナタリー様の侍女です。私はあのような愚かな事はしません」

 冷めた声でそう言うエミリーにライラは頷いた。

「確かにエミリーはそのような事は絶対にしないわね。エミリー、本当にありがとう。私は優秀な侍女がいてとても幸せ者だわ」

「私も感謝しています。こんなに楽しい女主人はそうそういませんから」

「もしかして馬鹿にしている?」

「いいえ、褒めていますよ」

 エミリーは微笑んだ。ライラもつられて笑った。



「ナタリー様の侍女二人に会えたりはしないかしら?」

「また唐突に何を仰られるのですか」

 ライラは料理人には申し訳ないと思いながら、味気ない夕食に塩を掛けていた。彼女は一応一口味見をする。そして物足りないと判断してから塩を足していた。

「ふくよかというのが少し見てみたくて。侍女は普通細身でしょう?」

 上流階級の侍女ともなれば貴族令嬢が一般的である。貴族令嬢は見た目に非常に拘っているので、太っている事はまずない。

「ライラ様から聞いた話では、二人は貴族令嬢とは違いますからね。その辺は拘っていないかもしれません。身に着けている物も微妙ですし」

「どういう風に?」

「宝飾品が冴えないのですよ。ライラ様の所に届いた首飾り、あれは帝国では普通だったのかと思わせる感じです」

「あぁ、それは駄目ね。合わないわ。勿論話は合わないと思うけど」

「彼女達は何故か帝国語しか使いません。ですから気を付けて下さいね。あくまでもライラ様は他国語を知らないという設定なのですから」

「わかっているわよ。だけどよく意思疎通が出来るわね。この王宮は帝国語を話す人が大勢いるの?」

「いえ、ほとんどいません。彼女達も五年いますから、こちらが言っている事はわかるのですよ。それに近い言葉も多いので、何となく何とかなっているのではないかと」

「何よ、その適当な感じ。誤解を招いているかもしれないわね」

「それは否定出来ません。ですがエドワード殿下は帝国語を話せますので、彼女達にしてみれば特に困らないのではないですか」

 ライラは納得したように頷いてステーキを口に運ぶ。元々の肉が美味しい事はわかるのだが、やはり塩気があった方がより美味しい。出来れば胡椒も欲しい所だが、香辛料をガレスから持ち込んでいるはずがない。

「他国に来て、言葉がわからない所に優しく母国語で声を掛けられる。その侍女達がお義兄様に落ちるのは仕方がないのかもしれないわね」

「何よりあの二人はナタリー様を下に見ていますからね。奪ってやったと内心喜んでいるでしょう。しかし子供を産んだのはナタリー様です。それがきっかけで余計に拗れたらしいですよ。エドワード殿下もアリス姫を溺愛されていますし」

「ナタリー様はどのような気持ちでアリス姫を出産されたのかしら。私は同じ状況で出産出来るかしら?」

「ライラ様、それは杞憂かと存じます。ジョージ様が女性に声を掛けるというのは想像致しかねます」

「だけど私には軽かったわ」

「それはライラ様が特別という事で宜しいのではないですか」

「確かにジョージは特別だと言ってくれたけど」

 ライラは嬉しそうにそう言うとステーキを口に運んだ。エミリーは微笑む。

「恋愛話は愚痴からのろけまで何でも受け付けますよ」

 エミリーの言葉にライラは今無意識に言った事が、のろけになると気付き恥ずかしくなった。

「いいわよ。そういうのは仲良くなった王宮の使用人と話して」

「使用人は基本独身なので夫婦の話と言うのはあまりないのですよ。恋人と夫婦では内容が変わってきますし」

「そのような事を言われても、私は恋人がいた事もないから違いがわからないし」

「それは平民と貴族ではまた違うのですよ。貴族以上になれば夫婦でも恋人のような愚痴やのろけもありますから」

 貴族以上になると今度は浮気や不倫の話が目立ち、それはそれでエミリーは好きなのだが、それをライラに言うのは憚られた。ライラはエミリーの言いたい事がわからず首を傾げる。エミリーは微笑んだ。

「平民の夫婦ですと、どうしても生活感が滲み出てきてしまうのですよ。甲斐性がないみたいな。ですが貴族以上ですとその部分は心配ないですから、恋愛に特化出来るのです」

「そう言えばジョージは給料制らしいわ。今度いくら貰っているのか聞こうかしら。私の生活費がどこから出ているのかよくわからないし」

 ライラの疑問にエミリーが冷たい視線を投げかける。

「お金の心配は必要ありません。そういう事は仕えている者の仕事です」

「だけどカイルがジョージの給料を知らないと言っていたの。ジョージが管理しているのだと思うわ」

 エミリーは訝しげな表情をした。ジョージに直に仕えているのはカイルだけである。部下は数えきれないし、洗濯などはその部下が担っているのだとしても、お金の管理を任せているとは考え難い。彼女は王宮の使用人と同じ食堂で食事をしているが、先日貰った給料はブラッドリーから渡された。腕章があるのでそういう形式なのかと気にしなかったが、中身は想定していたより多かった。ジョージから支給されていると考える方が自然かもしれない。

「ジョージ様は一体何者なのでしょうか。私の中の王子像から遠いのですけれど」

「何者と言われても赤鷲隊隊長としか言いようがないわよ。王子と呼ばれるのは心底嫌っているから、王子とは思わないであげて」

 エミリーは頷く。ブラッドリーから以前言われた言葉が腑に落ちた。確かにジョージは王子というより隊長の方が似合う。しかし隊長でもしっくりこない。彼女は暫く考えたが、適切な表現は思いつかなかった。

「それとお金の件に関してはテオさんの影響が大きいとカイルが言っていたわ。だから商人的な思考も持ち合わせているの。服も自分で商人を指定して手配しているみたい」

「余計混乱するのですけれど。余程ウルリヒ殿下の方が王子に近いですよ」

「ウルリヒは黙っていれば王子よね。話すと頼りないけど」

 大国レヴィ王国の王子が、女好き、軍人、幼い青年。エミリーは頭を抱えたくなった。この国は本当に将来安泰なのだろうか。それでも相手がジョージでよかったと思うしかない。女好きのエドワードではライラと相性が悪そうだし、幼いウルリヒでは会話が長く続かない。ライラは陰で支えるのも引っ張っていくのも向いていない。掌で転がすなど論外だ。その点ジョージは共に歩んでくれそうな雰囲気がある。先代は相手を知っていて適任と選んだのかもしれない。悔しいが宰相を長年務めただけあって物事を見抜く力は誰も及ばない。それをわかっているから父も反対しなかった。そう思うとエミリーは自分の考えが浅はかだったと認めざるをえないと思った。自分より何十年も長く生きてきた二人に勝てるはずがないのである。エミリーは王宮内に父の間者が見つからないのは、そもそもいないからではという気がしてきた。ガレス側には陰謀などなく、ただ単に相応しい相手に嫁がせたい、それに休戦を絡めただけなのではないのだろうか、と。

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