義兄と庭で
「楽しそうですね、そのお茶会。私も参加してみたいです」
ライラは自室に戻ると、エミリーにお茶会での内容を全て話した。エミリーは話を聞きながら本当に羨ましそうにしていた。
「エミリーを参加させるとサマンサとナタリー様の侍女も参加させなくてはいけなくなるし、そこは難しいわよ」
「わかっています。しかし私はナタリー様を応援したくなりました。戦争の決着がついたら幸せになって欲しいですね」
「私の話だけでエミリーは何を悟ったの?」
「十分わかりますよ。ナタリー様はやはりエドワード殿下をお慕いしている事や、それでも自分の立場的に素直に甘えられないとか、エドワード殿下はそれを知っていて放置しているのだろうなとか」
エミリーの言葉にライラが訝しげな表情をした。何がどうなったら放置しているまで辿り着くのかライラには皆目見当がつかなかったのだ。
「一度お庭を散歩してエドワード殿下に絡まれましょうか。王妃殿下の件は探ってはみますが、正直お部屋がどこかもわからないのですよね」
「確かジョージが最上階の隅と言っていたわ。わざわざ出向かないと辿り着けない場所だと」
「それはまた難しい場所にいらっしゃいますね。余程他の方とお会いになりたくないのでしょう。訛りは致し方ないとわかる人は少数でしょうから」
エミリーの言葉をライラは頷いて肯定する。
「いっその事お食事を一緒にされますか? 晩餐会に出席したい旨を伝えるのはありかもしれません」
「それは塩をかけられないから我慢して食べるという事?」
「不味そうに食べるのを見せつけるのも手かと思います」
エミリーは涼しげな表情をしている。ライラは小さくため息を吐いた。
「それもいいかもね。一人で食べるよりは美味しく感じるかもしれないし」
「それではライラ様が王族の皆様と仲良くしたいと望んでおられるのでと交渉してみます」
「えぇ。宜しくね」
夜、ライラは入浴を済ませた後、ノックをしてから寝室の扉を開けるとソファーに腰掛けた。暫くそのまま腰掛けていたが、今夜からはジョージがいないという当たり前の事をやっと受け入れると、小さくため息を吐いて立ち上がる。そもそも今夜エミリーが用意したのは丸首の寝衣であり、その時点で現実を突きつけられていたのだが、何となく受け入れがたかったのだ。
ライラはゆっくりとベッドに潜り込んだ。結婚前からジョージがこの部屋を使っていたのかはわからない。けれど毎日掃除され、シーツやカバーも交換される寝室で彼の匂いを探す方が困難である。抱きしめられている時のあの心地よさは、匂いも好きだったからなのだと彼女は実感していた。
ライラはジョージの枕に顔を埋めたが、すぐに気遣う彼の性格を恨んだ。この枕をあまり使っていないのかもしれないが、彼女の求める匂いが枕にない。彼女は彼の枕を抱えて自分の枕に頭を乗せた。あと何日こうして一人で眠らなければならないのだろう。結婚する前は一人だったわけだし、結婚後もこのベッドでは背を向けて寝ていたわけで、彼と抱き合って寝たのはまだ十日もない。それなのにもうそれが当たり前になっていた。彼女は彼の枕を抱えたまま横向きになった。物足りなくて仕方がないけれど寝ないわけにはいかない。彼女にはやらなければいけない事があるし、彼は最短で戦場に行くと言っていたので今夜は野営かも知れない。それに比べたら恵まれた環境にいるのだからと思おうとしても、やはり寂しさが消えない。彼女は左手薬指の指輪を見つめた。彼は戦場に向かったのだ。今は彼が作戦通り帝国に勝ち、自分を呼ぶ為に誰かを寄越してくれるのを信じて待つしかない。信じながら彼が自分に期待している事に応えなければいけない。
ライラは指輪にそっと口付けると、枕をぎゅっと抱えて目を閉じた。
翌日の昼下がり、ライラとエミリーは庭を散歩していた。エミリーは庭をよく散歩していたので、何処に何があるのかを完全に把握していた。季節は秋なので咲いている花は少なかったが、それでも十分広い庭はライラの好奇心を十分に満たしてくれた。
「引きこもっているのが趣味かと思っていたけど、散歩も好きなの?」
突然声を掛けられライラは振り返る。エミリーは頭を下げた。ライラもエドワードに対し会釈をする。本当に絡まれた事に内心驚いていたが、それを顔には出さずに微笑んだ。
「御無沙汰しております、エドワード殿下。散歩も好きですよ」
「乗馬も好きらしいね。この庭は自由に乗馬をしてもいいよ」
「ありがとうございます。それではたまに愛馬とも散歩を楽しませて頂きます」
ライラは姫対応を心掛けた。エドワードは何を考えているのかわからない雰囲気があり、いくらジョージが信用しているとはいえ、簡単に素を晒していい相手には思えなかった。それに彼女にはナタリーがいるのに、不特定多数の女性と関係を持っている彼の気持ちがどうしても理解出来なかった。
「ジョージが戦場に行ったのに落ち着いているね」
「ジョージ様を信じていますから」
「勝てると信じているの?」
エドワードの疑問にライラは微笑で応える。彼女はジョージが勝つと信じる事に決めた。しかしジョージが不安に思っていた事もわからなくはなかった。そもそもいくら書類で戦況報告を読んでいたとしても、現地の空気はわからない。彼女には戦場で何が起こるかなど想像が出来ない。
「議会が大荒れしたとサマンサ殿下から伺いました。落ち着いたのでしょうか」
「とりあえずは。出立した軍隊を引き返させる権限は父にしかないし、その父が許可をした出立だから、議会が荒れようと引き返す事はない」
「そうですか。エドワード殿下は勝利を確信されておられるのでしょうか?」
ライラの質問にエドワードもまた微笑で返す。彼女は彼が声を掛けてきた意味を必死で考えていたが、どうしてもわからなかった。
「本当は休憩に誘いたい所だけど、サマンサと仲良くなったみたいだから残念だよ」
「仰る意味がよくわかりません」
ライラは微笑のままそう言った。何故ジョージの嫁だからではなく、サマンサと仲良くなったからなのか本当にわからなかった。
「サマンサは私にとっても大切な妹だから。サマンサが姉と認めた人と深い関係になるのは流石に憚られる」
エドワードは笑顔のままだったが、ライラには言っている内容が笑顔で受け止められない。彼女は微笑を保てず、それでも不快感は出さないよう表情を取り繕った。
「だがあれだけ女性に興味のなかったジョージの心を動かしたという所は興味がある。一体どうやってジョージの心の中に入ったのかは聞いてみたい」
「私はジョージ様を愛しているだけです。ジョージ様がどう思われているかは、ご本人に伺って頂けないでしょうか」
「ジョージのどこを愛しているの?」
思いがけない質問に、ライラは一瞬崩れそうになった表情を必死に耐えて微笑を浮かべる。
「私は恋愛話が苦手ですので御容赦下さいませ」
「そう、それならジョージが戻ってきてから、二人一緒の所を訪ねる事にするよ。ジョージの今まで見た事のない表情が見られるかもしれないし」
「それでしたら是非お茶の時間にいらっしゃって下さい。美味しい紅茶をご用意してお待ちしております」
「その時は私に素を晒してくれる?」
エドワードは笑顔だ。ライラも微笑む。
「さぁ、どうでしょうか」
「私はジョージが惚れた女性に興味がある。今の仮面は正直面白くない」
「面白くないと言われましても、ジョージ様と別の方の前で態度が変わってしまうのは致し方がないではありませんか」
ライラの言葉にエドワードは笑顔を崩さない。彼はライラの後ろに控えているエミリーに視線を移した後、すぐにライラを見つめた。
「本当にガレスの女性に私は受けないな」
「私が一般的な女性と違うのですよ。この歳まで未婚であった事で察して下さい」
「結婚は一番強い政略の切り札だから、大切にされていただけだろう」
「いいえ、ただ貰い手がなかっただけです」
「自ら断っただけだろう?」
エドワードの言葉にライラは微笑みで応える。わかってはいたが、やはり彼もルイの求婚を断った事を知っているのだ。ジョージの憶測通り、わざと誘拐を企てたのかもしれない。彼女はその可能性を探りたくなった。
「私はジョージ様に嫁ぐ事が運命だったのです。危うくその生活を壊されそうになりましたが、この件はジョージ様から聞かれていますか?」
「誘拐されそうになったとは聞いているよ」
「もし私が本当に誘拐されていたら、レヴィは私を助けてくれましたか?」
「レヴィ王国として判断する前にジョージが助けると思う。赤鷲隊隊長の権限で十分動ける範囲だから」
ライラはあの誘拐を裏で画策したのはエドワードで間違いないだろうと思った。ガレスの姫君が誘拐されれば、休戦協定破棄へと繋がり国益を損なう可能性がある。その場合、赤鷲隊隊長であるジョージは休戦協定を守る為、国家利益を守る為に自分の救出を最優先として行動しても誰も咎めない。むしろそれが自然の流れである。
「それほどまでに帝国と戦争をしたかったのですか?」
ライラはにこやかに問いかけた。エドワードも笑顔で応える。
「ガレスの姫君にはまだ知らない事が多いだろうけど、この国は今岐路にある。正しく進む為には戦争が必要な場合もある」
「もしこの戦争でジョージ様に万が一の事があったらどうされますか?」
ライラの探るような眼差しを受けてエドワードは笑った。
「まずないだろうけど、その場合は弔い合戦として私が戦場に赴くかな」
「もしそのような状況になりましたら、私も是非戦場へ連れて行って頂きたいものです」
「戦場へ? 悪いけど貴女は役に立ちそうには見えない」
「剣は扱えませんが、帝国の男に近付いて毒を盛れるかもしれません」
ライラは真剣な表情でエドワードを見る。彼は笑顔だ。
「復讐で相手を殺すのは勧めない。誰かを恨むのは自分の首も絞める。そもそもジョージは簡単に死なないよ。信じているという言葉は偽りだったのか?」
「言葉が過ぎました。失礼致しました」
「いや、そこまでジョージの事を想ってくれているとは、ジョージは幸せ者だな」
「エドワード殿下にもナタリー様とアリス姫がいらっしゃるではありませんか」
ライラの言葉にエドワードは一瞬困った顔をしたが、すぐに笑顔を浮かべた。
「こちらの政略結婚は一筋縄ではいかないから」
ライラはやはりエドワードの真意がわかりかねた。一筋縄でいかない原因は彼自身にあるように思えるのに、目の前の男性の表情からはそう判断出来ない、どこか悲しそうな雰囲気がある。
「よかったらナタリーと仲良くして欲しい。彼女はこの国にまだ馴染めていないみたいだから」
「私もまだこの国の事は何もわかっておりませんけれど」
「他国から嫁ぐという事は色々大変だろうし、それはサマンサには理解出来ない部分だろうから、そういう共通の部分を通して仲良くしてくれたらいい」
「私は王家の人間ではありませんから、国を背負っていませんよ」
「こちらからしたら十分背負っているように見える。ガレス国王陛下の名前より、貴女の祖父の名前の方がこの国では知られているから」
ライラはまた祖父かと思い、つまらなさそうな顔をする。表向きでは五年前に隠居したはずなのに、未だに自分に纏わりつくその存在が鬱陶しく感じた。
「祖父は国を動かしているように見えて、ただ自分の領地を守っているだけです」
「あぁ、リデルだろう? あそこの紅茶は美味しいと評判だからね」
七十年前まではレヴィの一部だったので土地の名前を知っていても不思議ではない。しかしウォーグレイヴ公爵領の一つであるリデルでとれる茶葉は、ライラの祖父アルフレッドの代で改良を重ねて高級茶葉になった物で、ガレス王国になってからの特産品である。何故それをエドワードが知っているのか、ライラにはわからなかった。
「何故リデルを御存知なのでしょうか。あれは輸出していないはずですが」
「表向きは輸出していなくとも裏があるのだよ。何事にもね」
エドワードは微笑んだ。ライラは怪訝そうな表情をする。その表情を見て彼は面白そうに微笑む。
「そうやって自然の表情をしている方がいいよ。作り笑顔もだいぶ自然に見えるけど、それだと魅力が半減だから」
ライラは眉根を寄せた。エドワードは笑顔を崩さない。
「突然声を掛けたのに付き合ってくれてありがとう。そろそろ公務に戻る時間だから、またね」
エドワードは笑顔のままそう言うと、踵を返して王宮の方へと歩いて行く。ライラは暫く彼の背中を見つめていた。その背中が見えなくなる頃、エミリーはライラに一旦部屋に戻る提案をし、ライラはそれを受け入れて、二人はライラの自室へと歩き出した。




